館林キリスト教会

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ショート旧約史 創世記20〜50章

「いつわり」 創世記20:1〜7 1998/7/12

遊牧民には、放浪の民特有の立場の弱さがある。それゆえ一般に、狡猾、虚偽、復讐などが、生き残るための戦術だった。もちろんアブラハムは神に従い神に守られたから、いつも正しい生活を為し得た。しかしいま、ここに、好色の酋長がいて、美しい女に目をつけると、夫を殺して奪うのが常習という評判だった。さすがのアブラハムもここで、妻のサラを妹と偽った。系図上は妹だから半分の嘘だ。彼は、よし妻を取られても、アブラハムの命だけは安全なように考えたのだ。これは二人を失って種族が滅亡するより、せめて一人は生き残るという、彼らの必至のサバイバルなのだ。その事情も理解できる。最後に神様が彼らを守って下さったのは、本当に幸いだった。

「妻と妹」 創世記20:8〜18 1998/7/19

聖書の中に「妻を妹と偽った話」が、3回出てくる。12章、20章はアブラハムの経験で、26章はイサクの経験だ。どれも似た話だが、出来事の起こった地域や相手の名前は違う。単調な当時の生活では、似たような事件が何回か起きるのも不思議ではない。現にアブラハムとサラは「行く先々で、サラを妹と偽ることに決めていた」と言っている。われわれは同一の話が3種類の伝承を生んだ、という考えを受け入れることはできない。しかし、やむを得ない事情でも、半分の嘘でも、嘘は嘘だ。嘘は決して神の御心ではない。アブラハムも次第にこの事を学んだろう。さいわいこの酋長、ゲラルの王アビメレクは(好色の一事を除いては)物分かりのいい男だったのと、神様の保護で、無事に済んだのは感謝だった。

「イサク誕生」 創世記21:1〜14 1998/7/26

約束の子イサクが、ようやく誕生した。待望の子、老年の子、正妻の子、それにもまして神の約束の子だった。サラはもとより、一家に笑いが満ちたのもうなづける。しかしこの時、ハガルの子イシマエルはすでに12才になっていた。彼にとってイサクはライバルだった。嫉妬と憎悪の対象だった。二人が遊んでいる様子を見ると、イシマエルがイサクを馬鹿にし、悪意的にからかうので、サラはこのままではいけないと思った。アブラハムも賛成したので(充分な生活費を与えて)母子を離縁した。やむをえないことだったが、母子には深い怨恨が残ることになる。何回も言うが、これがいまのアラブ、イスラエルの確執の源泉だ。

「イシマエルの成長」 創世記21:15〜24 1998/8/2

離縁され追放されたハガルとイシマエルは、砂漠を放浪する間に水が尽き、井戸は見当たらず、人間の死に方で最も苦しいと言われる「渇き死に」に直面した。砂漠は注意深く進まないと、どんな王侯でも軍隊でも隊商でも、渇き死にの危険があるのだ。彼らは落胆、混乱のあまり、その注意も行きとどかなかったのか。しかし神は彼らを見捨てず、井戸を示して救いたもうた。イシマエルはやがて成長し、復讐心に燃えた精悍な野人となった。イシマエルを助けた神は、今のイスラエル、アラブの対立について、長く深い理由があるとしてもなお、闘争でなく平和共存を望んでいたもう。この章にもそれははっきり示されている。

「契約の井戸」 創世記21:22〜341998/8/9

 ベエルシバは、イスラエルの南方、砂漠地帯に接した町で、遊牧民と、農民や、技術者などとの交易市場があり、大事な町だった。いま地域の酋長が自ら提案して、アブラハムと対等の不戦条約、不可侵条約を結んだ。彼らもアブラハムの生涯を見れば、神がともにいたもう事実は明らかだから、おのずから畏敬の念を抱き、さればこそ対当の契約を結んだのだ。さらに契約の方式は、聖書方式、アブラハム方式で行われたようだから、対等以上だった。酋長が、契約の方式の意味について質問したのも面白いし、また、アブラハムが井戸を取られた被害を訴えても、向こうがとぼけているのも面白い。とにかくこの契約は成立した。 この井戸は今もベエルシバに残っている。

「アドナイ・エレ」 創世記22:1〜19 1998/8/16

 イサクが与えられた後の、アブラハム一家の幸福は想像に難くない。アブラハムは成功し、ハガル事件は終結し、家庭に問題はない。いよいよ神様の祝福の時が来た。しかし、いつのまにか、イサクに対するアブラハムの愛が、神様に優先してきたのに気がつかなかった。「イサクを燔祭に捧げなさい」という神様のご命令は、残酷で不合理だ。アブラハムは祈った。そしておそらく、最近の自分の信仰の推移に気がついたのだ。そして翌朝早く出発した。しかし結果的には、神様はアブラハムの信仰の服従を認め、アブラハムを許し、イサクの命を助けて下さったのだ。時に愛する者を奪われて、神への愛のテストを受けるのは、時にわれわれの信仰生活にもあることだ。

「サラの死」創世記23:1〜20 1998/8/23

 糟糠の妻サラも、神の時が来て天に召された。アブラハムの悲しみも思いやられる。あるとき某姉の証を聞いた。彼女は母に勧められて、こどもの時からよく本を読んだ。伝記が多かった。そして、どんなすばらしい人の伝記でも、最後にはその死で終わるのを淋しく思った。ある日書棚を見ながら「キリスト伝」だけは、死によって終わっていないのに気がついた。その時この本は、書棚の中で輝いて見えたと言う。やがて彼女は信仰に導かれ、今は宣教師だ。聖書の人物も最後はその死で終わる。「山々のふもとに村あり、村々の奥に墓あり」。これは結局この世の姿だ。しかしキリストは我々を永遠の天国に導いて下さるのだ。

