館林キリスト教会

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ショート旧約史 申命記

申命記 1章1〜26

今日から申命記 に入る。この題名は我々にはピンとこないが、昔の中国語訳聖書からそのままつたわっているもので「重ねて命令する」という意味であって内容はモーセの教えの要約とも言える。第1章は、前に民数記13章で読んだ、カデシ、バルネアの事件の回想である。

申命記 2章1〜15

イスラエルの人たちは、カデシバルネアにおいて、切角約束の地カナンを目前にしながら不信仰、不従順のため、カナン入国をなし得ず、四十年シナイの荒野を放浪した。不信仰のためのムダなまわり道は個人の経験にも、ご奉仕にも、あり勝ちである。単純な信仰と実行。ぐずぐず言う間にそれをしたらどんなに大きく早い進展が見られることだろう。

申命記 2章16〜37

四十年后あらためてカナン入国のコースに入ったが,今後はずっと東よりに道を選び、エドム、モアブを通過しようとしたところ通行を拒否され、もっと東の荒野を遠まわりしなければならなかった。ところがヘシボン、バシヤンなどの国は積極的に攻撃をかけて来た。イスラエルは自衛上これと戦い占領したので、神の摂理のうちに、この両地方はイスラエルの領分になったのである。

申命記 3章18〜29

モーセは出エジプト以来ここまでイスラエルの人々を指導してきたが、ここでその使命を終り、ピスガの山頂から、目ざして来たカナン、乳と密の流れる約束の地を望見しただけで、以後の役目、すなわち事業の完成とも言うべき、カナン入国の事は、一切、後継者ヨシュアに一任されることになった。その理由の一つは、もちろんモーセの高齢である。(31章1-3)もう一つは,メリバテ、カデシの失敗(民数記20章2〜13)に関する責任のためであった。(申命記 32章48〜52)

申命記 4章1〜14

イスラエルは特別な神の選民であった。彼らはシナイ山で栄光の神の御臨在を経験し、十戒その他の律法をあたえられたが、これは長く彼らの名誉、誇となるべきものであった。そして、荒野の四十年間、神様は彼らに近くいて、めんどりが、ひなを守るように守って下さったのである。それだけに、今約束の地に入ろうとする彼らの責任は重い。み言に従う者が祝福され、そむく者は亡びるという、何十回と目撃した事実を強く記憶すべきであった。

申命記 4章15〜31

創世記から黙示録まで、もっともくりかえし記されている罪は何か?それは偶像礼拝の罪はある。それは偶像礼拝が人間にとってどんなに抜きがたく普遍的な罪であるか、またいかに神の憎み嫌う罪であるかを示すものであると思う。人は神の恵みにより寛容によって生きながら、神を礼拝しようとしない。しかもその真の神の面前で、太陽や月星のような天体から、自然現象、人間、動物、キツネ、ヘビ、虫けらでも神として拝む。偶像礼拝は、真の神の寛容に乗じてそのみ心をさかなでしているのである。

申命記 5章1〜22

ここにふたたび示された戒は、イスラエル人はもとより、全人類が絶対に忘れてはならない、真の宗教と道徳の基礎である。しかし、すでに罪を犯した我々は、決してそのまま十戒をあたえた神のみ前に立ちえない。我々の罪をゆるしきよめて下さるキリストの恵を、まず必要とすることは言うまでもない。それから十戒その他のいましめを守る力もあたえられるのである。ヨハネ1章

申命記 6章1〜19

四節は「シエマ」と言って、イスラエルの子供は、物が言えるようになると、すぐにおぼえさせられる、大切なみことばであった。後代のパリサイ人は、八節以下を文字通りに考え、家の入口にみ言をかかげておくのはよいとしても、み言を書いた紙を腕にまいたり、小さな箱に入れて、額にしばりつけたりした。いわゆる「経札」(マタイ二三章五)がそれである。しかし我々は、心と生活の中にこそ、み言をしるさねばならないのである。

申命記 7章1〜16

イスラエル人はカナンに侵入するとき、カナンの先住民を完全に全滅させなければならない。講和条約などを結んで、条件つきで、彼らと共存共栄をはかったりしてはならないという、神様のご命令は、苛酷なもののように思われる。しかしソドム、ゴモラの例のように、当時のカナン人が、宗教的、道徳的に、ひどい堕落をしていて、神様はどうしても彼らを裁かなければならなかった。その事情の一端はレビ記、十八章などに書いてある。

申命記 8章

荒野を放浪した四十年は、イスラエルにとってきびしい試みの期間であった。しかし神様はこの間も彼らを守って、「人はパンだけで生きるものではない」という真理を学ばせて下さったのである。今や乳と蜜の流れる、約束の地カナンは目の前にある。モーセはここでイスラエルがカナンに入って富み栄えたのちかえって「自分の力でこれを得た」という高ぶりと不信仰に落ちることのないように警告している。

