館林キリスト教会

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ショート旧約史 士師記

士師記 1章1〜21

 これから士師記 に入る。これはヨシュア記以後約300年間の歴史だが、実際は13人の士師記 の活動の物語をつなぎ合わせたようになっている。
 イスラエルの背信。神の祝福を失ったイスラエルに対する外敵の圧迫。彼らを悔い改めに導き、そして外敵から救うために、神によって起こされる士師たち。これが士師記 のパターンだが、この間における士師の奉仕は、臨時的地方的で、後の王たちとはおのずから違っていた。

士師記 2章

 ヨシュア及びカナン侵入当時に活動した人々は、次第に天国にゆき、第二世の時代が来た。彼らも教えられたから、神をも、そのみ業をも知らないではなかったが、何と言っても、それらを直接体験した父祖たちとは差があった。
 ところが父祖たちも油断と怠慢から、生き残りのカナン人という罠を、彼らに残した。何といっても霊的な力の幼い子孫たちはそれにつまずいたのである。そこに士師記 の悲しい歴史が始まる。

士師記 3章1〜11

 イスラエルの人たちはすっかり屈服して、もう敵対する気力も実力も失ったカナン人たちに対してうっかり油断していたが、だんだん彼らとの交際が始まり、遂にはかれらと結婚するようになった。いわば生活上の姦淫、肉体上の姦淫から最後に彼らの神々を礼拝して、宗教的霊的姦淫を犯すに至り、とうとう神の裁きを招くことになった。サタンは剣をもってクリスチャンを亡ぼすだけではない。世的な快楽や美はもっと恐ろしいサタンの武器となるのである。

士師記 3章12〜30

 かつてイスラエルは、ヨシュアに率いられ、東方からカナンに侵入し、とりあえず「しゅろの町エリコ」を占領したが、今逆にエグロンに率いられた東方の種族連合軍の侵入のため、エリコを占領されるという、残念な事態に立ち至り、やむを得ず、彼らの支配に服すること18年に及んだ。
  しかし、彼らが悔い改めた時、主は士師エホデを起して、国を救って下さった。実に「主の寛容こそ(昔も今も)我らの救い」である。

士師記 4章1〜17

 私は先日のイスラエル旅行の時、ガリラヤ湖のはるか北、周囲を見下ろす丘の上の、ハゾルの遺跡を見てきた。軍事上よほどの要衝と見えて、カナン時代からソロモンまでの支配者で、ここに要塞を築かなかった者はなかったのである。今、そこを占領した王、ヤビンの手からイスラエルを救うために、まず立ち上がって人々を霊的に指導し、悔い改めに導いたのはデボラという婦人であったが、後にヤビンの将軍シセラを殺したのも一人の婦人だった。

士師記 4章17〜24

 ヤエルのやり方は少しひどい様だが、仮にアメリカあたりの山の中の一軒家で、奥さん一人留守番をしている所へ、武器を持った暴漢が入って来たとする。とにかくだまして食べさせると、疲れが出てうまく寝てしまった。警察も遠く、近所に家もない。幸い机の引き出しにご主人の拳銃が入っている。という状況だったら、奥さんが自分の生命貞操を守るため、仕方なくズドン、という事もあり得るのである。

士師記 5章1〜23

 ここにはイスラエルがカナンの王ヤビンに対して勝利した時、戦争に参加貢献した人々が歌われている。しかし中には「思案していた」ルベン。出動しないで骨惜しみしていたギレアデ、ダン、アセル。戦場に近いのに怠って参加せず、かえって結果的にはイスラエルの作戦を困難ならしめたメロズなどは、批判され呪われている。戦争の不参加は結果的にはしばしば利敵行為につながるのである。

士師記 6章1〜18

 ギデオンは、家はマナセの中で最も小さく、自分はその家族の中で最も小さい者と思っていた。ミデアン人の目に付かぬよう、葡萄をしぼるために設けられた、地面を掘り、石で固めた、酒ぶねに隠れて麦を打っていた。
 神様がイスラエルを救うためにお選びになったのは、このギデオンであった。神が「強い者をはずかしめるためにこの世の弱い者を選ぶ(コリント第一、1章27節)」のは、昔も今も変わらぬ原則と見える。

士師記 6章19〜35

 ギデオンは士師としての奉仕に立ち上る前に、二つの体験を持った。「アドナイシャローム(神との平和)」これは祭壇に名づけられた。「エルバアル(バアルと争う)」これはギデオンの通称となった。正直な悔い改めと信仰に基づく、神との全き平和一致。サタンとは絶対に妥協せぬ、決然たる分離。これが主に仕える者の、基本的資格であることは、これもまた昔も今も変わりはない。

