館林キリスト教会

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ショート新約 1〜14章

祝福の基  1:1〜17 2004年9月5日

今週から、新約聖書の最初、マタイによる福音書を交読することになりました。カタカナの人名が並び、読むことが大変ですが、ゆっくり交読しましょう。ユダヤ人は系図を重んじました。離散しても系図がはっきりしているならユダヤ人と証明できます。そのユダヤ人に、系図を示して、イエス・キリストはユダヤ民族の先祖、信仰の父アブラハムの子孫としてお生まれになったこと、ダビデ王家の子孫としてお生まれになったことを知らせています。聖書には、神様がアブラハムの子孫によって全世界を祝福なさること(創世記12章等)、ダビデの子によって王国を堅くする(サムエル記下7章、詩篇89篇等)とあります。十字架の死と復活によって、信じる者を救い、尽きない祝福を与えて下さるイエス様こそ「祝福の基」なる方、そして永遠の神の国の王でいらっしゃいます。 (市川)

罪から救う者  1:18〜25 2004年9月12日

イエス・キリストの誕生に関して、ルカによる福音書にマリヤの様子が記録されています。ここにはヨセフの様子が記されています。ユダヤの社会で婚約は法律上結婚と同じ意味をもちました。結婚の契約を守らない者には死が定められていました。マリヤのために、ひそかに離縁しようと決心したヨセフに主の使は「‥胎内に宿っているものは聖霊によるのである」と告げました。23節「おとめがみごもって男の子を産むであろう」とは、旧約聖書イザヤ書のお言葉です。長い間預言されてきた救い主は、時満ちて、聖書の預言のお言葉どおりおとめであるマリヤによって誕生しました。「彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである(21節)」キリストこそ、信じる者の罪を許し永遠の滅びから救ってくださる救い主なのです。 (市川)

博士達の礼拝  2:1〜15 2004年9月19日

日本でもクリスマスを祝う人々は多いが、その真の意味を知って、教会で祈りと感謝を持って迎える人は少ないと思います。このキリストの降誕を伝える聖書記事で印象に残るものの一つは、博士たちをエルサレムへ、そしてベツレヘムに導いた、あの不思議な星のことだと思います。キリストが生まれた頃、遥か東に大国ペルシャがありました。旧約聖書には、エステルというユダヤの娘がこの国の王妃となって、全国のユダヤ人を虐殺から救ったと書いてあります。博士たちは、この国の祭司でした。マギと呼ばれ、医術、占星術、錬金術に優れ、王の顧問として国政にも参画する、当時の世界で最高のインテリでした。彼らはギリシャ語訳旧約聖書(セプチュアジュント)を読んで、救い主の預言を知り、そこに記された不思議な星の出現を観測したので、預言の成就を確かめ、また救い主にお目にかかるため「千里を遠しとせず」はるばるユダヤにまできたのです。(伊藤)

幼児虐殺  2:16〜23 2004年9月26日

フランスの哲学者でキリスト者のパスカルは「パンセ」の中で、マクロビウスの言葉を次のように紹介している。「ヘロデが殺させた二歳以下の子供たちの中に、ヘロデ自身の子供もいたことをローマ皇帝アウグストは知った時にこういった『ヘロデの息子になるよりは、ヘロデの豚になるほうがましだ』と。(ユダヤ人は宗教的な理由から豚を食べない)」。ヘロデは博士たちに幼子が見つかったら拝みに行くから知らせてくれるようにと騙した。しかし博士たちは「夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った」(12節)。ヘロデは博士たちを騙しておいて、自分が騙されたと知った時、狂人と化した。そしてヘロデは「ベツレヘムとその付近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した」(16節)。この幼児たちは、人類の罪を贖うために来られた救い主イエス様の最初の殉教者となった。(伊藤)

バプテスマのヨハネ 3:1〜12 2004年11月7日

バプテスマとは洗礼のことです。人々に洗礼を授けた人なのでこう呼ばれています。福音書を書いたヨハネは別の人です。人々はぞくぞくとヨハネのもとに来て自分の罪を告白し洗礼を受けました。ヨハネはある人々に対して特別に厳しい言葉で罪を指摘しました。ヨハネは自分の後においでになる方が聖霊と火によってバプテスマを授け、打ち場の麦をふるい分けなさると告げています。救い主キリスト様は裁き主でもいらっしゃるので、やがての時、すべての人間をふるい分けなさるのです。消えない火とは永遠の裁きの火です。裁き主であるけれども、永遠の滅びから救ってくださる救い主でもいらっしゃる方がおいでになるので心備えをしなさいと教えました。その備えとは、悔い改め、すなわち心も人生の歩みも曲がっているところは、まっすぐにしなさい、そしてキリストを信じ従うように勧めたのです。(市川)
 

キリストの洗礼 3:13〜17 2004年11月14日

ヨハネによる福音書には、ヨハネが自分の方に来られるイエス様を見て「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言っています。また「わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである」とも言っています。神のひとり子イエス様は初めからいらっしゃった神様ですからヨハネはこう言ったのです。長く預言されていた救い主が今おいでくださったのです。イエス様は、罪のない聖い方ですから悔い改めの洗礼をお受けになる必要はありませんでした。しかし「今は受けさせてもらいたい。…すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」とおっしゃり、水から上がられると神の御霊がはとのように下り、天から声があり、この方こそ神の子、救い主だと証されたのです。(市川)
 

