館林キリスト教会

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ショート旧約史 ヨナ書

「不従順な預言者」 ヨナ書1:1〜10 1996/12/22

ヨナは預言者だったが、この日の神様のご命令は気に入らなかった。悪名高い罪の町ニネベ伝道の、危険と成功率ゼロを嫌ったか。イスラエルの仇敵アッスリアの首都に伝道し、祝福を祈るのがいやだったか。とにかく彼は主のご命令から逃げ、東方を避けて西に向かった。ヨッパは地中海に面した港で、いまもヤッファと呼ばれて繁栄している。彼はそこから乗船し、当時の世界の西の果てタルシシ、すなわち今のスペインに逃げようとしたのだ。しかし結局主の眼は逃れられない。主は大嵐を起こし、彼の乗船は沈没の危険に瀕した。これは神がヨナを罰するために追求するのではない。彼を信仰と奉仕の正道に立ち直らせるための、愛の試練、愛の嵐だったのだ。

「大きな魚」 ヨナ書1:11〜17 1996/12/29

ヨナは自分の不信仰不従順が、乗船仲間の迷惑になったことを知った。そしてさすがに悪びれず、自分を海に投げ込んで神の裁きに渡し、舟を呪いから解放するように申し出た。人々は躊躇したが嵐がやむ気色がないので、気の毒ながらヨナを海に投げ込んで、ようやく嵐と沈没を免れたのだ。ここに神は大きな魚を用意された。魚はヨナを飲み込んでしまった。(魚にもいろいろあるから、動物を生きながら飲み込むケースはいくらもある)。聖書に「神は真実である。試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」というお言葉があるが、そのとおり、神はヨナのために、彼が最終的な運命に陥らず、なお生き延びて、悔い改める機会を得られるようにご配慮下さったのだ。

「ヨナの悔い改め」ヨナ書2:1〜10 1997/1/12/

聖書には祈りの記事が多いが、魚の腹の中の祈りは珍しい。その時混沌状態だったヨナが、こんなに整ったしかも詩的な祈りを献げたわけではなく、あとで回想した時の表現だろう。「わたしは言った、わたしはあなたの前から追われてしまった、どうして再びあなたの聖なる宮を望みえようか」。これは我々にも経験のある、「自分が悪くて神から離れた」者の祈りだ。しかし主は彼の悔い改めの祈りを聞いて下さった。「わが魂がわたしのうちに弱っているとき、わたしは主をおぼえ、わたしの祈りはあなたに至り、あなたの聖なる宮に達した」。とあるとおりである。本当に「わたしたちの主の寛容は救いのためである」と、「第2ペテロの手紙」にも言われるとおりだ。

「ニネベの悔い改め」 ヨナ書3:1〜10 1997/1/19

罪を許され、魚の腹から助かったヨナは、ここで再び主の命令を受けることとなった。彼はこんどは素直にニネベに行った。ニネベについては「彼らの悪がわたしの前に上ってきた」と主が言われたほど、罪の充満する都会だった。そこに行ってヨナは神の裁きを伝え、悔い改めを勧めたのである。自分の不従順の罪を、いま許されたばかりのヨナが、どんなに新鮮な心で、神の愛の、み思いを告げ、人間の罪の弱さを語ったか。悔い改めを勧告するにせよ、それは厳しいよりも愛と恵みに満ち、いかに彼は声涙ともに下るメッセージを語ったか。その結果ニネベは王様をはじめ、全市民が真剣に悔い改めるに至った。すばらしい事だった。