館林キリスト教会

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ショート旧約史 サムエル記下

サムエル記下 1章1〜21

サウルとヨナタンの戦死の知らせは、ダビデを驚かせ、かつ悲しませた。まことかうそか「自分がサウル王の自殺を手伝ったのだ」と言って、手柄顔にそのニュースをもたらしたアマレクの青年は、すぐにダビデに殺された。  ダビデは、サウルとヨナタンの死を悲しむ「弓の歌」を作って、人々に歌わせたが、ダビデの心はどこまでも純粋であった。  しかしいずれにせよ、今や多年にわたる苦労と忍耐の期間は終りを告げて、神の摂理のうちにダビデの時がめぐって来たのは事実であって、これからダビデは敗戦と混乱のうちにあるイスラエルを収拾、指導しなければならない事となる。

サムエル記下 2章1〜23

ダビデは神の導きと人々の切望によってヘブロンに来り、油そそがれてユダ一族の王となった。そしてすぐに、サウルの遺体を埋葬したヤベシ・ゲレアデの人々を褒賞した。 一方、サウル王の軍指令官だったアブネルは、サウルの遺児イシボセテを、サウル王家の後継者に立て、彼をユダ族以外の全イスラエルの王と称し、マハナイムを本拠とした。 ここに勢いのおもむくところ、ダビデの家来とサウル家の残党の間の対抗が生じて、ところどころで小戦闘が行われた。12節以下はその1つの場面だが、ダビデにとってはこれは困った事態であった。

サムエル記下 3章1〜19

この間、一般の民心は、すでにサウル家をはなれてダビデに傾いている。 アブネルはサウル家の実力者だから、よほど勝手なふるまいがあっても、若いイシボセテ王はそれを押さえることができない。アブネルは今、その悪事を王から指摘されたのを怒り、これをきっかけに自分で擁立したイシボセテ王を身限り、他の有力者とも相談してダビデを全イスラエルの王として承認し、ダビデに忠誠を誓おうということに話をまとめすぐさまダビデと交渉に入った。 自分の利害で動く、政治家、軍人のみにくさは、昔も今も変わりがない。

サムエル記下 3章20〜37

アブネルを中心としたイスラエルの代表者はダビデと会見し、ダビデを全イスラエルの王として推薦するという話合いがまとまった。ところが、あとからこの事を知ったダビデの将軍で実力者のヨアブは、ダビデに無断でだまし撃ちにアブネルを暗殺した。彼は「アブネルは決して最後まで気の許せる人物ではない」とにらんだのだが、また一方、殺された弟に関する私怨を晴らしたのであり、また競争者の出現を喜ばない、彼の嫉妬心もあった。 ダビデもまた、その立場はなお流動的でかつ微妙、今すぐヨアブを処罰することができない。

サムエル記下 4章

実力者アブネルが暗殺されて見ると、サウル家ではイシボセテ王には実際の指導力がないので、一族も家来たちも、絶望的なショックを受けた。そこでこの事態の中で、更に悪質な1人の暗殺者は、今度はイシボセテ王の首を取って、これをおみやげにダビデに取り入ろうとして、かえってダビデに処刑されるというありさまで、結局サウル家は滅亡に至ったのである。神を離れ、ただ地位のみに執着し、ひたすらダビデを追いまわすことに専念していた晩年のサウル王が、いかに指導力を失い、民心の掌握に失敗していたかがよくわかるのである。

サムエル記下 5章1〜21

様々なことがあったが、すべては神のご配剤によって相働き、いよいよ少年の時に受けた神のご任命が成就して、今やダビデは全イスラエルの王となった。やがてエルサレムの完全占領に成功してこれを王都とし、宿敵ペリシテとの戦いにも次第に勝利をおさめて行ったのである。私は先年エルサレムに行って、発掘の様子なども見て来たので、ここに出てくる「シオンの要害、ダビデの町、水のたて穴、ミロ」などの地名を読むだけで、現地の様子が目に浮かんで来てなつかしい。

サムエル記下 6章

神の臨在のしるしである契約の箱は、昔エベネゼルの敗戦の時、いったんペリシテに奪われた。その後返還のあとも、国境に近いパアレユダにおかれたままになっていた。今、ダビデはエルサレムに仮の聖所を建て、そこに契約の箱を移し、20年ぶりにイスラエルの礼拝の秩序を回復しようとする。一大盛儀と言わなければならない。ウザや、ダビデの妻ミカルの挿話なども教訓であって、我々はダビデから励ましを、彼らからは警告を学ぶのである。