荒野の誘惑 4:1〜11 2004年11月21日

  有名なこの「荒野の誘惑」の記事は、イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼を受けられた時、天から「これは私の愛する子、わたしの心にかなう者である」の体験と密接に結びついた出来事です。主イエス様は、神の子として、何を語り、何を行い、人々に何を与えるべきかを祈っていたのです。そして御霊に導かれて荒野に行ったのです。そこにはサタンが、キリストの使命を退けさせるために待っていました。ここでキリストは悪魔から「パンの誘惑」「信頼の誘惑」「栄華の誘惑」という三つの誘惑を受けました。悪魔の誘惑に対して、イエス様は三つともみことばを引用して、悪魔の誘惑に勝利されました。これは現代に生きる私たちも倣うべきお手本です。だからエペソ人への手紙6章11節には「悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい」とあり、17節には「御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい」と勧められているのです。(伊藤)
 

「最初の宣教」4:12〜17 2004年11月28日

 イエス様は荒野における悪魔との戦いに勝利されたあと、なおしばらくは使命に対する準備を整えておられた。そしてその時が来たので、ガリラヤのカペナウムで最初の宣教を開始された。12節に「ヨハネが捕らえられたと聞いて」とある。ヨハネ3:24には「ヨハネはまだ獄に入れられてはいなかった」とあるので、荒野の誘惑のあと、しばらくの時が過ぎていると思われる。ヨハネによる福音書によれば、イエス様は洗礼を受けたあと、ガリラヤのカナの婚礼に出席されており、そのあと過越の祭のためにエルサレムに上って行かれた。13節に「カペナウムに行って住まわれた」とある。当時この町には、ローマ軍が駐屯していた。しかしこの町が記憶に残るのは、イエス様の最初の宣教の地であり、また宣教の拠点だった事である。(伊藤)
 

「四人の弟子」4:18〜25 2004年12月5日

  イエス様は福音宣教の働きのためにここで四人の人々を招かれました。ガリラヤ湖で漁師をしていたペテロとその兄弟アンデレ、ヤコブとその兄弟ヨハネ。彼らにとってこれがイエス様との初対面ではありませんでした。このヨハネによって書かれたヨハネ福音書を見ますと、前にお会いしていたことがわかります。このときアンデレは兄弟シモンをイエス様に紹介し、イエス様はシモンにペテロという名前を与えておられます。人々が救われるために働くようにと、イエス様がかけてくださった「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」というお言葉に彼らは今従ったのです。 (市川)
 

「山の上の説教」5:1〜16 2004年12月12日

 7章まで続くイエス様のお言葉です。ガリラヤ湖畔の小高い丘でお話くださったとき、そこには弟子たちばかりでなく大勢の群集が集まって聞いていました。イエス様の「さいわいである」というお言葉は「ああ、なんと祝福されていることでしょう」という感嘆のお言葉で、この幸いについて、「時間の経過、状況の変化によって消滅するはかないこの世の幸福を言っているのではない。悲しみ、苦しみによってもなお消されることなく、この世の何ものによっても取り去られることのない神様の祝福」だと解説されています。この世の価値観でなく、イエス様にある新しい価値観に生きる世界があるのです。 (市川)
 

「律法の真意」5:17〜26 2004年12月26日

 「律法」とは簡単に言えば、神様が人間に示された行動の規準です。神様は律法をモーセに示されました。その中心が「十戒」です。けれども人々は、神様の要求を文字の上にだけ見て、その深い真意を悟ることが出来ませんでした。例えば、昔からの言い伝えで「殺してはならない」というのがあります。これは十戒の第6番目の戒めで、多くの人々は「自分は人を殺していないのだからこの律法を守っている」と自負していたのです。しかしイエス様は、人々に対して「怒る者」「愚か者という者」「ばか者という者」も、実は律法を守っていないことになると教えられたのです。(伊藤)
 

「心の思い」5:27〜37 2005年1月9日

 イエス様は、人々が旧約聖書の教えを真に理解し神様を信じる者としてふさわしく生きる生き方を教えてくださいました。人々はその教えを聞いて非常に驚きました。律法学者やパリサイ人の教えとは全く違っていたからです。マルコによる福音書1章には人々が新しい教えに驚いた様子が記されています。人々の目には、イエス様は旧約聖書に教えられている神の言葉を捨て去ってしまう人物として映ったかもしれません。しかしそうではなく、イエス様は旧約聖書の教えを真に理解し教えてくださるまことのお方でした。言葉や行動に現れる前に人間の心のうちに存在する考え動機が御心にかなうように、神の言葉、律法を都合よく解釈して離婚を正当化させた当時の人々への指摘、また表面を取り繕う口先だけの誓いも御心ではないことを教えてくださいました。詩篇19篇14節には「わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いがあなたの前に喜ばれますように。」と祈りの言葉が記されています。 (市川)
 

「天の父のように」5:38〜48 2005年1月16日

 48節の「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」は、21節から展開された、律法の正しい理解の結論ともいえる言葉です。パリサイ人のように律法を表面的に守るのではなく、イエス様が教えられたように、その基本精神を守るなら神様の前に完全に達した者と認められるということでしょう。「目には目を、歯には歯を」は他人に害を与えた時に同じもので償わなければならないという賠償の制度でした。それがずれて、やられたらやりかえせ、という復讐の原理になってしまったのです。また「隣り人を愛し、敵を憎め」と言われていたが、旧約聖書には「敵を憎め」という言葉はない。むしろイエス様は正しい理解として「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と教えられた。なぜなら、愛し祈る時、戦いは止み平和が訪れるからです。(伊藤)
 