士師記 7章

 「いなごのように無数」なミデアン人に対して、味方の3万2千人はすでに少ない。しかし神は命じて、更に恐れる者、軽率な者を整理させ、ギデオンの手に残った300人をもって、完全な勝利をお与えになった。神は人を用い給うが、人の力を頼りにはなさらない。ギデオンの戦争はその真理を示す。我々も神の兵士としての自己点検と、勝利の神に対する信仰を祈ろう。

士師記 8章1〜17

 人間の心は複雑である。単純に人の成功を喜べない。そういうエフライムに対して、ギデオンは子供をあやすように彼らをなだめた。スコテ、ペヌエルの人々は、長くミデアンに支配されていたので、ギデオンが決定的勝利を取るとは思えず、後日のミデアンの報復を恐れたのか、ギデオンに協力しなかった。ギデオンは凱旋のとき、見せしめのために彼らを処罰した。忙しい戦争の間に、何とも世話の焼ける話だ。

士師記 8章22〜32

 ギデオンの家はその功績によって、世襲制の王位につくことを人々から求められたが、これをことわった。しかし沢山の黄金を集め、その一部で祭司の装身具であるエポデその他をつくり、祭司の代理のような形で、イスラエルを宗教的に指導しようとしたらしく、これは後にイスラエルの躓きとなった。また沢山の妻と沢山の子供、これも後に家庭内の争いのもととなった。残念な晩年と言うべきだ。

士師記 9章1〜21

 ギデオンの死後、その70人の子らは、当然イスラエルの人々から優遇をうけていたが同じギデオンの子でもアビメレクは母の身分がいやしいので仲間外れにされた。一方シケムの町は昔から有力な町だったのに、ギデオン以来、小さなオフルに指導権を奪われた形で面白くなかった。アビメレクはシケムの人々の不満を扇動し、もっともらしい言い分で自分を売りこみ、反乱をそそのかした。そして資金をもらうとそれで暴力団をやとってオフラをおそい、ギデオンの子供らを皆殺しにした。野心家というものはおそろしい。

士師記 9章22〜45

 ヨタムが予告したように、アビメレクとシケムの町の人々との間は離反してきた。シケムの人々は仕方なく暴力団をやとって、アビメレクを待ち伏せさせたが、彼らは関係のない通行人を略奪するぐらいが関の山でラチがあかない。自分で売り込んできたガアル親分も、わるがしこいアビメレクに先手をうたれて失敗。腹を立てたアビメレクが、今度はスキをうかがってシケムを攻撃し、略奪殺人破壊をほしいままにしたが、最後に一婦人の投げた石うすで殺された。サタンに感動されたニセ士師のようなものだった。

士師記 10章

 野心家のニセ士師、アビメレクの死んだあと、地方的な指導者で経歴もよく伝わらない小士師の名前がならんでいるが、イスラエルは背神のためにまたもや西方はペリシテに、東方はアンモンの人々に脅迫侵略されるにいたった。度々の事であるけれども、人々が悔い改め、偶像をのぞいて、神の助けを必死に祈ることになると「主の心はそのなやみを見るに忍びなくなった」とあり「一人の亡ぶるのも望み給わず、長く忍耐し給う」神の愛が思われるのである。

士師記 11章1〜19

 世の中に受け入れられず、不遇孤独の中に一人みずからを養い、実質的にはいつのまにか立派な人物となっていたものが、はからずも時を得て、神にも人にも大いに用いられる、というケースは聖書にも沢山実例があるが、エフタはその一人である。彼がやくざ者を集めて略奪渡世をしていたのも、おそらくともすればイスラエルをおそう、馬賊的な異族を攻撃して、結果的にはイスラエルを保護していたのだろう。そこを買われて士師として招かれたのである。

士師記 11章20〜40

 エフタがアンモンの人々と談判した言葉を見ると、旧約とイスラエルの歴史にくわしく、しかも理路整然、なかなかの人物であることが察せられる。出陣にのぞんで立てた誓願は、熱心の余りであろうが、エフタの激越を示してもいる。思いがけずその娘が誓願の犠牲になるハメになったのもやむを得ない。ただしこの場合は、娘が燔祭として献げられたのではなく、一生処女のままで神につかえることになったのだと考えられる。

