館林キリスト教会

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市川副牧師 コラム集(12)

 賛美歌94番 2003年12月28日

 先日のクリスマスキャンドルナイトで、ギャラリーへの螺旋階段で聖歌隊のみなさんによって歌われた曲が賛美歌94番でした。斉唱で歌われたこの賛美歌に独特の美しさをおぼえた方も多かったことでしょう。
 初めて聞いたという方もおられたと思いますが、歌った方々も初めてということだったかもしれません。この賛美歌を選曲していただいて、新しい賛美歌を知ることができました。
 この賛美歌について例のように「讃美歌略解」を見てみました。
 作詞者については不明です。
 中世以来の古い賛美歌で、主の御降誕を記念するクリスマスを待ち望む歌です。始まりは古く9世紀の頃から夕拝で用いられていた短文が次第に整えられたようです。19世紀の中頃、英語やドイツ語に翻訳されて急速に広まったそうです。この賛美歌を収録しない讃美歌集はほとんどないとも言われるほどです。邦訳者は由木 康氏です。
 この曲は13世紀にさかのぼるそうです。英国でも米国でも「斉唱で歌うこと」と注がついているそうです。「この賛美歌は斉唱で歌うところに古典的な美しさがある」と記されていました。 

 賛美歌270番 2004年1月25日

 作詞者はトマス・T・リンチという方です。1818年英国に生まれました。青年時代はカレッジに学びましたが虚弱な身体のため退学しました。その後1847年説教者となり、ロンドンのモーニントン教会を牧しました。彼は自分の讃美歌集を出しました。今使用している讃美歌にも、他に彼の賛美歌が掲載されています。彼は1871年に召されました。
 この賛美歌は1856年に発表されました。長く歌われずにいましたが次第に歌い継がれるようになりました。邦訳者は比屋根安定。
 この曲は古くからスイスに伝わっている民謡だそうです。1951年英国において賛美歌としてはじめて採りいれられたということです。
 「信仰の杖」と題されたこの賛美歌には、ヘブル人への手紙11章1節が挙げられています。
 「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」
 この御言葉に続いて、信仰によって歩んだ多くの人々が記されています。アベル、エノク、ノア、アブラハム、アブラハムの妻サラ、イサク、ヤコブ、モーセ…。このほか預言者たちについて語り出すなら、時間が足りないであろう、とも記されています。彼らの名前の前には冠のように「信仰によって」と記されています。
 「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである」  ヘブル人への手紙11章6節 

 賛美歌164番 2004年3月28日

 『その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。
 彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。……その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」という名がしるされていた。』
 ヨハネの黙示録19章12,13,16節
   作詞者はマシュー・ブリッジズという方です。1800年にイギリスに生まれました。晩年はカナダで過ごし、94歳で召されました。歴史書などの著作があります。この歌は1851年に発表されました。
  作曲者はジョージ・J・エルヴィという方です。1816年にやはり、イギリスに生まれました。カンタベリー大聖堂付聖歌隊学校で音楽教育を受けました。1835年ウィンザーの聖ジョージ礼拝堂のオルガニストとなり、1882年まで47年間その働きに携わりました。また、指揮者なども務めました。彼の作品はほとんど教会音楽で、この曲は1868年に作曲されました。
    「讃美歌略解」より 

 賛美歌58番 2004年4月25日

 『  作詞者はウイリアム・ハモンドという方です。1719年イギリスに生まれました。ケンブリッジ大学を卒業後カルヴァン派メソジストに加わり、さらにモラヴィア兄弟団に加わりました。彼はギリシャ語で自伝を書いたということです。1745年、讃美歌集も編纂しています。この賛美歌もそのひとつです。1783年召されました。
 作曲者はアリン・A・C・マランという方です。1787年ジュネーヴに生まれました。フランス系スイス人だそうです。ジュネーヴ大学卒業後、実業家になるためマルセイユに出かけましたが、その熱心な信仰心のため、再びジュネーヴに帰って改革派の牧師を志しました。当時福音的な信仰が復興した時代でした。今までの自由主義的な空気の中、教会で説教することを禁じられたり、公職を奪われたりしましたが、自宅の敷地に会堂を建て、福音を宣べ伝えました。スイス全国はもとより、遠くイギリスからも大勢の熱心な会衆が集まったということです。
 彼は多くの賛美歌を書き、1000曲以上にのぼる作曲をしました。これによってフランスの教会音楽に大きな影響を与えたということです。この賛美歌は米国において非常に広く愛唱されました。
 賛美歌291番の曲は彼の作です。また賛美歌389番は歌いなれない賛美歌ですが、作詞作曲ともに彼の作です。彼は詩人であり音楽家でした。1864年召されました。
 「讃美歌略解」より