「見せるためでなく」6:1〜15 2005年1月23日

イエス様は「自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう」と語りました。これは2節以下の施しの問題、5節以下の祈りの問題、16節以下の断食の問題全体への序論といえるでしょう。ユダヤ人にとって「義」は最も重要な事で、宗教的には施しと祈りと断食をすることでした。それらは、その人自身の行いであり、神様に対して行うものです。しかし、それがいつの間にか、人に見せるために、人の前で行なわれるようになりました。人に評価されるために行われ、偽善的になってしまったのです。それに対して、イエス様が、人ではなく神様に対して行い、神様に評価されるようにと勧めたのです。これは「義」の正しい意味を回復し、偽善から人々が救われるためです。(伊藤)
 

「神様と富」6:16〜24 2005年1月30日

昔も今も高価な衣服は宝です。しかし当時、衣服は虫に食い荒らされ、倉に貯蔵された穀物や財産はねずみに食い尽くされることも多かったようです。また、パレスチナの家は粘土を焼いた壁のような造りでしたから盗人は壁に穴をあけて侵入したということで、時代や場所や方法は変わっても人間の社会は同じようです。イエス様は「あなたの宝のある所には、心もあるからである」(21節)、「むしろ‥‥天に、宝をたくわえなさい」(20節)と言われました。旧約聖書に登場するアブラハムは族長の筆頭で、多くの財を成すに至りました。「あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ」(創世記17章1節)とあるように、豊かな富を任せてくださった神様の御心にかなうよい管理者として、信仰と従順をもって、神様と人に仕えることが求められています。 (市川)
 

「あすの心配」6:25〜34 2005年2月6日

続いて、イエス様の有名な山の上の説教の一部です。私たちが生きていくために、家庭を築き家族を養っていくために、必要を確保するという生活問題はいつも目の前にある現実課題です。「思いわずらうな」とありますが、これは当然しなければならない将来への配慮や準備を否定なさっているのではなく、神様を信頼することを忘れ深刻な不安にかられて喜びと平安を失うような心配をしてはいけません、ということです。「あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう」(34節)とあるように「あす」はいつまでたっても「あす」なのです。なぜなら「あす」はつねに「きょう」の次の日なのですから。すなわちいつまでたっても「あす」である日の心配は無用なのです。「日々にわれらの荷を負われる主はほむべきかな。神はわれらの救いである」(詩篇68篇19節)。心配するのではなく、神様を信頼して歩む今日一日が与えられているのです。 (市川)

 

「主の思い」7:1〜12 2005年2月13日

イエス様の時代には、隣人に対して「あなた自身の憎むことを、あなたの隣人に対してしてはならない」という消極的であったようだが、イエス様は「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」と積極的に勧めている。一節には「人をさばくな」とある。私たちは日常生活でよく他人をさばいてしまうことがある。ある人から他人を指さして裁いている時、他の3本の指は自分に向いていることを忘れないように、と教えられたことがある。なるほどと思う。7節には「求めよ、そうすれば、与えられるであろう」というみことばがある。神様の真理と救いは、安売りするようなものではなく、真実に求めるものに与えられるということだろう。イエス様は、真実に求める者には、必ず救いが与えられることを約束している。これは日常生活に対しても言えることで、どれだけ私たちが真実に心から求めているかどうかがいつも鍵になる。(伊藤)
 

「狭い門からはいれ」7:13〜23 2005年2月20日

「狭い門からはいれ」という勧めは、福音を聞いて、イエス様を救い主として信じるということでしょう。当時のユダヤ人たちは、行いによって救われると考えていたので、イエス様が語った、悔い改めと信仰によって救われるという福音を聞こうともしませんでした。その結果、多くの人々は信仰によってではなく、行いによって救われる道を選んでいったのです。その道は「狭き門」を通って行く細い道ではなく、「大きい門」を通って行く「広い道」です。しかし、そこは「滅び」に至る道です。そしてこの世の中では、滅びの道を教える者の方に従う人々が多いのです。そこで、イエス様は「偽預言者に警戒せよ」と言われたのです。この偽預言者を見抜くためには、その結果を見れば分かります。真実でない教えは、どんなに素晴らしく見えても「悪い実」しか結ばず、福音を信じるという真実だけが「良い実」を結ぶからです。 (伊藤)
 

「岩の上の家、砂の上の家」7:24〜29 2005年2月27日

 イエス様は、ここで、雨や嵐が続いて洪水が押し寄せて来たときの様子、岩の上に自分の家を建てた賢い人と、砂の上に自分の家を建てた愚かな人についてお話になりました。岩の上に建てられた家は、倒れることはない、しかし、砂の上に建てられた家は倒れてしまう、というのです。雨や嵐、洪水は片方の家だけを襲ったのではありません。どちらの家も同じように襲いました。しかし、片方はしっかりと立ちつづけ、片方はみるみるうちに濁流に飲まれてゆきました。わたしたちの人生には幸福で浮き立つような晴れの日もあります。悲しみや困難、病気など雨や嵐が吹きつけるような時もあります。恐ろしく避けがたい、洪水が押し寄せてくるようなこともあるでしょう。イエス様は言われました、「わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう」と。  (市川)
 

