館林キリスト教会

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市川副牧師 コラム集(20)

 パレスチナの住まい 2007年5月27日

 アブラハムは遊牧生活を送ったので、「天幕」と呼ばれる移動式テントで生活しました。出エジプト後、イスラエルの人々は約束の地カナンで生活するようになり、しだいに定住生活となったようです。遊牧生活から半遊牧生活、そして農業へと移ってゆきました。
 時代や地域、職業などによっても家屋のつくりは違いますが、簡単な家屋の作りは、泥を木製の型に入れて太陽熱でよく乾燥させたレンガや石、泥で建てられました。あるいはわらと練り土を混ぜて、足で踏み固め炉で少し焼いたレンガなども使われました。また良質な石灰岩を切り出し、堅固に造られた家もありました。
 二階建ての家の場合は中央に中庭があり、周りに部屋があり、日光が入るように造られていました。
 屋根は梁の上に葦や木の枝、ナツメヤシの枝などを敷き詰めその上を粘土で覆い固めて造られたようです。
 屋根は平らで屋上に出るには、屋外の階段を使いました。
 家の床は土のまま、あるいは、焼きレンガや石が敷き詰められました。
 雨季にはすさまじい豪雨となることがあり、雨水は数分の間に普段は枯れた川になっているワデイが、濁流であふれ、家を押し流すこともあったのです。その様子はイエス様がお話くださった砂の上に建てられた家の様子でよくわかります。 

 天幕 2007年7月29日

 天幕は、移動式テントです。遊牧生活をしていた人々などが使用しました。支柱を立て、その上に黒いヤギの毛で織った布を広げ杭に結び付けて使いました。移動するときには畳み、目的地に着くと再び天幕を張りながら遊牧生活を続けました。アブラハムの時代と同じように、天幕は長い年月使われてきました。露が降りたり、雨が降った場合でも、ヤギの毛で織った布は、水分を含んで膨張し、一種の防水の役割を果たす、と聞いたことがあります。その土地や生活に合った物があるものだと思わされます。
 聖書に「荒布をまとい」と記されている布も、ヤギの毛で織られたようです。
 新約時代、パウロは手に職を持っていて、アクラとプリスキラと共に天幕造りの仕事をしながら伝道しました。この天幕造りという言葉は革職人をも意味するようです。この様子は使徒行伝18章に記されています。

 泉そして井戸 2007年12月30日

 パレスチナにおいて水の確保は死活問題です。南のエジプトには大河ナイル川が、西のメソポタミヤ南部にはペルシャ湾に注ぎ込むチグリス川、ユーフラテス川がありますが、パレスチナには大河はありません。唯一ヨルダン川が死海に流れ込んでいます。その水源のひとつは有名なピリポ・カイザリヤのバニヤスの泉で、北部のヘルモン山の雪解け水が湧き出ています。エルサレムの年間平均降水量は500ミリ、東京の三分の一だそうです。
 この地方で、飲み水の確保のために考えられるのが泉。エンゲデ、エンカレムなど泉を意味するエン(アイン)という言葉が使われている地名も多いのです。子やぎの泉という意味のエンゲデはユダの荒野のオアシスでダビデがサウルの手を逃れて身を潜めた場所です。エンカレムは葡萄畑の泉という意味でマリヤがエリサベツを訪問したユダの山里です。
 そして井戸。創世記にはイサクがゲラルで何箇所も井戸を掘り、ベエルシバにも一つの井戸を掘ったとあります。サマリヤのスカルにはヤコブの井戸があり、長年人々の暮らしを支えてきました。イエス様がサマリヤの女にご自身を「生ける水」命の水と教えてくださり、主にあって生きる者としてくださったのは、この井戸でのことでした。ヨハネによる福音書4章。

 ともしび 2008年1月27日

 パレスチナの家屋は窓が少なく造られていました。強い日差しをさえぎり少しでも暑さを遮断して過ごすためです。そのため室内は暗く、この室内を照らすために、ともしびが用いられました。ともしび皿にオリーブ油を注ぎ、亜麻糸をより合わせて灯心にしました。
 ともしび皿というのは、粘土で薄い皿に形造り、焼いた素焼きのものでした。灯心のために一箇所か二箇所、つまみをつけました。時代が進むと上部をすっぽり覆い、灯心を通す口とオリーブ油を注ぐ小さな穴をあけ、取っ手をつけたものが使用されました。
 ともしび皿は小さく、オリーブ油は少ししか入りませんでした。ですから別の容器に常に油を用意しておく必要がありました。マタイによる福音書25章には、結婚式で花婿を出迎えるしもべである十人のおとめの姿とともに、この様子が描かれています。再びおいでくださる主を待ち望む姿として記されています。日々御言葉に親しみ、祈りのうちに、賛美のうちに、聖霊の油の豊かさの中に生かされたいと願わされます。