トピック集(5) 随筆 (古い説教ノートから)
週報の反響
新型週報のスタイルが、試行錯誤の末にやや定まった感じだ。「字が大きくて読みやすい」と言う人もある。「前の週報の方が見よかった」と言う人もある。だんだん慣れるでしょう。
週報を毎月送っている遠方の人の中には、礼状や感想を送ってくれる人もいる。「こんど週報のスタイルが変わりましたね。字が大きくなって読みやすい」と言ってきた人もいる。「今度は投稿も出来るそうですが、私の詩を送ります」と言って来た人もいる。とにかく反響は嬉しい。
「『メッセージ欄』や『今日の交読文』を読むと勉強になる」とも言う。「『埋め草』がなかなか楽しい」と言う人もある。
週報は溜まってゆくといつしか教会の歴史にもなる。古い週報を出してみるとなつかしい昔が思い出される。
いま毎月1回礼拝でお話している「館林教会史」の準備などに、古い週報がどんなに役立っているか分からない。これからは索引で関係事項を即座に検出できるから、さらに便利になるだろう。
いくらか紙面が広くなったから、埋め草などを書く余地が増えた。信者の有志にも投稿して頂いて、いよいよ豊かでバラエテイーに富んだ、活発なものにして行きたく熱画願っています。
グレゴリアンチャント
毎月2回、金曜日夜の「教会史」の勉強も進んで中世期に入った。初代教会の門に使徒パウロが立ち、近世宗教改革の門にルッターが立っているように、中世期教会の入り口にはグレゴリウス1世が立っている。彼は良い意味でも悪い意味でも、中世カトリック教会の基礎を築いたのだ。この傑出した人物を勉強するうちに「グレゴリアン・チャント」が出てきた。これはみんな聞いたことがあるし、賛美歌にも出ている。私も簡単に「彼が作曲した賛美歌」ぐらいに考えていたが、実はこれは彼が集大成した、西方教会の膨大な「典礼歌集」なのだ。そこで少しこれを調べ、またレコードも買ってきた。そこで今週の「教会史勉強会」では、少し賛美歌の歴史と、グレゴリアンチャントについて話し、レコードを鑑賞しよう。教会史の余興だと思って、興味のある人は誰でも参加して下さい。それにしても第1コリントに「もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない」とある通り、我々は知らないことが多い。勉強好きな信者に囲まれ、私も集会中に知らないことに気が付いて、いろいろ調べる機会を持てるのを、感謝している。
マンション
むかし日本に来た外国人は「日本人は竹と紙の家に住む」と、はかなくも美しい表現をした。
戦後は外人に「日本人は兎小屋に住む」と悪口を言われた。「マンション」は外国では城のことで「大名だった先祖の城に子孫が住んでいる」ようなイメージだそうで、日本に住む外人は本国への手紙に、自分の住所をマンションと書くのが照れ臭くて困るそうだ。
しかし日本人にとっては、とにかく鉄筋コンクリートの家に住むのだから、ロンドンやパリのアパートメントのように、100年も安心だと思ったのも無理はない。ところがコンクリートの壁は、乾燥すればひびが入るのを防ぎようがない。次第に雨水が染み込むのもやむを得ない。その水が回りまわって変なところから漏る。変なところを腐らせる。
バスのお湯が出なくなって、バスに乗って銭湯に入りに行く。よく調べて見ると排水管の曲がり角に髪の毛がいっぱい詰まっていたなどという。永久の安住は夢のまた夢。
実は買って住んでから10年程度で、修理に大金を要するそうだ。
木造家屋も修理は必要だが、そういう深刻なことはない。それなりの我慢をすれば、至極天下太平な暮らしが出来る。やせ我慢ではないが、当教会の牧師館などは典型的だ。
よその人は「これが小林牧師の家ですか」などと言うが、実に快適な生活なのです。
木造家屋はカン高い音を吸収する。ぎらぎらした光をやわらげる。起居の感触もソフトだ(コンクリートの床で働く人は、よく板を持ってきて足の下に置く)。
狭くても、潜水艦のように上手に片付ければ、これもまたよし。良寛和尚の五合庵のようだ。
下駄物語
この前木造家屋の良さを書いたが、昔、足にはいた下駄もなかなか良いものだ。
第一風通しが良いから水虫などにはなりにくい。親指と第二指の間に鼻緒を挟んで、足の裏で調子を取りながら歩くから、足の裏の強さと運動神経が良くなり、偏平足は少なかった。
今の子供は偏平足が多いと聞くが、恐らく行動にも影響があるだろ