館林キリスト教会

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ショート旧約史 エステル記

「高慢な王妃」 エステル記1章1〜12

アハシュエロスは、クセルクセス1世(BC486〜465)の別名と言われる。 ペルシャ帝国は、今や、ここに記されているように、ほとんど当時の全世界を支配するほどになっていたのである。 ところがこの頃から、西方エーゲ海を隔て、ようやく強力になってきたギリシャと接触するようになり、結局ペルシャとギリシャとの長期にわたる戦争、ギリシャ人のいわゆるペルシャ戦争が行われることになる。 この章に記されている半年間にもわたる全国会議は、存亡をかけたこの大戦争の遂行に、関係があるのかもしれない。 皇后ワシテは尊大高慢、わがまま勝手で、かねがね王や重臣たちの反感を招き、しかも今や限界に達していたのであるが、それも悟らず、また大切な時にわがままをして、これが彼女の命取りとなった。

「王妃の失脚」 エステル記1章13〜22

こういう重大な場面となれば、いくら王様でも、人心を収攬して国民の協力を確保しなければならないから、おのずから臣下をもてなす態度をとる。王妃も王を助けて、言わばホステス役を勤めなければならない。これも公務の一部である。 また王妃は、国中の良妻の模範であること、すなわちファーストレディーであることが期待される。ワシテはこれらの点で落第であった。 たまりかねた王は重臣と相談する。 重臣たちも賛成したから、いよいよワシテ王妃失脚の局面となった。 高慢で、取り巻き連のおべっかばかり聞いて、いい気になっていると危険だ。

「王妃オークション」 エステル記2章1〜11

失脚したワシテに代わる王妃を選ぶために、国中から候補者を推薦することになった。 ユダヤ人モルデカイの養女ハダッサ(おそらく王妃になったときに改名してエステルと呼ばれた)もその一人として推薦を受けたのである。 選ばれて王妃となるとすれば、それは光栄である。 アハシュエロス王の王妃はともかくとして、これは教会がこの世から選ばれて、キリストの花嫁と立てられた、その光栄を連想させる物語である。 エステル記は、ルツ記と共に、聖書中女性の名を冠して呼ばれる二書中の一つであって、確かにエステルはその名(意味は星)のように、旧約聖書中のスターなのである。

「王妃エステル」 エステル記2章12〜23

娘たちのお目見えまで、一年間の準備の様子を見ると、まるで体質改善、生活改善が行われるようだ。これも教会が「小羊の婚宴」と呼ばれる、キリストの再臨に対して備える姿に、また「エステルを愛し、恵みと慈しみを与え、王妃の冠を彼女にいただかせ」る王の姿にキリストを、重ね合わせて考えることもできよう。 モルデカイは、もともと王宮に何かの身分職責を持っていた人物と思うが、はしなくも、二人の危険人物(彼らは一端の怒りから王を暗殺しようとした)に気づき、エステルを通して王に知らせた。 調査の結果これが事実だったから、この二人は処刑され、モルデカイ父娘は面目をほどこした。 この事件は記録された。実は王は間もなく忘れてしまうのだ。だからこれは記録された事で後で役立つのだ。 皆さんは日記をつけていますか。それは案外、証のときなど役に立ちますよ。

「ポグロム計画」 エステル記3章1〜6

 当時のペルシャ帝国は、いくらか今のアメリカのように、多種類の民族が生活していて、有力な者は、種族や出身地方にかかわりなく、比較的自由に起用されていたと見える。  と共に、有力な人物は、自然に自分の出身の種族を代表する形になるし、その保護便益をはかるのも、自然な勢いと言わねばならない。  今を時めく有力者、権勢者ハマンは、アマレク王族の出身だったが、そのアマレク人がイスラエル人を憎むことは、出エジプト記17章以来の伝統で、一方ユダヤ人の方でも、アマレク人と妥協することを一種の罪と心得ていたのである。  従ってそれが、ユダヤ人の指導者で有力者のモルデカイの態度にも表われているので、怒ったハマンは自分の権勢を利用して、全ユダヤ人の虐殺、すなわち「ポグロム」を計画するに至った。

「ユダヤ人の財産」 エステル記3章7〜15

 異教の国々では、個人生活の吉凶だけでなく、国の政策決定などにも「くじ」が用いられる例が多かった。昔の中国や日本でも、占い師の一群が膨大な官庁を構えていたものだ。  この時ペルシャは、長引く対ギリシャ戦争のため、一種の非常時になっている。その緊張した政策決定のために引かれた「くじ」の結果だとして、ハマンは王に、「ポグロム(組織的計画的虐殺)」を(その対象がユダヤ人であることは明白にせず)進言した。 ユダヤ人は真の神を礼拝し、その律法を守っていて、異教国では一般的な偶像礼拝をせず、またそれから生じた風習にも従わない。系図を大切にして他民族と混血せず、集団生活を守っているから、国の中にまた一つの独立国があるようで、戦争中などは特に警戒されるのだ。 また彼らの膨大な財産を没収できるだろうと言う提言は、増大する一方の戦費調達に苦労している王様にとって魅力的だった。 かくて12月13日を期して、ポグロムを実行することが決定された。