申命記 9章1〜17

カナン人に対して、神の命によって神の裁きを代行しようとするイスラエル、自分らの罪のために滅亡しようとするカナン人。しかしその実際の事を言えば、イスラエルとて神の前にもカナン人の前にも何らの誇るところはない。程度の差こそあれ、ひとしく罪人である。イスラエルはただ、神のあわれみと選びと信仰によって神のみ手の中にあるのである。もし、高ぶりと不信仰不従順が生ずれば、カナン人と同じように、約束の地から放逐されてしまうであろう。これが、この章の警告である。

申命記 10章1〜21

シナイ山麓の失敗のため、うちくだかれた十戒の石の板のかわりに、もう一度同じ物が与えられたという事は、何という神のあわれみであろう。最初の石の板をくだいたのはモーセだが、その前に、律法の実質はイスラエルの人々によって破られたのである。我々は洗礼をうけた時から、神様との約束の生活に入った。それを我々自身で破り、くだくというような事があるべきではない。

申命記 11章1〜17

「申命記 」という文字には、「重ねて命ずる」「くりかえして教える」という意味がある相だが、モーセはこの書の中で、本当にくりかえして、神のいましめを教え、イスラエルの人々に信仰と服従を勧告している。我々は毎日食事をし、毎日顔を洗う。自動車にのっている間はたえずアクセルを踏み、ハンドルをうごかしている。不信仰不従順という病気がすぐ出て来る弱さを持って、しかも悪しき世に生きる我々が、本当の信仰生活に生きようと思えば、常にみ言と信仰と服従のくりかえしを守らねばならない。

申命記 12章1〜14

神の臨在といって、もとより神はどこにもいらっしゃって、どこででもその祈りを聞いて下さることは間違いない。それはマタイ六章六節に、キリストが教えておられる通りである。しかし神様が今日の教会のように、礼拝のための特別な場所を定め、日を定め、規定をもうけることをお命じになることも事実である。ここにそのことが記してある。

申命記 12章15〜28

イスラエル人は肉食を許されたが、いくつかの条件が示されていた。第一に、血は食べないで、地面にそそぎ出さなければならない。第二は、礼拝のとき、贖罪のため献げられたものは、血と肉を(贖罪のため)祭壇に献げる。第三は、そのあとその肉は、家に持ちかえらず神殿で食べなければならない。(実際はその大部分は祭司に贈られた)贖罪のそなえ物は、人間の罪の身代わりとして十字架につき給うキリストを示すものであったから、その予表をはっきりさせるため、いかにていねいに、神が教え、指導してこられたかが、よくわかるのである。

申命記 13章

偶像礼拝の警戒禁止という点でもっともはっきりした命令の書である。イスラエル民族の特殊な使命と神の祝福という事を考えれば、彼らにとって、この命令は当然の事と言わねばならない。また現在の我々クリスチャンにとっても、自分達の心と生活においては、このみ言の通りでなければならないと思う。礼拝ということは、宗教的貞潔なのであるから。

申命記 14章1〜21

旧約の律法の中で、理解しにくいのは、食肉に関する詳細な規定である。幾分かは昔流の、食肉衛生法のねらいもあったろら。しかしその中心の目的は、ユダヤ人と異邦人の生活の隔離であって、これらの生活規則を守るかぎり、異邦人とごちゃごちゃになってくらすことはできない。亡国流萬の二千年の間、ユダヤ人が民族的に生き残ったのは、一つはたしかにこり律法の効果であった。

申命記 14章22〜29

神様から与えられた物の十分の一を聖別し、それを神殿にたずさえ、神にささげるように、そしてささげられた物は、皆でそれを食べて、感謝と交わりの機会にしなさい。 またそれは同時に、神殿で専門に奉仕するレビ人、また貧しい人たちの生活をささえるものでなければならなかった。 場合によってはお金をささげてもよい。いわば献金の規定である。

申命記 15章1〜18

七年目ごとに「ゆるしの年」というのがまわってきて、全イスラエルで、一切の借金が棒びきとなり、一切の奉公人、奴隷は無条件で解放される事になっていた。これはいちじるしい貧富の差が生じないようにという、社会的配慮の律法であった。 中には、主人や家族との結びつきが深くなって、自発的に、永年奉公を希望するものは、一つの式を行ったが、これは「愛の奴隷」と秤ばれ、特に尊重されまた愛された。