サムエル記下 7章1〜20

むかしイスラエルが、テントに住んで荒野を旅行する間は、神の家、すなわち礼拝の施設も、移動式のテント、つまり幕屋だった。それから今日まで、聖所があったと言ってもほとんど仮家だった。今やダビデの時代に至って、ようやく国は安定繁栄におもむき、人々も自分の家を建て、王もその宮殿をいとなむに至って、ダビデが本格的な神殿の建築を思い立ったのは、まことに良いことだった。自分の生活や贅沢にのみかまけ、つい神様のことをおろそかにするのは良くない。このダビデの神に対する真実は、更に大きな祝福のいとぐちとなるのである。

サムエル記下 9章

ダビデは神のみ心によって王となり、外敵を征服し、王国の諸制度を整えるなど、いわゆる創業の経営に多忙であったがその間にも礼拝の秩序の回復をはかり、また没落したサウルの一族をあわれむことを忘れなかった。今はダビデを恐れて、息をひそめている彼らをさがし出して、それぞれ保護を加えた中に、ヨナタンの遺児で足なえになったメピボセテを見出した事は、お互いに大きな喜びであった。ダビデは彼を慰めて、以後王族の一人として待遇したのである。 どんなに多忙な間にも、神に対する礼拝と、兄弟に対する愛の実行とは、クリスチャンにとって決して欠かせない大事だ。

サムエル記下 10章1〜4

アンモンの王は最後までしつこくダビデに抵抗する。ダビデは宥和の態度で、新しいアンモン王即位のお祝いに、使者たちを送ったのだが、彼らは使者を侮辱して追い返し、戦争の用意を始めた。ダビデは何回かの攻撃によって、アンモン、スリヤの連合軍を打ち破り、翌年の春には、いよいよ彼らにとどめをさすための作戦に取りかかり、ヨアブらに軍隊をまかせ、予定通りアンモンの首都ラバを包囲した。しかしもうダビデ自身が出馬するまでのこともないと見て、王自身は王宮に止まっていたが、この高ぶりと油断と安逸は、やがて恐ろしいバテシバ事件の伏線となってゆくのである。

サムエル記下 11章1〜21

姦淫は愛慾から、殺人は憎悪から始まる。この二つは人間の大きなエネルギーで、小説やドラマのテーマ、また多くの犯罪の動機となる。神の恵みと力によって、ハンドル、ブレーキをしっかり握らないと危険だ。ダビデほどの人物でも、この慾望を悪魔に刺激されてハンドル、ブレーキを放し、人妻バテシバとの姦淫、ひいてはその夫ウリヤの謀殺と、恐ろしい二つの罪を犯してしまったのである。何という恐ろしいことか。

サムエル記下 12章1〜15

ウリヤの戦死によって、バテシバが未亡人になると、今やダビデは彼女を後宮に召し入れ、自分の妻妾のうちに加えた。数ヶ月は表面何事もなく、ダビデ王の寵愛はバテシバ一身に集り、二人はいわゆる愛慾の陶酔の中にあった。 しかしこの間、社会の暗黙の非難があり、ダビデ自身も、ひそかに良心の呵責に苦しんだ。その間の事情は、詩篇32篇などに、ダビデが自ら記している。やがて神からつかわされたナタンは、はっきりダビデに忠告し、ダビデは真剣に悔い改めるに至った。そのころの彼の心境は、詩篇51篇などによくあらわれている。

サムエル記下 13章1〜19

ダビデは女性関係が開放的で、それがもともと彼の大きな欠点であったが、今やバテシバにおいて決定的な失敗となったのだ。上のなすところは、下おのずからこれに習う。ダビデの子アムノンとタマルの間の不祥事も、王家における一種の連鎖反応であって、彼らが成長する間に自然に呼吸した王家の空気と、今度のバテシバ事件の影響に違いない。それにしてもアムノンは一端の慾望から、何という乱暴で無責任な、そしてタマルにとってはかわい相なことをしたものだろう。

