館林キリスト教会

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ショート旧約史 ゼパニヤ書

「終末の審判」 ゼパニヤ書1:1〜13 1997/6/8/

ゼパニヤ書は、一口で言えば、終末の審判の預言だ。最初に選民イスラエルの審判が記されている。[4〜6節]を見れば、いかに彼らが手当たり次第に、さまざまな偶像礼拝にふけったかが分かる。祭司も王も権力者も罰を受ける。[11節]「しっくいの家」はいわゆる億ション。「あきないをするもの」は実業家。「銀を計るもの」は銀行だ。いかにも「万事金の世の中」で、今の日本に似ていないこともない。[12節]には、不信仰、不従順にこりかたまり、神の正しさを無視し、侮る者も裁かれる。しかし(マタイ24章30,31節)にあるように、クリスチャンがこの裁きに巻き込まれないよう「彼は御使いたちをつかわして、四方から選民(クリスチャン)を集める」のだ。

「正義を求めよ」  ゼパニヤ書2:1〜11 1997/6/15/

ゼパニヤは、[1〜4節]で、終末の審判を免れるように、今の間に、悔い改めることを勧める。[4節以下]は、ペリシテ・カナン・モアブ・アンモンその他、同じように罪を犯しながら、イスラエルの弱みに付け込んで、侵略、略奪をほしいままにした、近隣諸国の裁きの預言である。彼は(2章3節)で呼びかける。「 すべて主の命令を行うこの地のへりくだる者よ、主を求めよ。正義を求めよ。謙遜を求めよ。そうすればあなたがたは主の怒りの日に、あるいは隠されることがあろう」と。これはさらに終末に近づいている、われわれに対する、神の愛と警告のメッセージでもあるのだ。最後の日にはキリストは審判の席に着き給う。「救いの門」は閉ざされる。もう泣いても叫んでも、間に合わないのだ。

「裁きと救い」 ゼパニヤ書3:1〜13 1997/6/22/

[8節]「わたしの決意は諸国民をよせ集め、わが憤り、わが激しい怒りをことごとくその上に注ぐことであって、全地は、わたしの怒りの火に焼き滅ぼされるからである」。これは「黙示録」と共通する、恐るべき最後の審判の預言だ。しかしその後に、悔い改めた人々の救いと清めの預言も語られている。[9,10節]「 その時わたしはもろもろの民に清きくちびるを与え、すべて彼らに主の名を呼ばせ、心を一つにして主に仕えさせる。 わたしを拝む者、わたしが散らした者の娘はエチオピヤの川々の向こうから来て、わたしに供え物をささげる」と。「世界の裁きの日」は「世界の清めの日」であって、今の間違った世界構造は滅亡する。ゆえに救われた者には、待ち遠しい大きな祝福の時なのだ。