申命記 16章1〜12

すぎこし祭りは、イスラエルの先祖がエジプトから救い出された時を記念して行なわれたもので、その時犠牲として殺され供えられた小羊は、救主キリストを示すものであった。 それから五十日目に、収穫感謝祭があって、又あらためて神に感謝した。これはギリシャ語でペンテコステと呼ばれていた。 紀元27年のすぎこしに、キリストは十字架につき、そのペンテコステの日に聖霊がそそがれたのも、まことに不思議なことであった。

申命記 17章1〜20

ここは、イスラエルの、宗教的社会的秩序を示してある。1節は供物の原則規定。2〜7節は、偶像礼拝者の所置。8〜13節は、いわゆる民事訴訟。14〜20は、国の最高責任者である主に関する規定である。 その最後のものは、一家の主人、グループ団体の指導者、責任者、牧師幹事などに、常に守らるべき、心得と思う。

申命記 18章1〜22

祭司は全時間全能力をあげて神につかえるため、始めから領地の分配をうけなかった。その生活は、人々の献げ物の一部で支えられるようにという規定だつたのである。 後半は予言者とその奉仕について記されている。神のメッセージを語る故にその奉仕は尊い。その反面、自分勝手な発言は厳重にいましめられている。 今も牧師はその弱さと、大切な立場の故につねに会衆の祈りと助けを必要としているのである。

申命記 19章1〜21

殺人に対して、肉親の者が復讐として殺人者を殺すのは、昔では一種の警察法であった。しかし過失殺人の場合のために「のがれの町」が指定された。そこに逃げこんで、過失が誕明されれば、復讐から助けられる。故殺であることがはっきりすれば、この町から追い出されて、復讐人の手にまかせる。以下、何事も二、三人の証人を必要とすること、過剰な復讐をすることを禁ずることなどが規定されていて、これは一種の刑法であった。

申命記 20章1〜9

前の章には警察法、この章には戦争の場合の規定がある。悪しき世に、社会秩序を守るために、いずれもやむを得ないことであった。 ここはいわゆる兵役免除の定めである。敵を恐れてはいけない。また味方をもたのんではいけない。やみくもに人道に外れても、質がわるくても、ムリヤリに一兵でも多くそろえるというやり方は決して勝利につながらない。

申命記 21章1〜14

他殺死体が発見されて、どうしても犯人をつきとめられない時、人々は贖いの動物を殺して、この社会的な犯罪に関係がないことを証言し、また神がかくれている犯人を罰して下さるように祈ったのである。 警察や律法や裁判で社会の秩序を維持しようとする人間の努力は、その力が足りないことをいつも自覚させられる。そのためにも、人間は神に頼る祈らねばならないのだ。

申命記 21章15〜23

親の偏愛によって、子供の人権がおかされてはならない。 また親は子供を教育して、社会に送り出す責任があったので、手に負えない子供は、社会の判断と処置にまかせなければならなかった。まさか死刑というような事はよくよく最後の事であったろうが、今日でもある程度以上の問題児は、少年であっても、ある種の社会の管理にゆだねなければならない。 そんな事にならぬよう、家庭の祈りと教育鮫大切である。

申命記 22章1〜12

最初は遺失物(当時の財産は大体動物)に関する規定。ねこぱぱは勿論、放置してかまわないのも不親切である。以下は秩序と配慮が社会生活の実際にまで守られねばならない規定。 一体男が女の服装をするなど悪趣味もいいところで、まじめな生活では考えられない。鳥と卵を一緒にはとらない規定なども、あくどいことを注意しあわれみの心を育成するに良い。 屋根にランカンを設けるなどは今でも貯水池や作業場で必要とする配慮である。

申命記 22章13〜30

元来夫婦があって後親子があり、また兄弟姉妹がある。夫婦と性秩序というものは人間社会の根本である。 ここには性秩序の規定が記されている。新婦が処女であることの証拠。暴行事件の時、女性にも責任があったかないかの判断は昔はむずかしかったが、今でもむずかしい。それでも皆が力を合わせて、道徳と秩序を守ってゆこうという態度が大切なことは、これまた昔も今も変らない。

申命記 23章1〜20節

イスラエル人が、ルーズな異邦人の間にあって、その聖なる徳性を守ってゆこうとすれば、これは真剣必死の問題で、今日から見れば少しきびしすぎる面があるのもやむを得ない。 人間は宗教的にも道徳的にも、衛生的にも、人間関係においてもルーズになりやすい。しかし聖というものは一面具体的実際的でなければならない。ウェスレー曰く「体と住居をきれいにしておかないと、人はあなたの魂がきよめられたことを納得しないだろう」

