館林キリスト教会

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ショート旧約史 サムエル記上

サムエル記上 1章1〜11

ラマタイム・ゾピムの有力者エルカナは、妻のハンナを深く愛していたが、その腹に子供が生まれないので、更にペニンナをめとり、ようやく子供をもうけることができた。エルカナの愛は変わらないとしても、自然、立場の差というものが次第に生じ、ペニンナから、あなどりをうけ、ハンナは悲しみに耐えなかったがその悲しみは深い祈りにそそぎ出されたのである。しかしその祈りは単に一女性一家庭の問題に止まらずやがて全イスラエルの回復復興につながる事となる。

サムエル記上 1章12〜28

ハンナは、この子が祈りの答えとして与えられたのを記念して、彼を「サムエル(主は聞かれた)」と名づけた。それと共に、いわゆる一つぶだねで、目の中に入れても痛くない程かわいかったのに、この子を私物視、愛玩物視しないで、乳ばなれと同時に神にささげる事にした。祈りの間に、子供に対する母親のエゴからきよめられ、神から託された責任と、子供の生涯の価値、使命ということを、中心に考えるようになったのだ。

サムエル記上 2章1〜11

これは「ハンナの歌」として有名なもので、ルカ2章の「マリヤの歌」のお手本となったとも言われる。 この歌のテーマは「神は弱く低い者の祈りに答えて、これを祝福し、助け、救いと勝利に導いて下さる。これに反して、神は高ぶる者を恥じしめ、最後に、敗北と滅亡におとし入れる」という真理であって、ハンナの実際に経験したところであった。「神は高ぶる者をふせぎ、へり下る者に恵みを与え給う」という、新約のみ言も思い合わされる。

サムエル記上 2章12〜26

士師時代は宗教的道徳的に最低であって、その結果自然に人々の政治、経済、生活は最低となったが、礼拝と信仰を指導するはずの祭司たちの最低の姿がここに見られる。 彼らの責任は重いと言わなければならない。彼らは祭司の制服を着て神殿にいたが、神にも仕えず人にも仕えず、エリは怠慢に、ホフニ、ピネハスらは物慾色慾に仕えていたのであって、人々は神殿や礼拝をきらうようになった。我々も主に奉仕する者として、本当に反省させられる。

サムエル記上 3章1〜14

これは「信仰の従順」を学ぶ大切な章である。エリの神殿は、サムエルが信仰と礼拝を学ぶのに決してよい環境ではなかった。エリはよい指導者ではなく、ホフニとピネハスはよい先輩ではなかった。しかしサムエルは母の命に従ってここにいた。エリに対しても、夜中に3回でも起きる程従順だ。勿論神に対してもまた然りで「しもべは聞きます。主よお語り下さい」の祈りは、サムエルが献げてこそ本当だったのだ。これが彼の尊い生涯の出発であった。

サムエル記上 3章15〜21

サムエルは神から預言者として任命をうけたが、当時祭司も預言者も、信用はゼロで、こりごりしている人々の中に、自分でそれをふいちょうして見ても、なかなか人々はすなおに信用し、尊敬し、服従してくれなかったと思う。しかしついにダンからベエルシバまで、人々がサムエルを主の預言者とさとり、サムエルによって、主のことばが、あまねくイスラエル全地におよび、やがて大いなる信仰復興につながって行った、その秘密は19節以下に記されている。

サムエル記上 4章1〜18

サムエルは幼児のころと違って12才ごろになると、さすがにエリ一家の様子を見て、矛盾と疑惑に苦しんだと思う。それ故か、サムエルが最初に聞いた神の直接の声は、エリ一家の裁きに関するきびしい神の宣告であった。いくばくならずしてサムエルは、エリ一家に行われた神の裁きと、彼らに導かれたイスラエルの敗戦を目撃したが、これは彼に終生忘れられぬ印象となり、いわゆる「神を恐れる敬虔」をもって、一生を生きる助けとなった。

サムエル記上 5章1〜12

神に従がわないイスラエルが、そのまま神の祝福に止まる事はみ心ではない。その敗戦は、神の祝福を失った自然な結果であった。しかしながらこれによってペリシテ人が勝ち誇り、彼らの神ダゴンに栄光が帰せられることを神はお許しにならない。神は自ら偶像ダゴンに侮辱を加え、イスラエルと戦ったペリシテ人に、わざわいをお与えになった。人々は真の神の臨在とその裁きによるわざわいを恐れ、戦利品だと思っていた「主の箱」をもてあますに至った。

