館林キリスト教会

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ショート新約  マルコによる福音書

悔い改めと洗礼 1章1〜13節 2006年11月5日

マルコによる福音書は「神の子イエス・キリストの福音のはじめ。」という言葉で始まっています。父なる神様が御子イエス・キリストをこの地上に送ってくださり、人間の救いを完成してくださった事実を書き記しています。第一章はバプテスマのヨハネが荒野に現れ、悔い改めのバプテスマを授けた記事から書き出されています。神様に対する真実な悔い改めの印としての洗礼でした。悔い改めとは、罪を悔いるだけでなく、神様を信じて従う、という生き方の方向転換をすることです。バプテスマのヨハネの役割は人々にイエス様を信じる心備えをうながすためでした。(市川)

神の国は近づいた 1章14〜20節 2006年11月12日

イエス様はカペナウムを拠点にしてガリラヤ湖周辺で宣教をなさいました。「神の国は近づいた」とは旧約聖書における神様の約束が成就するために、神様が定めておられた時がきた、ということです。「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ福音書17章21節)とイエス様はおっしゃいました。イエス様がおいでになったことによって、イエス様の教えとみわざにおいて神の国はすでに来たことと、イエス様が再臨なさる時この世の終わりに成就するという両面があります。悔い改めと信仰によって神の子、神の国の民としていただけるのです。(市川)

権威あるイエス様の教え1章23〜34節 2006年11月19日

ユダヤ人の会堂では、ラビ(先生の意味)の資格のあるいろいろな人々に、神様のお話をしてもらった。その中でもイエス様の教えは、特に力があった。また、律法学者と言われる人々もいたが、言葉の説明や指図をするばかりで力がなかった。イエス様のお話に不思議な力があったのは、神の権威があったからだ。ここには三つの奇跡が記されている。はじめは、汚れた霊を追放されたこと。現代も、悪霊との戦いが盛んだから、イエス様から目を離さないことが大事だ。次ぎに、ペテロのしゅうとめを癒したこと。そして、夕方に多くの様々な病人をみな癒されたことである。いずれも神様の権威ある力と愛を感じる。(伊藤)

イエス様の使命 1章35〜45節  2006年11月26日

 イエス様は、夕方から詰めかけてきた病人や悪霊につかれた人々を、みな癒してあげた。その翌日には、夜が明ける前から祈りに専念されている。父なる神様との交わりなしに一日を始めることが出来ないからだ。朝、弟子達がイエス様を追ってきて、「人々があなたを探している」と言った。しかしイエス様は、その求めに応じず、「ほかの、附近の町々にみんなで行って、そこでも教えを宣べ伝えよう。わたしはこのために出てきたのだから」(38節)と仰せられた。イエス様には、みことばを宣べ伝え、人類の為に十字架にかかり救いのみわざを完成させる使命がはっきりしていたからだ。続いて、重い皮膚病の男の求めに応じ、当時触れるのを禁じられていたにも係らず、彼にさわり「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われ癒してあげた。(伊藤)

あなたの罪はゆるされた 2章1〜12節 2006年12月3日

 イエス様はガリラヤ湖周辺の町々で神様のみ言葉を大勢の人々に伝えていらっしゃいました。ご自分の町カペナウムに戻られた時、ある家でお話をしておられました。そこへ人々が四人の人に運ばせて一人の病気の人を連れてきました。群集のために近寄ることができないので、驚いたことに彼らは屋根をはぎ、病人を寝たままイエス様の目の前につり降ろしたのでした。イエス様は彼らの信仰をご覧になって「人よ、あなたの罪はゆるされた」と宣言してくださいました。他の人の罪のゆるしを宣言できる人間はいません。なぜなら自分にも罪があるからです。罪のない、神のひとり子イエス様だけが、罪をゆるすことがおできになります。それがよくわかるように、病気をも癒してくださいました。(市川)

新しい皮袋に 2章13〜22節 2006年12月10日

このヨハネとはバプテスマのヨハネです。断食をして悔い改め、あわれみを求める時代は過ぎ去り、長く待ち望まれた救い主イエス様がおいでになりました。イエス様を信じて罪ゆるされた喜びに生きる、という祝福がだれにでも与えられる時代がきたのです。これをイエス様は婚礼の喜びに例え、さらに二つの表現をなさいました。真新しい布ぎれを古い着物に縫い付けるなら、新しいつぎは古い着物を引き破りその破れはひどくなる。また、盛んに醗酵する新しいぶどう酒は古い皮袋をはり裂き、ぶどう酒も皮袋もむだにしてしまう、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきだ、と。信仰によって罪を悔い改めイエス様を救い主として信じたなら、イエス様にふさわしく歩み始めるべきですと。 (市川)

「安息日論争」 2章23節〜3章6節 2006年12月17日

イエス様と弟子たちは、安息日に麦畑を通りかかり、弟子たちが空腹のため、穂を摘んで食べた。パリサイ人がそれをとがめたことから安息日をめぐる論争が始まった。この論争は三つの段階を経ている。第一は、パリサイ人の批判で、安息日にしてはならないことが問題にされている。第二は、イエス様の答えから、安息日は何のためにあるのかを問題にしている。第三は、安息日はだれのためにあるかを明確にしている。28節の「人の子は、安息日にもまた主なのである」と言って、御自身がメシヤであると宣言したのはよく知られている。イエス様は、3章の初めの部分で、安息日が積極的に善を行う日である事を説いた。またイエス様を罠に陥れようとして引き出した片手のなえた人を癒し、安息日が善を行うためである事の模範を示した。(伊藤)