サムエル記下 13章20〜39

ダビデの宮廷には、母親の違う大勢の王子たちがいて、それぞれに取り巻きもいるが、その中には、陰険な悪公子もいる。アムノンはわがまま無責任な王子で、タマルは無邪気を通りこして、不注意な娘だったのだ。そしてアムノンの側近のヨナダブは、何となく立ちまわって、王子たちの間にもめごとを起こしては面白がる趣味があるらしい。もともとアムノンをそそのかし、悪知恵をつけ、タマルに乱暴させたのもヨナダブだったのだ。 今タマルの兄アブサロムが、怒りを深く胸におさめて表にあらわさず、注意深く時期をうかがって、とうとうアムノンを殺し、妹の恥辱の復讐をする、その影にも、ヨナダブの策動があるような気がする。

サムエル記下 14章1〜17

アブサロムは、アムノン殺害事件の結果、王に退けられてゲシュルに行って謹慎することになった。かくて3年たったが、賢明なヨアブは、ほとぼりもさめ、そろそろ王の心もアブサロムを求めているのを察し、テコアのかしこい女に命じて「いつまでもアブサロムを追放したままでおくのは良くありません」という意味の忠告を、一つの話に託して、王に申し上げさせた。 さきのナタンの忠告の場合と同じく、ある別のケースを示して、客観的に道理を考えさせ、さてそれを本人に当てはめて忠告する、という、いわゆる「諷諌」が、よい結果を見た例である。それにしても、忠告というものは良いものだ。

サムエル記下 15章1〜18

アブサロムの野心はだんだんエスカレートして(勿論、取り巻き達の扇動もある)今は私兵を養成し、人々の不満をかき立てて自分を売り込み、軽率な人々の人気を集めた。(今の政治家のジェスチャアや握手と似ている) そして、とうとう名目をもうけてヘブロンに人々を結集し、ダビデ王に反旗をひるがえしたのである。「まさか」と思っていたダビデ王が、気がついた時はすでに遅く、今は身一つで逃亡する外なく、従うのはほんの一族の者と、ほかに異邦の傭兵たちのみであった。

サムエル記下 15章19〜37

「おちぶれて袖の涙のかかる時人の心の奥ぞ知らるる」とは、よく歌ったものだ。ダビデは今こそ、ふだんの表面的な交際ではかくれて見えない、忠信な者と、軽薄な者との相違を知ったのである。 彼がそのあとを慕った祭司たちによってかかれて来た、神の契約の箱を、この際、一応エルサレムに戻したのは良いことだった。 契約の箱を錦の御旗のように用い自分こそ神の臨在、神の正義、神の祝福を代表するもので、ダビデ王にそむくことは、すなわち神にそむくのだ」の宣伝したいのは山々だが、一切の配剤を神にまかせたのだ。

サムエル記下 16章1〜14

イスラエルの王位が、サウル家からダビデに移ったのは、神様の摂理、自然の推移であって、決してダビデが奪い取ったのではないことは、今まで学んできた通りだが、もとのサウル家の家来たちの中には、こまかい事情がわからないで、ひたすらダビデを恨み憎む者がいたのもやむを得ない。 その1人のシメイは、ダビデの没落につけこんで、口ぎたなくダビデを呪い、一方、ダビデが恵みをほどこしたメピボセテも、今やダビデを裏切った。という情報が入った。(これは誤報) この間、ダビデは黙々と、ただ神の裁きとあわれみに一切をゆだね、短気な仕返しなど、決してしようとはしなかった。

サムエル記下 17章1〜14

アブサロムに味方した策士アヒトペルは、アブサロムの反乱が成功すれば、その臣下の中で、自分が最高位になれる見込みで、本気でアブサロムに賭けたと思う。反対にホシャイは、アブサロム側の情報をダビデに通報し、またアブサロムの作戦を混乱させるために、ダビデ側から送りこまれた、言わばスパイである。ところが開かれた作戦会議で、ホシャイの出した提言の方が、アヒトペルのそれよりもアブサロムの気に入った。ホシャイの提案が、アブサロム自身の勇気を必要とするものであるのに反して、ホシャイの方が、大がかりで、安全で、いかにも王様気分の戦争になり相だったからだ。しかしこれは、アブサロムの致命的な失敗となった。

サムエル記下 17章15〜29

アブサロムは、ダビデ王が、いわゆる「ウリヤ殺し事件」などによって、イスラエル全体の信頼と支持を失っている、と見込んで反乱を起こしたのだろうか。この章などを読むと、民衆の中に、案外に根強い、かくれた、ダビデ王支持の空気があったのがわかる。社会的な常識から言っても、長年にわたる信頼を、1つの失敗のため、1度に根こそぎ失ってしまう、ということはないらしい。かえって一般の民衆は、アブサロムのような野心家に対して、不安と警戒の気持ちを持つものと見える。

