館林キリスト教会

Contents

ショート新約 テサロニケ人への第一の手紙

「信仰、希望、愛」 テサロニケ第一 1:1〜7

 パウロたちは、ピリピ伝道の後テサロニケに向かいました。ここはマケドニヤ(今のギリシャ北部)の首都で最も人口の多い中心地でした。パウロは会堂で約三週間福音を語りその結果、幾人かのユダヤ人と多数のギリシャ人や貴婦人たちがパウロたちに従いました。しかし多くのユダヤ人はこれを妬み、混乱と迫害が起こったのです。パウロたちはテサロニケに留まることが出来ずベレヤに向かいました。アテネ伝道の後、コリント伝道を開始したパウロは、ここからテサロニケ教会に手紙を送ったと言われています。3節。主にある働きは「信仰」によって引き起こされます。「愛」に鼓舞され、骨惜しみしない労苦を喜び、やがてキリストにお会いする「望み」に励まされ、彼らは前進していました。(市川)

「偶像を捨てて」 テサロニケ第一 1:6〜10

 テサロニケに伝道したパウロは、ユダヤ人の迫害によってこの町を離れなければなりませんでした。しかし、そこで生まれたクリスチャンたちが、サタンの誘惑と困難と迫害に耐えられるかどうか、心配でたまらなかったのです。それでパウロは、彼らに対する励ましとその様子を知るために愛弟子のテモテをテサロニケへ遣わしたのです。テモテの報告は、彼らが福音に堅く立ち、彼らが伝えるみことばと信仰とは、雷鳴のように響き渡り、周囲のギリシャの町々に広まっているということでした。そして、それほど評判になっていた彼らの信仰の中でも、特に際立っていたのは、彼らが「偶像を捨てて神に立ち返り、生けるまことの神に仕える」(9節)ようになったことでした。きっぱりした偶像との決別が、彼らの信仰を堅固なものにし、多くの祝福の実を結ぶに至らせたのです。(伊藤)

「神の福音」 テサロニケ第一 2:1〜8

 パウロとシルワノ(シラス)はピリピで福音を語った為に、公衆の面前で何度も鞭打たれ足かせをかけられ投獄されました。二人ともローマ市民権があったにもかかわらず正しい裁判にもかけられなかったのです。解放後、パウロたちは神の力によって勇気を奮い起こし、今度はテサロニケに向かい福音を語り続けました。テサロニケでも同胞ユダヤ人から激しい迫害を受けた為、救われたばかりのクリスチャンたちを残してベレヤに逃れざるを得ませんでした。このユダヤ人たちはベレヤにまで押しかけて群衆を扇動し再び騒ぎを起こしたのです。パウロは言います。「私たちは福音を神から託されたので、人に喜ばれるためでなく、神に喜ばれるように語るのである。」テサロニケを訪れたことは無駄ではなかった。彼らは聖霊による喜びをもって御言を受け入れ、偶像を離れ、生ける真の神様に立ち返ったのですから。(市川)

「父、母のように」 テサロニケ第一 2:6〜12

 ここには「父のように、母のように」という比喩で、使徒と教会の関係を描いています。パウロは、テサロニケ伝道において救われた霊の子供たちに対し「母が子供を育てるように、やさしくふるまった」(7節)のです。それは、「自分のいのちまでもあなたがたに与えたい」(8節)ほどのものでした。神の愛に最も近い愛は、母の愛だとよく言われます。パウロはその母のような愛で彼らを導いていったのです。それと共に、テサロニケ教会の人々がよく承知しているように、「父がその子に対するように」(11節)彼らを導いていったのです。そこには父親のような威厳をもって、正しい道に導こうとするパウロの姿勢が表れています。ですから、神のみこころに添わないことは厳しく叱責をしたのです。教会は、こうした父と母のような、厳しさと優しさの中で養われていくのです。(伊藤)

「神の言」 テサロニケ第一 2:13〜20

 ユダヤ人たちは、旧約時代には遣わされた預言者たちを迫害し殺し、やがて救い主キリストが地上においで下さったにもかかわらず十字架につけました。今もパウロたちを迫害し、救いの言葉を語るのを妨げているのです。テサロニケやベレヤでのユダヤ人の騒動と迫害が生々しく思い起こされます。しかし、テサロニケのある人々は、パウロの説いた福音の言葉を「神の言」として信じ受け入れたのです。確かに、事実、福音は神様が人間に啓示して下さった尊い救いの言葉です。御言が、聞いた彼らに、信仰によって結びつけられたのです。パウロは「この神の言は信じるあなたがたのうちに働いている」と真の神に仕える彼らを喜び、感謝を捧げています。パウロは苦難を遙かに越える喜びと誇りを抱いて「キリストの来臨の時、あなたがたこそ私たちの望み喜び冠です」と記しています。(市川)

