館林キリスト教会

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ショート旧約史 ハバクク書

「バビロン軍」 ハバクク書1:1〜11 1997/5/4/

[1〜4節]は、ハバククの祈りである。彼は、正義が行われず、悪と暴虐がはびこるイスラエルの現状を悲しみ、その回復を祈るのだ。しかしこれに対する神の答えは恐るべきもので、イスラエルを裁き、反省させるために、当時の強大国バビロンの侵入を許すというものだった。これは信じられない宣告だった。文字どおりの荒療治だ。そのあと、バビロンの強力な軍事力、征服力の描写がある。(最後にイスラエルはバビロンに滅ぼされた)。しかしこれによってイスラエルは反省し悔い改めた。やがてバビロン滅亡後、彼らがふ再び自分の国を回復したのは、歴史で見るとおりである。

「強国滅亡」 ハバクク書1:12〜17 1997/5/11/

ハバククにはイスラエルの罪も、また神がバビロンの軍隊を用い、暴虐な侵入を許し、イスラエルを裁かれることも分かる。しかし裁きの軍隊としてこの国に侵入したバビロンは、偶像礼拝と不道徳と、かつ野蛮な侵略国であり、その悪はイスラエル以上なのだ。しかも彼らはさらに諸国を攻撃し、富を集め、豊かに贅沢に暮らしている。預言者はこれを理解しかねて、神様に説明を求める。これがこの章のテーマだ。(13節)「あなたは目が清く、悪を見られない者、また不義を見られない者であるのに、悪しき者が自分よりも正しい者を、のみ食らうのに、何ゆえ黙っていられるのですか」。神はこの質問に対して、次章で答えられる。それはバビロン滅亡の預言だ。

「見張所」 ハバクク書2:1〜8 1997/5/25/

「見張所」「物見やぐら」は、市内を見張って、犯罪や事故に対応するため、また外部からの侵入者を見張るため、軍人、役人などが勤務している。心なしかそこは天にも近い。ハバククは実際に「見張所」には立たないが、祈りのうちにイスラエル、またはバビロンなどの実際の状況を観察し、神様にとりなしの祈りをした。その時、高い、天に近い「見張所」に立つ心地がしたのだろう。預言者はとりなしの祈りをするのと、神のみ言葉を取り次ぐのが使命だ。どうぞ私たちもハバククのように、祈りの「見張所」に立ちたい。ていねいな愛の観察で、すべての人の喜びと悩みを知り、その問題を知りたい。彼らの心の祈りを知りたい。そして、彼らのために神様にとりなしの祈りを捧げる奉仕に当たりたい。

「世界の審判」 ハバクク書3:1〜11 1997/6/1/

小預言書の交読が進んでいるが、ここでは国々に及ぶ、また全世界に対する、神の裁きが記されている。愛の神様はここでは義の神として、雷鳴のごとく、将軍のごとく描かれている。また、神を侮ってきた全世界が、神の怒りの前に震えおののくさまが記してある。我々は、これらの預言が、終末の裁きを語っていることにすぐ気がつく。その文体、内容は「ヨハネの黙示録」によく似ている。旧約聖書の交読も終わりに近づいている。ちょうど新約聖書が、「黙示録」で終わるように、これから「旧約の黙示録」とも言うべき、終末の預言が現れてくるのだ。多分次第に難解になるかも知れません。まあ頑張って読みましょう。