館林キリスト教会

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ショート新約 テモテへの第二の手紙

「テモテへの励まし」 テモテ第二 1:1〜17

テモテへの第二の手紙は、パウロが「わたしの鎖を恥とも思わないで」(16節)と言っているように獄中で書いたものです。それもパウロが死を目前にしてテモテに送った手紙で遺言書です。テモテには臆病で小心な所がありました。ですから最後にパウロは、テモテに神様が与えてくださった賜物を思い起こさせ、励ましているのです。その神様からの賜物とは「力と愛と慎みとの霊」です。「力の霊」とは、生まれつき臆病な人をも、困難に大胆に直面させる力です。「愛の霊」とは、全てのクリスチャンに必要なものですが、特に牧会者には必要なものです。「慎みの霊」とは、自制心、節制のことです。ある人は、これを「聖徒の健全さ」と言っています。(伊藤)

「福音のために」 テモテ第二1:8〜14

テモテは7節のように「臆病」だったのでしょう。また「主のあかしをすること」を恥ずかしく思うことがあったのでしょう。テモテにもこんな面があったのか、と驚くと同時に慰められます。このテモテに、パウロは「神の力にささえられて、福音のために、わたしと苦しみを共にしてほしい」と願い、福音の尊さを語っています。福音は、救主キリスト・イエスの出現によって、明らかにされた尊い恵みです。キリストの出現以前は闇に包まれて「いのちと不死」について不明確でした。しかし、キリストによって死は完全に滅ぼされ、勝利がもたらされました。彼を信じる者は罪の赦しと勝利に与る者とさせていただけるのです。ですからパウロは「あなたにゆだねられている尊い」福音の真理を聖霊によって守るようにと念を押しています。  (市川)

「真実な僕」 テモテ第二 1:13〜18

ここでパウロは、牧会の実例をあげています。ローマでのパウロの二度目の入獄は、以前と違って厳しいものでした。よってパウロの友人であることが自分の身を危険にさらすことになります。エペソ教会の幾人かは、自分の身の安全を計ってパウロを見捨てたました。その中には、特に親しい間柄であったフゲロとヘルモゲネもいたのです。一方、パウロを励まし元気づけた人々も数多くいました。その中でもオネシポロは特筆すべき信徒です。彼がエペソでパウロに一生懸命に仕えたのは信徒たちの周知の事実です。またローマでは、自分の危険を顧みず、たびたび獄中のパウロを尋ね、彼を助けました。そこでパウロは、こうした真実な僕のいることをテモテに思い出させて、励ましたのです。(伊藤)

「恵みによる強さ」 テモテ第二 2:1〜7

パウロは1章8節で「神の力にささえられて、福音のためにわたしと苦しみを共にしてほしい」と語り、ここで再び「キリストの良い兵卒として、わたしと苦しみを共にしてほしい」(3節)と語っています。「テモテへの第二の手紙」はパウロの獄中書簡で、パウロはこれを最後に殉教しました。テモテに「急いで来てほしい」(4章9節)と願いつつ、自分の最後を予感し遺言のように手紙を記したのでしょう。命の限り、もっと多くの人々に福音を伝えたかったパウロは今、若いテモテに福音のための労苦を願い、テモテが受けたバトンを忠実な人々に手渡し、神様の働きが拡大し続けるよう願ったのです。司令官を喜ばせようと務める兵士、規定に従う競技者、労苦を惜しまない農夫に例えられた姿はパウロ自身が努力してきたことでした。同時に恵みによって強くされた歩みでした。(市川)

「わたしの福音」 テモテ第二 2:8〜13

8節で、パウロが「わたしの福音」と言っているのは、パウロの伝えた福音が独特であったという意味ではなく、初代教会も同様に告白していた福音のことです。誰でも「私たちの福音」が「私の福音」にならなければ、どんなに素晴らしい福音でも、その人にとっては何にもならなくなるからだと思います。そしてパウロの言う「わたしの福音」とは、「ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリスト」だと言うのです。ここでのパウロの思いは、困難な状況のもとで懸命に戦うテモテを励ますことでした。そこでパウロはテモテにまず、キリストは死んで葬り去られたお方ではなく、「死人のうちからよみがえった」お方、今も生きておられるお方だと強調して書いたのです。(伊藤)

「ゆるがない土台」 テモテ第二 2:14〜21

14節には「言葉の争い」をしないように命じなさいとあります。言葉の争いは、お互いに何の益もなく、そればかりか聞いている人々を混乱と破滅に陥れます。また俗悪なむだ話、真理からはずれた教えを語る人々に注意しなさい。それは、人々を不信心に陥れ、癌のように腐れ広がるからです。テモテに「真理の言葉を正しく教え、恥じるところのない錬達した働き人となって神に自分をささげるように努めはげみなさい」と命じています(15節)。「ささげる」はローマ12章1節の「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい」と同じ言葉です。「主の名を呼ぶ者は、すべて不義から離れよ」(19節)以下のように主人に役立つものとなるよう勧めています。(市川)