「パウロの慰め」 テサロニケ第一 3:1〜10

パウロは、誕生したばかりのテサロニケ教会が、迫害と困難の中にある報告を聞きました。パウロは、彼らに対して信仰生活に艱難が伴うことを教えてありました。しかしやはり親心、いても立ってもいられない気持ちで、アテネ伝道をさておいて、愛弟子のテモテを遣わすことにしたのです。テモテの任務は言葉と模範によってテサロニケのクリスチャンたちを支え、信仰を維持し、成長させることでした。パウロたちの祈りは、実際に助けを生み出す祈りとなっていったのです。テサロニケ教会についてのテモテの報告は、パウロを大いに喜ばせました。なぜならテモテがパウロに、教会は信仰と愛に踏み留まっており、困難にも挫けず、信仰に堅く立っていると知らせたからです。パウロは依然として伝道の困難の中にありましたが、彼らの信仰の姿勢によって慰めを受けたのです。(伊藤)

「清い生活」 テサロニケ第一 3:11〜4:8

 イスラエルの早春に咲くアーモンド(あめんどう)の花は桜に似ている相です。日本では、桜の季節が終わり新緑の美しい季節を迎えています。爛漫の桜、目の覚めるような新緑に誰でも感動します。私たちはまた、親切を受ければ心温まり、善い行いをすれば嬉しくなります。反対に喧嘩をすれば、その時スカッとしても、苦しいイヤな気持ちを抱え込むことになります。私たちは何故このような心の動きをするのでしょうか。神様は愛であり、善であり、正しい方です。神様は私たち人間を神様にかたどって造りましたから、私たちは、神様がお造りになった自然界の花々や木々を喜び、感動するのです。親切を受ければ心温まり、善い行いをすれば嬉しく、罪を犯せば苦しむのです。そして神様は聖い方ですから、私たちは、清い生活に喜びと幸福があることを見出すのです。(市川)

「再臨の備え」 テサロニケ第一4:9〜12

 テサロニケ教会のことを心配したパウロは弟子のテモテをテサロニケ教会に派遣しました。そのテモテが持ち帰った報告は、パウロに対する変わらない好意と、彼らが信仰に堅く立っているということでした。しかし気にかかる報告もありました。その一つが再臨に対する誤った考えです。テサロニケ教会のある人々は、主の再臨がすぐにでも来ると考え、働くことをやめ、日常生活のあらゆる仕事を放棄してしまっていたのです。パウロは、主の再臨に対するこのような誤った待望に対して、「落ち着いた生活をし、自分の仕事に身を入れ」(11節)て働くように命じたのです。主の再臨に対する最良の備えは、何か特別なことをするのではなく、日常のことを誠実に果たし続けることによるのです。(伊藤)

「主の再臨」 テサロニケ第一4:13〜18

 パウロは、私たちは主が十字架で死に、復活なさったことを信じているのだから、主を信じて亡くなった人々について心を痛めないでほしい、主が教えて下さった真理をしっかり心に留めていてほしいと語ります。主キリストの再臨に伴ってどのようなことが展開するのか続いて語っています。やがて主が天から来られる時、すなわち再臨の時、キリストにあって地上の生涯を終わった人々がまず第一によみがえります。それから、その時まだ地上に生き残っている人たちと死からよみがえった人たちが、空中で主とお会いするために、一緒に雲の中に引き上げられます。こうして、主キリストにお会いした喜びと、互いの再会の喜びのうちに、永遠にわたって共にいるのです。なんという希望に溢れた確信の言葉でしょうか。(市川)

「再臨の時期」 テサロニケ第一5:1〜11

 テサロニケ教会では、主キリストの約束された再臨の時期について、「主の日はすでに来た」とふれまわり、日常の仕事をなおざりにするような者が起こりました。また主の再臨に先立ってこの世を去った兄弟たちは、栄光と幸いにあずかれないのではないかといった不安と悲しみが彼らの間に起こりました。パウロはこのような間違いを正すと共に、キリストの再臨の時は、盗人のように突然来るが、神を信じる者は光の中を歩んでいるので不意に襲われる事はないと教えたのです。しかし再臨がいつ来ても大丈夫なように備えることは大事です。その備えとは、信仰の「目を覚まし、慎んでいる」ことで、それは「信仰と愛との胸当てを身につけ、救いの望みのかぶとをかぶって」武装する信仰生活の中に全うされていくのです。(伊藤)

「喜び、祈り、感謝」 テサロニケ第一5:12〜28

 パウロは第二次伝道旅行で最初のヨーロッパ大陸伝道に携わり、マケドニヤのピリピやテサロニケに福音を携えて行きました。この手紙の「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」(16〜18節)は有名なお言葉です。今パウロはコリントからこの手紙を書いていますが、少し前には伝道のためにピリピで投獄されました。鞭打ち、不当な投獄、足かせと鎖を掛けられたまま「パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけた」(使徒行伝16章25節)のです。真夜中、突然の大地震で扉は全部開き囚人たちの鎖は解けてしまいましたが誰も逃げず、かえって、この時、獄吏と家族がキリストの救いに預かったのです。このように、パウロの一言に信仰と神様の恵みの事実が込められています。(市川)