館林キリスト教会

Contents

Top Menu

ショート旧約史 ダニエル書

「捕虜ダニエル」 ダニエル書1章1〜7

ユダの捕虜の中でも、貴族の師弟で、教育もあり容姿も美しい者は、強制労働などにコキ使われることをまぬかれ、バビロン風の再訓練のあと、宮廷に仕えさせられることになった。ダニエルたちもその中に選ばれたのである。ローマがギリシャを征服した時にも、奴隷にされたギリシャ人の方が、主人のローマ人よりも、はるかに教育があった。というようなケースが、いくらもできた。さてこれが、ダニエルたちにとって幸運であったかどうか。とにかく彼らは、立場の弱い捕虜の身で、バビロンの偶像に由来する文化や生活を学習させられることになり、しかもその間、自分の信仰を守らなければならなかったのだ。

「ダニエルの「ノー」」 ダニエル書1章8〜21

偶像に供えた肉を食べるのはバビロンで一般的なことで(ギリシャでも)それをことわれば、早速蛋白質不足になる。しかしダニエルは結果を神にまかせ、断固たる決意をもって、命がけで、その肉を食べることを拒絶した。しかし神はその間にも「耐えがたい試み」には会わせ給わなかった。すでにダニエルらは、その証の生活によって、責任者である宦官の長の信頼と愛顧を得ていたのだ。そこでダニエルたちの申し出は聞き届けられ、暫くの期間、経過をテストしてみることになった。神様のお守りによって、ダニエルたちは、別に栄養不良におちいることもなく、ほかの少年たちにくらべても血色が良かったから、テストの結果は上々と言うべきで、本当に神様は試練に際していつも「のがれる道を備えて下さる」のだ。実は案外、逆にダイエット的効果があったかもわからない。

「大王の夢」ダニエル書2章1〜24

バビロンは古代における、最初の世界帝国だと言われる。今その国を立て上げたネブカデネザルの満足や思うべしである。しかしその反面には、ここまで成功してくる間に、運命か、神の加護か、摂理か、そういうものを感ずること多く、決して自力だけで成功したわけではない、という感慨にも誘われたと思う。また今後は万事裏目に出て、言わば逆に見放された場合、自分はどうなるか、自分の帝国はどうなるか。先ゆきのことは誰にもわからない。それらの複雑な思いからか、ある夜王はまことに壮大な、しかも恐ろしい夢を見た。不安に耐えない王は早速翌朝、学問宗教その他で王に仕えている顧問たちを召集して、夢の意味の解明を求めたが、実力テストのつもりか、夢の内容そのものも話さないから、さあみんな困った。短気な王は激怒する。何をやり出すかわからない。災難は、今は同じく学問をもって王に仕えているダニエルたちにも及んで来る。

「夢の解明」 ダニエル書2章25〜49

ダニエルたちは心を合わせて神様に祈った。そして神様から、王の見た夢そのものと、その意味を示して頂いたので、翌日それを王に申し上げることができた。もともとこれは、神様がネブカデネザル王の心境を用いて、その夢の中に啓示された、世界帝国の推移のプログラム、プランニングなのである。神の摂理のうちに、バビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマ、その他、時代時代に役目を持つ世界帝国が起こる。同じく摂理のうちに、それらは次々に滅び、最後に神とキリストによる神の国が現出する。そのことが、巨像の夢の中で示されたのだ。これがダニエルによって解明され、そして聖書の中に記録されること。その預言の成就こそ、聖書が「神の言葉」であることの客観的証明ともなり、神を信ずる者に対する「世界歴史の時計」の役目となること、これこそ最初からの神様のみ心だったのだ。

「金の巨像」 ダニエル書3章1〜15

ネブカデネザル王は、非常に恐れ、平伏してダニエルの神をあがめた。そしてダニエルらに多くの贈り物を与え、ダニエルをバビロン全州の総督兼、全顧問官の長とし、シャデラク以下の友人たちをも、それぞれ高位高官に任じたのである。しかし人間の気持ちは複雑だ。彼は自分が「夢の中の巨像の、金の頭に当る」というダニエルの言葉に気を良くして、今、ドラの平野にその金の巨像を立てさせた。幅が2.5メートル、高さ250メートルと言うから、今、ロンドンにある、ネルソン像みたいなものだったろう。そして国中の人に命じてこれに礼拝せよということになった。

「たといそうでなくても」 ダニエル書3章16〜30

この時ダニエルは不在で、友人のシャデラク、メシャク、アベデネゴが、金像の落成式に出たが、これを礼拝することを拒否した。そして「火の燃える炉」に投げこむとおどかされた時「主はその火の中から我々を救い出すことができる。たといそうでなくても(もしそれが神のみ心であって、火の中で焼け死ぬ結果になるとしても)王よ承知されよ。我々は他の神々に仕えず、礼拝もしません」と言明した。「たといそうでなくても」の一語千鈞の重味がある。彼等は必ずしも神の保護あるいはご利益のみを期待しない、真の忠誠的信仰を告白したのだ。結果的には神は彼らを救って下さったが、この証に打たれたネブカデネザル王は、次第にまことの神の信仰に導かれてゆく。