サムエル記上 6章1〜16

旧約時代には、神様がイスラエルにお与えになった「実物教育、教材教育」のようなものもあって「神の箱」が、神の臨在の象徴であったことなども、一つの実物教育であった。 その神の臨在は、罪人に対しては裁きであり、呪いである。いまペリシテ人はそれを経験した。 しかし、罪のゆるしのために流されたキリストの十字架の血のあるところ、いつも神は恵みと祝福をもって臨在し給う。 ベテシメシの人々が神の箱をうけ入れた時にささげた、燔祭その他は、旧約時代においてキリストの贖罪を予表するものだった。 それゆえ神の箱は祝福をもってそこに止ったのである。

サムエル記上 7章1〜17

サムエルの指導のもとに、イエラエルの人々は深く悔改め、国民の宗教的道徳的状態は回復してきた。かくて二十年、恐ろしい敗戦の記憶もなまなましい、あのエベネゼルで、今度はペリシテ人に対する決定的勝利を得ることができた。サムエルはここに記念碑を建てて「エベネゼル(主は今に至るまで我々を助けられた)」と名づけた。少年時代に献身して奉仕を始め、ついに今日の祝福と勝利に至ったサムエルの感慨も、同じく「エべネゼル」であったろう。

サムエル記上 8章1〜18

サムエルが老年になった時、後継者になる予定だった息子たちは、人々の信頼を裏切リ、悲しむべき状態だった。しかしそれにしても人々が急に、祭司でなく士師でなく、サムエルでなく、その子らでなく「王」を求めた態度は軽率である。「王制」は、前から神によって預言されてもいたし、時代の要請でもあった。それ故むしろ今の問題は「王様さえ立てれば万事OK」という、手放しな人々の態度だった。サムエルは今、私情をおさえ、念のために「絶対服従」「強制兵役」「莫大な税金」など王制にともなう負担の覚悟をうながし、結論として王制を承諾したのである。

サムエル記上 9章1〜14

サムエルはイスラエル初代の王を任命することになったので、国内の有力な人々の中から、人物の物色を始めたが、それにもまして神のお選びとお示しを求めた。ベニヤミンのキシ一族は、有力で、その息子サウルは勇武で賢明で、容姿もまた人にすぐれ、評判の人物だった。今は素朴な日常の業務にたずさわっているが、その間に次第に神の導きが示され、いよいよツフで、巡回中のサムエルに対面するはこびとなる。

サムエル記上 9章15〜27

最初の王の人選は難事であった。結局神様の選びと導きによってサウル王が立てられたのであるが、その間「王を立てよ」とサムエルに迫った人々は、王の人選についても多かれ少なかれ発言したろうし、サムエルとても、ただ祈っていただけでなく、研究も話し合いもあったと思う。しかし最終的には、いくつかのしるしによって神の導きがはっきり示されたことによって決定した。

サムエル記上 10章1〜13

サウルはサムエルの油そそぎを受けて、イスラエル初代の王の任命を受けた時、さすがに恐れととまどいを感じたと思う。神は三つのしるしを与えて、彼の信仰をはげまして下さった。第一にサムエルの言葉どおにり、さがしていたろばが見つかったこと。第二に、神殿に献げるつもりで運ばれて来たパンが、サウルに提供されたこと。第三に、預言者の一群にまじってサウルも霊感を受け、預言したことである。最後のものは、サウルを知る者にとって、特に奇異なしるしであったので、後日、ことわざになったくらいだった。

サムエル記上 10章14〜27

いよいよサウルはイスラエルの王として、国民の前に立った。恐らく身長が高くて勇武、まことにりっぱな人物であって、前から候補者の一人であったと思うが、それと共に初心(うぶ)で謙遜で、最初は隠れていて出て来なかった。彼に対して国民の大部分が何となくそらぞらしく、すぐに具体的に王様らしくはなれなかったが、案外無頓着で、さっさと家にかえり、もとの仕事に精を出しながら黙々と時節を待つところなど、本当に信仰的な好青年だった。