「12人の弟子たちの選出」3章7〜19節 2006年12月31日

イエス様は、パリサイ人たちやヘロデ党の者たちがイエス様を殺そうと相談しはじめたことに気づかれた時、ガリラヤ湖のほとりへ逃れました。しかしそこにも大勢の病人や汚れた霊を持った人々が押し寄せて来たので、その人々を癒してあげました。それからイエス様は山に登られ、祈りのうちに12人の弟子たちを選ばれました。イエス様は弟子たちに「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ16:15)と命じました。その弟子たちとは、無学なただの人たち(使徒4:13)、取税人、雷の子(気短な者)、裏切り者たちでした(マルコ3:16〜19)。主は、そのような者たちをあえて選ばれたのです。同様に私たちも、小さな取るに足りない者であっても、主の働きに参加できる幸いを覚え感謝していきましょう。(伊藤)

「解放してくださる方」3章19後半〜35節 2007年1月7日

この家は、カペナウムのペテロの家だったようです。イエス様のもとへ群衆が押し寄せて来ました。イエス様の家族は、イエス様が普通ではないと思い取り押さえようとするほどでした。律法学者たちはイエス様を、悪霊につかれていると非難しました。イエス様は次のようにおっしゃいました。国も家も内輪もめをしては成り立たない、悪霊が悪霊を追い出すだろうか、「強い人」すなわち悪霊は、人間を罪と死の奴隷にし「家財」のように閉じ込めている、この人を解放するには、強い人を縛り上げる必要がある、わたしが悪霊を追い出すのは、悪霊よりもはるかに強いのだ、と。そして、故意に聖霊の働きを否定する者は許されないと、厳しく言われました。 (市川)

「信仰によって」4章1〜20節 2007年1月14日

海べとは、ガリラヤ湖のことです。イエス様はガリラヤ湖に舟を浮かべて、岸辺からなだらかに続いている丘に集まった「おびただしい群衆」にお話になりました。これはみ声がよく響く自然の聴衆席でした。有名な種まきの譬えで、四種類の土地が出てきます。やわらかく耕された畑に蒔かれた種は、よく育ち、何十倍もの実を結びました。種は神様のみ言葉です。畑は人間の心を表しています。イエス様はこの譬え話の解説のはじめに、12節で、イザヤ書のみ言葉を引用して、神様のみわざを見ても、神様のみ言葉を聞いても、柔らかな心で信仰によって受け入れなければ、悟ることができず、豊かな実を結ぶことができないことを警告なさいました。    (市川)

「神の国の福音」 4章21〜34節 2007年1月21日

ここには4つの譬が語られている。前半の25節までには、神の国の福音に耳を傾けることが強調されている。まずイエス様は「あかり」の譬を用いて、隠れている神の奥義も、真剣に求めれば必ず悟ることが出来ることを教えた。次に「はかり」の譬を用いて、神の恵みを真剣に求めるものに、その恵みが増し加えられることを教えた。26節以降には、「成長する種」と「からし種」の譬から、神の国の姿を語られた。第一は、神の国が、この種のように、人間の思いや力の及ばないところでどんどん発展していくということである。第二は、神の国は、地上のどんな種よりも小さいからし種が、どの野菜よりも大きくなるように、ガリラヤ出身の弟子たちの小さな集団から始まったが、世界中のどの国よりも大きくなっていくという事である。(伊藤)

「なぜ信仰がないのか」4章35〜41節 2007年1月28日

イエス様が弟子たちと一緒に舟に乗り、ガリラヤ湖の向こう岸に渡ろうとされた時、激しい嵐に見舞われた。この嵐はガリラヤ湖の四方が山に囲まれているという特有の地形からくるものだ。弟子たちの中には、ガリラヤ湖で漁師だった者がいたにもかかわらず、あわてふためき動揺した。彼らは舟の舳の方で眠っておられたイエス様に対し「わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいににならないのですか」と非難して叫んだ。するとイエス様は起きあがり、「静まれ、黙れ」と言って、この嵐を一言で静められた。イエス様が、自然界をも支配するお方であることを示された奇跡だ。この出来事は人生の厳しい嵐を乗り越えるにも、イエス様に対する「信仰」が必要であることを私たちに教えてくれる。(伊藤)

「レギオンからの開放」5章1〜20節 2007年2月4日

イエス様たちがガリラヤ湖の向こう岸に着くと、墓場をすみかとしている人が出て来ました。彼はけがれた霊につかれ、足かせや鎖を砕きひきちぎり、石でからだを傷つけ奇声を上げていました。彼はイエス様を拝し「…わたしを苦しめないでください」と願ったのです。彼を拘束しているけがれた霊「レギオン」が底知れぬ所に追いやられるのを恐れて発した言葉でした。レギオンとは四千から六千の軍団を意味します。しきりに願ったので豚にはいり込むのをお許しになりました。二千匹あまりの豚はがけから海へ駆け下りおぼれ死にました。ほかの人にも、本人にもどうにもできないでいるこの人を、イエス様は本来の姿に立ち返らせて下さいました。(市川)

「恐れることはない。ただ信じなさい」5章21〜43節 2007年2月11日

今朝は長い箇所ですがゆっくり交読しましょう。イエス様は舟で向こう岸へ渡られユダヤへ戻って来ました。すると会堂司ヤイロが足元にひれ伏し、死にかかっている幼い娘に手を置いて助けて下さいと願いました。イエス様は一緒に出かけ、群衆もイエス様に押し迫りながらついて行きました。この群集に十二年間も病気で苦しんでいた女の人がまぎれ込み、うしろからイエス様のみ衣にさわりました。彼女は多くの医者にさんざん苦しめられ、持ち物をみな費やしても悪化していたのです。み衣にさわれば治していただけると思った彼女にイエス様は「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言ってくださいました。そうこうしているうちにヤイロは娘の死を知りましたが、イエス様は「恐れることはない。ただ信じなさい」とおっしゃり、娘を生き返らせてくださいました。(市川)