「リカントロピイ」 ダニエル書4章1〜18

リカントロピイは「狼狂症」などと訳される一種の精神病だ。「自分は何かの動物だ」と思いこんで、そのように行動する。西洋の怪奇物語に「狼男」というのがあるが、あの話の出どころもこれだと思う。ネブカデネザルは成功の絶頂時、ある夜また不思議な夢を見て悩んだ。本人にはわからないけれども、彼がリカントロピイになる夢である。成功も王位も神の摂理によって与えられた賜物だ。高ぶって良い気になってはいけない。神のみ心ならば、王といえども王座から落ちて、一匹の動物のようになってしまうこともある。それを再び回復させて王位に登らせるとすれば、それもまた神の力である。神様は彼にこういう真理を悟らせようとなさるのだ。

「王の信仰告白」 ダニエル書4章19〜37

この章は、ネブカデネザル王の詔勅のコピーのような形式になっている。そしてその内容は、王の信仰告白である。ネブカデネザルはあの夢について、ダニエルの解明と忠告を受けた。しかしいつかそれも忘れて一年ばかりたったある日、王宮の屋上から、王城およびバビロン市の規模を見て「これこそ私の力で建てたもの、私の威光を輝かす物だ。何たる壮観か」と言った。その高ぶりの絶頂で、不意にリカントロピイにおそわれ、以後おそらく一週間、動物のように、王宮の庭園で暮らした。家来たちも遠巻きに見守るより方法はなかったろう。病気がなおって再び王座についた時、彼は本当に神の摂理と、信仰と謙遜の真理を学んだ。そしてそれを詔勅の形で布告したのだ。私はこの王は、ダニエルらの指導によって、救われた可能性があると思っている。

「ベルシャザル王の酒宴」 ダニエル書5章1〜16

ダニエルはネブカデネザルの死後、不敬虔で粗暴なベルシャザル王のころは、いくらかはばかられ、うとんじられて、閑職に退いていたようだ。ベルシャザル王の酒宴は、脱線、低下、いよいよ不道徳と神をけがす方向にエスカレートして行った。そして、ネブカデネザルがエルサレムの神殿から略奪して来た、金銀の容器で酒を飲もうということになった。ここに彼の、神とダニエル、そしてその感化を大分受けた、ネブカデネザルに対する、意識的な反抗蔑視の気分を見ることができる。突然、王の正面の壁に、巨大な指があらわれて、スルスルと文字を書きつけて消えた。王を始め、一座恐怖で真青になった。そして、ダニエルのことをよく記憶していた王妃の進言によって、ダニエルが呼び迎えられることになったのである。

「メネ・メネ・テケル」 ダニエル書5章17〜31

ダニエルは静かに、ネブカデネザル王が、詔勅形式の信仰告白を発表するに至った、神のお取り扱いのいきさつを語り、それを知りつつ、快楽と不道徳のあまりに神を汚そうとする、ベルシャザル王の態度をたしなめた。その解明によれば、壁に記された文字は「メネ・メネ・テケル・ウパルシン」と読む。これによって、ベルシャザル王の罪は計量され、その終りの日が来て、王は裁かれ国は滅亡するということを、神がお示しになったのだ。そのころ、メデヤのダリヨスは名にし負うバビロン城を奇襲するため、水道の中に軍隊を進めていた。そしてその夜、いきなり城の中央部から戦争を展開したので、遂にバビロンは陥落し、ベルシャザル王は殺された。

「毎日の祈り」 ダニエル書6章1〜15

ダリヨス王はかえってダニエルを尊敬信頼し、重く用いることになったので、部下の総督たちはこれを嫉妬し、ダニエルを陥れようと、いろいろとねらったが、何を訴えるスキも、口実も見つけることができなかった。そこで仕方なく、ダニエルの忠実な信仰生活、祈りの生活を攻撃材料にする方法を研究することにしたのである。これを見ても、ダニエルがいかにすばらしい主の僕だったかと、つくづく思われるのだ。彼らの考えた方法は、事務、裁判の整理というような名目にことよせて「一切の志願、訴願を30日間停止する」という命令書を作って王に署名させることだった。「神にも」というような形容は、何気ないような調子で加えたのだろう。これは王様も一緒に落し穴にかけたようなものだった。

「獅子の穴」 ダニエル書6章16〜28

臨時の勅令がそれをねらったものとは、さすがのダニエルも気がつかなかったかもしれないが、もし気がついたとしても、1日3回の公式の祈りをやめるつもりはなかった。そしてこれが「勅令に対する違犯」というかどでダリヨス王に訴えられたときは、かえってダリヨス王があわてた。王もいろいろ研究努力してダニエルを助けようとしたが、成功せず、結局勅令通り、ダニエルを獅子の穴に投げ込ませたが、その夜は食事もせず、眠れもしなかった。しかし神はダニエルを獅子の危害から守ってくださったのであった。