「[聖書のらい」とは」8:1〜13 2005年3月6日

「聖書のらい」について、新しく購入なさった方の聖書(口語訳改訂版)は「重い皮膚病」と訳されています。レビ記には皮膚以外に布や皮、衣服、家の壁にも言及されハンセン病とは異なり広い意味があると小林牧師から教えられていましたが長島曙教会大嶋得雄牧師もこう記しています。「‥聖書に記載されているらいの症状と医学上のハンセン病の症状は違うのです。‥レビ記13章14章には、祭司がらい病を判定する基準が記されており「患部の毛がもし白く変わり‥それはらい病の患部である」(レビ記13章3節)とありますが、ハンセン病患者の毛は白くなりません。‥ハンセン病の最大の特徴である麻痺することが記されていません。‥多くの人々は聖書のらいとハンセン病を同じように思っています。‥原因は旧約聖書のヘブル語のツアーラハトを医学上のらいと同じものとして訳したからだと思います。ツアーラハトと医学上のらいとは異なります。ツアーラハトは人間の皮膚、布、皮、家の壁などの表面が損なわれた状態を表す語で、儀式的には‥不浄とみなされます。‥この言語を日本語に訳すことは困難だと言われています。ほとんどの日本語訳聖書はツアーラハトをハンセン病と区別できない「らい」と誤訳してきました。新約聖書のギリシャ語のレプラはツアーラハトを翻訳したものですが‥間違って医学上の病の一部の型をレプラと呼ぶに至り、それが定着してしまいました。英訳は「悪性の皮膚病」と訳し‥新共同訳で「重い皮膚病」と訳して発行されました。‥」新改訳第三版は「ツアラアト」としています。聖書は隔離を命じています。衛生上やむを得ないことでしたがこの病を罪とは言っていません。主はみ手を置いていやしてくださいました。 (市川)
 

「三つの奇跡」8:14〜27 2005年3月13日

この箇所には、イエス様がなさった「ペテロのしゅうとめの熱病を癒す」「大勢の病人の癒し」「ガリラヤ湖の嵐を静められた」三つの奇跡が記されている。ペテロのしゅうとめは癒されると、すぐにイエス様に奉仕をしたと書かれているのは暗示的だ。私たちも、自分が救われたことだけを喜ぶのではなく、他の人を救いに導く奉仕にあずかるために救われたことをも忘れずにいたいものである。大勢の病人は、イエス様がみことばをもって霊どもを追い出し、お癒しになった、とある。これはイザヤ書53章4節の預言の成就で、イエス様がメシヤであることを強調されたものである。そして、ガリラヤ湖の嵐を静められた出来事も、イエス様が人間を越えた存在であり、自然界を支配するお方であり、イエス様こそメシヤ、救い主であることの証明にほかならない。だから私たち一人一人は「わたしに従ってきなさい」と言われる主に、心から従っていこう。(伊藤)
 

「ガダラの狂人の救い」マタイによる福音書8:28〜34 2005年3月20日

 ガリラヤ湖の嵐を一声で静められたイエス様は、自然界のみならず霊の世界においても権威をお持ちのお方である。今度はガリラヤ湖の南方、異邦人の町ガダラに行かれ、二人の悪霊に憑かれた乱暴な男を癒された。悪霊は、その霊的存在の故に、イエスが誰であるかをすぐに見抜き、豚の中に入れてくれるように懇願した。こうして豚の群れは海の中に落ちて死に、二人の者は正気になった。現代でも、悪魔にとり憑かれたかのような、非道なことをする人は後を絶たない。昔、勤め先の店のおかみさんを殺し、火をつけ、終身刑になった好地由太郎という男がいた。彼はそんな重罪人なのに、刑務所内では反省する事もなく、脱走を繰り返し企てた。悪鬼の化身のような男だった。しかし彼が聖書を読み、イエス様を救い主と信じ、後には牧師となったのである。このようにイエス様は非道な人さえ救う、力ある救い主なのである。(伊藤)
 

「罪を赦す権威」9:1〜8 2005年3月27日

  イエス様は病気で寝たきりの人をいやしてくださいました。彼が、病気がいやされて立ち上がり自分の床を取り上げて家に帰って行ったのには、人々も律法学者たちも驚きました。しかし実はもっと驚くべきことに、イエス様が「あなたの罪はゆるされたのだ」と、罪のゆるしの宣言をなさったことです。イエス様は、お言葉どおりこの人の罪がゆるされたことを明らかにするために、この人の病をいやしてくださいました。なぜなら、わたしたち人間には、イエス様の一言で、この人の罪が許されたのかどうかわからないため、病気がいやされるというできごとによって、イエス様が力のある、権威のあるお方であることを明らかにしてくださったのです。わたしたち人間の理解のためにご配慮くださったということができます。人であり神様であり、そして救い主であるイエス様だけが、罪のゆるしの権威をおもちなのです。(市川)
 

