館林キリスト教会

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ショート新約 ピリピ人への手紙

「福音の交わり」ピリピ人への手紙1:1〜11 1999年4月18日

 ピリピ人への手紙は4章、104節、5504字で組みたてられています。通読するのにわずか15分くらいで、新約聖書では比較的短い手紙です。ところがその内容の豊かさと深さは計り知ることのできないものがあります。主イエス・キリストの救いにあずかったパウロがどのように生きたか、自分の信仰体験を通して生き生きと述べられているからです。この手紙はローマの獄中で書かれたと言われています。7節には「わたしが獄に捕らわれている時にも、あなたがたをみな、共に恵みにあずかる者」と記されてあります。こうして11節まで、困難の中にあっても喜びの涌き出てくる「福音の交わり」に預かる素晴らしさを教えているのです。(伊藤)

「福音の前進」ピリピ人への手紙1:12〜21 1999年4月25日

 パウロは監禁状態でした。しかし、これさえも喜んでいました。なぜなら「パウロはキリストのために監禁された」と周囲の人々に知れ渡り、その結果、福音が広くローマに伝えられるに至ったからです。さらにまた、各地の兄弟たちに新しい確信を与えました。彼らは今までよりもっと大胆に、自由に、恐れないでみことばを語るようになったのです。さらに、パウロはどんな理由にせよ、このようにキリストが宣べ伝えられていることを喜びました。また、これらはパウロ自身の救いでもありました。神様の福音のお働きに役立ち、彼の霊的健康と幸福のためにも役立ったからです。パウロが常々願っていたのは、生きている間はこの監禁の結果のように、キリストが崇められること。またここで死ぬなら、永遠の栄光を獲得するのですから、それも幸いであり、有益だと告白しています。(市川)

「福音に生きる」ピリピ人への手紙1:22〜30 1999年5月9日

 パウロの願いは「この世を去ってキリストと共にいること」でした。しかし自分の願いより,神のみこころを優先すべきことをよく知っていました。そして祈りのうちにパウロは、教会の人々の信仰の成長と喜びのために、なお生きることが最善と導かれたのでした。パウロは獄中でこの手紙を記しています。クリスチャン生活は戦いであるということをよく知っていました。ですから信仰の戦いを守っていくために、第一に「福音にふさわしく生活」すること、つまり「節操ある生活」をすること。第二に「一つの霊によって堅く立ち」「一つ心になって」とあるように,一致協力していくこと。第三に、苦しむことをも含めて全ては神から来るのであるから、確信をもって歩むようにと勧めているのです。(伊藤)

「キリストの謙卑」ピリピ人への手紙2:1〜11 1999年5月23日

 獄中のパウロがピリピ教会に願ったのは、兄弟姉妹が心を合わせ一つ思いになることでした。「わたしの喜びを満たしてほしい(2節)」。それによってパウロは何物にも変え難い喜びに満たされるのです。「一つ思い」になるには「へりくだった心」が鍵です。パウロは5節以降に「へりくだり」の最高のお手本を挙げます。それこそキリストの謙卑のお姿です。キリストは神と本質的に一つであられますが「神と等しい」というこの事を固守したいとはお思いになりませんでした。その全ての特権と正当な威厳をお捨てになって人間の姿になり、さらにへりくだって死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで謙遜と服従を貫かれたのです。このキリストをあなたがたの謙遜のお手本としなさい。(市川)

「救いの達成」ピリピ人への手紙2:12〜18 1999年6月6日

 12節で使われている「救い」は、義とされるという意味の「救い」ではなく、クリスチャンとしての成長を意味する「救い」です。パウロは、その救いの達成に努めなさいと言ったのです。そしてその志しを与え、願いをかなえてくださるのは神様なのですから、すべてのことをつぶやかずに、疑わずに、するように励ましたのです。この証しが全うされるためにパウロは3つのことを勧めています。その第一は「あなたがたが責められるところのない者となるように」、第二は「純真なものとなるように」、第三は「傷のない神の子となるように」、ということです。そうすれば、いのちの言葉を堅く握っているクリスチャンと教会は、この世の人々の間で輝き、栄光を現わすことができるのです。(伊藤)

「同労者テモテ」ピリピ人への手紙2:19〜25 1999年6月20日

 テモテはパウロの同労者、忠実な協力者でした。ある時は共に働き、ある時はパウロに派遣されて、地方の教会で働きました。今、テモテはパウロと一緒にいます。パウロはまもなく自分もピリピに行くつもりだが、その都合がつくまで、さしあたりテモテをピリピ教会に送りたいと書いています。ピリピ教会の様子を知って励まされたいという気持ちと同時に、教会にとっても、パウロとテモテの指導と奉仕が必要でした。パウロは「テモテがあなたがたのことを、親身に心に掛けていること、いつもキリストのみ心を求めつつ労苦していること、錬達した働き人で、子が父親に仕えるようにパウロと共に福音を伝えてきた」とテモテを推薦しています。(市川)

「使者エパフロデト」ピリピ人への手紙2:25〜30 1999年7月4日

 エパフロデトはピリピ教会の信徒です。彼は教会を代表して、贈り物を獄中のパウロに届け、パウロの手伝いをするためにピリピからローマまでやってきました。そこで彼は、ピリピ教会の人々の分まで奉仕しようと必死で働いたのですが、過労のために重態に陥ってしまいました。エパフロデトは、病気のためにパウロの役に立たず、教会の期待にも応えられず、またみんなに心配をかけたことを心苦しく思っていました。しかしパウロは彼を「わたしの同労者で戦友である兄弟、また、あなたがたの使者」と賞賛しています。パウロは病から回復したエパフロデトを、ピリピ教会に大急ぎで送り返しました。その時に、パウロが感謝の意を込めて彼に持たせたのが、この「ピリピ人への手紙」なのです。(伊藤)