「イエス様の伝道方法」6章1〜13節 2007年2月18日

イエス様はガリラヤ伝道の初めにも故郷のナザレに行かれました。その時人々は受け入れませんでした(ルカ4:16〜30)。しかし、再び故郷のナザレにお出でになって会堂で教えられました。すると、そこに集まってきた人々は、幼い時からよく知っている大工の息子に、どうしてこんなに知恵や力あるわざが出来るのかを驚き怪しみ、イエス様の教えを聞いても信じませんでした。しかしイエス様は、呟いたり嘆いたりせず、「付近の村々を巡りあるいて教えられた」(6節)のです。どんなことがあっても、なんとしてでも伝道していく、これがイエス様の伝道方法でした。そしてバーネット先生から引き継がれた、私たち福音伝道教団の伝道方法です。この魂に対する愛のゆえに、イエス様は12弟子たちを伝道旅行に遣わされたのです。(伊藤)

「バプテスマのヨハネの死」6章14〜29節 2007年2月25日

12人、6組の伝道チームが各地でその奉仕を始め、大きな成果をあげるようになると、彼らの先生であるイエス様に注目が集められた。聖書注解者ベンゲルは「霊的なニュースが一番遅く伝わる宮殿の中まで、イエスの名前は伝わっていた」と言っている。人々は無責任に、イエス様のことをエリヤの再来だとか、素晴らしい預言者などと言っている。当時のメシヤ待望の現れである。しかし、イエス様の噂を聞いて動揺する者もいた。ガリラヤの国主ヘロデである。彼はバプテスマのヨハネを殺害した男であり、このことで良心の責めを感じていたからである。そのためイエス様のことを聞いて不安になり、「私が首をきったあのヨハネがよみがえったのだ」(16節)と言っていた。人はたとい王であっても罪の前には惨めな存在なのである。(伊藤)

「五つのパンと二匹の魚」6章30〜44節 2007年3月4日

イエス様も弟子たちも忙しくしていて食事をする暇もないほどでした。イエス様は、人を避けて寂しい所でしばらく休みなさい、と言ってくださいました。彼らが出かけると、人々はそれを見つけて先回りをしました。飼う者のない羊のような群衆をイエス様はあわれみいろいろ教えてくださいました。遅くなったので弟子たちは食事のために群衆を解散させようとしましたが、イエス様は五つのパンと二匹の魚を祝福して、弟子たちに配らせました。男の人だけでも五千人が満腹し、しかも残りは十二のかごにいっぱいになりました。弟子たちはイエス様の働きに加えていただいて、イエス様のすばらしさと人々の喜びに共に与らせていただいたのでした。  (市川)

「逆風と荒波」6章45〜56節 2007年3月11日

イエス様は弟子たちを舟に乗り込ませてベツサイダに行かせました。ご自分は群衆を解散させ、お一人で祈るために山に向かいました。夕方頃、舟はガリラヤ湖の真ん中に出ていて、逆風に悩まされ弟子たちは漕ぎあぐねていました。夜明け前にイエス様は湖の上を歩いて近づかれましたが、弟子たちは幽霊だと思って叫び声をあげたとあります。弟子たちの中にはガリラヤ湖で漁師をしていた人たちもいました。彼らが一晩中翻弄されたのですから、大変な逆風と荒波だったと思われます。また漁師だった人々が大声を上げて恐れたほど、彼らは心底恐れと驚きに圧倒されたのだと、想像します。イエス様は舟に乗り込んでこの逆風を静めてくださいました。 (市川)

「人の言い伝えとイエス様の教え」7章1〜13節 2007年3月18日

各々の地方で、様々な言い伝えや慣例がある。それらはもともと意味がないにもかかわらず、その形式だけを行うように強制される事が多い。エルサレムにいる権力者たちは、ガリラヤにおけるイエス様の働きを何とかして芽のうちに摘み取ってしまいたいと、攻撃の材料を鵜の目鷹の目で捜していた。だから彼らは、弟子たちのうちの何人かが、不浄の手でパンを食べていたのを見て、「昔の人の言い伝えに歩まない」(5節)とケチをつけた。しかし、イエス様はこの7章で、鋭い適切な表現をもって、人の言い伝えと神の戒めを解き明かし、神の真理と人間の真実について教えられた。私たちの周りにも、何だかわからない伝統等があって、それに縛られてしまう事があるから気をつけよう。(伊藤)

「心から出るものが人をけがす」7章14〜23節 2007年3月25日

イエス様は、言い伝えなどが導く欺瞞について律法の専門家たちをするどく指摘した。その後イエス様は、「すべて外から人の中にはいって、人をけがしうるものはない」(15節)と言われた。レビ記11章には、けがれた食物のリストが掲げられている。シリアの王エピファネスは、ユダヤ人を根絶やしにしようと豚肉を彼らに食べさせる策略をたてた。すると予想通り、彼らは汚れたものと定められている豚肉を決して食べず死を選んだ事がある。だからイエス様のこの言葉は、彼らを激しく怒らせた。しかしイエス様は人がその腹の中に入れるものは人を汚さないといったばかりではなく、さらに「人から出てくるもの、それが人をけがすのである」(20節)と言われた。そこで心の中から出て人をけがすもの12種類を列挙された。(伊藤)