「嫁さがし」 創世記24:1〜211998/8/30

ここはイサクの嫁さがしの話だ。アブラハムは、母親を失って淋しいイサクを、慰めようと考えたのだろう。しかし周囲の異教徒カナン人から嫁を迎えるのは、神の御心ではない。そこで故郷のアラム、アブラハムの出身地から嫁を迎えようと、しもべ、おそらくエリエゼルを送った。この原則はいまもクリスチャンによって守られねばならない。またイサクが、自分の妻の問題であるにもかかわらず、一切を父に任せているのはどうだろう。勿論時代も場所も違う。しかしある人は言う。「イサクは結局結婚に成功した。彼は『神に任せて待つこと』を知っていた。むやみにきょろきょろしなかった。これは学ぶべきことだ」と。

「少女リベカ」 創世記24:22〜33 1998/9/6

 砂漠の井戸で出会ったリベカに、エリエゼルは水を求めた。しかしそれは一種の人物試験だった。井戸は深い。水汲みに降りて行くのは大変だが、疲れた老人の旅人を見れば、飲み水くらいは誰でも施すだろう。しかし牧畜の仕事に慣れたこの少女は、多くのらくだに水を飲ませるのがいかに大変かをよく知っていた。一頭のらくだが石油缶10本くらい飲むのだ。しかも彼女はみずから申し出て、せっせと水を汲み上げ、乾いた10頭のらくだを満足させた。健康で仕事になれていて、よく気がついて親切で、骨惜しみをしない、りっぱな少女だ。しかも「旅人をねんごろにもてなす」のは、神を信ずる者の原則的人格だったのだ。

「メッセージ」 創世記24:28〜441998/9/13

 神様のお導きで、エリエゼルはラバンの家の客となった。さて夕食のご馳走が出るとエリエゼルは、疲れかつ空腹なのに、食べようとはしなかった。彼には責任をもって伝えなければならない、主人アブラハムのメッセージがあるからである。やがてすぐに主人ラバンにそのメッセージを語るのであるが、忠実な、責任感、使命感に満ちた彼の態度には心うたれる。「わたしは福音を宣べ伝えても誇りにはならない。わたしはそうせずにはいられないからである。もし福音を伝えなければ禍である」と言う、パウロのことも思い浮かぶではないか。

「イサクの結婚」創世記24:48〜67 1998/9/20

 エリエゼルの話と、黄金の鼻輪、腕輪などの贈り物で、彼の主人アブラハムとその嫡子イサクの事は充分に分かった。ラバンは確かにこれが主の導きであると悟ったのでその申込みを受けた。おそらくその夜、ラバン夫婦とリベカの間にも相談が交わされたろう。エリエゼルは翌早朝、リベカの決断を聞くとすぐ彼女を連れて出発した。国ではイサクが、夕方の祈りを終えて散歩している時、この行列が近づいた。リベカは、彼がイサクであると聞いて、らくだを降り、ヴェールに身を覆ってひれ伏した。彼らは結婚した。「母に別れ、寂しさのうちに暮らしたイサクは、いまふたたび慰めを得た」と聖書にしるしてある。本当に敬虔で、美しい、ロマンスではないか。

「アブラハムの死」創世記25:7〜18 1998年9月27日

 信仰の父アブラハムも、充分な天寿を全うした後、神のみこころの時に天に召され、そのなきがらはサラと一緒の墓に葬られた。旧約中、アブラハムは最高最大の人物と言える。彼は「信仰の父」「神の友」と呼ばれた。また、マタイ福音書にもイエスの系図に「アブラハムの子、ダビデの子」としるされている。イサクは彼の嗣子として、その後を継いだ。彼の義理の兄イシマエルもアブラハムの葬儀には出席して、イサクとともにアブラハムを葬ったと書いてある。またこの章には、多くの系図が書いてある。聖書の最初の形は、族長たちの系図、年代記だったろうという考え方もうなずける。かくてこの一家はその二代目、イサクの話に進んで行くのだ。

「ふたご」創世記25:19〜26 1998年11月1日

 ここからイサクの家族の話が始まる。「兄弟は他人の始まり」などと言う。彼らのこどもは、一人はイサクに似ておとなしくて素直、しかし反面ずるい人間になるかもしれない。一人はリベカに似て意思も生き方も強い。しかし反面粗野になる恐れもある。彼らは双子であったが、すでに胎内において誕生の順位を争った。妊娠中の不調和感、不快感に困ったリベカが祈ると、神様は二人の子供の性格や役割について教えてくださった。これはやがて彼ら夫婦の、育児の指針にもなるはずだった。さて誕生の後、イサク夫婦は子供たちにどんな態度を取るだろうか。

「偏愛、欺瞞、軽率」創世記25:24〜34 1998年11月15日

 育児について両親は祈り深くなければならない。ましてこの場合、神によって、ふたりの子供の性格、素質、役割などがあらかじめ示されていたのだから、よく心得て子供を育てるはずだった。それなのに、彼らは人間的な愛情が優先し、明確で男性的な性格のリベカは、おとなしく慎重なヤコブを愛し、従順で静かなイサクは、自分と反対の男らしいエサウに魅力を感じた。彼らが大人になって、家督相続が日程に上ってくると、のんきなエサウと違って賢明なヤコブは、慎重に策略を練った。そして軽率なエサウの空腹の機会をねらって、豆のスープと交換で家督権を物にした。エサウは父親の偏愛と自分の腕力で何とでもなると思ったかもしれない。それも軽率だ。

「生活者イサク」創世記26:12〜25 1998年11月22日

 砂漠生活の遊牧民にとって、主食の穀物生産がないのが弱点だ。イサクはわずかな水の活用で麦の生産に成功した。彼は同時に井戸を見つける天才だったようだ。いつも水に飢えた周囲の乱暴な民族が、難癖をつけてはその井戸を奪おうとする。イサクは強く争わず、結局は井戸を奪われることが多かったようだ。しかし彼は祈ってまた井戸を見つける。そして次第に繁栄する。神の祝福は誰の目にも明らかだった。神はイサクに現れて彼の生活を認め、新しく祝福の約束を与えて下さったのだ。25節に彼の生活の優先順序が暗示されている。まず礼拝。次にテント、すなわち家庭。次に井戸、つまり生活の方法だ。多くの人はこの順序を逆にしている。そこが問題なのだ。

