神様は避け所(ステップテキスト3)
「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである」
詩篇、46篇1節
1 あなたにとって神とは
「あなたはクリスチャンですか」「ハイ、私はクリスチャンです」「では、あなたは神を信じていますね」
「ハイ、私は神を信じています」「それでは聞きますが、ズバリ、あなたにとって神とは何ですか」
「はい、それはズバリ、詩篇46篇1節に『神はわれらの避け所、また、力、悩める時のいと近き助けである』とあるとおりです。
私にとって、神様は第一に『避け所』です。
第二に『力』です。
第三に『悩める時のいと近き助けである』ということです。」
2 避け所
避け所とうのは、避難する場所という意味でしょう。
人間は弱いものだから、暑い時には帽子をかぶり、寒い時には重ね着をしなければならない。
家のなかにもク−ラ−をつけ、ストーブを燃やす、雨がかからないように屋根をふき、風が入らないように壁を作る。
このように、自分の身体を守り、健康な生活をするために、何かの陰に身を隠し、何かで自分をカバ−します。
弱い人間には避け所なしの、裸の生活はゆるされないのです。
しかし、私達の精神上の生活はどうでしょうか。身体に雨がかかるように、悲しみの雨は遠慮なく私達の心を襲います。
また、体の寒さだけではなく、難しい境遇や事情や人間関係の中で、私達の魂は冷えきってしまうことがあります。
そのときに、私達の心を、魂を休ませるのはどこでしょうか。
家に帰ってきて、奥さんや子供の顔を見て、テレビを見て、食事をして、そして寝床に入ると、ぐっすり眠ってしまう。「ああ、どんなに疲れても家庭は私にとって避け所だ」というのも本当です。
けれども実は、それは比較的問題がない時の話なのです。
本当に深刻な問題に追い詰められてくれば、家庭も決して休息所ではない。寝床も決して避け所にはならない。ときには一夜転々反側、眠ることもできないほど私達の心は脅かされます。
ここに「神はわれらの避け所」と書いてあるのは、そういう時に、神の前に一生懸命お祈りすると、私達の心の中に不思議な平和がよみがえってくる。不思議な安心感を持つことができる。また、困難や問題に立ち向かう力を新しく回復することができる。
こういう意味です。
これは神を信じる者の実際の生活実感なのです。
3 力の源泉
それから「神は力」です。これも分かり易いことでしょう。神の恵みの供給は、いつもわれわれの体力の源泉です。たとえば物を食べ水を飲むとか、あるいは新鮮な空気を呼吸するとか、私達の体力を維持しようと思えば、神様からその力の供給を受けなければならない。
反対にそれらの神の恵みの供給を全部拒絶してしまえば、私達の体力はなくなってしまいます。
しかし、体力だけでなく、私達が魂の中に神の力の供給を受けるのは、さらにすばらしいことだと思います。
同じ境遇の中にいても、一方の人はがんばる、片方の人は自殺してしまう。同じ誘惑に遭っても、片方の人は誘惑をはねつける。片方の人は誘惑に負けて自分の一生を駄目にしてしまう。この区別はどこにあるのでしょうか。
それは、精神的、人格的な力があるかないかによって決まります。
完全に装備された電車があり、運転する人も、車掌さんもいます。乗客も全部そろいました。その電車でも、電気の力を入れなければ走りません。パンタグラフをあげて、電気の力を入れると、電車は走り始めるのです。
人間が魂の中に神の力を受けるのも同じです。
ですから、クリスチャンは朝お祈りをし、日中も、また夜もお祈りをし、聖書を一生懸命読みます。
こうして神様から心の中に力をいただきます。それをいつも続けている。これがクリスチャン生活であり、クリスチャンの精神的な力の秘訣なのです。
4 助けてくださる神様
また、神様は「悩める時のいと近き助け」です。
いくらクリスチャンでも、長い間には、病気になることがある。ところがお祈りしていると、奇跡的な感じで病気が治る。事故に遭う。被害が非常に少なくてすむ。また神様が守って下さったのだと感ずる。
そういう経験がなかなか多いのです。
クリスチャンは沢山そういう経験をしていますが、それをここで全部お話することはできません。みなさんの身近にいるクリスチャンに「あなたは神様に守っていただいた、助けていただいた、という経験がありますか」と聞いてごらんなさい。
たくさんの答えが返ってくると思います。
ちょうど親が子供を保護するように、神様は信じるもののそばにいて、いつも守り、助けてくださいます。だから「悩める時のいと近き助けである」と言われるのです。
よく昔から、お医者さんと、弁護士さんと、牧師さんとはふだんから仲良くしておいたほうがいいといいます。いざという時に相談相手になり、助けてもらえるからでしょう。
同じように、クリスチャンにとっては「神がわれらの避け所、また、力、悩める時のいと近き助け」なのです。
「私にとって神はズバリこういうお方です。こういう神様を信じ、神様と深く交わり、神様に導いていただき、私は神様と共なる生活を送っています」これがクリスチャンの告白です。
5 一番の幸福は
イギリスのジョン・ウエスレ−という有名な牧師さんは、亡くなるときに「どんなに良いことよりも、どんなにすばらしいことよりも、一番幸福なのは、神様が私と一緒にいてくださることだ」と繰り返し言いながら亡くなったそうです。
これは今日でも、すべてのクリスチャンの実感であると思います。