館林キリスト教会

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ショート新約 ユダの手紙

信仰の戦い  ユダの手紙 1〜7 2003年6月8日

 この手紙の目的は3節、4節にあります。「不信仰な人々がしのび込んできて」「神の恵みを放縦な生活に変え」「唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定している」(4節)からでした。ですから、どうしても手紙を書き送る必要がありました。「聖徒たちによって、ひとたび伝えられた信仰のために戦うことを勧める」(3節)ために。そして「思い起してもらいたい」(5節)と、かつて主がイスラエルの歴史においてなさったお取り扱いに目を留めさせています。ヨハネ福音書14章26節に「助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう」と主の助けが記されています。さらに堕落した御使たちおよびソドム、ゴモラは永遠の火の刑罰についての警告のための見せしめであり、神の裁きが不義を愛するすべての人に及ぶことを明記しています。        (市川)
 

神に会う備え  ユダの手紙 7〜16 2003年6月15日

 にせ兄弟たちは主を否定し、そしるのですが、聖書は御使のかしらミカエルさえ論争をさけ主に裁きをゆだねたとあります。論争はしばしば悪魔に捕えられる危険があるのです。さらに彼らについて「カインの道」「バラムの惑わし」「コラのような反逆」という旧約聖書の出来事を引用しています。「カインの道」とは弟アベルを殺したカインの利己心と神様への不正な態度を、「バラムの惑わし」とはバラムが偶像礼拝をし民に罪を犯させたこと、「コラのような反逆」とは指導者モーセに反逆したコラを指しています。「水なき雲」とは砂漠地帯では雨を待ち焦がれます。雲が出て雨を期待しても風に吹き流されて一滴も降らない、当てにならないことを、「さまよう星」とは真理から迷い出た無軌道な生き方を表します。主の再臨は裁きの日です。主を恐れずに犯した行いと、荒野の民のように主に逆らった言葉についても裁きが行われると記されています。今は恵みと猶予の時です。謙遜に罪をお詫びし主の十字架の尊い血によって清めていただき「あなたの神に会う備えをせよ」(アモス書4:12)というお言葉を心に明記して歩まなければなりません。     (市川)
 

神聖な信仰 ユダの手紙 17〜25

ユダは愛するこの手紙の受取人に対して、5節から16節で旧約聖書を引用して裁きと信仰について語りました。今度17節では、わざわざ主イエスキリストと付け加え、使徒たちが神から任ぜられた権威ある使徒であることを明記し、彼らの教えに従うように勧めています。使徒たちが教えたことばの中に、「終わりの時」を予告するしるしとして、分派や御霊をもたない偽キリスト者が出ることが告げられています。しかし、真のキリスト者は「神聖な信仰」(20節)を土台として、自分の信仰生活を築き上げるように命じられているのです。この信仰は、イエス様から使徒たちへ、使徒たちから教会へ、教会から私たちへと伝えられてきたものです。だから私たちは「聖霊によって祈り、神の愛の中に自らを保ち、永遠のいのちを目あてとして、」(20〜21節)信仰によって歩むように勧められているのです。(伊藤)