「ツロ、シドン、デカポリス」7章24〜37節 2007年4月1日

イエス様はガリラヤ湖の北西の異教の地、ツロ、シドンに向かいました。その後、ガリラヤ湖の東南のデカポリスを通って再びガリラヤ湖畔にお戻りになりました。ツロの婦人について「女よ、あなたの信仰は見あげたものである」とマタイ福音書15章でお褒めになっていらっしゃいます。シドンでは、かつて神様はエリヤを用いて、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えないという奇跡によって、シドンのザレパテに住む親子を飢饉の間、養ってくださいました。また、デカポリスはギリシャ語を話す人々の移民の町で、ギリシャ文化の中心地でした。このように、イエス様はユダヤだけでなく異邦の民が住む町々村々をも訪れてくださったのでした。ガリラヤに戻ったイエス様は、耳の不自由な人を癒してくださり、彼の耳は開け、舌のもつれが解かれたのです。(市川)

「七つのパンと小さい魚」8章1〜10節 2007年4月8日

男の人だけで五千人の人々を養った奇跡に続いて、ここには男の人だけで四千人の人々を養った奇跡が記されています。大勢の群衆は三日間イエス様と一緒にいて、お話を聞きました。この近隣でなく遠くから来ている人々もいました。手元にあったのは七つのパンと小さい魚が少し。イエス様はこれを祝福して用いてくださいました。食べた人々は満腹し、残ったパンくずは七つのかごにいっぱいになりました。ヨハネ福音書のように、人々は、イエス様は飢えを満たす方、と誤って受け止め、イエス様を追いかけるのです。「命のパンである」(ヨハネ6章35節)イエス様に、人々の目が開かれるのは容易ではありません。ダルマヌタの地方とは、この箇所にだけ出てくる地名でガリラヤ湖畔西岸の一地域と考えられるようです。マタイ福音書15章にはマガダンと出ています(市川)

「二つのパン種を警戒せよ」8章11〜21節 2007年4月15日

エルサレムからやってきたパリサイ人は敵意に満ちていた。彼らはイエスに、もしあなたが本当にメシヤなら、そのしるしを見せるように要求した。「天からのしるし」は、神から遣わされたメシヤであることを示す証拠のことである。彼らはイエスがメシヤであるという噂が民衆の中に定着することを恐れて、本当にメシヤであるならばその証拠を見せるように詰め寄った。またガリラヤ湖の向こう岸に渡ろうとしていた船の中では、イエス様は弟子たちに「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とを、よくよく警戒せよ」と戒めた。パリサイ人のパン種とは偽善のことで、ヘロデのパン種とは世俗的、肉欲的な快楽主義のことである。そして現在も、キリスト教会が最も警戒しなければならない事は、この二つのパン種ではないだろうか。(伊藤)

「わたしをだれと言うか」8章22〜30節 2007年4月22日

ここには二つの記事が記されている。一つは盲人の癒しで、もう一つは、ペテロの信仰告白です。イエス様は、ガリラヤのベッサイダにおいて、ひとりの盲人を癒したばかりではなく、彼の手を取り、村から連れ出し、一対一になって、心と心の出会いを彼に体験させ、彼の心の目をあけてあげました。それからイエス様は、ピリポ・カイザリヤに行く途中、「人々は、わたしをだれと言っているか」と尋ねました。弟子たちは人々が「バプテスマのヨハネ、エリヤ、預言者のひとり」だと言っていると告げました。するとイエス様は「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」と尋ねました。これは私たち一人一人に対する重大な質問です。ペテロは、聖霊の導きで「あなたこそキリストです」と告白しました。では、あなたは何と応えますか?(伊藤)

「自分の十字架を負って」8章31〜38節 2007年4月29日

人々は死刑囚がこれから死刑にされるために、自分がつけられる十字架を背負って刑場に向かう姿を見ました。イエス様は罪のない神のひとり子であるにもかかわらず、同じようにゴルゴタに向かって十字架を負って歩まれました。すべての人の救いのために歩まれた十字架の道は、父なる神様から与えられた、イエス様の最大の使命でした。イエス様のほかに誰がこの使命を果たすことができるでしょうか。誰も代わることはできません。そしてイエス様が十字架を負って歩み十字架で死んでくださったので、信じる者の救いが完成したのです。私たちはイエス様を信じ、他の人には代われない、神様が与えてくださった生きるべき道を歩むとき「魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(マタイ11:29、30)ということを知るのです。(市川)

山でモーセに十戒を刻んだ石の板を与えました。エリヤは旧約時代を代表する預言者です。この二人がイエス様と一緒に語っていたのです。しかし、二人の姿はやがて消え、そこにはイエス様だけがおられました。イエス様は十字架でお死にになりますが、栄光に輝く御姿で三日目に復活なさいました。十字架の苦難と死の後に、栄光と勝利の御姿を明らかにしてくださいました。「これはわたしの愛する子である。これに聞け」という御声のとおり、永遠に栄光を受けられる方です。        (市川)

「信仰と不信仰の狭間で」9章14〜29節 2007年5月13日

山の上で、素晴らしい栄光が示されていた時、麓では不信仰を象徴するような事件が起きていました。山の麓に残った弟子たちのもとに、ある父親が悪霊につかれた息子を連れて来ました。弟子たちは悪霊を追い出してあげることを引き受けたようです。彼らは前に全国伝道に派遣された時、奇跡を行った実績があるので、自信を持っていたのです。ところが今、彼らはその力がありませんでした。この噂を聞きつけて、群衆と律法学者とが飛んで来ました。イエス様に対するまたとない攻撃材料が手に入ったからです。こうした中で、悪霊につかれていた息子をどうしても治して欲しいと願った父親の中に、イエス様との会話で、真の信仰が生れていったのです。(伊藤)

