館林キリスト教会

トピック集

ステップテキスト

子どもイエス

トピック集(1) 随筆 (古い説教ノートから)

健康と病気(1)

 今年はわりあいに暖かいが、時々急に寒い日があって、風邪がはやっている。そのほか、病気で試練を受けている人もなかなか多い。わたしはいつも会衆の健康のために祈っている。またわたしの健康のために捧げられている、会衆の熱い祈りに感謝している。
 始終病気をして、みんなに心配をかけながら、なかなか死なない人を「病み上手の死に下手」と言うそうだが、わたしは若い時「小林さんは、寝上手の病み下手だ」と言われた。実は今もその調子で持っているのかも。
 カルヴァンは、喘息と痛風と結石と発熱など、多くの病気を抱えていたので「足の生えた病院」などとあだ名されたが、その弱い体を神に献げ、祈りつつ神の恵みに支えられ、よく28年間に渡って困難な宗教改革の事業を成し遂げた。
 天海僧正の長寿歌に
 「気は長く、勤めは堅く、色薄く、食細うして、心広かれ」
 「長命は粗食、正直、日湯、だらに(経文)、おりおり御下風(放屁)あそばさるべし」
などとある。病気に対する対応もいろいろだ。いずれにしろ神様がわれわれの健康を支えて下さるのは、ありがたいことです。

健康と病気(2)

 わたしは若い頃肺結核にかかり、喀血を繰り返した。ある人がそういうわたしに「昔から、意志の強い人は脳溢血になる。粘り強い人は胆石病になる。デリケートで頭のいい人は結核になる。病気にならない人はお丈夫で結構です、というのですよ」と教えてくれた。慰める気だったのだろう。しかしそれも今は昔話で、高齢になった今も奉仕を続けている。神様の恵みを感謝せざるを得ないのだ。
 名優だった初代中村吉衛門は病身で、薬を絶やさなかった。人から「お元気そうですね」と言われると機嫌が悪かったそうだ。娘の正子さんが少女で初舞台のとき、化粧台に瓶が載っていた。お父さんの化粧台にいつも薬瓶が置いてあったので、そうするものだと思って置いてもらったのだそうだ。正子さんは今の幸四郎、吉衛門のお母さんです。
 医学博士、文学博士、軍医総監、帝室博物館長、森 鴎外博士が晩年の大正11年(その頃彼は体調が不調で、医師にかかるように勧めれていた)、博物館でしたためて、友人の賀古鶴所に宛てた手紙に、彼が医者にからない理由を説明している。
 「僕ノ左ノ胃ニ何物カガアル。卒業ノ年ニ肋膜炎ヲヤッタアトガ寒ゴトニチクチク痛ム。近年ハセキガデル。腎臓ニモ何物カガアルダロウ。イマコレヲ医者ニミセル。ソシテハッキリ病気ヲ知ッテ、サテ用心スル点デモアルカ。女、酒、煙草、宴会ミナ絶対ニヤメテイル。コノ上ハ、役所ヲ退クホカナイ。シカシコレハ僕ノ目下ヤッテイル最大著述(中外元号考)ニ連絡シテイル。コレヲヤメテ1年長ク呼吸シテイルト、ヤメズニ1年早クコノ世ヲオイトマ申ストドッチガイイカ考エモノデアル。ココニドンナ名医ニモ見テモラワナオトイウ結論ガ生ズル」。

牧師転倒物語

 私は先週日曜日の朝、転倒してストーブにぶつかり、ストーブは消え、部品が跳ね飛び、胸を痛くした。(家内は倒れて目を開いている私を見て「本当なの」と言った。いつもふざけているので、まず確かめるのだ)しかし気絶したわけではなくすぐに立ち上がった。
 またその朝の礼拝説教のご用もつつがなく果たした。私はもともと立ちぐらみの癖があって、そういう時は「人間はこんなふうにして倒れるのだな」と思いながら少しこらえていると、すぐ直るのだ。
 倒れたのは初めてだった。 みなさんにもご心配をかけた。月曜日には心配した橋田医師から電話を頂いた。火曜日に行って診ていただくと、丁寧に診察した上「『起立性低血圧(立ちぐらみ)』だから深く心配するには及ばない」ということだった。
 骨折ではなくも脇腹が痛かったが、夜は熟睡できて何のこともなく、二日後にはほとんど痛みを感じなくなった。
 感謝です。
しかしこれも神様の警告だから、これからこんな時は、こらえないですぐしゃがむことにします。しかし信者の看護婦さんがすぐお医者に注進し、お医者が心配してすぐ電話を下さるとは、なんとありがたいことか。
 またみなさんに祈っていただいて、こんなに早く回復するとは、何という感謝だろう。もともと私は身も心も神と教会に捧げた人間だが、いよいよ感激して奉仕に励まなければなりません。
 それにしても「だから立っていると思うものは、倒れないように気をつけるがよい」という聖書のみ言葉が身にしみますね。
 転倒牧師敬白