「罪人を招くために」9:9〜17 2005年4月10日

これはマルコ福音書2章、ルカ福音書5章にも記されています。マルコ福音書にはアルパヨの子レビと記されています。ユダヤ人には二つの名前をもつ習慣があるそうですが、主イエス様の弟子となったときマタイという名前を与えられたという可能性もあり、またレビを個人名でなく、レビびとマタイという可能性も考えられるそうです。マタイはカペナウム近くの収税所で、ダマスコに通じる道路を利用して運ばれる商品に課税する仕事をしていたようです。当時取税人はローマ皇帝や関連の領主に仕え同胞から規定以上に徴税し、しばしば差額を着服しました。ユダヤ人を裏切って私服を肥やす売国奴と言われていました。家とは「自分の家」で、彼はイエス様や弟子たちそして取税人や大勢の人々を招いて盛大な宴会を催しました。救われ、かけがえのないものとして取り扱われた喜びと、過去の生活に別れを告げると同時に、仲間にイエス様を紹介したいという気持ちの現れでした。イエス様は、自分の罪に気づいて罪を悲しむ者のためにおいでくださったのです。 (市川)

 

「婦人の癒しと娘の生き返り」9:18〜26 2005年4月17日

 ガリラヤ伝道のクライマックスの一つは、ここに記されている会堂司ヤイロの娘を生き返らせたことと、この出来事が起こる間に12年間も長血をわずらっていた婦人が癒された出来事だと思います。イエス様が会堂司の家に行くために道を急いでいる時に、イエス様の衣にでも触れればきっと直ると信じてうしろから衣に触れた婦人がいました。イエス様はこの婦人の信仰を喜ばれ、また内気な彼女に信仰の証を求められ、婦人の堅固な信仰をみんなの前で賞賛してあげました。この時、自分の娘が瀕死の状態であったヤイロは、イエス様の行動が気がきでなりませんでした。家について見ると、娘は死に、人々が集まって、笛を吹いたり、泣き女のわめく声で騒然としていたのです。イエス様は、「少女は死んだのではない。眠っているだけである」と言って、彼らを追い出し、娘の手を取って生き返らせて下さったのです。(伊藤)
 

「収穫は多い」9:27〜38 2005年4月24日

会堂司ヤイロの娘を生き返らせたイエス様は、今度はふたりの盲人の目を開かれた。ふたりはイエス様を「ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」と叫びつつ呼んだ。「ダビデの子」とは、救い主メシヤを表現する言葉だ。イエス様は彼らとやりとりをした後、彼らの素直な信仰をご覧になって彼らを癒された。入れちがいに悪霊につかれた口の聞けない人が連れられてきた。するとイエス様がこの人から悪霊を追い出してくださったので話せるようになった。あの中風の人を連れてきた4人の友達のように、この人を連れてきた人々は、パリサイ人たちと違って、イエス様ならきっと出来ると素直に信じたに違いない。イエス様が町々を巡り歩いて一番お感じなったことは、福音を聞けないで、弱り果てて倒れそうになっている羊のような人々の姿だった。今もイエス様を信じようとしている人は多いのに、神様の福音を伝える人が少ないという現実がある。(伊藤)
 

「十二使徒」10:1〜15 2005年5月1日

8節の「らい病人」を「重い皮膚病にかかった人」と読み替えてくださるようにお願いいたします。イエス様は弱り果てた人々を深くあわれまれ、弟子たちに「収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」と言われ、彼らの中から十二名を選びご自身の権威を分与して使徒としました。彼らを収穫のために出て行く者としてくださいました。記載の名前のとおり、二人ずつ遣わしてくださったようです。マタイは自らを取税人マタイと記しています。主への感謝がこめられた言葉です。ペテロは使徒行伝10章で「わたしたちは、イエスがこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人であります。‥‥わたしたちは、イエスが死人の中から復活された後、共に飲食しました。‥」と証しています。使徒たちはキリストの復活の証人であり、教会の土台としての務めが与えられました。(エペソ人への手紙2章) (市川)
 

「蛇のように、鳩のように」10:16〜23 2005年5月8日

ルカによる福音書にはイエス様は、十二使徒と別に七十二人を選び、すべての町や村へ、ふたりずつ遣わされたとあります。使徒を始めとする彼らが使命に生きるとき直面する事のうち迫害とは、使徒たちを衆議所に引き渡すというものです。「衆議所」とは町や村のユダヤ教会堂の議会で、異端者として告訴されることです。また「長官たちや王たち」すなわち地方総督、領主の前に引き出されるということです。しかし迫害は様々な階級の人々に、キリストの教えを語る絶好のチャンスであったともいえるのです。語るべき言葉を授けてくださるように祈り、信仰によって鳩のような素直さで神様に信頼するということの大切さ。最後まで耐え忍ぶとは、迫害されたなら他の町へ逃げるという方法が教えられました。逃げた先で伝道するために。蛇のような機敏さ賢さを持ち合わせることが教えられています。事実、後のエルサレム教会への大迫害で周辺の町々に散らされて行った人々は「御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた。(使徒行伝8章)」ので広く福音が伝えられたのでした。(市川)
 

「恐れるな」10:24〜33 2005年5月15日

 ここでイエス様は、どんな迫害に遭遇しようとも、決して恐れることはないと言って、弟子達を励ましている。私たちは人を恐れる時、不安になり、箴言にも記されているように罠に陥る。けれども、「おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない」(26節)ように、真実はやがて明らかになる。そのことを覚えて、人を恐れず、神様の真実を大胆に証するものでありたい。それと共にイエス様は、人を恐れるのではなく「魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい」(28節)と語られた。使徒ペテロは議会のまん中で「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい」(使徒4:19)と大胆に語った。昔英国のジョン・ノックスは「いまだかつて人を恐れたことのない人」と言われた。なぜなら、彼は神を恐れていたからである。私たちもこうした聖徒に倣う者でありたい。(伊藤)
 