「いのちがけ」 エステル記4章1〜17

第二次大戦中、ヒトラーの命令によって行われた、ヨーロッパのポグロムは、まだ歴史の記憶に生々しいが、この時、ペルシャのユダヤ人も、同じ運命に襲われようとしていたのである。 全国のユダヤ人は悲しみ、断食し、叫び、祈った。モルデカイ、エステルも当然巻き込まれた。しかもエステルは、王妃なる故に、身を張ってユダヤ人救助に立ち上がるよう、モルデカイから求められた。 召されない者が勝手に王に近づくことを厳禁されているのは、今でもアメリカ大統領に、不意に誰かがつかつかと接近すれば、射殺されるのと同じだ。 昔のことだから、王妃とてこの規則の例外ではなかった。

「王妃のパーティー」 エステル記5章1〜14

秋の空のように気まぐれな王様の心とて、神様の摂理の外にはない。 一ヶ月も王様から召しのなかったエステルが、祈りつつ、恐れつつ、王の庭に立っているのを見たとき、急に懐かしさを感じたか、金の杖を差し伸べてエステルを召し、ここに久しぶりに、王妃エステルをホステスにしたパーティーが開催されることになった。 いかにエステルの心がはやったとて、王の信任厚くお気に入りのハマンを、にわかに攻撃し、訴えることはできない。 そこでこのパーティーにハマンを招待することにしたのは、きわめて自然であったし、その間、少しずつ、神様が摂理のみ手のうちに万事を導いてくださるでしょうという、エステルの祈りと期待があってのことだったと思われる。 高慢なハマンが、これですっかり気を良くして増長し、結局失脚の方向に進む経緯も面白い。

「モルデカイ昇進」 エステル記6章1〜14

王様が夜眠れないでいる時、自分の政治に何か手落ちがないかを考えるため、家来に記録の書を読ませたのは、なかなか良い心掛けだ。よし王様に手落ちがあったとしても、家来の方からそれを注意することは、なかなかできないから、指導者、責任者たる者、念には念を入れることが必要だ。 さて、先のモルデカイ、エステルの功績に対して、何も報奨を与えなかったことに気がついた王様は、折りから王の庭にいたハマンを呼んで相談をかける。うぬぼれの強いハマンが、てっきり自分のことを言われていると早合点して最高の処遇を進言する。 実は図に乗ったハマンは、モルデカイの処刑を訴えるつもりで、厚かましく出頭していたのだったが、反対の結果になって、もう取り返しがつかない。 モルデカイは昇進した。 王様の気まぐれ、たまたまの不眠、ハマンのひとりよがりと悪計と、それさえ神は摂理の中に配剤し給うた。 これこそ神様が私たちの祈りに答えてくださる時、摂理の手の及ばない範囲はないことの、証明である。

「モアブ遠征」 エステル記7章1〜10

エステルのパーティー二日目にもハマンは招待された。 王はエステルを愛して、もう一度、そのほしい物を尋ねた。国の半分でも、ほしければやろう、と言う言葉である。 エステルは王に求めて、総虐殺の陰謀にさらされている、エステル自身、モルデカイ、さらに全ユダヤ人の生命の救いを願った。 ここにおいて王は、自分自身までもハマンの一味の、おためごかしの謀略に乗せられていたのを悟った。 うろたえたハマンが、エステルのとりなしに頼ろうと、しつこくしているのを王に見られたのが、更に失敗の上塗りで、とうとうハマンは、モルデカイのために用意した死刑台の上で処刑された。

「ポグロム中止」 エステル記8章1〜17

今はアマレク人ハマンに代わって、ユダヤ人モルデカイが権力の座につき、その印綬を帯び、その官邸に入り、ポグロム中止の命令を出す許しを得た。しかし王様がすでに出してしまった命令を、全部取り消すと言うわけにはいかないので、形式的にはユダヤ人の自衛権を布告することとなった。 中央では反ユダヤ主義の張本人ハマンが処刑され、ユダヤ人モルデカイが権力を握り、その上この布告が出たので、事実上ポグロムは中止消滅となり、今や国中のユダヤ人の間に、大きな感謝が沸き起こったのである。

「プリムの祭」 エステル記9章1〜32

それでも12月13日、ポグロムの予定の日には、ユダヤ人は万一のことを考えて、武装して集結した。中にはあくまでユダヤ人を憎んで攻撃した者もあったので、ところどころで小戦闘があった。勿論ユダヤ人の勝利に終わり、結果としては、積極的反ユダヤ主義者は一掃されることになった。ハマンの一族も、破れかぶれの抵抗を試みた後に、全部処刑された。 昔からユダヤ人たちは、神様の恵みと力によってエジプトから救われたことを記念して「過越の祭」などの祝日を守って来たが、ペルシャにおける今度の救いを記念して、この日を「プリムの祭」として祝日に加えたのも故あることであった。 神の恵みを記念するのは良い。教会の聖餐式は主の十字架の記念である。誕生日も結婚記念日も、我々にとってそれぞれ大切で、かつ幸福なものだと思う。

「断食と祈り」 エステル記10章1〜3

エステル記には「神」という字も「祈り」という言葉も一つも出て来ない。我々だったら当然「祈り」と言うべきところなどに、ただ「断食」と書いてある。 異教の国ペルシャの寄留民で、しかも全滅の危険を伴う迫害をやっと免れたユダヤ人が、周囲を宗教的に刺激しないように用心深く書いた聖書だということがわかる。 しかし信仰のある人が読めばすぐ意味が通じる。 またこの聖書をヘブル語で見ると、ところどころに、神の名「ヤーウェ」という言葉を、一文字ずつ単語の頭文字に揃えてある場所があって、言わば神の名は「かくし文字」でちりばめられているなど、いかにも苦心のあるところだ。