サムエル記上 11章1〜15

アンモン人によって、ヤベシギレアデが包囲された、というニュースが入った時、ギベアの人たちは悲しみ恐れて泣いた。こういう不信仰、敗北感、孤立主義が、今日までイスラエルが外敵にあなどられ、勝手に侵略をされていた理由なのである。しかるに同じニュースはサウルを奮起させた。そしてただちにイスラエル諸族に、団結と協力と出兵を求めた。と言うよりも命令した。その結果、みごとにヤベシギレアデを救い、これがサウル王の初手柄となった。

サムエル記上 12章1〜18

サウル王はいよいよ実際的かつ積極的に、王国の建設に着手することになった。ヤべシギレアデ戦争の実績によって、全国民の一致した支持と協力を得ることになったからである。ここでサムエルは、一応直接に国民を指導する責任の半分を解かれたことになるので、サウル王と国民に大切な訓辞を与え、長いイスラエルの歴史を示し、信じ従う者のみを助け祝福し給う、神の恵みのみ業を思い起こさせ、つづいて神様に対する信仰と服従を誓わせたのである。

サムエル記上 12章19〜25

イスラエルが王政に移行するのは自然であったが、神の導きを求め、時期と方法を考えるという態度に欠け、急いで制度を新しくし新しいリーダーさえ立てればそれで万事OK、という、人々の不信仰軽卒はまずかった。しかしいずれにしろ結果としてはサムエルの時代は終った。いま彼は解職隠退の老後においても、二つの事は決して止めないと誓った。その一つは「教えること」他の一つは「祈ること」であってサムエルにとっては、これらをやめるのは、罪であるという自覚があった。

サムエル記上 13章1〜18

長年イスラエルを属国あつかいにして来たペリシテ人は、今やサウル王を立てて独立しようという勢いになって来たイスラエルに対して緊張し、イスラエルもまた徹底抗戦の準備を進め、再び決戦の場面となった。この時サウル王は、サムエルとの約束を守り、礼拝がすむまで進軍開戦をひかえていた。しかしぐずぐずする間に、長い緊張恐怖に耐えかねたイスラエルの民兵たちの中には、こっそり逃げ去る者が増え、いわゆる戦機が失われるのにあせって、とうとうサムエルを待たずに自分で燔祭をささげ、勝手に礼拝を執行したが、これが彼の第一の失敗となった。

サムエル記上 14章1〜15

サウルの子ヨナタンは、サウル一族の勇武の血を受けただけでなく、非常に信仰に厚い青年だった。両軍にらみ合いの状態の中から開戦のキッカケを作ったのも彼だったし(13章3節)今度はまた勝利めキッカケを作ったのだ。「多くの人をもって救うのも少ない人をもって救うのも、主にとっては何の妨げもない」というその言は、後世まで、神を信ずる者の勇気を奮い立たせる言となった。本当にゲーテのいうように「勇気がなければ何もない」場合も多いのだ。

サムエル記上 14章24〜35

ヨナタンによって戦争が有利に転回し始めると、それまで恐れていたサウルは、逆に興奮してせっかちになり、一気に完全な勝利を得ようと、あせったあまり、兵士たちに作戦中の食事を禁じた。食事の時間も惜しかったのだが、更にこういうことで、全軍の誠意熱意を神様に見てもらおうと、誓いを加えたことなど、すでにサウルの心には、神に従い神にまかせる信仰はなくなり、やみくもな自分の気持ちだけが先に立ち、やり方は大分迷信じみたものとなって来た。

サムエル記上 14章36〜46

サウルは激越な性格で、言ったことはあくまで通す。ヨナタンがサウルの命令を知らず、野生の蜂蜜を食べて命令違犯をしたというので、王子であり、戦勝の功労者であるにもかかわらず、処罰しようというのは、あんまリひどすぎる。しかもそこに神の御名を出して来るのだから、迷信的、独断的態度は恐ろしいものだ。人々はこれに反抗してヨナタンを助けたが、あまりのことに白けて戦意を失いサウルの意気ごみとは反対に、不徹底な勝利のまま、イスラエル軍は引上げてしまうことになった。

サムエル記上 15章1〜23

ペリシテ、アマレクからの解放独立ということは、イスラエルが王制という形で実現した挙国体制の、そもそもの目的だったから、次の作戦は当然アマレクに向けられた。サウルはこれらの作戦を、神の命令によって実行したのであるが、しかし今度の場合も、サウルの服従はいつものように不徹底で、イザという時に地金が出て、神のみこころよりも、自分の判断方針が先に立つ。とうとうこれが彼の致命傷となった。この前の時は、恐怖焦燥のあまりという事情もあったが、今回は誇りと物慾が動機だった。まことに芳しくない推移進展ではある。