「この世の命と永遠の命」10:34〜42 2005年5月22日

 ユダヤ人は、平和(シャローム)を何より大切に考えている。ところがイエス様は、「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである」(34節)と語られた。これは、見せかけの平和ではなく、真実の平和をもたらすためには、時として偽善を砕き、虚偽を裂くつるぎも必要だということを教えている。また自分の十字架をとって従ってくるように言われた。迫害の時、自分の命が惜しくなり、殉教の死を恐れて信仰を否定し、この世と妥協して命を救おうとした者は、終わりのさばきの時に神様によって永遠の滅びの宣告を受ける。しかし、イエス様に対する信仰を告白して自分の命を失った者は、終わりの時に神様から永遠の命を受ける。この世の命が大切か、永遠の命が大切か、落ち着いて考えればわかるでしょう。人生はこの世だけでは終わらないからである。(伊藤)
 

「恵みの時代」11:1〜15 2005年5月29日

5節の「らい病人」を「重い皮膚病にかかった人」と読み替えてくださるようにお願いいたします。バプテスマのヨハネはガリラヤの領主ヘロデ・アンテパスの罪を指摘し、その結果死海の東、マケルスの城塞に幽閉されていました。以前ヨハネは「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」とイエス様を紹介しました。今、ヨハネの問いにイエス様は旧約聖書を引用してご自身が預言されたメシヤ(キリスト)であることを告げています。またヨハネについて、イエス様より先に来て人々を悔い改めに導き、救い主到来のために備えるという大切な使命を受けた人物で、しかも預言されていた人物であることをお話くださいました。ヨハネは「預言者以上の者」なのです。旧約聖書の預言と約束の時代はヨハネの時で終わり、救い主イエス様がおいでくださって、恵みによる救いの時代が始まりました。以後の信仰者たちはイエス様のゆえに、ヨハネよりも大きな恵みの中に生かされ、救われて御国の約束に預かる人々が続々と起こされる時代に入ったのです。 (市川)
 

「ヨハネとイエス様」11:1〜15 2005年6月5日

ヨハネとはバプテスマのヨハネです。人の子とはイエス様です。人々はヨハネやイエス様についていろいろと言いました。どちらにしても正しい反応ではありませんでした。しかし、働きの結果によってヨハネやイエス様の正しさ、ひいては神様のお考えの正しさは証明されます。ヨハネもイエス様も「悔い改めよ、天国は近づいた」と宣べ伝えました。イエス様はガリラヤ地方で多く奇跡を行われました。そのような「力あるわざ」がなされたにもかかわらず、悔い改めなかった町々が厳しい宣告を受けています。コラジン、ベツサイダという町々について詳しいことは記されていません。ツロ、シドンは地中海沿岸の商業都市、栄華と快楽、偶像礼拝の町でした。カペナウムはイエス様の伝道の根拠地でしたが、地中海とダマスコを結ぶ通商の要所で大商業都市でもありました。 (市川)
 

「キリストの招き」11:25〜30 2005年6月12日

 イエス様は、ガリラヤ湖畔の伝道では、深い痛みを経験しました。それでも幼な子のように、素直な信仰をもって主イエス様を受け入れるもののあることを思い、感動して「……これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました」(25節)と祈りをささげています。28節のイエス様の招きの対象は「すべての人です」。招きに応じてイエス様のもとに来た人に与えられるものは、罪の重荷から解放される「魂の平安」です。29節の「くびき」とは、牛や馬が荷車を引く時に首にかける道具です。くびきをつけて労役をしたことのない馴れない牛や馬は、経験豊かな牛や馬と対になって、並んでくびきをつけ、仕事の仕方を覚えたのです。同様に、私たちもイエス様と共にくびきを負うて歩むなら、ストレス、疲れの多い時代にあっても、重荷をおろし、平安を得られるのです。(伊藤)
 

「安息日論争」12:1〜9 2005年6月19日

 イエス様に対して激しい憎悪を表わし罠に陥れようとした人たちの中心に、パリサイ人がいました。パリサイ人とは、ヘブル語で、「分離主義者」という意味があります。彼らは旧約聖書の律法によって生活し、禁欲的生活を送り、週二回断食し、しかも自らを義人と自負していたのです。パリサイ人とイエス様との論争の発端は、イエス様の弟子たちが麦畑を通った時、空腹を感じ、その穂を摘んで食べたことです。イスラエルには、「あなたが隣人の麦畑にはいる時、手でその穂を摘んで食べてもよい。」(申命記23:25)という戒めがあります。しかしパリサイ人たちはその日が安息日だったので、律法を犯しているとイエス様を非難してきたのです。そこでイエス様は、ダビデと神殿に仕える祭司を例にあげ、「わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない」という旧約聖書のホセア書を引用し、安息日に許されている事柄を明らかにしたのです。(伊藤)
 

「すべての人の望み、イエス・キリスト」12:9〜21 2005年6月26日

   麦畑でのパリサイ人による論争の後、別の安息日に会堂で、イエス様は右手のなえた人をいやしてくださり(ルカ福音書6章)、安息日に羊を助けることが許されるなら、まして困った人を助けること、善行は正しいと教えてくださいました。イエス様がご自分を「宮よりも大いなる者」「安息日の主」と言われ、彼らはこれを「自分を神と等しいものとされた」(ヨハネ福音書5章18節)という、神への冒涜と受け止め、イエス様殺害へと向かいました。こうして福音は、さらに異邦人へと述べ伝えられるのです。17節以降はイザヤ書の引用です。ローマ人への手紙10章12、13節にあるとおりです。「ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。なぜなら、『主の御名を呼び求める者は、すべて救われる』とあるからである。」 (市川)
 

