館林キリスト教会

トピック集

ステップテキスト

子どもイエス

イエス・キリストの十字架 (ステップテキスト5)

「キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである」
ペテロの第一の手紙.2章22〜24節

1 キリストの伝記

今日は、イエス・キリストについて、また十字架について話します。
イエス・キリストの生涯については、新約聖書の中に、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの、4人の弟子によって記された福音書、すなわち彼の伝記、あるいは言行録があります。これを読むと、イエス・キリストはどんな方かということが、よくわかります。
今から約2000年昔、今のイスラエル共和国、当時のユダヤの、ベツレヘムという町に、キリストは生まれました。このキリストの誕生を世界中で祝うのがクリスマスです。
このように、イエス・キリストは不便な旅先の、しかも馬小屋の中で、母マリヤから生まれました。貧しい誕生でした。けれども天使は賛美歌を歌ってキリストの誕生を祝福し、また神のお告げを受けた羊飼いたちは、馬小屋にかけつけてキリストを礼拝しました。
また遠いペルシャ地方から半年もかけて、マギという、当時の最高の知識階級の博士たちも、キリストを礼拝するために、わざわざベツレヘムまでやってきたと聖書に書いてあります。
彼は少年時代はナザレという村で、大工の仕事をしていました。お父さんが大工さんだったのです。お父さんは早く亡くなって、その後キリストは一人の田舎大工、職人として30才まで過ごしておられました。
しかし30才の時に、神様の召しを受けて伝道の生活に入りました。


2 伝道と奉仕の生活

彼は故郷を捨て、家を捨て、お母さんと別れて伝道の生活に出発しました。それからは多くの人に聖書の話をし、祝福を祈り、病人をいやし、子供を抱いてかわいがったり、また弟子たちを教育しながら、3年間、ご奉仕の生活を続けました。
「キツネには穴があり、空の鳥には巣がある、しかし、私にはまくらする所がない」と、ご自分でも言われたような伝道の旅に、3年間を過ごしました。彼の生涯は、聖書の記すところによれば、一つの罪もない生活でした。
いったい罪のない人間がいるか、と考えるかも知れませんが、「イエス・キリストとは、父なる神の一人子なる神が、肉体をとって、人の救いのために地上においでになったお方なのである。それゆえ罪のないお方なのだ」これが聖書の教えです。
ところがそのキリストを妬み憎む人が大勢出てきました。
とうとう33才の時、すなわち紀元29年の春、エルサレムで逮捕されました。
そうして、その当時の複雑な宗教的な、政治的な状況の中で、前後7回の裁判を受けたのです。

3 キリストの裁判

この裁判の間、いろいろな人がキリストの罪を証拠だてようとし、彼を陥れようとしましたが、どうしてもキリストの罪を見つけることはできませんでした。
だから当時この地方の死刑の権限を持っていた、ロ−マ総督、ポンテオ・ピラトは「私は彼を十字架につけることを承認できない。彼は罪のない立派な人間だ」と言って、あくまでユダヤ人に反対しました。
けれども大勢におされて、最後にキリストの十字架を承認したと、聖書に書いてあります。彼は「私はこの死刑に責任がない」ということを証するために、わざわざみんなの見ている前で手を洗ったということです。
キリストはこういう状況の中で十字架におつきになりました。十字架刑は、罪人に対する報復として人間の考え出した死刑の方法の中で、最も醜く、最も苦しく、最も時間のかかる残酷な死刑であるといわれます。
キリストは十字架におつきになる前に、まずムチで打たれました。皮をよりあわせ、先にふんどうをつけた皮のムチです。
着衣をはぎ取って、このムチで背中を打つと、ムチが背中の肉に食い込む、それをずるずると引き出してまた打つというありさまで、キリストの背中は、耕された畑のようになってしまった。
それから大勢の人からバカにされました。
「あなたは神だそうだ。預言者だそうだ。それでは冠をかぶせてあげよう」と言って、茨の冠をこしらえて、キリストの頭にかぶせました。また、汚い上着を着せました。葦の杖を持たせました。
けれどもキリストは全く無抵抗で、頭を振って茨の冠をはね落とすことさえもしないで、沈黙と無抵抗で十字架におつきになったのです。

4 カルバリの十字架

重たい十字架を背負ってカルバリの丘まで追い立てられてゆく間、さすがに疲労と十字架の重みに耐えかねて、キリストは何回も転びました。
キリストは33才の壮年で、病気をした記録のない健康な方でした。
そのお方が非常な決意で「私がここで十字架にかかって殺されるのは、世界中の人の罪の身代わりである。私の身代わりの死によって、神は世界中の人の罪をおゆるしになるのだ。わたしは神のみこころのとおりに十字架にかからなければならない」と非常な勇気をもって、気絶もせず最後まで頑張りました。
カルバリの丘に着くと、木の十字架が横たえられていました。キリストは着衣をはぎ取られて、長い鉄の釘で両手両足をその十字架に釘付けにされたのです。そうして兵隊たちがかけ声をかけて、キリストの十字架を押し立て、あらかじめ掘ってあった穴にドスンとたてる。
これが、最も苦しく、最も恥ずかしい瞬間であると言われますが、その時キリストは、今までじっと押さえた心の思いを、大きな声で吐き出ました。
それが有名な「父よ、彼らをおゆるしください、彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」という、罪人に対する執り成しの祈りでした。


5 復活の救い主

そして彼はお墓に葬られました。けれども、3日目に復活しました。
この日は「イ−スタ−」といって、全世界で祝われています。
このキリストの十字架は、私達の罪の身代わりなのです。
私達が神様から受けるはずの罪の罰を、神の一人子であるキリストは、私達に代わってお受けになって、十字架にかかってくださった。ですからイエス・キリストの 十字架を信じるものは、神様によってすべての罪がゆるされます。
この前話したように、人間の罪のために、神と人間の関係は断絶していますけれども、私達が謙遜に素直に自分の罪をおわびして、イエス・キリストの十字架を信じ、受け入れるならば、私達はすべての罪をゆるされて、もう一度神の子供になることができるのです。
「神はわれらの避け所であり、力である。悩める時のいと近き助けである」という、すばらしい神様とクリスチャンとの関係は、イエス・キリストの十字架によって成り立つのです。あなたが現在、自分の罪のために神様と疎遠になっていてもかまいません。どうぞイエス・キリストの救いを信じて下さい。