館林キリスト教会

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ショート旧約史 ミカ書

「サマリヤの災い」 ミカ書1:1〜9 1997/1/26/

「サマリヤの傷はいやすことのできないもので、ユダまでひろがり、わが民の門、エルサレムまで及んでいる」。むかしユダとイスラエルが分裂した時、イスラエルの都はサマリヤに定められ、神殿のあるエルサレムとの断絶を明白にするため、この国の礼拝の対象として、二箇所に「金の子牛」が置かれた。これがサマリヤの堕落の始まりだったが、いまその影響はユダ、つまりエルサレムにまで及んで、全イスラエルの罪は末期的になった。ミカは、彼らの罪を嘆き、その裁きを悲しみ、「わたしはこれがために嘆き悲しみ、はだしと裸で歩きまわり、山犬のように嘆き、だちょうのように悲しみ鳴く」と自ら言っている。彼もまた「涙の預言者」だったのである。

「説教はいらない」 ミカ書2:6〜13 1997/2/2/

昔から「良薬は口に苦し」などと言う。罪と慾にふけるイスラエル人には、預言者の説教は苦手だった。彼らは説教を聞くと罪を指摘されて、恥をこうむると感じたからだ。「彼らは言う『あなたがたは説教してはならない。そうすればわれわれは恥をこうむることがない』」と。また「もし預言者が『わたしはぶどう酒と濃き酒とについて、説教しよう』と言うならば、その人は(歓迎されて)この民の説教者となるであろう」。彼らはそういう話なら喜んで聞くわけだ。しかしエレミヤは警告している。「主の言葉を軽んじる者に向かって、絶えず『あなたがたは平安を得る』と、口当たり良く話す説教者」は、偽預言者だと。

「偽預言者」 ミカ書3:5〜12 1997/2/9/

ここに「民をまどわす」偽預言者が出て来る。彼らは十分な報酬を受け、自分の生活が豊かなら「平安」を叫ぶ。しかし報酬をもたらさない者には、やれ「罪を悔いよ」とか「神の裁きを恐れよ」とか、相手が敵ででもあるかのように、厳しい説教をする。夜が来る。これは静まって神の黙示を頂く時だ。しかし彼らには「暗やみ」はあっても「主の示し」はない。太陽のような神は見えず、彼らは昼も夜も霊的な暗黒の中にいるのだ。しかしミカは自分について、またその説教について、[8節]のように言う。なんという大胆と確信の発言だろう。

「イスラエルの回復」 ミカ書4:1〜8 1997/2/16/

預言者はいつも厳しくイスラエルの罪と背逆を戒めた。しかし彼らはその回復の預言を語ることも忘れなかった。ここに、やがて罪を悔い改め、神の祝福を回復したイスラエルが、高山のように各国の上にそびえ、多くの国民はここに集って真の神を礼拝し、信仰と道徳の指導を受けるさまが預言されている。さらにイスラエルは各国の争いを調停し、悪い国を罰するので、一切の戦争は終り、世界は平和と繁栄に共存するようになると。世界中に分散して迫害を受けていたイスラエルが、1947年、ふたたびパレスチナに故国を回復したのも、奇跡的な預言の成就だが、まだまだこの預言完成の状態には遠い。しかし主の寛容と忠実の預言は、遅くても必ず成就する。

「ベツレヘムよ」 ミカ書5:1〜15 1997/2/23/

イスラエル回復の預言が続く。まずその回復をもたらすのはキリストであり、回復のはじめは彼の誕生である。ゆえに2節に「ベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る」と言われたのだ。これが博士たちの来訪の時、学者によって引用されたのは、よく知られている。また「彼は主の力により、立ってその群れを養い、彼らを安らかにおらせる。今、彼は大いなる者となって、地の果てにまで及ぶからである」。と言われるのだ。前に言ったように、この預言の完成は未来に属する。しかし預言は必ず成就する。我々はイスラエルと教会の上にこの預言が成就し、神の国の来るのを、祈りつつ首を長くして待つのだ。

「本当の礼拝」 ミカ書6:6〜16 1997/3/2/

キリストは言われた「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」と。イスラエルの当時の王侯富豪有力者の礼拝は、献げものを惜しまず、実に豪奢だったようだ。しかし神の求め給う礼拝は献げものではなく、キリストの教えと同じく「主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むこと」である。6節以下には、主のみ心を無視した有力者の搾取によって祝福を失ったこの国が、かえって産業の荒廃を招いているありさまが記されているのだ。また農業も商工業も同じようだっだ。

「不道徳と不作」 ミカ書7:1〜10 1997/3/9/

くだもの、葡萄などの収穫の時期が来ても、この国においしいものはひとつもない。欲望と不道徳が横行して、権力者も指導者も、友人も妻も、息子娘も、誰一人信用できるものはいない。ミカの文章を読むと、現代の日本を見るようだ。病気の症状が昔も今も変わらぬように、神を離れた民族の陥るところは共通なのだろう。しかしミカは絶望しない。国民の罪を自分の罪のように悲しみつつも、自分の預言が成就すること、必ず神の憐れみによるイスラエルの回復があることを信じて疑わない。 「わが敵よ、わたしについて喜ぶな。たといわたしが倒れるとも起きあがる。たといわたしが暗やみの中にすわるとも、主はわが光となられる」すなわちこれが彼の信仰だった。

「城壁再建」 ミカ書7:11〜20 1997/3/16/

エルサレムの城壁はバビロン軍その他の攻撃で破壊された。住民は捕虜になって異国の地に曳かれた。彼ら亡国の民は諸国の侮蔑と物笑いと迫害の的になった。しかし終末の日にその城壁は再建される。主は羊飼いのように再びその民を牧される。周囲の民は回復したイスラエルを恐れ、エルサレムに日参する。「だれかあなたのように不義をゆるし、その嗣業の残れる者のためにとがを見過ごされる神があろうか。神は再びわれわれをあわれみ、われわれの不義を足で踏みつけられる。あなたはわれわれのもろもろの罪を海の深みに投げ入れ、昔からわれわれの先祖たちに誓われたように、真実をヤコブに示し、いつくしみをアブラハムに示される」[18〜20節]やがてこのお言葉のとおりに彼らは回復する。