「悪い木、悪い実」12:22〜37 2005年7月3日

 イエス様は、人々が連れてきた、悪霊につかれた盲人で口のきけない人をいやしてくださいました。群衆は「この人が、あるいはダビデの子ではあるまいか」すなわちメシヤではないかと驚きました。しかしパリサイ人たちは、これは悪霊のかしらの力によるのだ、「イエスはけがれた霊につかれている」(マルコ福音書3章30節)と言って、イエス様を非難しました。これに対してイエス様は、聖霊の明らかなみわざについて、悪霊のしわざだと言うのは聖霊をけがす罪で、「聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」(マルコ福音書3章29節)とおっしゃいました。そして、木が悪いので悪い実がなり、悪い倉から悪い物を取り出すように「心からあふれることを、口が語るものである」(34節)とおっしゃいました。父なる神様から遣わされた救い主キリストを信じ、心にお迎えして歩むことが大切です。 (市川)

 

「しるしを求める邪悪な時代」12:38〜50 2005年7月10日

ここでパリサイ人たちはイエス様がメシヤであることの証拠となるしるしを求めている。パウロは、「ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。」と言っているが、しるしを求めることは、実は不信のあらわれである。だからイエス様は「邪悪で不義な時代は、しるし求める」(39節)と言われたのである。ここでイエス様がメシヤであることの唯一のしるしは旧約聖書の預言者ヨナであると言っている。ヨナは宣教のため神様からニネベに派遣されるが、それに従わなかったので、海上で嵐に遭遇し、大魚に飲み込まれ、その腹の中で三日三晩を過ごした。イエス様はこの出来事を踏まえて、自分が十字架につけられて殺され、墓の中に入れられ、三日目に復活することを暗示したのである。つまり、イエス様がメシヤであることは、十字架と復活という出来事をによって明らかにされると言ったのである。(伊藤)
 

「種まきのたとえ」13:1〜9、18〜23 2005年7月17日

イエス様が語られたたとえ話で、よく知られたものの1つがこの「種まきのたとえ」である。種は神様ののことば、畑は人の心、蒔く人は、イエス様或いはクリスチャンの人たちということでしょう。イエス様の時代のイスラエルでは、種を畑に大まかに蒔いてから、畑を耕した。そのために道ばたに落ちる種もあれば、土の薄い石地に落ちる種もあり、茨の中に落ちる種もあった。そして良い地に落ちた種だけが、豊かな実を結んだのである。そして「耳のある者は聞くがよい」とこのたとえを結んでいる。それからイエス様は、そのたとえの意味を説明し、弟子たちが聞いて悟り、豊かな実を結ぶように勧めている。私たちもみことばを聞いた時、心から信じ、それを行って豊かに実を結ぶ者になりたいものである。実を結ぶとは、神様のことばによって成長し、人々を神様のもとに導き、働きの結果を見ることである。(伊藤)
 

「譬の理由」13:10〜17  2005年7月24日

イエス様はいろいろな譬を話してくださいました。種まきの様子も、やっかいな毒麦の様子も、人々が日常生活でよく経験していることでした。このようなイエス様のお話に、人々は聞き耳を立てたでしょう。譬ばなしは身近で興味を引きます。人々はこれを糸口に、もっとイエス様のお話を聞いてみたいと思ったでしょう。しかし譬ばなしは、少々わかりにくい面もあります。譬の意味は、どういうことなのだろうと、いつまでも心に残り、聞いた人たちは家に帰る道々、家事や仕事の合間に思いめぐらしたことでしょう。このように、譬は少々わかりにくいので、本当の意味を知りたいと真理を求める気持ちを起こさせました。反対に、興味のない人々や、イエス様をはじめから認めない人々は全く興味を示さず、天国の奥義を知るという門が閉ざされるという結果にもなったのです。御言葉に心を開いて聞くべきだと教えられます。(市川)
 

「毒麦のたとえ」13:24〜30、34〜43 2005年7月31日

 毒麦は育つ間は麦と見分けがつかず、穂が出て初めて毒麦とわかるのだそうです。麦の穂よりひげが長く色も黒いそうです。この譬は天国についての譬です。僕たちは毒麦を『抜き集めましょう』と言いましたが、主人はよい麦を損なってしまうかもしれないと、収穫の時まで待つように言いました。この譬の意味について弟子たちが尋ねるとイエス様は37節以降でお答えくださいました。悪魔が暗躍して毒麦を蒔いても、人間がそれを抜き取ろうとしないように、イエス様が最後の時になさってくださるのですから。それよりも、からし種やパン種のように、天の御国、神の国は、目を見張るばかりの勢いを持って成長し、拡大するのですから、神様のご支配くださる神の国の目覚しい生命力を信じて、イエス様による救いの恵みを喜び、神の家族、天の御国の一員にしていただいたことを喜び、それぞれに与えられた使命、役割をはたしつつ歩みましょう。(市川)
 