「価値転換」ピリピ人への手紙3:1〜9 1999年7月18日

 パウロはかつて自分も執着し、いまもなおユダヤ人クリスチャンが特に陥りやすい「ユダヤ主義」を警戒しなさいと言っています。かつての「ユダヤ主義」時代のパウロは、律法が要求する義について落ち度のない者であると誇っていましたが、今はキリストを信じる信仰による義を受け入れ、この信仰に立脚していると証しています。3節で、「神様の霊によって礼拝し」「キリストを誇り」「肉を頼みとしない」すなわち「人間的な誇りを頼りにしない」ことが、真の信仰であると教えます。続いて彼のユダヤ教時代の誇りを数え上げ、有益でかつ輝かしかったこれらの誇りを今は損失と思い、ふん土と感ずると言います。なぜなら、パウロはキリストを信じた故に「キリストを知り続ける」貴重な特権、圧倒的な価値を得たからです。(市川)

「キリスト者の生き方」ピリピ人への手紙3:8〜16 1999年8月1日

 8節で、パウロはキリストを知る知識の絶大な価値を証しています。これはすべてのクリスチャンにとっても、大変価値のあるものです。それはパウロが、どんなに律法を守り善行を積んでも得られなかった真の救いを得、神からの義を受け、復活の力を知り、伝道の苦難によって主の働きに参加できる喜びを知り、死者の中から復活に達し得る確信と希望を持つことができたことによるのです。さらにパウロは、クリスチャンの生き方を、当時ギリシャで行われていた徒競走にたとえて、「後ろのものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ……キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めている」と証し、勧めました。(伊藤)

「国籍は天に」ピリピ人への手紙3:17〜4:3 1999年8月15日

 パウロは「わたしたちキリストに従う者たちを模範にしなさい、なぜならキリストに敵対して歩んでいる者が多いから」と勧めています。日本の国籍を持つ人は、日本の法律の規制を受けると同時に、その法律によって保護されます。国籍が天にある者は、「神様のお言葉に従う」という生き方の規律があると同時に、同じ神様のお言葉のなかに、神様の保護と祝福が約束されているのです。さらに彼らは、主イエス・キリストの再臨とそれに伴う栄化の望みに生きる幸いを受けています。ですから、知らず知らずこの世の生き方に巻き込まれ、同化してしまうことがないよう「主にあって堅く立ちなさい」と警告しました。また2節で特に、ピリピ教会の、ある二人に、一致と協力を保つよう願っています。(市川)


「思い煩うな」 ピリピ人への手紙4:4〜9 1999年8月29日

6節に「何事も思い煩ってはならない」とあります。母親は、子供が学校でいじめに遭ったりしなければよいとか、受験生を持つ家庭は、希望する学校に合格できるかとか、父親は、仕事や生活等で思い煩ったりします。だれにも大なり小なり、心配事、不安、思い煩いはあります。問題は、これらの思い煩いに対してどのように対処し、処理するかです。パウロは6節後半で「ただ、事ごとに、感謝をもって祈りと願いをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい」と勧めています。祈りとは、神との会話、交わり、神に対する呼びかけです。ですからいつも祈りをもって、神のみこころに焦点を合わせて行く時、私たちの心に神の平安がもたらされ、それが生きる力となるのです(伊藤)

「キリストの充足」ピリピ人への手紙4:10〜17 1999年9月12日

 パウロはピリピ教会の贈物に感謝し、彼らの、主の働き人を支える姿勢を喜んでいます。今回エパフロデトに託して届けられたピリピ教会の捧げ物は時期に適っていたのです。パウロが伝道を始めた最初から、パウロを忠実に支えたのはピリピ教会だけでした。しかし、パウロは、貪欲に物を求めるのでも、物質に左右されるのでもないと言います (11〜13節) 。貧しくても、豊かでも、飽き足りる時、飢える時、どのような環境でも、あらゆる状態に対処する秘訣を、キリストにあって習得した。だからどんなことにも耐えて、奉仕する用意があるのです。すなわち「私はキリストの充足のうちに自足しています」と。(市川)

「かんばしい香り」 ピリピ4:16〜23 1999年9月26日

 パウロは、ピリピ教会からの贈物が、パウロの必要を十分に満たしただけに留まらず、「それは、かんばしい香りであり、神の喜んで受けてくださる供え物である」(18節)と言って、これが同時に彼らの霊的祝福となっていることを述べています。「かんばしい香り」とは、旧約時代に献げられた燔祭が「神を喜ばせる」という意味で「こうばしい香りの捧げもの」と言われたことを引いています。同時に「燔祭」は献身を意味します。ある人は献金の祈りの時「献身のしるしとして」と祈りますが、ピリピ教会の兄弟姉妹もそうした気持ちで贈物をしたのです。だから神様は、この贈物をご自分に献げられた物としてお受け入れになったでしょう。ピリピ教会の贈物は、旧約時代に祭司が燔祭を神にささげる時のような、真心のこもった「かんばしい香り」の漂うものだったのです。(伊藤)