「契約の井戸」創世記26:23〜34 1998年11月29日

 イサク一家は有力種族だが、遊牧民だから土地を持たず、家畜を連れ牧草を求めて移動する。しかし土地の人と関係しないわけにもいかない。この地の有力者アビメレクたちは、これまで部外者イサク一家の寄留滞在を好まず、あるいはいじめ、時には妬み、出て行けよがしの態度だった。しかし一家には神様がついていて、祝福を受けていることが次第に明白になってきた。アビメレクはだんだん一家を尊敬し、また恐れるようになった。そこで彼らの方から話を持ち出して、イサク一家の滞在の自由と、相互協力、相互不可侵の契約を結ぶにいたったのである。つまりイサクの証と感化が異邦人を動かし、その結果、平和な居住ができるようになったのだ。すばらしい話だ。

「詐欺」 創世記27:1〜20 1998年12月6日

 狡猾なヤコブは、赤いレンズ豆のスープで、軽率なエサウを欺いて家督の権を奪った。今度はその家督権を公式に自分のものにするため,母のリベカと共謀して父と神を欺こうとするのだ。ほとんど信じられない話だ。もともとこの犯罪の基礎には両親の偏愛があったのだが、悪魔は人の強く欲しがるものにつけこむ。その賢明さにも、軽率さにもつけこむ。やがて仲間を造らせチャンスをも活かす。またひとつの罪を成功させると、すぐ次の罪に誘う。つまり罪はエスカレートするのだ。モーセの殺人も、ダビデ王の姦通も、彼らが悪魔の手に陥った結果、悪魔の筋書き通りに行われたのだ。われわれも警戒しなければならない。

「欺瞞のおぞましさ」創世記27:21〜30 1998年12月13日

 この兄弟が生まれる前に神様は、「兄は弟に仕えるだろう」と、兄弟についての神様の選び予定を教えてくださった。人は生まれながら素質が違い、役わりもそれぞれだ。先頭に立ち中心に座る役目も、それを助ける女房役もあり、同じく必要で貴重だ。もし両親が神のみ心にそって、彼らがそれぞれの役割を果たしつつ神に仕えるように彼らを育てたら、イサク一家は安泰で余計ないざこざもなく、アブラハム、イサクのように神に用いられたろうに、残念な結果になった。それにしても欺瞞の中に神の名を悪用し、エサウを溺愛する父親の盲目に乗じ、しかもその父親の祝福にアーメンと唱和するヤコブの姿は、みっともなく恥ずかしい。狡猾だが決して賢明ではないのだ。

「俗 悪」 創世記27:30〜38 1999年5月2日

 「一杯の食のために長子の権を売ったエサウのように、不品行で俗悪な者にならないようにしなさい。彼はその後祝福を受け継ごうと願ったけれども捨てられてしまい、涙を流してそれを求めたが、悔い改めの機会を得なかった」と「ヘブル人への手紙」にある。彼は前に言った。「わたしは死にそうだ。長子の特権など私に何になろうか」と。これは誇張だった。目の前にあるのは一杯のレンズ豆のスープだったのだ。彼は思ったろう。「父親は私を偏愛している。わたしはヤコブより腕力が強い。いざとなれば何とでもなる」と。しかしだめだった。われわれも目先の現世の利益や快楽のために、救い、永遠の生命、天国の祝福を粗末にし、また神の恵みに甘えて失敗した、エサウのような者になりたくない。

「家 出」 創世記27:39〜46 1999年5月16日

 エサウはもう打つ手がないのを知って、ただただ狡猾なイサクを憎んだ。そして「決してイサクの悪計を成功させない、財産は彼に渡さない。父親が死んだらヤコブを殺す」という不気味な決意をした。母親もヤコブもこれを察知した。策は多いが腕力のないヤコブは、家出するより仕方がなかった。つまり悪知恵の果ては「虻蜂(あぶはち)取らず」になったのだ。もう一つ。ヤコブはまだ未婚だったらしい。しかしエサウはすでにヘテ人の娘二人と結婚して、この異邦人の嫁は両親の悩みの種になっていた。(26:34.35)エサウはみずから、信仰の家族の後継者にふさわしくない素質を示していたのだ。ヤコブの旅行目的の一つは、父イサクの時のように、信仰のある親族から嫁を探すためだった。またこれが外部の人に対する表向きの説明にもなったろう。かくてヤコブは家出した。

「石の枕」 創世記28:10〜22 1999年5月30日

 これほどの大家の息子の旅行だから、たったひとりということはないだろうが、少数の従者で、人目を避けて出発したのも事実だ。いまや彼は孤独だった。目立たぬよう、その夜は砂漠にテントも張らず、石を枕に寝た時の彼の心境はよく分かる。孤独、寂しさ、後悔、喪失感で、真っ暗な気持ちだったろう。万事は自業自得なのだ。しかしそれと共に、彼は種々の事を神に示されて、今こそ謙遜に悔い改めたと思う。実は彼は決して孤独ではなかった。その夜、神は天からヤコブの枕もとまで美しい階段を降ろし、「高く聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、砕けたる者の心をいかす」(イザヤ、57:15)神が、彼の悔い改めを受け入れ、いつまでも祝福をもって共にいてくださることを、お示しになったのだ。何という神の憐れみだろう。