サムエル記下 18章1〜15

いよいよ戦争が始まった時のダビデの気持ちは「戦争には勝たねばならぬ。しかしアブサロムを殺したくない」という、複雑なものだった。だが父親としての、そのダビデの愛も、ダビデの命をねらい剣を抜いて刃向ったアブサロムを結論的には救い得ず、アブサロムは反乱軍の間に刺し殺された。このアブサロムの立場は、キリストの救いを拒絶し、あくまでも神にさからって、遂には自ら滅びをまねく人に似ている。 そしてここでまた、ダビデの態度をめめしいものと軽蔑し、独断でアブサロムを殺してしまった。いつもの通りのヨアブの姿勢が目立つ。

サムエル記下 18章16〜33

恐ろしい戦争もダビデの勝利に終わり、反乱軍は散り散りになった。しかしアブサロムの安否を気づかって、安き心とてなかったダビデは、ついに「アブサロム殺害」のニュースを聞かなければならなかった。「わが子アブサロムよ、わが子アブサロムよ。ああわたしが代って死ねばよかったのに」とダビデは泣いた。私たちは彼の姿の中に、罪人の滅亡を悲しむ、神の心を見ないだろうか。すなわち、キリストがせっかく罪人に代って死に、復活して下さったのに、その救い主を拒絶して、自ら滅びの運命に陥る人々のために悲しむ、神とキリストのみ心を思わざるを得ない。

サムエル記下 19章1〜15

サウル王は強固な意志の人であり、ヨアブなどは冷静な計算の人であるが、ダビデはどちらかと言うと、涙と情の人である。これはダビデの良さであるが、長所は時に短所、欠点に変質する。今ダビデがアブサロムの死を悲しんで取り乱し、今日一日、ダビデ王の勝利のために戦って犠牲となった、多くの戦死者、戦傷者、その家族の気持ち、またせっかく戦争に勝って凱旋した将兵の気持ちを考える余地がなかったのは、公人として本当にまずいことであった。この際のヨアブの忠告はまことにもっともである。「感情の自制」は誰にも大切な事だ。

サムエル記下 19章16〜30

今や主がダビデと共にい給うということが、明白に証しされたので、さきにダビデを呪ったシメイも、すっかり恐縮してダビデの前に平伏した。ここでダビデが寛容を示したのは、更に一つの証しを加えたもので、以後シメイは一生涯、ダビデに心服したと思われる。一方ジバは、足のわるい主人メピボセテを出し抜いて、ダビデに対していつわりの忠義立てをしていたことが、この際すっかりばれてしまった。いずれにしろ、物事が明らかにされる時は必ず来るものだから、お互いに心しなければならない。

サムエル記下 19章31〜43

ギレアデはヨルダン川の東、すでに砂漠地帯で、言わばイスラエルの辺境である。バルジライはこの地方の有力者の一人で、避難中のダビデ王のスポンサーとなった。さて戦争が終わった時のバルジライの、謙遜で、良く自分の分をわきまえた言葉は美しい。それに比べるとイスラエルの人々が(と言ってもその中心はエフライムだが)「ダビデ王に対する忠誠と努力で、ユダの人々に先を越された」と言って、ユダに食ってかかる嫉妬心は見っともない。このエフライムのユダに対する嫉妬心はいつものことで後々まで災いの種だ。

サムエル記下 20章1〜13

 不平不満のあるところ、いつもそれを扇動する者が出て来る。アブサロムの乱がおさまって、ようやく平静になろうとするこの国は今、エフライムを扇動して騒ぎを起そうとするシバの出現によって、再び分裂の危機にさらされることになった。ダビデはアブサロムを殺したヨアブをうとんじて、今度はアマサに兵を集めさせ、シバと戦おうとしたが、しかしアマサにはその実力がなかった。これを怒ったヨアブは「自分を出し抜いたのみか、テキパキ兵を集められないのは、この危機に際して重大な責任だ」と勝手にアマサを殺した。ダビデ王に対するいやがらせでもあるし、また自分のライバルを片付ける、ヨアブのいつものやり方だ。