サムエル記上 16章1〜13

サムエルの子供たちは愚かであって、人々の非難を受け、サムエルの後継者とはなり得なかった。サムエルによって任命されたサウル王は、不信仰不従順のため、神の祝福を失い、王として不適格であることは、すでに歴然としている。サムエルももうイヤ気がさして、不信仰、人間ぎらいになっても仕方のないところだが、今また神の示しに従い、少年ダビデに任職の油をそそぐ。しかも危険なのでサウルには秘密だ。老サムエルの信仰と勇気、忍耐とねばりは本当に大したものだ。

サムエル記上 16章14〜23

悪魔が人を誘惑する時は、人に大胆を与えて神をあなどらせる。さて人が神に背いて罪を犯すと、今度は、自責と恐怖と絶望で人の心をさいなみ、再び彼が神に立ち返ることがないように仕向ける。ここに「神から出た悪霊」というのは、自らその道を選んだサウルが、悪魔に苦しめられているのを神がしばらく放置なさる、その状態を言うのかも知れない。少年ダビデはその反対で、推薦されてサウルの従僕となるや、その純粋な信仰と美しいさんびは、憂愁のサウル王をなぐさめた。未来の大ダビデ王は、こういう奉仕者として聖書に姿をあらわす。

サムエル記上 17章1〜18

ペリシテの巨人ゴリアテは身長三メートル、上から下まで青銅のよろいで武装し、穂先の目方だけで七キロもあるやりをしごいて、イスラエル軍に挑戦すること四十日、サウル王はじめイスラエル全軍は萎縮して声も立てず、敗北は時間の問題と見えた。彼は教会の戦いの前に立ちふさがる悪魔と、この世の力の象徴である。我々が信仰生活を全うするのも、伝道して人を救いに導くのも、この場合のゴリアテに勝つのと同じ困難な戦いで、ただ神の力に頼る以外にないのだ。

サムエル記上 17章31〜49

ダビデはサウル王が貸してくれた、立派なよろいかぶとを辞退した。どんなに立派に見えても、使いなれず、身についていない物はかえって邪魔だ。そして日ごろから使いなれた石投げで、ゴリアテに立ち向かうことになった。そのかわり熟練した手で、なめらかな五つの石を拾って用いたのである。彼は「神のみ名によって」ゴリアテを倒し、イスラエルを勝利に導いた。我々は外見の立派な、大げさな武器で戦う必要はない。 子供っぽくても、しろうとらしくても、使いなれた手持ちの武器が良い。そして我々が「主のみ名」によって立つ時、必ず勝利が与えられるのである。

サムエル記上 18章1〜19

ダビデがゴリアテを打ち殺したことは、イスラエル軍大勝利のいとぐちとなった。過去に何回も同じような手柄を立てた王子ヨナタンは、ダビデを尊敬し、期待し、また深くダビデを愛した。その友情は終生変わらず、旧約を通じての美談となってゆく。これに反してサウル王の心には、国中に高まってゆくダビデの人気が、苦い嫉妬心の刺激となって受け取られた。他人の成功幸福の話は、ともすれば人の心に、嫉妬を呼び起こすものだが、この場合のサウル王の悲劇は、祈りのうちに、その心を神にきよめ整えて頂くことができなくなっていた事実だった。

サムエル記上 18章20〜30

ダビデは今や、サウル王の宮廷において、人気絶頂のスター的軍人だった。サウル王は彼と、王女メラブとを結婚させようとしたが、謙遜で慎重なダビデは、これ辞退した。ところが今度は、妹王女ミカルが、深くダビデを愛し慕っているので、ミカルとの縁談が始まった。ダビデはもともと愛に感ずる人物である。しかもこの縁談には、ダビデの勇気と戦斗力をテストするための、サウル王の軍事的命令が抱き合わせになっている。勇敢なダビデは引っ込んでそれを見送ることができない。とうとう命令をを実行し、かつミカルと結婚することになった。以後ダビデは危険の多い国境警備の任務につくが、これもまたサウル王に下心あってのことだった。