「三つの譬」13:44〜52 2005年8月7日

 イエス様は、天国の素晴らしさを説き、どんな犠牲を払ってもそれを得るように勧めている。第一は、天国の素晴らしさを知った者を、畑に隠された宝、良い真珠を探している商人の譬である。彼らは真の価値を知っているので「持ち物を全部売り」それを求める。同様に天国の素晴らしさを知ったものとして、どんな犠牲を払ってでもそれを得るようにと勧めている。第二は、地引き網の譬である。網を岸に引き上げ、よい魚と悪い魚を選り分ける。同様に世の終わりになると、神様は義人と悪人を選り分け、悪人達は火の燃える炉に投げ入れられる。第三は、一家の主人の譬である。主人は倉から新しいものと古いものとを自由に取り出す事が出来る。そのようにキリスト者は、全てを知り、全てを識別出来るようになる。天国を知り、天国に生きる者となったからである。(伊藤)
 

「郷里の人たちの不信仰」13:53〜58 2005年8月14日

 ヤ湖畔を去り、郷里のナザレに向かわれた。主イエス様の教えには律法学者やパリサイ人にない権威があった。ナザレにおける主イエス様の行われた力あるわざは、マルコによる福音書によれば、少数の病人を癒すに留まった。郷里の人たちは、この小さな村で育ったあの男が、「こんな数々のことを、いったい、どこで習ってきたのか」(56節)と言って、不思議に思い、イエス様につまずいた。主イエス様を正しく見る目は信仰である。外側だけからイエス様を見る者は、イエス様は、ただ、大工の子であり、十字架で死んだ者としかうつらない。こうして昔から言われている、まことの預言者がいつも郷里や自分の家では受け入れられないことを諭され、ナザレの人たちの不信仰を悲しまれた。その結果、主イエス様は、郷里のナザレでは力あるわざをなさらなかった。(伊藤)
 

「からし種のたとえ」13:31〜35 2005年8月21日

少し戻りますが、抜けてしまった箇所を交読しましょう。天国の特徴を二つのたとえでお話してくださいました。からし種を一粒手のひらに乗せて見ると、ボールペンでちょっとつけた黒い小さな点のようです。日本でからしと呼ばれているのは、からし菜の種を砕いて作るそうですが、ユダヤのからしは大きければ3、4メートルにもなる木です。パン種すなわちイースト菌は粉のかたまり全体を大きく膨らませる力があり、しかもやわらかくします。神の国はユダヤという小さな国でイエス様と十二弟子から始まりました。しかし大きく育ち、鳥が枝に宿るように、世界の人々が救いを求めその中に入ってくるのです。そして、保護と望み祝福を受けるのです。このように神の国そのものが強い生命力をもち、多くの人々を新しく生かすのです。(市川)
 

「ヨハネの死」14:1〜12  2005年8月28日

13章には、イエス様につまずいて信仰を持つことがなかなか困難だった郷里の人々や家族のことが記されています。ここにはイエス様の郷里、ガリラヤ地方の領主ヘロデがバプテスマのヨハネの首を求められて、牢獄のヨハネを殺させたというできごとが記されています。ヘロデはイエス様ご誕生の頃のヘロデ大王の息子です。ヘロデは、腹違いの兄弟ピリポの妻ヘロデヤと結婚してしまいました。ヨハネはこの罪を指摘したため投獄されました。このとき母ヘロデヤにそそのかされた娘サロメはヨハネの首を願ったのです。ヘロデは、イエス様のうわさを聞きヨハネのよみがえりだと言い、罪を悔い改めるどころかイエス様をも無き者にしようとするかのようでした。この様子に、イエス様はそこを去りました。天国という宝の価値を知っていても不信仰のゆえに受けないからです。郷里の人々やヘロデのようでなく、天国の宝は信仰によって受けるのです。 (市川)
 

「パンの奇跡」14:13〜21  2005年9月4日

主イエス様が数千人の者を養われた記事は、福音書の中に6回記されている。これは、この出来事が当時の人々にとって、非常に強烈な印象を与える出来事であったことを教えている。パンの奇跡は、神様がかつて荒野でイスラエルの民をマナで養われたことや預言者エリシャによって大麦のパン20個と新穀一袋をもって百人の者を養い、人々がこれを食べて余したという事に類似する、驚くべき不思議な神様のわざである。そして主イエス様は私たちの魂の事だけではなく、身体のために、物質的な必要までも心に留めてくださるお方であることを知ることが出来る。だからクリスチャンは三度の食事のたびに感謝の祈りをささげるのである。パンを分け与えるほど増えていった様子は、箴言の「施し散らして、なお富を増す人がある」のみことばを思い起こさせる。(伊藤)
 

「イエス様だけを見る」14:22〜36 2005年9月11日

イエス様はパンの奇跡を行われる前に祈り、パンの奇跡の後でも祈られた。こうしたイエス様の常に祈る姿は、今も私たちにとってお手本だ。22節に「しいて」とあるのは、イエス様がこれから起こるガリラヤ湖の嵐を予知していたようだ。弟子のペテロはイエス様が湖の上を歩いてこられたのを見て、「水の上を渡ってみもとに行かせてください」と言った。イエス様は「おいでなさい」と招かれた。イエス様だけを見ていたペテロは、水の上を歩く事が出来た。「しかし、風をみて恐ろしくなり、おぼれかけた」。イエス様はすぐにペテロを助け、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と諭された。一部始終を舟から見ていた弟子達は、イエス様に「ほんとうに、あなたは神の子である」と告白した。この経験は弟子達の信仰の確信になった。(伊藤)