「一ばん偉いのはだれ?」9章30〜37節 2007年5月20日

イエス様はカペナウムに向かう途中、弟子たちに2度目の受難と復活の予告をされました。しかし彼らはイエス様の言われたことを悟ることができませんでした。人は誰でも、いくら説教で十字架のお話を聞いても、イエス様を受け入れるまではこの奥義を悟れないのです。弟子たちは、イエス様の受難と死と復活について悟れないばかりか、カペナウムに向かう途中に、「誰が一番偉いか」と論じ合っていたのです。あの素晴らしいヘルモン山での経験と、それと対照的に山の麓でのみじめな失敗がそのきっかけだったのでしょう。アウグスチィヌスは「高慢はすべての罪の本質である」と言いました。しかし、十字架のもとにひざまずいて主を仰ぎ望む者は、高ぶりと失望から救い出されるのです。(伊藤)

「ひきうすと塩」9章38〜50節 2007年5月27日

他の人をつまずかせることが、どんなに大きな罪か、「ひきうす」とは、ロバがひく大きな石臼で、これを首にかけられて海に投げ込まれるほうがはるかによい、と言われるほどです。また、自分をつまずかせるものを取り除いてどんな犠牲を払っても、永遠の命をいただくほうが大切だ、と言われています。体の一部である手を、あるいは足を切り捨てるという、激しい表現がなされていますが、手を動かし罪を犯させるのは心ですから、たとい手を切っても根本的な解決にはなりません。しかし、それほど真剣に、心の罪を神様の前に謙遜に素直に認めて、罪をお詫びしキリストの十字架の血によって赦し清めていただくことが大切なのです。塩は食べ物の腐敗を防ぐ作用をします。同様に、清い心と生活を求めて自分自身に厳しく、しかし周りの人には優しく平和に過ごすようにと教えてくださったのです。        (市川)

「パリサイ人の質問」10章1〜12節 2007年6月3日

イエス様と弟子たちはガリラヤ地方を去って南下しユダヤの地方にやって来ました。これがイエス様のエルサレムへ向かう最後の旅でした。こののち、イエス様は十字架で死なれ、三日目によみがえられました。さて、ユダヤでイエス様を迎えたのはパリサイ人たちで、彼らは、離婚についてどう考えていますか、と質問したのです。2節には「イエスを試みようとして質問した」とあり、律法に反することを言ったなら非難の根拠にしようと、彼らはねらっていたのです。イエス様は、本来人間は神様が定めた結婚という関係を解消することはできないこと、モーセの律法は、人間の弱さのゆえにやむを得ず許可された教えであると教えて下さったのです。(市川)

「天に宝を持つ生き方」10章13〜31節 2007年6月10日

人々は幼な子らを祝福していただきたいとイエス様のもとに連れて来た。ところが弟子たちはイエス様のお話の邪魔になると思い、近づくのをたしなめた。するとイエス様は彼らの態度をとがめ、幼な子をみもとに連れてくるように命じた。幼子は神の国に入る型だからである。道に出ると、富める青年はイエス様に「永遠の生命を受けるために何をしたら良いか」と質問された。イエス様はこの青年に三つのことを求められた。一つは、貧しい隣人に対する愛。二つは、天に宝を持つ信仰。三つは、イエス様に従う生活である。これらは天に宝を持つ者の生き方である。しかしこの富める青年は、それまでの自分の生き方と持ち物を手放さず永遠の生命を得ようとしたので、イエス様の言われたことを一つも実行することが出来なかった。(伊藤)

「仕える者になりなさい」10章32〜45節 2007年6月17日

イエス様はエルサレムへの旅を続けられた。エルサレムはイエス様に激しく敵対している祭司長や律法学者等のいる所である。弟子たちは、先頭に立ってひたすら進まれるイエス様の姿に言いようのない不安と驚きを感じた。ここでイエス様は三回目の十字架にかけられ復活する預言を語られた。しかし弟子たちは、今度もイエス様の語られた意味を悟ることが出来ず、主を悲しませた。第一回目の預言の時は、ペテロが差し出口をはさみ(8:32)、二回目の時は、「だれが一ばん偉いか」という名誉争いをし(9:34)、そして今度はヤコブとヨハネが母親と一緒に、主が栄光をお受けになる時、その右と左にすわる栄誉を与えてください、と頼んだのである。それに対してイエス様は、ご自分のように仕える者となるようにと諭された。(伊藤)

「バルテマイ」10章46〜52節 2007年6月24日

イエス様と弟子たちはエリコにやってきました。エルサレムの都はもうすぐです。イエス様は何日かのちには十字架で死なれたのです。このとき、十字架の死の直前、という緊張感が弟子たちにもあったのです。群衆はイエス様を取り巻いていました。いつものように道端で物ごいをしていた盲目の人が、群衆の急ぎ行く足音に、何事かと尋ねますと、ナザレのイエスがお通りなのだ、と知らされました。彼は大声でイエス様をお呼びしました。多くの人々がしかって黙らせようとすると、なんとますます激しく叫び続けました。イエス様は彼に「わたしに何をしてほしいのか」と敢えてお尋ねになり、願いと信仰を確認なさったのですが、実は、彼がイエス様への信仰を確認する機会を与えてくださったのです。癒されて、バルテマイが目にしたのは、十字架を目前にした、しかし慈しみに満ちたイエス様のみ顔だったでしょう。(市川)

「エルサレム入城」11章1〜14節 2007年7月8日

イエス様は十字架を目前にして、エルサレムの都に入城なさろうとしていました。オリブ山沿いを進み都にさしかかると、弟子たちに、近くの村に行ってろばを連れて来なさい、とおっしゃいました。しかもまだだれも乗ったことのない子ろばを。イエス様は旧約聖書に長い間預言されてきた、神の御子、救い主に関するみ言葉のとおりに入城なさったのです。まさにこの出来事は聖書のみ言葉の成就でした。小さな国土のユダヤは、長い歴史において、南北の大国の脅威にさらされ続け、戦いで苦しみを味わってきました。エルサレムに入城なさったイエス様は、軍馬ではなく、人々の日常で親しみ深いろばにお乗りになりました。イエス様こそ平和の王なのです。私たちが、平和の王であるイエス様を信じて心にお迎えするなら、主にある平和が与えられ、広がってゆくのです。 (市川)