「ラバンの娘ラケル」 創世記29:1〜14 1999年6月13日

 2.3週間の旅行の後、ヤコブは志す地方に来た。しかし常に移動するテントを捜すより、数少ない井戸を捜すほうが早い。はたして井戸で待っているところに、ラバンの娘ラケルが、羊に水を飲ませるためにやってきた。遊牧民の娘は、少女でも二百頭ぐらいの羊の責任を持つ。その一頭一頭を覚えている。頭の中で名前をつけてあるのだ。わたしはイスラエル旅行のバスの中から、井戸で羊に水を飲ませる場面を見た。呼ばれてきた奥さんが、何回でも水を汲み上げる。疲れるともう一人の奥さんが交代し、さっきの奥さんはしゃがんでいる。旦那は何もしない。バスの中の日本人の奥さん方は怒っているのに、彼は白い歯を見せ、いいごきげんで手を振っている。

「ごまかし婚資」 創世記29:15〜31 1999年6月27日

 日本の「結納」と同じで、ここでも結婚の為に「婚資」が求められた。ヤコブはそれがなかったので、ラケルとの結婚の婚資として7年間働かされた。しかし美しいラケルのためには、これを数日のように感じたと言うのもかわいい。ところが結婚式が済んでみると、与えられたのが姉のレアであったのに驚いた。信じられないようだが、姉妹だから姿も似ていて、式にはベールで顔を覆い、寝室は暗いからこんなこともあったのだろう。またレアもヤコブとの結婚は望むところだった。結局「姉から先にというのが所の習慣だ」と言い張られた。しかしヤコブはなおラケルを愛した。そこでラケルのために、さらに7年間ただ働きをさせられた。実はラバンはヤコブに輪を掛けた狡猾なのだ。これから先が見ものだ。

「ヤコブの家族」 創世記29:31〜30:8 1999年7月11日

 たとい器量が良くなくても、またラケルの美貌にひかれるヤコブの態度がどうでも、レアは立派な女性だったとみえる。とにかく彼女は主婦の地位を守った。そして神様も彼女を祝福して、次々と子供をお与えになった。遊牧民にとって家族の多いほどの強みはない。またそれが祝福のしるしと思われた。教会も同じ、クリスチャンもまた同じだ。多くの人を信仰に導くことができれば最高の幸せだ。詩篇にも 「壮年の時の子供は勇士の手にある矢のようだ。 矢の満ちた矢筒を持つ人はさいわいである。彼は門で敵と物言うとき恥じることはない」。とあるとおりだ。これに反して、実を結ばないことはさびしい。多くの子を産む教会。多くの子を産むクリスチャン。われわれもそのために祈って行こう。

「上長者の甘え」 創世記30:25〜36 1999年7月25日

 ヤコブはラバンの家族として長い間働いたが、結婚前の延長のようで、決まった報酬もなく、いまだに一家を成さずにいるのをもどかしく思った。また長く離れたままの故郷も恋しい。そこでこのようなことを申し出たのだ。いったい家族などが事業にあたると、逆に問題が起こりやすい。家族の心易さから、つい仕事量や利益の配分がルーズになるからだ。クリスチャンの事業所でも同じ問題が起こる。雇用者は、クリスチャン勤労者の献身的な忠実を期待して喜ぶが、雇用者のほうのクリスチャンらしさが、勤労者の仕事量の配慮や、報酬にあらわれないことがあるからだ。これは上長者の甘えだ。何事にも注意が必要だ。ラバンの場合もそうだった。ここでいまさら「では報酬の相談をしよう」と言う。

「独立の機会」 創世記31:1〜9 1999年8月8日

 遊牧民の主な財産は羊だが、ヤコブはまだ「これが自分の羊だ」というものを持たず、ほとんど無財産だったらしい。白い羊の群れの中で「ぶち」や「まだら」の羊は少ない。それだけを貰おうと言うのは、数は少ないし区別はしやすいから、ラバンも賛成した。しかししばらくたつと、ぶち、まだらで、しかも強壮優秀な羊が多くなり、みるみるヤコブの財産は増えた。このためにヤコブが使った方法は、我々にはよく分からない。また確かに神の祝福があったようだ。ラバンとその家族は、このありさまを見てヤコブを憎んだ。いよいよ神の時がきたと判断したヤコブは、ラバンを離れて帰郷しようとする。「わたしは力いっぱいラバンに奉仕したが、ラバンはずるくて駆け引きが多く、十回も約束を替えた」というヤコブの言葉も、いかにも哀れに聞こえる。

「ベテルの神」 創世記31:11〜21 1999年8月22日

 ヤコブはラバンの家族として生活するのに行きづまった。そこに神のみ使いがあらわれて、ヤコブに帰国のときが来たことを告げた。ヤコブが後悔と失意のうちに故郷を棄てたのは20年前だ。そのときはヤコブの狡猾がわざわいしたのだった。その後の20年間、ヤコブは、今度はラバンの狡猾の被害者として暮らした。20年前、あの寂寥と孤独のうちに砂漠に寝た夜、ベテルで神はヤコブの悔い改めを受け入れ、生涯ヤコブと共にいてくださる約束をお与えになった。そのとおり、困難なこの期間、神はヤコブと共にいて、支えてくださった。そしていま彼の帰郷を導いてくださるのだ。妻たちもラバンの狡猾には嫌気がさしていたので、一緒に行くと言っている。

「なつかしい故郷へ」  創世記31:17〜32 1999年9月5日

 いよいよヤコブは妻子を連れ、全財産をたずさえて帰郷することになった。ラバンは帰郷をみとめないに違いないから、その留守をねらって、まるで脱走のように出発した。ラケルは腹いせのつもりか、ラバンのテラピムを盗み出した。テラピムは昔のお守りのようなもので、多分金か宝石でできた、愛玩物でもあったろう。これを知ったラバンは手兵を連れて追跡する。彼にとって家族は全部自分の労働力。家族の財産は全部自分のものでしかない。家族の脱出は、逃亡、持ち逃げに等しく思われるのだ。場合によってはヤコブたちは、いやおうなしに、腕ずくで連れ戻されるところだったが、神様のご干渉でようやく事なきを得た。さすがのラバンも猫なで声で別れを告げる。