申命記 24章

この章の規定の趣旨は配慮の一語につきる。新婚の夫の軍役の免除。質物を取るにも、その家に踏みこんでは取ら左い配慮。働きながら、その報酬について心ずもりをしなければならない貧民に対する配慮。などである。 離縁状の規定も同じで、罪のため弱くなった、現実の人間社会に対する配慮を欠いて、杓子定規に理想ばかりで律してゆけば、結果は物ごとに裏表ができ、かえってわるい事態が生ずる。そのことを考えての規定であって決して離婚をよしとするものではなかった。

申命記 25章

この章の規定は「義務」ということが中心で、裁判者の義務から、家系を絶やさないための一族の義務。はかりやますなど、計量器を正しくする、取り引き上の義務などの間に、脱穀する牛に「くつこ」をかけず、仕事の当然なわけまえにあずからせる義務なども記されている。後年ハウロはこれを引用して、会衆が働き人の生活を支える義務を怠ってはならないことを教えたのも、人のよく知るところである。

申命記 26章1〜15

この規定は一度申命記 14章に出ていた。毎年の十分の一の献物のほか、三年目ごとに更に十分の一を聖別して特に貧しい人たちにあたえることが定められており、これを「貧民の十分一」と呼んでいたのである。 このような献げものによつて、神殿は維持され、レビ人の生活も支えられ貧しい人もうるおされたのであった。ただし旧約時代の人たちは、福音を知ら互いことは最高の貧しさで、伝道こそ最高の善行であることを知らなかった。

申命記 27章

今までは律法について記されてあったが、今度はモーセの最後の説教が記されてある。 カナンに入ると、偶像への誘惑が非常に強い筈であった。そこでカナン人の悪行を予防するためにモーセはイスラエル人にカナン到着後、第一にすることを命じた。それは、律法を石に刻み、それを町々に建てて、人々に知らせるということである。書物が少なかった時代にはこのようにして律法を守り、行わせたのである。

申命記 28章1〜24

イスラエルに対して、神は二つの道を示しておられる。一つは神に従って祝福をうける道、もう一つは神に逆ってのろいをうける道である。 聖書と、イスラエル、ユダヤ人の歴史は、この真理の実証である。 とともに、この長い長い章は、イスラエルのみならず、民族、国家、個人家族の、歴史を解くカギともなり、進路を示す指針でもあるから、くりかえし読むべき大切な章である。

申命記 29章1〜20

契約というのは相互の責任である。もとより我々は罪と弱さのかたまりであって、常に我々の失敗と罪を許して下さる、いわゆる「主の寛容」こそ、我々の救いであるが、しかしそれだからといって「心をかたくなにして歩んでも私には平安がある」というような無責任と甘えは許されない。主はいつも我々に、真実明白な悔改めと信仰を、また神のみ心に対する従順服従を求め給うのである。

申命記 30章1〜20

ここには、神にそむくことによってその裁きと罰をうけ、世界中に散らされたイスラエルが、恥辱と苦痛をうけたあと、もう一度神のあわれみによって、祖国の地に集められ、失なわれた国が復活する約束が記してある。このみ言は現在、新生イスラエル共和国となって、目の前に成就している。しかし実は、神のあわれみの方が先で、彼らの本当の悔改めはこれからであるらしい。本当の意味のイスラエルの苦難はまだ終っていない。

申命記 31章1〜15

いよいよモーセは死期の近いのをさとり、ヨシュアを招いて、後のことを頼むのである。約束の地を目前に見て、モーセの仕事は目的達成まであと一歩のところ、心残りと言えば心残りだつったろう。しかし人は一人で物事を取りしきれるものではない。生前だとて多くの人の助け協力なしに、一人では河ごともできない。老いればその業を人に託すのである。これが神のみ心である。この点でも、モーセは謙遜従順であった。

申命記 32章1〜15

モーセの最後の詩の中に、神とその民との関係が最も美しく、力強く述べられている。神は父であり、民はその生み育てられた子供である。民は神の宝物、財産である。民は神の目のひとみである。神にとってその民は、愛してやまないひなどりであると。 しかしそれと共に、モーセは神のお示しと、自分の経験によって、この民の忘恩、そむき、不従順な将来を、思わずにはいられなかった。

申命記 34章

モーセは33章で、全イスラエル各支族にねんごろな祝福をあたえたのち、今その苦労犠牲の多かった重い責任を解かれ、栄光の天に移されたのである。彼ははじめ、熱心ではあるが、やや軽卒短気乱暴なところがあって失敗した。しかるにその困難多き奉仕の間、祈りと忍耐を重ね、神のご訓練をうけ、「その人となり桑和なこと、すべての人にまさっていた」と記されるにいたった。奉仕を全うしおのれを全うした、本当に尊い生涯と言わなければならない。