サムエル記下 20章14〜26

 ヨアブは悪い奴だが、政治家として、軍人としては実力がある。ヨアブの手によって、シバによる反乱は大事に至らず、早目に平定したのは結構な事だった。最後にシバは、自分の一族をまとめて、アベルに立てこもった。田舎町アベルは、シバの籠城と言う、とんだ巻き添えを食ったわけだ。しかしこれを包囲したヨアブに、この町の一婦人からこっそりある提案が持ちこまれ、この婦人の運動によって、提案通り町の人々はシバを殺し、その首を城壁から投げ落としたので、ヨアブの攻撃は終わり、反乱は鎮定した。しかし、どうもやり切れない話だ。

サムエル記下 21章1〜9

 かつてサウル王が積極的に国を指揮した頃は、外敵を撃退し、国家は独立し、民族的プライドは高揚した。その反面、勢いに伴う行き過ぎもあった。ギベオン人の問題もその一つである。彼らは先祖の時代にヨシュアと特別な契約を結び、異邦人ではあるが、国内の居住と安全を許されていた。然るにサウル王の頃、一部の人々から敵国の異邦人同様に見なされて、不法に殺された事件があった。彼らはいわゆる泣き寝入りをしていたのだが、サウル王家失脚の今となって、改めてダビデ王に訴え、復讐を要求した。彼らは他の賠償は拒絶し、あの事件の首謀者の子孫七人を吊したのである。恨みも深かったろが、仕返しもしつこく、かつ凄まじい。

サムエル記下 21章10〜22

 一つの主張に対しては別の主張があり、この恨みに対しては別の恨みも生ずる道理で、この世に対立と戦争は耐えない。ここに絞首して吊された七人と、その家族は本当に気の毒な次第であった。一人の母親は訴える手段も、恨みを晴らす力もなく、ただ泣きながら我が子の死体を見守り、老いた手で、ともすれば寄って来る鳥や獣を追うとは、何という哀れな話であろう。強い者は談判もする戦争もする。しかし弱い者はいつも巻き添えを食って犠牲となる。我々は世界のために、日本のために平和を祈らなければならない。

サムエル記下 22章01〜20

 ダビデの一生は文字通りのスリルの連続で、どうにもならない行き詰まり、あるいは一歩を誤れば死という危険も、何回となく経験したのである。その間岩とか城とか、また盾とかは、軍人として身を守るために、ダビデにとって大切なものであった。「救う者」とは、イザという時に駆けつけて危急を救ってくれる、頼もしい援軍である。しかしダビデの生涯において、真に彼の城とも救いともなってくださったのは神様であった。行き詰まりや危険の多いことは、我々とても同じである。そしてダビデと同じように、生涯、神様が我々を助けてくださることはありがたい。

サムエル記下 22章20〜36

 ダビデの生涯を読んできた我々は、ここに言われているように、彼が完全な人間でないことをよく知っている。しかし次の意味でダビデは正しく、そこに神に愛された祝福される秘訣があった。第一にダビデはいつも謙遜に正直に罪を悔い改めて、信仰による罪の許しを得ていた。第二に、とにかく力の限りみ言葉の光に従うことに努めた。異邦の王たちの暴虐無道を考え、あるいはイスラエルの後の諸王と比べてみても、ダビデが正しい王であったことは、疑いの余地がない。

サムエル記下 23章1〜23

 「主の霊はわたしによって語る。その言葉はわたしの舌の上にある。」とは、説教、日曜学校、証、その他のあらゆるメッセージの奉仕において、我々が常に祈り求め、かつ期待しなければならない標準だと思う。
 8節以下いかには、忠誠、勇敢、そして力に溢れた、ダビデの将兵たちが紹介してある。ダビデといえども、ただ一人でその大業を成し遂げたのではない。ここに記された、大勢の協力に負うことが多いのは言うまでもない。

サムエル記下 24章1〜14

 いつの頃か分からないが、ダビデの成功が絶頂だった頃、サタンの感動によって、一種の軍国主義的、国家総動員態勢を取ろうとしたことがあって、その準備として一種の国勢調査を行った。これはいつも征服に明け暮れる、世の諸王のような野心によるものと思われ、ヨアブをはじめ指導的な軍人たちも反対だったのだが、ダビデはあえてそれを強行し、今や神の怒りのご干渉を招くことになったのだ。神の祝福によって成功した場合も、勢いに乗って調子付くと危険だ。サタンはいつも狙っている。