「苦労の回顧」 創世記31:33:〜42  199年9月19日

 ヤコブは最初、ラケルの容色に魅せられて結婚を希望し、レアの方は仕方なしにもらわされたようなものだったが、信仰的、人格的には、ラケルが優れていたというわけではなかったらしい。物を盗んで巧妙にそれを隠すなどは感心できない。さてここに、ラバンに対して長々と語られたヤコブの言葉は、苦情以上のもので、冷酷で強欲で狡猾な家長、上司の姿を浮き彫りにする。(ヤコブの手紙、5:1〜6)にも書いてあるとおりだ。立場が有利で強いものは、よほど注意しないと、知らず知らずに弱いものいじめをしてしまうことが多い。ボクサーが喧嘩して相手を殴ると、特別重い罪を課せられる。神様の裁きも同じだろう。お互いに深く注意をしなければならない。

「仲なおり」 創世記31:43:〜55  1999年11月7日

 ラバンは強欲で、家族さえ労働力としか見ない人物だった。だから出立した家族のヤコブやその妻子(つまり自分の娘や孫)を、武力で捕らえようと追ってきたのだ。しかしここに彼らの和解が成立した。その事情としては、第一に神様がラバンに反省と自重を命じられたこと。また彼の心に肉親に対する愛が目覚め、将来とも彼らと家族の交わりを望んだこと。さらにヤコブの長いしみじみとした話で、改めて彼らの深刻な苦労を知り、あわれみの心が生じたこと。などが考えられる。彼らが誓約し、記念碑を建てて和解したのはすばらしい。争いは神のみこころではないし、また人間の幸福でもない。愛と和解と一致、これを神はもっとも喜びたもう。人間もまた同じだ。

「兄エサウ」 創世記32:1:〜12  1999年11月28日

 ヤコブ一家は、ラバンとの和解がやっと済んで国境を越え、なつかしいイスラエルの地に入った。しかし「一難去ってまた一難」。故郷は同時に、ヤコブに対して古い怨念を抱く兄エサウの領地である。ヤコブは兄との対面を恐れなければならなかった。「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」。という聖書のお言葉のように、ヤコブは昔自分のしたことの報復を恐れるのだ。しかし神はマハナイムにおいて、エサウより先にヤコブを迎え、その保護を明らかにしてくださった。エサウが武装兵400人をつれてヤコブに会いにくるという、部下の報告を聞いたヤコブは、財産の半分は助かるように、家畜を二つの群に分け、また同時に、出国の時に与えれらた神の約束の言葉にすがって、必死にその保護を祈るのだった。

「おみやげの行列」 創世記32:13〜22 1999年12月12日

最近ヨルダン、イスラエルを旅行した伊藤先生の話では、この夜ヤコブが逗留したヤボクの渡しはかなりの峡谷だそうだ。ヤコブは兄エサウの怒りをなだめるために、たくさんの贈り物を選び出し、それを一部分ずつ部下たちに預けた。そして間を置いて順々に、一群ずつ贈り物をエサウに披露するように、またそのたびに丁寧なヤコブの挨拶を取り次ぐように命令した。つまりなし崩しにエサウの気持ちをなだめようというわけだ。前には財産の半分の安全を考えて群を二つに分けたり、祈りつつも工夫の限りを尽くすヤコブは、あまりりっぱではない。見え透いた小細工を笑う人もいる。しかし「祈りつつも人事の最善を尽くす」ということは、笑うべきではなく、むしろ学ぶべきことと思うがどんなものだろう。

「故郷に帰る」 32、33章

 ヤコブはようやくラバンと話がついてパダンアラムから出発することができたが、一難去ってまた一難、故郷に入るためには、兄エサウに対面、和睦をしなければならない。これはラバンに対する以上の難事であった。 挨拶の使者をつかわしてみるとエサウは400人の兵士を連れて進んでくるという。 怯えたヤコブは万一のエサウの襲撃の場合も、半分は逃げられるように、全財産を二組に分ける。エサウのためには莫大な贈物を用意する。しかもなし崩しにエサウの怒りをやわらげるように、それぞれ使者をつけた群れと群れの間を隔てて、挨拶と贈物を順々に、小出しにエサウの前に提出する。いずれもヤコブらしい小細工だが、本人もこれでエサウとの和睦が簡単に済むとは思えない。とても持ち前の浅知恵では切り抜けられぬ場面で、確信もなく恐怖に震えていた。彼はその夜、有名なペニエルの祈りをするが、祈りのうちに神の使いと一晩中相撲を取ったというこのめずらしい経験は、霊的でありなから、かつ身体的な体験でもあったようだ。彼は長年人を押しのけて生活してきた。信仰といい、祈りというも、従順に神のみ心を求め、喜んで服従するということは苦手で、結局神のみ心より、自分の方針通りの祝福を得ようという態度で、神に対してさえ、その名のごとく押しのける者だったのである。ヤコブはこの夜長い祈りの間、神に対して例のように我意を通そうと頑張った。しかし神の執ようかつねんごろなお取り扱いを受けて、一切の問題の根源が、自分の「押しのける自我」にあったことを悟った。彼はいまここで悟り、砕かれ、悔い改めた。腰のつがいが外れて腰抜けになった。ヤコブはこの祈りで、神と争ったのか自我と争ったのか。ヤコブとの争いに神が勝ったのか、自我との争いにヤコブが勝ったのか。いずれにせよ、これはペニエル(神と顔を会わせる)の深い経験だった。そしてヤコブの神との関係も、ヤコブの性質も変った。神はそこで「もうヤコブと名乗るのは止めて、イスラエル(神のプリンス)と呼びなさいとお命じになったのであった。案ずるより産むが易く、エサウとヤコブの対面はスムースに済み二人は和睦した。血は水より濃いという。ことにエサウは単純な性格だから、ヤコブ懐しさがあらゆる気持ちに先立ったろう。また昨夜特別な霊的祝福を経験したヤコブの、柔和にして恐れぬ態度も良かった。しかし、その一切は神の恵みだったのである。それでも気まぐれなエサウを警戒してか、その言葉を辞退して、別に分れて住むことにした。依然ヤコブ的注意深さもまた面白い。(とても長いショートでした)