「宮きよめ」11章15〜26節 2007年7月15日

イエス様は宮に入られると、そこで商売をしている人や、不正を働いている人を見て、激しく怒り、「『わたしの家は、すべての国民の祈りの家ととなえらるべきである』と書いてあるではないか。それだのに、あなた方は強盗の巣にしてしまった」と言われました。祭司たちは犠牲のための動物を法外な値段で売ったり、不正な両替をしたりしていたからです。その翌朝、弟子たちは、イエス様が呪われたあのいちじくの木が、枯れているのに気がつきました。イエス様は、山も動かすことが出来る、という祈りの力を教えるために、いちじくの木を枯らさせたのです。そして祈りに大切なのは、他の人に対する恨みを心の中に持っていてはならないことです。神様がキリストによって、私たちを赦してくださったように、私たちも自分に対して罪を犯す人々を赦す必要があるからです。(伊藤)

「何の権威によって」11章27〜33節 2007年7月22日

イエス様はエルサレムに入ってから、毎日のようにソロモンの廊で教えていた。すると、祭司長、律法学者、長老たちが、イエス様のところに来て「何の権威によってこれらの事をするのですか。だれが、そうする権威を授けたのですか」(28節)と詰問してきた。それはイエス様が神殿をきよめるために両替人や鳩を売る商人たちを追い出したからだ。この時彼らは、「どうにかしてイエスを殺そうと計った」(18節)とある。ですからこの権威の論争には殺意が伺える。しかしイエス様は「ヨハネのバプテスマは天からであったか、人からであったか、答えなさい」。と返答不可能な問いを逆に突きつけ、これをかわされた。(伊藤)

「最後に息子を」 12章1〜12節 2007年7月29日

祭司長、律法学者、長老たちがイエス様に、何の権威によって宮清めをしたのか問いただしました。このやり取りのあと、イエス様はひとつの譬をお話になりました。ある人がぶどう園を農夫たちに貸して旅に出ました。収穫時期に、主人はひとりの僕を送って収穫の分け前を取り立てさせましたが、袋だたきにして、から手で帰らせました。三回目には僕を殺してしまいました。主人は大勢の人々を送りましたが打ったり殺したので、最後に愛する息子を送ったのです。しかし、農夫たちは息子をも殺してしまったというのです。旧約時代の預言者たちの言葉に背を向け迫害し、父なる神様が送ってくださった救い主イエス様を、彼らは、いよいよ捕らえようとしたのです。しかし群衆を恐れてしかたなく立ち去りました。 (市川)

「ジレンマ」12章13〜17節 2007年8月5日

祭司長たちはイエス様逮捕の口実をつかもうと今度は、パリサイ人やヘロデ党の者たちをつかわしました。彼らはローマ政府に納税することは正しいのか、と質問しました。当時成人一人1デナリの人頭税納付義務がありました。パリサイ人は選民イスラエルが異邦人に納税するのは反対の立場、ヘロデ党はヘロデ王家再興のため、ローマ政府よりの立場でした。イエス様を陥れるため、両立場の人々をつかわしたのです。イエス様はデナリ銀貨に刻まれた皇帝の肖像を示し、果たすべき義務を果たすように、同時に、神様に命をいただき生かされている人間として、神様に感謝し信じ従うべきことも明らかにしてくださいました。彼らはイエス様の言葉に驚嘆しましたが、なお心を閉ざしたままでした。(市川)

「復活論争」マルコ福音音書12章18〜27節 2007年8月12日

ここは、エルサレムでの三つの論争の最後で、復活を巡っての論争である。サドカイ派の人々は復活はないと主張していた(18節)。彼らは旧約聖書の中でも特にモーセの五書(創世記から申命記まで)を大切にし、復活を信じていなかった。そこで、イエス様が教えている復活の誤りを指摘してやろうと論争をしかけてきたのである。「7人の兄弟が次々と結婚したが、……7人ともみな子孫を残さず死に、最後に彼らの妻となった女も死んだ。復活のとき、彼らが皆よみがえった場合、この女はだれの妻なのでしょうか」(20〜23節)という質問だ。イエス様はこの質問に対して、天国における有様は、この世の関係の延長であるように考えるのは誤りで、「あなたがたがそんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからだ」と論破した。(伊藤)

「愛の戒め」12章28〜37節 2007年8月19日

ある律法学者が、人々が互いに論じ合っている中で、イエス様が巧みに答えられるのを認め、「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」と質問してきた。この質問に対して、イエス様は旧約聖書から二つのいましめを引用して答えた。イエス様はまず、申命記6章4,5節を引用して、「神を愛せよ」ということが最も大事ないましめでであると答えた。申命記6章4節は「シェマ、イスラエル」(イスラエルよ聞け、という意味)で始まる。イスラエルの人々はこの言葉を暗記し、生活の基礎としている。次に、レビ記19章18節を引用して、隣人愛のいましめをお示しになった。神を愛することと、隣り人を愛することは、順序を逆にすることは出来ないが、車の両輪のように、切り離すことが出来ない関係にあるといえる。(伊藤)

「レプタ二つの献金」12章38〜44節 2007年8月26日

イエス様は、本来人々を導くはずの律法学者が注目と尊敬を集めようとする誤った姿を指摘なさいました。さて、イエス様は神殿の内庭で献金箱に向かってお座りになっていました。立派な服装をした裕福そうな人々が次々に気前よく大金を投げ入れていました。そこへひとりの貧しい未亡人がやって来ました。そしてレプタ銅貨二つを投げ入れました。これは1コドラントで、一日の労賃とされる1デナリの64分の1に相当しました。イエス様は弟子たちを呼んで、あの婦人はだれよりもはるかに多く投げ入れたこと、ほかの人はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人は乏しい中から、その生活費全部を投げ入れたのだ、とおっしゃいました。彼女の心に満ちていたのは主への感謝と信仰で、喜びに溢れたささげものだったからでしょう。(市川)