士師記 12章

 エフライムの人々は嫉妬心が強く、すなおに他人の功を喜ばない。むかしギデオンに食ってかかった時、紳士のギデオンはこれをなだめた。しかしエフタはギデオンとは違う。売られたけんかならいくらでも買う。とうとう内戦うちわげんかとなって、エフライムから大勢の死人が出ることになった。のち王国分裂の一つの原因ともなった、いつものエフライムの癖だが、まことに「嫉妬は骨のくされだ。」(箴言14章30節)

士師記 13章1〜14

マノアとその妻は、天使のみ告げによって、子供を産むことになった。そのように、子供はすべて、神のみ心によって与えられるのである。彼らは妊娠の間、特に祈り深くあるように命ぜられた。これもすべての母親に期待される事である。生まれる子供は、ナジル人として主に献げられ、イスラエルを救う使命を負うべきであった。同じように「すべての人は使命と共に生まれる」のである。人が生まれて来るのは、いつも大きな神の摂理なのだ。

士師記 14章

 サムソンは二流の奉仕者である。しかし時代は三流であったから、神様はやむなく、サムソンをもそれなりにお用いになった。彼は強力な人でペリシテ人をやっつけイスラエルのためには一城塞の感があったが、しかしほかの士師のように、人々を結集して指導することができず、最後まで自力の腕力だけの、一匹狼だった。しかも「英雄好色」の例にもれず、美しい女性に弱く、大きな、強い駄々っ子のようなところがある。

士師記 15章

 ペリシテ人におどろかされたからと言って、サムソンをしばって渡そうというユダの人々の態度もどうかと思うが、乱暴狼藉のサムソンには、人々を心服させ、指導するだけの人格が欠けていたことも事実だ。さてレビでサムソンはろばのあご骨の枯れくちていたのを拾って、一千人のペリシテ人を打ち殺した。この骨は、主の手ににぎられた無価無力なクリスチャンが、救いの戦いにおいて、案外に用いられる例として、よく引き合いに使われる。

士師記 16章4〜17

 人には誰でも長所短所があり、神様のみ心は、短所がなくなり長所がととのえられ、次第に霊的人格的に成長し、いわゆる「きよめられて主の用にかなう器」となることにあるが、サムソンの粗暴は、力まかせの働きの間に、かえってその短所ー女性に対する弱さを助長してしまい、今デリラによって決定的失敗敗北を味わわされるにいたったのは、まことに残念であった。我々もこれをいましめとしなければならない。

士師記 16章18〜31

 捕らえられたサムソンは、いまや「ガザに盲(めし)いて」無力と恥辱と悲惨な生活に突き落とされた。しかし同時にこれは彼の反省の機会だった。今までの神半分自分半分、使命半分、快楽半分の生活を悔い改めた。はずかしめられた神の栄光を回復し、しいたげられている同胞の解放のためなら、盲目の捕虜となった自分の身などはもうどうでもよかった。かくて「彼が死ぬとき殺した者は、彼が生きていたときに殺した者より多かった」という結果となった。

士師記 17章

 士師時代の末期、イスラエルの宗教の低下、脱線、混乱の有様が以下の二章に記されている。 息子が盗みをしたので母が呪った。息子は恐ろしくなって告白した。母は自分の霊力に自信を持ち、記念のためと、また今後の事業のために取り返した金で偶像を作った。そこでおがみ屋のような、私設の神殿ができたわけだ。そこへ放浪のレビの青年が来ると、これをやとった。レビ人なら祭司として本格的だと思ったからだ。しかも主なる神に感謝している。めちゃめちゃな話だ。

士師記 18章1〜13

 イスラエルの全氏族は、ヨシュアからちゃんと領地の割り当てをうけたのであったが、そこに住むカナン人を征服するのを怠って、放浪する人もいた。彼らは、住民に戦闘力のない土地をさがして勝手にそこを占領し、本来自分たちに割り当てられた所でなくても、横取り割りこみをして住もうという虫の良い連中だった。領地分配の神のご命令も、場合によって、一部には、その通り行われなかったケースもあったのである。

士師記 18章14〜31

 ダンの一部の人々は、ひとの領地に腕づくで割りこみ占領する前に、神の祝福がほしいと思い、これまた腕づくで、ミカの神像と祭司を奪ってつれていった。いくら士師時代のいなかでも、これほどの宗教的脱線混乱があったのは不思議だが、現代でもキリスト教の異端には、あるいはマリア像や聖人の遺骨遺物を崇拝し、あるいは押し売り、面会強要、性的混乱など、ひどいケースがあって、人間の弱さと悪魔のわざは、毒麦のように神の畑を荒らすのである。