サムエル記上 19章1〜17

精神分裂でもあるまいが、今やサウル王の精神も言動もすでに分裂している。悔い改めない罪の呵責のために、霊的な暗黒の中にいて、神に祝福、助けを祈ることができず、信仰の確信もない。ヨナタンの忠告を聞けば、国王としての義務と責任に目覚める。この調子で、筋違いな嫉妬でダビデを憎み攻撃して行くようでは、やがては人望を失い、宮廷も国家も治まらなくなって、結局国王としての自分の将来のためにならない。それもよくわかるのだ。しかしそれでいて、ダビデに対する嫉妬がムラムラとして来ると、自分でもどうにも押さえることができな いのだ。

サムエル記上 20章1〜17

ダビデは罪もないのに、サウル王の追求を恐れて逃げまわらなければならない。いわゆるお尋ね者になってしまった。ひそかにヨナタンを訪問して、自分の苦しい立場を訴えると、ヨナタンは命がけで父サウル王に対して、ダビデを弁護して見ることを約束した。その結果、もし父王のダビデに対する憎しみが変わらないようなら、ダビデの亡命に賛成し、かつ援助を惜しまないことを約束した。本当に、持つべき者は良き友である。ヨナタンはまた、最近の父サウル王の様子から、やがてサウル一家の運命が決まることを予想し、しかし自分は父の子として、最後までサウル王と運命を共にすべきことを、悲しくも決意していたのである。

サムエル記上 20章26〜42

気の合った親しい友達との交わりは人生の喜びであるが、愛別離苦という言があるくらいで、人と別れるのは悲しい。 今ヨナタンとダビデは、まことに余儀ない事情で相別れなければならなかった。ギベアに近い野原での別離のあとこの二人は、ほとんど再び、合うことはないのである。やがてヨナタンは、父王サウルと共に戦死して、ダビデは国王となるが、二人の友情が本当に実を結び、自由で妨げられることのない、長い愛の交わりが許されるのは、天国においてである。

サムエル記上 21章1〜15

これからダビデは、泣いても泣き切れぬ、恐ろしく孤独な年月に耐えなければならなかった。今よろめくように祭司をおとずれ、秘密の公務であると偽って、供えのパンでわずかに飢えをしのいだのもやむを得ない。五尺の体の置き所のないまま、心ならずも異邦の王に頼ったが、そこでも身の危険を感じ、みっともない狂人のまねを真剣に演じて、かろうじて逃れたなど、身に覚えのない迫害と追求を避けつつ放浪する姿は、何とも気の毒の至りであった。

サムエル記上 22章1〜23

サウル王の悪政の下では、苦しみ不満を抱く者も多かった。彼らは、かねがね尊敬信頼するダビデが、自分たちと似たような悲劇に陥るのを見て、一つはサウル王を見張り、一つはダビデのために一肌ぬぐつもりで、次々とダビデのもとに集まって来たので、勢いのおもむくところ、ダビデはいつの間にか、相当な徒党の首領となるに至った。それにしてもダビデを追うために一国家の兵力を手兵の如く動員するのみか、ダビデの逃亡に手を貸したという訴えに対して、深く実否をただしもせず、こともあろうに、今のサウル王は狂乱状態という他ない。「嫉妬は骨の腐れだ」と言われるが、本当に恐ろしいことだ。

サムエル記上 23章1〜18

サウル王はダビデを追いかけるのに忙しく、兵隊はもっぱらそっちの方に動員されていて、肝心の国王本来の職務(国境の町々を外敵の侵略から守ること)などは、おさんからの有様だった。今、ダビデとその一党は、無冠、無報酬の身をもって、神より受けた命令に従い、施設パトロールとして国境を巡回し、町々を守った。それにもかかわらず、ケイラの町の人々のように、サウル王を恐れ、あるいはへつらって、ダビデを裏切り、サウル王に渡そうという者もいた。その間、危険を恐れず、もう一度だけダビデを訪れたヨナタンの友情は美しい。

サムエル記上 24章1〜16

ダビデは少年時代、すでに国王として選ばれ、サムエルによって油そそがれた人物である。サウル王はすでに神の祝福を失い、国王の職務を怠り、ただ自分の地位と権勢に執着し、軍隊をも手兵化している。これに反し、今や力に応じて、王の使命職務を、実質的に努めているのはダビデである。しかも理由なしに命をねらわれているダビデには正当防衛権もある。しかしダビデはチャンスがあっても、サウルに手向おうとはしなかった。そして自分の生命も、使命責任も、サウル王の裁きも、一切神にまかせた。