「終末の前兆」13章1〜13節 2007年9月2日

イエス様は、日曜日にエルサレム入城なさり、祭司長たちから次々と質問を受けたのです。11章20節から13章は「論争の火曜日」といわれ、この箇所も含まれます。二日後の木曜日には最後の晩餐、翌日には十字架でお死にになりました。さてイエス様は東のオリブ山から神殿をご覧になりながら終末の前兆について話されました。イエス様を名乗り「自分こそそれだ」と言う人々が現れること、戦争と戦争のうわさを聞いてもあわててはいけないこと、地震、飢饉等の自然災害、しかしこれは産みの苦しみで、信じる者には苦しみの後、喜びの時がくること、弟子への迫害。証しと福音宣教。信仰を持って最後まで耐え忍ぶ大切さを教えて下さいました。  (市川)

「終末の大患難」 13章14〜23節 2007年9月9日

「荒らす憎むべきもの」が、自分の立ってはならない所に立ったならば、それは大患難として知られている最後の恐るべき地上のさばきの時が到来した、という告げ知らせです。この出来事はダニエル書9:27、11:31、12:11の中に示されています。この預言は、まずシリア、セレウコス朝のアンティオコス・エピファネスが、ユダヤでは不浄の動物であった豚を神殿の聖所に犠牲としてささげたことによって成就しました。二度目の成就は、ローマ軍がAD70年にエルサレムを占領した時です。ユダヤ人のクリスチャンたちはこの警告を覚えていて、これに従い安全に逃れたと言います。そして、三度目(最後)の成就は、キリストの再臨の到来の告知として、苦しみとさばきの時に先立つ、反キリストの現われの時に起こります。(伊藤)

「終末の日の到来」13章24〜37節 2007年9月16日

やがて終末の時がやって来ます。その日には、地上の苦難や迫害に続いて天地に異変が起こり、そしてキリストが再臨されます。私たちは、「いちじくの枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏が近い」(28節)とわかるように、毎日の新聞、テレビを見ても、終末に向けて秒読みが始まった時代に生きていることを強く感じます。私たちは主の十字架と復活を信じているのと同様に、主の再臨を信じています。主が私たちの罪のために死んで、義とするために復活されたように、栄光の中に私たちを迎えるために再びおいでになるのです。けれども、キリストが来られる時期については、神様だけが知っておられます。ですから私たちは主から任されたことを励みつつ、再臨の備えをするのです。(伊藤)

「ナルドの香油」 14章1〜11節 2007年9月23日

3節は「重い皮膚病の人シモン」と読み替えてください。過越の祭が二日後に迫りました。この祭にはイースト菌を入れずに焼いたパンを食べます。発酵させる間もなく忙しくエジプトを脱出したことを記念し、主の恵みを感謝して毎年守られてきました。祭司長や律法学者たちはイエス様を殺そうとしていましたが、ユダヤ人が各地から集まる過越の祭では民衆の騒ぎを警戒していました。シモンの病気は完治していたのでしょう。イエス様も食事に招かれた席でのことでした。ある女の人が非常に高価で純粋なナルドの香油をイエス様の頭に注ぎ信仰による感謝を表しました。300デナリとは300日分の労賃です。これは十字架を目前にしたイエス様の葬りの備えとなりました。信仰によって時を逸しなかった彼女の奉仕は主の十字架と復活とともに語られ続けています。 (市川)

「契約の血」14章12〜25節 2007年9月30日

過越の祭の最初の日、弟子たちはイエス様に過越の食事の用意をどこでしたらいいでしょうか、と尋ねました。イエス様は二人の弟子を使いに出しました。この二人はペテロとヨハネでした。イエス様は、水がめを持っている男に出会うのでついて行き、その人が入って行く家の主人が二階の広間を見せてくれます、というお言葉のとおりでした。彼らは過越の食事の準備をしました。主イエス様は十字架の前夜、パンを取り「これはわたしのからだである」また杯を取り「これは多くの人のために流すわたしの契約の血である」と言われました。コリント人への第一の手紙11章25,26節には「記念として、このように行いなさい。…主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである」とあります。十字架で裂かれたキリストのお体、流された血潮を記念して今も聖餐式が執り行われ続けています。(市川)

「イエス様の祈り」14章26〜42節 2007年11月4日

イエス様は、オリーブ山に向かう途中で弟子たちに「あなたがたは、皆、わたしにつまずくであろう」と言われ、またゼカリヤ書13章7節を引用し「わたしは羊飼を打つ。そして、羊は散らされるであろう」と言われた。弟子たちが散り散りになることの予告だが、ペテロは、これを打ち消した。自信を持っていたからである。その時イエス様は、ペテロがもうすぐ自分を否定することを知っていたので、「あなたの信仰がなくならないようにあなたのために祈った」と諭された。何という深い愛だろう。続いてのゲッセマネの祈りは、祈りの真髄といわれる箇所だ。私たちもイエス様に倣って、どんな時にも「みこころがなるようにしてください」と祈りたい。(伊藤)