「デナ事件」 34章

 デナは盛り場かお祭りか、とにかく他部族の女やそのファッションでも見ようとして出かけていって、とんでもない目に会ったばかりか、両部族を巻き込む大事件を引き起した。本人にそれほどの悪気がなくても、われわれは悪い世に住んでいるのだから、若い娘の軽率な行動などは、いつでも間違いのもとになる。注意しなければならない。さてシケムはデナに対して深い愛着を感じて、父親を通し、ヤコブ家に対して、正式に結婚の交渉を始めた。真に丁寧な口上である。それは良い。しかし本人のデナが帰ってこないのは変だ。縁談の成立を望むあまりに、人質のように押えたのか。あるいはデナもすでにこの結婚を望んでいて、こういう形でシケムに協力したのか。しかし帰ってきた兄たちはこれではおさまらない。遊牧民は他民族と争っては生活できない。しかしまた侮られても生活できない。難しいところだ。とにかく本人を取り返さなければならない。また族長の娘を汚されて泣き寝入りはできない。そこでシメオン、レビが先立ちで、ハモル一族に対して苛酷な報復が行われた。 その結果、今度は諸民族の報復を恐れる立場になってしまった。

「一族の悔い改め」 35章

 ヤコブはデナの軽率も、シメオン、レビの乱暴も押えることができなかった。しかしいま、一族危急存亡の瀬戸際になって、彼の指導のもとにみな悔い改め、神の守護を祈り求めることになった。 一体これだけの事件が突然起ったのではない。日頃からの霊的、道徳的なレベル低下が、はしなくも現れたのである。悔い改めに際して、差し出された小さな偶像、また華美かぜいたくか、あるいはまじないにでも関係があるか、同時に提出された耳輪のたぐいなどにもそれが見えている。しかし、いっでも悔い改めるのは、また祈るのは良いことだ。神は祈りに答え、周囲の諸民族に一種の恐怖をお与えになったので、イスラエルを襲撃するものはなかった。またイスラエルも危険を避けてただちに移動したのであった。この事件について、失望と恐れでへり下っているヤコブには、またさきの約束がくりかえし与えられたのである。やがて父イサクが180歳でその生涯を終ると、分れて生活しているエサウとヤコブも、二人で仲よく父のお葬式を執行した。

「エサウの子孫」 36章

 ここにはエサウの子孫の系図が出ている。その一族はカナンの南方セイル地方に住んだが、母リベカを通して与えられた約束のとおり、有力な種族となった。31節以下のように、それぞれの族長に支配されるいくつもの支族に分れ、一人の王によって統治される、いわゆるエドム王国となるのである。 しかしともすれば、イスラエルと対抗し、時にはイスラエルの進行を妨害し、時には他民族の先棒を担いでイスラエルに侵入し時には反対にイスラエルから手痛い攻撃を受けるなど、前途は悲惨である。 キリスト誕生の時、これを殺そうとした悪王ヘロデなども、エドムの出身であった。

「少年ヨセフ」 37章

 ヨセフは聖書の中に、失敗や欠点の記述がないので、その意味で完全な人といわれるが、これからそのヨセフの話が始まる。ヤコブは恋女房ラケルの遺児でほとんど末っ子のヨセフを特別に愛した。しかもヨセフは兄弟たちの中で非常に優れた素質を示していたのである。兄の悪い噂を率直に父に話すのは、彼の子供らしい正義感からだろうし、たびたび見る夢は、彼の自信理想の現れだ。しかしこれも放置しておけば、才人特有の高慢でひとりよがりで、鼻持ちならぬ人間になってしまう恐れもあったのだ。それゆえ彼の人格の完成のためには、これから見るような、特別に厳しい神のご訓練が大切だった。「嫉妬は骨の腐れなり」と箴言にあるが、兄たちが嫉妬に駆られ、罪もない兄弟ヨセフを殺そうとし、結局奴隷としてイシマエルのキャラバンに売り渡したのは真に恐ろしい悪事だった。

「ユダの失態」 38章

 ユダの長男エルは悪い者であったので主に殺され、次兄のオナンも、これまた性的な悪事のために主にうたれて死んだ。ユダ自身も売春婦のつもりで嫁のタマルに戯れ、タマルの方は自分が売春婦になりすまして男を誘ったのだ。ユダ家のありさまは、お話にならない乱脈と言わねばならない。その始りはなにかといえば、最初にユダが異邦人の女を妻に迎えたことにある。「罪の進展は坂道に車を転がすようだ」という。個人も家庭も同じことで、とにかく罪には警戒が大切だ。

「エジプトのヨセフ」 39章

 ヨセフについて、いつも、主が「共におられた」こと、そして主が「彼のわざを栄えさせられた」こと、「恵まれた」ことがくり返し記してある。ゴムまりを水に沈めても、手を離せばすぐ浮き上がる。ヨセフもまた、穴に投げこまれても、奴隷に売られても、神の祝福によってすぐ立ち直るのはすばらしい。 しかしポテパルの家で次第に地位を得る間に、こんどはその妻の誘惑にさらされることになった。孤独で愛に飢えた青年にとって、これは最も恐ろしい試みであったが、ヨセフはこれにもうち勝つことができた。ヨセフの、他の何事をも考えず、ただひたすら罪を避けようとする態度は見事だ。これが誘惑に勝つ秘訣であることは、昔も今も変りがない。 ヨセフはこのために、かえって牢獄に下るはめに陥いったが、この場合それもやむを得なかった。

