館林キリスト教会

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ショート新約 テトスへの手紙

「テトスへの勧め」 テトス 1:1〜9

 テトスは、ローマの獄中から釈放されたパウロと共にクレテ島を訪問したようです。クレテの教会は、聖書が教える健全さを失いつつあったので、パウロはテトスをクレテ島に残し、その再建にあたるようにしたのです。また長老たちを選任するように命じています。なぜならクレテの人々は「クレテ人は嘘つきで、たちが悪く、怠け者で食いしん坊、と言う非難はあたっている」(12,13節)と書いてあるような状況にあったからです。ですから、選任される長老たちは、特に、家庭生活、個人生活において、責められたり非難されたりすることがなく(6〜8節)、またみことばに対しては真実な者でなければならない(9節)と、テトスに勧めて書いたのです。(伊藤)

「クレテの反対者」 テトス 1:10〜16

 10節からは、クレテ教会の現状が具体的に記されていきます。パウロは、ここで教会を荒らす反対者の特徴を3つの言葉で示しています。第一のものは、「法に服さない者」、即ち、教会の定めを、ばかにしている人々です。第二のものは、「空論に走る者」であって、ただおしゃべりをしている人々です。第三のものは、自分自身が迷っている人々であって、従って、「人の心を惑わす者」です。これらは、特に「割礼のある者」、即ちのキリスト教に改宗したユダヤ人の中に多かったようです。彼らは口で言うことと行うことが違い、クリスチャンの家庭を破壊していたのです。パウロは、こういう人々に対して、健全な教えを正しく説くことで、彼らの口を封じるようにテトスに命じているのです。(伊藤)

「信仰と生活の調和」 テトス 2:1〜10

 クレテの人々の多くは自堕落な生活を送っていたようです。パウロはこのことを考えながら、テトスに向かって健全な教えを説くことを勧めています。パウロは、信仰が生活の中で現されなければならないと信じていたので、テトスに対し、年老いた人々について(2〜5節)、若者について(6節)、奴隷について(9,10節)、彼らに何を勧め、どのようにふるまうべきかを教えているのです。そして、これらの人々に対して、彼ら自身の生活と態度と、なすべきことに忠実であるように勧めています。この手紙は、良いわざの重要性が強調されています。2章にも「良いこと」「善良」「良いわざ」などの言葉が書いてあります。私たちは良いわざによって救われたのではありませんが、良いわざをするために救われたのは確かです。(伊藤)

「救主なる神」 テトス 2:11〜3:6

 イエス様はナザレの村で少年時代をおくられました。その様子は聖書に短く記されています。「イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された」ルカによる福音書2章52節。やがて十字架でお亡くなりになるまでのイエス様のご生涯について、聖書には次のようにあります。「わたしたちの弱さをおもいやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試練に会われたのである」ヘブル人への手紙4章15節。このイエス様について「救主なる神」(3章4節)と記されています。イエス様は人としてこの地上に生きてくださいましたが、同時に神様でいらっしゃるのです。私たちは、このお言葉からそれをよく知ることができます。  (市川)

「良いわざについて」 テトス 3:6〜15

 8節の「この言葉は確実である」とは、前述を指すもので、人が根本的に新たにされるのは、キリストを信じ、聖霊を注がれたことによるということです。しかもキリストは、信じる者を良いわざに熱心なものとするお方です。だからパウロは、テトスがこれらのことを主張するように望み、クリスチャンに「努めて良いわざを励むことを心がけるよう」(8節後半)勧めたのです。ルターは、信仰と良きわざについて、ローマ書講解序文で「わざを信仰から区別することは、燃えることや輝くことが火から区別されることの不可能なように、不可能だ」と記しています。また、14節の「良いわざ」が、新改訳聖書では「正しい仕事」となっています。よって「良いわざ」とは、慈善的なわざだけでなく、「正しい職業」もさしていると言えるのです。(伊藤)