「指導者への勧め」 テモテ第二 2:22〜26

ここからテモテに対する直接的な勧めが語られています。パウロは、まず「若い時の情欲を避けなさい」と書いています。テモテが「若い」と言っても40歳位だと思いますので、ここでの「情欲」は性的な欲望というよりも、短気、論争好きなどを指しています。そして積極的に「義と信仰と愛と平和」を追い求めるように説かれています。これらはすでにテモテ第一の手紙に書いておいた事ですが、パウロが第二の手紙にも書いたのは、テモテにこの姿勢に欠けてはならないと願っているからだと思います。しかし、この歩みは牧者テモテに、単独で、しかも孤立した形でがんばることが求められているのではありません。「主を呼び求める人々と共に」、共同作業によっての完成を勧めているのです。(伊藤)

「苦難の時代」 テモテ第二 3:1〜9

終わりの時代に現れる人々の様子が記されています。終わりの時、大きな悩み、耐え難い危険な時代がきます。その時の人間の姿が19挙げられ「そのような人々を避けなさい。(5節)」とパウロは言います。2節〜5節には、全く自己中心的な者、富に対して異常なほどの欲求に取りつかれている者、ごう然と他の人を見下す者、彼らは無礼で、神様を嘲り、親に対して不従順で、感謝の心がなく、俗悪です。彼らは自然な人間としての愛情に欠け、和睦やなだめを受け入れません。彼らは人をあしざまに言う紛争製造屋で、倫理と行いにおいてだらしがなく、粗暴で、善を嫌う者です。彼らは二心の者で、向こう見ずで、自負心でふくれあがった者、快楽を愛する者です。彼らは敬虔な様子をしていても、その行いは自らの告白とは正反対です。 (市川)

「救いに至る知恵」 テモテ第二 3:10〜17

パウロはテモテに向かって、彼がパウロの教え、歩みによくついてきてくれたことを賞賛しています。「わたしの教」(10節)とは、主イエス・キリストの福音のことで、みことばに基づいて福音を語ってきたパウロは、数多くの迫害を受けました。その体験から「キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける」と書いたのです。この世が神様に背を向けている限り、この真理はいつの時代も変わらないでしょう。だからパウロはテモテに、自分が教えかつ両親より学んだ正統的な聖書の教えに留まるように勧めたのです。それは聖書が「キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を与えうる書物」だからです(15節)。(伊藤)

「義の冠の望み」 テモテ第二 4:1〜8

ローマの獄中でパウロは、生涯の最後を目前にしていました。迫害や苦難の嵐が吹き荒れて、殉教しなければならないとしても、彼は、目の前の嵐に心を奪われることなく、やがて現れる神の国を望み見ていました。ですから、神様のみ前に揺るがせにできないことが何かを常に心に刻み、彼自身そのように生きて来ましたし、今、テモテに「御言を宣べ伝えなさい。」と命じています。そして今、パウロは生涯を顧みて「信仰の戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした」と言うことができました。私たちにも、個人個人にとっての信仰の戦いがあり、主の御心のうちに備えられた、それぞれの走るべき行程があります。やがて授けられる義の冠を望み見つつ、信仰の歩みを全うさせていただきたいものです。 (市川)

「上着と羊皮紙」 テモテ第二 4:9〜15

テモテに「急いで早くきてほしい」と願ったのは、最後の訓戒を与えたかったとも言われます。共に労苦する勇気を失い、去った人もいましたが、クレスケンスやテトスは伝道に派遣され、何名かの協力者が記されています。医者ルカはパウロのそばで仕えていました。「上着」は兵士や旅人が用いた、円形で真ん中からかぶる防寒用のマントです。しかし、たいへん重かったので、不要なときにはやっかいでパウロも、カルポの所に残してきました。「羊皮紙」は、なめし革製で、重要な文書を書き記すのには、パピルス製よりも用いられました。最後が迫っていた時、パウロが読みたかった書物は何だったのでしょう。イエスさまのお言葉集とも、パウロ自身の原稿とも言われますが、旧約聖書の写本が含まれていた可能性はあると言われています。(市川)

「最後の言葉」 テモテ第二 4:16〜22

ローマの法廷では最終判決の前に何回かの尋問が行われたそうです。今回の入獄中に「第一回の弁明」の機会が与えられました。しかしパウロを弁護するはずの友人たちは去ってしまいました。パウロは、当時の最大の都市であるローマの法廷に、一人で立ち、そこを宣教の場として用いたのです。「主はわたしを助け、力づけてくださった」と記し、御国の栄光を望み御名を崇めています。最後に信仰の友人たちに挨拶を送ると同時に、テモテには「冬になる前に急いで来てほしい」と願っています。上着の件だけでなく、パウロの最後の裁判が近づいていたからです。テモテは、入獄中のパウロから自筆の手紙を受け取り、どんなに胸に迫ったことでしょう。「主があなたの霊と共にいますように」という、主の御臨在を願う祈りが、パウロの手紙の最後の言葉でした。 (市川)