「給仕役の夢」 40章

 ヨセフが牢獄の中でも次第に人々に信頼されて、一切を任されるようになったのは、ポテパルの家の場合と変らず、牢獄でも依然、ヨセフはヨセフだった。 ここにエジプト王毒殺の陰謀があり、王の料理役は買収されて毒殺を引き受けた。ところがこれが未然に発覚して関係者が逮捕される間に、身に覚えなき給仕役も、巻きぞえを食って逮捕された。 王の誕生日が近づいたので、きっと本式の詮議が始まるだろうという期待から、二人とも夢を見たが、一方が希望的なよい夢を、他の一人が絶望的な苦しい夢を見たのも自然であった。  ヨセフは二人の夢の意味を解いてやった。それだけでなく、三日後に死刑になる給仕役に対して、ちょうど十字架上のキリストが死にひんした盗賊を導いたように、彼を悔い改めと信仰と、死後の希望に導いたことと思う。 さて間もなく一方は死刑、一方は釈放と、それぞれ彼らの処置はついたが、ヨセフが牢から解放される日はまだこなかった。

「王の夢」 41章

 「すべてのことには時がある」というが、いまやヨセフの忍耐が報いられる時がきた。エジプトの王がある夜、不可解で不気味な夢を見たのがそのチャンスだった。 神の摂理は不思議だ。それは人の入りがたい王宮の、とりとめなき王の夢さえも、支配なさることかできるのだ。 この王はなかなかりっぱな王だとみえる。国民のために、常に真剣にその平和と繁栄を祈っていればこそ、麦の出来ぐあいや牛の肥えぐあいなど、農家の主人のような夢を見たのだ。 さあ翌朝になると、誰にもこの不思議な夢の説明ができないので大騒ぎになった。そこで給仕役は忘れていたあのヨセフのことを思い出したのだ。 彼の推薦によって牢から出されたヨセフは、神の知恵によって、これが間もなくエジプトにやってくる、全国的な七年の豊作と、七年の不作の夢知らせであることを説明し、問われるままにその対策まで進言した。事態は意外に進展して、ヨセフはここで、はしなくも総理大臣として、エジプトの国政を委任されることとなった。 神の祝福によってヨセフが人から信頼されること、何もかも任されることなどの原理は、ポテパルの家でも、牢獄の中でも、エジプトの王宮でも同じだった。

「兄弟の対面」 42章

 七年の豊作は終り、ヨセフの言葉のとおり、つづく七年の不作の年がやってきた。ヨセフは豊年の間にあり余る麦を粗末にせず、買い占めては穀倉に貯蔵したので、いまは不作に悩む国民にこれを売り渡し、彼らを飢えから救った。諸外国がききんに苦しむ間に、ひとりエジプトのみは、食糧が豊かであった。 やがてその噂を聞いて、少しでも食物を分けてもらおうと、外国人までもエジプトに集まってくるようになった。 ある日のことである。喧騒を極めた穀物払い下げ所のひとつをヨセフが巡視していると、そこにも沢山の外国人がいて、ヨセフを見ると一斉に平伏する。その中のひとかたまりの人たちを見たとき、ヨセフは驚いて思わず声を立てるところだった。それこそまぎれもない、故郷の兄たちだったのだ。

「シメオンの留置」 43章

 ヨセフはエジフトの総理大臣として、食糧を求めにきた兄たちにはしなくも対面することになったが、このときヨセフには兄たちに対して取りうる、三つの態度があった。一つは復讐することだが、勿論ヨセフにその気持ちはない。では直ちに名乗って兄たちを優遇しようか。それでは彼らは有頂天になって、大切な悔い改めの機会を失うだろう。そこでヨセフは彼らを「スパイだ」と言い立てて厳しく取りあつかった。結局はシメオンのみを留置して、他は帰国させ、今いないベニヤミンをすぐにつれてくれば嫌疑を晴らして解放するということになった。 困りきった兄たちはヨセフに言葉が分らないと思って「今ここで神は昔の罪を裁かれるのだ」と嘆き合った。彼らは「人の蒔くところは必ずその刈るところとなる」という単純でかつ厳粛な真理を学ばされたのである。 それを聞いて感慨に耐えないヨセフが、急ぎ彼らを離れて泣くという場面もあった。 帰国の途中で見ると、それぞれの袋には沢山の殻物と、支払ったはずの金も入っているので、彼らはヨセフの真意を計りかねた。

「ベニヤミンと対面」 44章

 彼らはもう一度エジプトに行くのを恐れたが、もう食糧は尽き、また、いつまでもシメオンをエジプトに置くわけにゆかないので、ベニヤミンを手放すのを渋る父親を説得して、再びエジプトを訪れることになった。 兄たちの陰に隠れるようにして不安らしいベニヤミンを見ると、父母と故郷の思い、少年の日以来の悲しみが一度にこみあげてきて「これがベニヤミンか。父親も元気か」というと、またヨセフは別室に去って泣いたのである。 その夜、兄弟揃って豪華版の宴会になったが、いつも末っ子かわいがりの父親がするように、ベニヤミンの前に特別沢山の御馳走が積み上げられたのも驚きだった。だんだん安心して機嫌を直すベニヤミンの姿も、ヨセフにはまた新しい涙の種だったろう。 さてスパイの嫌疑が晴れたので帰郷が許され、彼らはいそいそと出発した。ところが思いがけなく彼らはその夜のキャンプで、追跡してきたエジプトの軍隊に包囲され、厳重な荷物の検索を受けた。袋の中の十分な食糧、また代金が返してあったのもこの前のとおりだが、驚いたことにはベニヤミンの袋から、ヨセフ愛用の銀の杯が出てきたのである。即座にベニヤミンは逮捕される。ほかの者は自由に帰ってもよいということだが兄たちもいっしょに工ジプトに引き返す。 報告を聞いたヨセフの怒りは大変なもので、すぐ彼らを面前に引き据えて尋問の末「ベニヤミンのみを処罰する。犯罪に関係のない他の者は帰れ」という事だった。 ヨセフはじっと兄たちの様子を見ている。罪もないヨセフを殺そうとした昔の冷酷な兄たちだったら、こんな事情で弟を失うとしても、それはやむを得ないと簡単に諦めてさっさと国に帰るだろう。 それとも悔い改めた兄たちは全く別の態度を示すか。 ユダが進み出た。以下の言葉は「ユダの弁論」として有名で、とりなしの祈りの典型と言われる。 彼はまず家族の関係を紹介し、ヨセフの事件の時の父の悲しみを話し、いまはその父の心がいかにベニヤミンに堅く結びついているかを語った。「わたしは決して、二度と、父にあの悲しみを味わわせることはできません。弟を見殺しにする悪事を絶対にくりかえしません。わたしは昔の罪の罰を受けます。どうぞわたしを身代りに捕えて、ベニヤミンは父の所へ返してください」と言ったとき、感動のあまり満廷の人々は泣いた。 ヨセフの目にも兄たちがたしかに悔い改めて、今は全く新しい人であることが明かだった。