サムエル記上 25章1〜17

ダビデは集って来た数百名の手下をひきいて、施設国境パトロールを続けていたので、サウル王の怠慢にもかかわらず、国境の人々の生活は安全に守られた。これに感謝した有力な人々が、ダビデとその一党のために食糧その他を提供し、生活をサポートしたのは自然である。ところが中にはナバルのような人物がいて、いばったり欲ばったりするだけで、ダビデに対して、一向感謝の態度を示さず、協力しないものもいた。本当に、「馬鹿(ナバル)につける薬はない」と言うものだ。

サムエル記上 25章18〜38

ナバルの恩知らずと無礼に対して、ダビデとその一党が怒ったのは無理もないが、さればと言って、ナバルの家を襲い、人を殺し、略奪するのは良くない。それでは神の祝福も、人の信頼と指示も失い、後にダビデが国王になったとしても、これはその汚名となり、良心の痛みとなって残るのである。ナバルの妻アビガイルが、ダビデに忠告したのはそれであった。ダビデは彼女の言に従い、怒りの勢いにまかせて同胞の血を流すという、とんでもない間違いから守られたのであった。「正しい人の口は人を救う」箴言12章6

サムエル記上 27章

 いよいよ身の危険を感じたダビデは、よんどころなく国を出て、年来の敵国であるペリシテの王に頼った。その間、時々部下をひきいて、ともすればイスラエルを略奪しようとする、異邦の部落を襲撃した。そして帰って来ると、ペリシテの王には「私はサウル王に敵対しているので、イスラエルの町を襲撃して来たのです」と、うその報告をしてごまかしていた。しかし、こんな危い綱渡りいつまでも続くはずはなく、やがて本当に進退きわまる時が来る。事情まことに気の毒ではあるが、これはダビデの失敗であった。

サムエル記上 28章3〜20

 サウルがその心をかたくなにして、霊的暗黒の中に生活する間、神の祝福が失われてしまったことは、誰の目にもあきらかとなり、いかに無理な努力を重ねても、もはやあらゆる方面で行き詰まり、すでにその運命はきわまったのであった。その中で、サウルは、かつての信仰の恩師であったサムエルを慕って、自分が追放した口寄せの老婆を探してでも、サムエルの言を聞こうとする、その心根はあわれである。しかしサウルがサムエルから聞いたのは、結局、神の裁きの宣言であった。我々も、「罪の惑わしによって心をかたくなにせぬよう、今日という日々に、互に励まし合おう」ヘブル3章13

サムエル記上 29章

 ダビデは危険を避けて亡命はしているものの、かつて一度も、サウル王に刃向ったことはない。サウルはイスラエルの王で、神によって定められた秩序の代表者であるからである。しかるに今や、ペリシテ軍の一武将として、公然戦場で、サウル王と戦わねばならないはめとなった。幸いに他の将軍たちの猜疑心によって、前線から外されたが、読んでいる我々でも冷や汗の場面だ。こういうジレンマに陥らぬよう、我々にとっても、日々の祈りと注意は大切である。

サムエル記上 30章1〜20

 アマレク人は、火事場泥棒のような遊牧民で、戦争のうわさを聞くと、すぐに獲物を求めて、野良犬のように出て来る。今、早速、ダビデが出陣して手薄になったチグラグを襲って略奪した。ダビデのあいまいな態度は、すでに人々の信頼を失いかけていたので、この損失は、ダビデとその一党に結束に取って致命的な結果になりかねなかったのである。ダビデはすぐにアマレク人を追跡して報復し、奪われた家族や財産を取り戻すことができて、やっと事なきを得たが、さすがダビデも、亡命生活はもう限界で、これ以上はもちこたえられ相もない。しかし今、神は彼の為に「のがれるべき道」を備えて下さったのであった。

サムエル記上 31章

 サウル王とユダは、旧新約を通じて不思議な人物とされている。二人とも神の恵みを深く経験し、のちに神をはなれ、二人とも悲惨な最後を遂げたのである。これらは「我々に対する訓戒」となり「立っていると思う者が倒れぬよう」気をつけることをうながしている。コリント第一、10章。暗たんたるこの章の中の一つの美談は、前にサウルによって救われたヤベシ・ギレアデの人々が、昔の恩義を忘れず、命がけで敵陣を突破し、城壁にさらされていたサウルの死体を奪って、手厚く葬ったことだ。