館林キリスト教会

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ショート旧約史 哀歌

「愛と裁き」 哀歌3:51〜66 1994/06/12

エルサレムの滅亡を悲しみながら、一方エレミヤは、エルサレム市民の重ね重ねの罪をも悲しまねばならない。彼等は、神に代わって悔い改めのメッセージを語るエレミヤに対して、ここに記されたようなひどい迫害を加えたのだ。その罪が裁かれなければ神の正義は成り立たず、後代の人々の戒めにもならない。ゆえにエレミヤは彼等の正当な裁きを神に訴えるのだ。キリストも、十字架の愛と救いとともに、悔い改めない罪人の審判をも強調した。天国の教えと共に地獄の教えも、キリストによって完成したと言われるのだ。

「荒廃の風景」 哀歌4:1〜10 1994/06/19

この文章を読む年配の人は、戦後の東京の荒廃を思い出さずにいられないだろう。その頃私は高崎にいたが、東京から来る列車には、真っ黒に焼け焦げたような人が飢え疲れ、列車にすがりついて運ばれてきた。東京では、焼け出されてやっと生き残った大人や子供が腹をへらしてふらふら歩いていた。むかしエルサレムの籠城戦に巻き込まれた市民は、飢えのため常軌を逸し、親が子を食べるようなケースも多かったのだ。われわれはいま飽食の時代に生きているが、不敬虔の結果エルサレム市民や、かつての東京のように、再び神の裁きを招かぬよう注意しよう。

「亡国の民」 哀歌4:11〜20 1994/06/26

これもまたエルサレム滅亡後のユダヤ人の、悲しい預言の詩だ。エルサレムは何回か落城したが、AD70年のローマ軍による攻撃はもっとも悲惨だった。それ以来1900年間、ユダヤ人は故国を失い、亡国の民として世界を放浪し各地で繰り返し迫害を受けた。ここの文章は、彼等の運命を絵のように預言している。しかし神のあわれみの時がきて、1948年3月、彼等は故国のパレスチナに帰り、今のイスラエル共和国を建国した。歴史の奇跡と言われるできごとだった。これらが、「聖書が真実の書であるという証拠はユダヤ人だ」と、言われるゆえんだ。

「忍耐と希望」 哀歌5:7〜22 1994/07/03

私は聖書学校の卒業生などに色紙を書くとき、よく「神の召しと賜物とは変えられることがない」というみことばを選ぶ。ご奉仕をはじめてから疑惑に陥らないようにとの祈りからだ。これは、パウロがユダヤ人の未来を書いた「ロマ書11章」の1節だ。選民ユダヤ人に対する「神の召しと賜物」は変わらず、彼等は最後に祝福と使命に回復すると。哀歌に書かれたような当時の彼等の運命を嘆きつつ、エレミヤが彼等の最後的な回復の望みを捨てずに祈った、信仰と忍耐とはすばらしい。