「兄弟の和睦」 45章

 ヨセフは「みなすぐこの場を離れよ。わたしたちだけを残して」と叫んだ。急いで退席する人々の耳に、激しいヨセフの泣き声が聞えたのである。 「兄さんたち。わたしはヨセフです。お父さんもまだ元気でうれしい。よく見てください。弟のヨセフですよ」兄たちは口もきけない。「わたしはあなたがたに売られたヨセフです。でも心配しないでください。神さまはわたしたちの家族を、この恐ろしいききんから助けるため、わたしを一足さきにエジプトに送ってくださったのですから。わたしの目の黒い間はもう決してみなさんに不自由はさせません。急いでお父さんをつれてきてください。この豊かなエジプトの地で、家族揃って仲よく暮しましよう」 ヨセフはこのように、苦難は神の摂理、立身は神の恵み、その立場は家族の救いのためと考えた。

「エジプト移住」 46章

 子供たちからヨセフの生存や出世の報告を聞くと、父親は驚きで気が遠くなりそうだった。しかしヨセフがヤコブのために用意したりっぱな馬車などを見ると「ああうれしい。生きているうちにまたヨセフに会えるのか」と言って、大急ぎで準備を整えると、ここで一族揃ってエジプトに移住することとなったが、その家族数は七十人だったといわれている。 彼らのエジプト移住はアブラハム以来預言されていた神の摂理だった。彼らはいつもききんに見舞われて食糧が乏しく、小種族の雑居で闘争、動揺の絶えないカナンを離れ、世界一平和で、食糧も生活も豊かなエジプトに住むことを許された。かくて彼らは四百年の間に繁殖し、人口二百万に近い一民族を形成するに至った。しかも最高文明のこの国で、彼らはその貴い使命に耐える教育をも身につけることができたのだ。

「旅路の年月」 47章

 ヤコブ一家は、エジプトにおいて歓迎を受け、ヨセフの紹介によってエジプト王、パロに拝謁した。そしてエジプトの東端の地域、ゴセンに居住することを許されたのである。 パ□はこの老族長ヤコブに聞いた。「お元気そうですが、お年はおいくつですか」 「わたしの旅路の年月は七十年です。すぎてみれば短いものですよ。しかもアブラハム、イサクたち先祖にくらべれば、不幸、恥辱のみ多く、はかなくおはずかしい人生でした」 これはやコブだけでなく、多くの人の感想かも知れません。

「生涯の回顧」 48章

 「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くごとし」と徳川家康は言ったが、年老いたヤコブがここで回顧しているように、彼の生涯もまたそのとおりだった。 彼は若い時の自負心から兄エサウに負けまいと張りあい、またプライドと物欲から兄と父をだまして、横領同然に全財産を自分の物とした。 しかしやがて兄に命を狙われ家出をする。親戚のラバンを頼ってハランに寄留したが、ずるがしこいラバンに奔弄されて空しく二十年を過ごした。 その苦労の間にめとった恋女房のラケルにも、早く死に別れなければならなかったのだ。 愛する末っ子のヨセフとベニヤミンを失なおうとした時の悲しみと不安は彼を一度に老いさせた。 そのヤコブの生涯も今は終ろうとしている。 そしてすべての人と同じく、墓に入ろうとしているのだ。

「ヤコブの遺言」 49章

 ヤコブは集まった十二人の子供たちを祝福した。彼らはやがてイスラエルの十二部族を構成するのである。 「兄弟は他人の始まり」などと言うように、同じ親から生まれてもそれぞれ性質が違い、それぞれの長所短所も出てくる。また大人になってくれば、自然各々の利害も相違してくるのだ。 「子を見ること親にしかず」で、ヤコブはそれをよく知っていたから、ひとりひとりの上に手をおいて、それぞれまことに適切な祈りを捧げた。彼らと子孫のために祝福と繁栄を、そしてアブラハムに与えられた神の約束の成就を祈っているのは、真にありがたい親心というべきだ。

「マクペラの墓地」 50章

 ヤコブが死ぬと、ヨセフの取計らいによって、数十日も掛けて、彼の死体にはエジプトの技術による最高の処置が施された。やがてヤコブの家族の他、エジプト王パロの一族や高官たちも加わり、戦車や騎兵をつらねた豪華な葬列を仕立てて、遺体をはるばるカナンまで運び、マクペラの洞窟に葬ったのである。 この洞窟はアブラハムが自分と子孫のために購入しておいた、一族の墓地だった。すでにアブラハムも、その妻サラもここに眠っているのだった。 やがて今度はヨセフが年老いて死を迎える時になると、ヨセフも遺言して、自分の死体もマクペラに葬るように命じたのである。 しかしヨセフの遺言には別の言葉も加えられてあった。 「やがて神さまの約束が成就すると、我々の子孫はエジプトを出て、カナンに永住するようになるはずです。わたしの体は、その時一緒にカナンに運んでください」 ヨセフの死体も丁寧に処置されミイラとして棺に納められ、出エジプトの日までエジプトに留め置かれることになった。 エジプトの総理大臣であってもイスラエル人であることを忘れずに、アブラハムに与えられた預言が必ず成就することを、ヨセフはこういう形で確認したのである。