市川副牧師 コラム集(4)
賛美歌452番 2001年1月28日
「讃美歌略解」には「不思議な摂理によって生まれた、しかも日本と縁の深い歌」と紹介されています。
作詞者はハワード・A・ウオルターという方です。彼は、アメリカに生まれました。
やがて牧師となり、ハートフォードで牧会の後、1912年キリスト教青年会の指導者として、インドに赴きました。数年後健康を害して帰国。これを最後にインドの
任地に帰ろうとしたとき、心臓の専門医が「あなたの命は5年以上はもたないでしょう」と言うと、彼は「それだからこそ、すぐに奉仕に帰ることが私には一層大切なのです」と答えたと言うことです。
彼はまもなくインドで亡くなりました。最後に彼の口から漏れたのは「ああ、キリストさま、わたしの備えはできました」という言葉だったそうです。
かつて彼は、大学卒業の翌年来日し、早稲田大学にしばらくいました。その年の7月1日に、彼の母に、手紙の代わりに送ったのがこの詩だったということです。
この歌は23歳の青年が母への私信として書いたものでした。
1920年頃、由木 康氏が邦訳しました。
作曲者はジョウゼフ・Y・ピークという方ですが、彼については不詳です。彼はこの詩のために作曲し、1911年に発表されました。
讃美歌293番 2001年2月25日
作詞者は奥野昌綱という方です。1823年(文政6年)江戸に生まれました。横浜の宣教師ヘボンの日本語教師となり、このとき初めてキリストの教えを知りました。彼は、1872年(明治5年)S・R・ブラウンから洗礼を受けました。その後教会の働きにつき、晩年は巡回伝道をしました。宣教師ヘボンを助けて聖書の日本語訳に参与し、また、初期の賛美歌の翻訳や編集に携わりました。彼の多くの作詞の一つがこの賛美歌です。明治版「讃美歌」に掲載されました。
ヘボンは1815年アメリカに生まれ、医師、宣教師として中国伝道に携わりました。妻の病で帰国。ニューヨークに病院を開業。1859年伝道のため来日。横浜に施療所を開き医療に従事しつつ伝道しました。一方日本語の研究に励み1867年「和英語林集成」を著わしました。1872年、S・R・ブラウン、奥野昌綱と共訳で「馬可(マルコ)伝福音書」「約翰(ヨハネ)伝福音書」を出版し、翌年「馬太(マタイ)伝福音書」を出版。さらに聖書和訳に貢献しました。また、ヘボン塾を開設し教育に尽力。明治学院の教育に参画し、同学院初代総理(学院長)となりました。
S・R・ブラウンもアメリカに生まれ、1859年宣教師として来日。横浜にブラウン塾を開設。「横浜バンド」と言われる多くのクリスチャンを輩出しました。
作曲者は松田幸一という方です。1906年(明治39年)金沢市に生まれました。この賛美歌は初めヘンリ・スマートという方の曲で歌われましたが、1954年松田幸一氏の曲で「讃美歌」に掲載されました。
賛美歌479B番 2001年4月8日
先月から「賛美のつどい」が始まりました。先月の集会で、小林豊子先生のリクエスト曲として賛美歌479B番をみなさんで歌いました。初めての方も多かったようです。小林先生の記念茶話会でこの賛美歌を歌う予定です。
この賛美歌の作詞者は植村正久氏です。彼は安政4年、江戸の旗本の家に生まれ、10代の時、明治維新を迎えました。横浜に移り住んで成人しました。そこで、S・R・ブラウン宣教師の塾に通いキリスト教に接し救われ、明治6年洗礼を受けました。
神学校卒業後、一番町教会を開拓、牧会に励むかたわら、聖書翻訳、賛美歌編集に携わりました。この歌は明治女学校の創立者木村鐙子女史が亡くなったとき書いたものだ相です。
明治以来のこの曲の原作者は不明だ相です。明治時代に来日した米国の宣教師が、この歌詞に米国福音唱歌の曲をつけたようです。
賛美歌314番 2001年4月22日
この賛美歌の作詞者はホレイシャス・ボナーという方です。作曲者はウイリアム・H・コールコトという方で、英国のオルガニストです。この曲の最後の8小節はメンデルスゾーンのオラトリオ「エリヤ」の第一部からとられています。オバデヤが、雨を降らせることができるのはエリヤの信じている神様だけであると祈りを頼みますと、エリヤは「天を開いてくだり、あなたのしもべを助けたまえ」と祈ります。そこに用いられている旋律がすばらしく、これに感動したウイリアムがこの賛美歌の最後に用いました。
メンデルスゾーンが作った「エリヤ」はハイドンの「天地創造」、ヘンデルの「メサイア」と共に三大オラトリオと称される傑作です。旧約聖書列王記上17章から19章を中心に預言者エリヤと偶像バアルに仕えた偽預言者たちとの対決に、エリヤが勝利し、エリヤが信じていた神様が真の神様であると、決定的にされた場面です。
メンデルスゾーンは1809年、ドイツのハンブルグに生まれました。高名な哲学者だった祖父モーセ、富裕な銀行家だった父アブラハムのユダヤ人家庭に生まれました。後に、父アブラハムは、キリスト教に改宗し洗礼を受けました。妻レアと4人の子供たちも共に洗礼を受けています。ルターの教えを受け継ぎ信仰生活に成長しました。
バッハが楽譜の冒頭にJ.j.「イエスよ助けたまえ」、末尾にS.D.Gl.「神にのみ栄光あれ」と書いたことは有名ですが、メンデルスゾーンが10歳のとき楽譜の冒頭に「汝われを助けたまえ」の頭文字H.d.m.と、「神よ、これを成し遂げさせたまえ」のL.E.G.G.!を書いたそうです。21歳頃に作曲したものに、詩篇22篇、43篇、91篇などが含まれています。(大塚野百合著「賛美歌と大作曲家たち」より)