「イエス様の逮捕」14章43〜52節 2007年11月11日

ゲッセマネの園の緊張の中に、12弟子のユダが祭司長、律法学者、長老たちから送り出された軍団を引き連れて来た。ユダは愛する教師に対する尊敬と愛情のしるしである接吻を、彼らがつかまえようとしているイエスがこの人であるという合図に使った。悪魔のような愛に対するあざむきである。そばにいた弟子ペテロは、剣を抜いて大祭司の僕に切りかかった。少し前に、たとい死んでもあなたを知らないなどとは言わない、と断言した手前もあって、とっさにやった感じだ。イエス様は祭司長たちが剣や棒で捕えようとしているのを非難したが、戦おうとはしなかった。そこで弟子たちは皆逃げ去ってしまった。「ある若者が……その亜麻布を捨てて、裸で逃げて行った」(51,52節)とある。多くの学者がこれは著者マルコだという。彼がそこにいたことを証言したいからである。(伊藤)

「偽りの判断」14章53〜65節 2007年11月18日

55節56節には「イエスに不利な証拠を見つけようとしたが、得られなかった。多くの者がイエスに対して偽証を立てたが、その証言があわなかったからである。」とあります。57節以降にも「ついに、ある人々が立ちあがり、イエスに対して偽証を立てて言った、…しかし、このような証言も互に合わなかった。」とあります。祭司長たちも、全議会も躍起になってイエス様に不利な証拠を見つけようとしましたが得られませんでした。大祭司はイエス様の「わたしがそれである。…」という言葉を「けがし言」と判断し「彼らは皆、イエスを死に当るものと断定した。」のです。イエス様は真理を証言なさったのです。事実、イエス様は父なる神様のひとり子、キリストであり、十字架と復活ののち、再び天の雲に乗っておいでになるお方です。(市川)

「泣きつづけたペテロ」14章12〜25節 2007年11月25日

ペテロは、イエス様が気がかりで遠くからついて行きました。とうとう大祭司の中庭に入り込み、下役たちに混じって焚き火にあたっていました。イエス様の仲間のひとりだ、と言われると、ペテロは否定して、三度目には「あなた方の話しているその人のことは何も知らない」と言い張って、激しく誓いはじめた、のです。ガリラヤの漁師として家族を養ったペテロ。弟子の一人として召され、イエス様と三年にわたって歩んだペテロ。年長者でもあり弟子たちの筆頭として歩んだペテロ。彼が「その人のことは何も知らない」と激しく誓いはじめたのですから、イエス様の仲間だと知られるのを、どんなに恐れていたかよくわかります。捕らえられて処刑されるかもしれないと恐れたのでしょう。このペテロをなにもかも知っていてくださって、あらかじめお語りくださった主のみ言葉が心に響いて彼は「泣きつづけた」のです。 (市川)

「総督ピラトの前での裁判」15章1〜20節 2007年12月2日

早朝の議会で決められた事項は、イエス様をローマ総督ピラトのもとへ送ることだった。送られたイエス様はピラトに対しても、自分が王であるとを言ったが、ピラトはイエス様が、王らしい風貌は何もなかったので、空想家位と思ったに違いない。そればかりかイエス様を訴えたのは、祭司長たちの妬みである事は重々承知していた。またピラトはイエス様が罪のないことを知っていたが、彼らの感情を害さないように、囚人バラバかイエス様のどちらかを赦す方法を彼らに提案した。すると群衆は驚いた事に、イエス様を「十字架につけろ」と叫んだのだ。箴言14章30節に文語訳で「妬みは骨の腐れなり」と記されている。妬みとは本当に恐ろしいものだ。(伊藤)

「十字架上のイエス様」15章21〜41節 2007年12月9日

十字架につけられて殺されようとしているイエス様に対し、十字架の下ではローマ兵がイエス様の着物を誰が取るかでくじ引きをし、野次馬連中はイエス様をののしった。祭司長たちも品のない悪態をついていた。昼の12時になると、不思議な暗闇が全地を覆い、しかもそれが三時間も続いた。その時「イエスは大声で、『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ』と叫ばれた。それは『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』」という意味である」(34節)。イエス様のお苦しみがどんなであったか、私たちには理解する事など不可能だ。しかし、この言葉をかみしめていくと、神様の愛を見るような気がする。だからパウロが「言いつくせない賜物のゆえに、神に感謝する」(Uコリント9:15)と書いたのではないだろうか。 (伊藤)

「ここにはおられない」15章42〜16章8節 2007年12月16日

イエス様が十字架にかかってお死にになった日は、安息日の前日でした。夕方、アリマタヤのヨセフは、ローマ総督ポンテオピラトの所へ行き、イエス様のおからだの引き取り方を願い出ました。ピラトが「イエスがもはや死んでしまったのかと不審に思う」ほど、イエス様はすべての人の罪の身代わりに、極限の苦しみを受けてくださったのです。ピラトは、イエス様の死を百卒長からも確かめた上「死体をヨセフに渡した」のです。ヨセフたちは没薬と沈香を用いて亜麻布でおからだを巻き、岩を掘った横穴の、ヨセフの新しい墓に納めました。入口を大きな石でふさぎました。三日目の朝早くマグダラのマリヤたちが出かけてみると墓の石は取りのけられ、御使いがこう告げました。「ここにはおられない。…」と。墓はからでした。主はよみがえられたのです。 (市川)

「イエスはよみがえって」16章9〜20節 2007年12月30日

「週の初めの日の朝早く、イエスはよみがえって」最初にマグダラのマリヤに御自身をあらわされました。また、ふたりの弟子たちに御自身をあらわされました。その後、十一弟子が食卓についているところに現れられました。主は、彼らの不信仰と心のかたくななことをお責めになりました。「彼らは、よみがえられたイエスを見た人々の言うことを信じなかったからである」(14節)。マグダラのマリヤは「イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいる所に行って、それを知らせた」のですが、彼らは信じなかったのです。彼らは、なお悲しみの中にいたのです。彼らは、イエス様が死からよみがえって、今生きて一緒にいてくださることがわからなかったからです。しかし、事実「イエスはよみがえって」くださり主は生きておられるのです。 (市川)