館林キリスト教会

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市川副牧師 コラム集(10)

 賛美歌228番 2003年6月22日

 作詞者は由木 康氏。この賛美歌は1929年、ある夜、「主の祈り」の「み国をきたらせたまえ」ということばから思い巡らし、第一次世界大戦の経験を思い起して永遠の平和が実現するやがての時「神の国」を待望しつつ作ったそうです。最初「きたらせたまえ、主よ、みくにを」という句が心に浮かび、この賛美歌ができあがったということです。
 作曲者はロウエル・メイスン。米国の賛美歌史上有名な賛美歌作曲家、音楽教育家。この曲は代表作のひとつで賛美歌214番も同じ曲です。
 「讃美歌略解」より

 賛美歌354番 2003年6月29日

 この賛美歌は作詞者不明です。
 この賛美歌はイギリス人のドロシー・アン・スラップという人が1836年に編集したHymns for the Youngに無記名で掲載されたそうです。彼女はよく自分の作品を符号などで示したので、これも彼女の作品ではないかと推測されているそうです。
 作曲者はウイリヤム・B・ブラッドベリーという方です。1816年に生まれました。彼はアメリカ賛美歌史上最も重要な人物の一人といわれています。14歳でボストンへ行き、アメリカ学校音楽、教会音楽の父といわれた、ロウエル・メイスンなどにピアノとオルガンを学びました。20歳で、指揮者に、そして1841年ニューヨークのバプテスト教会のオルガニストに就任しました。彼はここでポピュラーな歌唱クラスを開きましたが、これが初等教育における音楽教育の必要を公認させることになりました。唱歌教師の養成、歌曲集の出版、さらに兄弟でピアノの製造業にもたずさわりました。
 生涯で出版した音楽書は60種をかぞえ、当時その一冊は200万部を売り尽くしたということです。日曜学校用の賛美歌、一般用の賛美歌、など膨大な数に上るということです。
 有名な賛美歌のいくつかが「讃美歌」に載っています。
 「日かげしずかに」賛美歌51番。「イエス君の御名に」賛美歌168番。「わが君イエスよ、つみの身は」賛美歌199番。「いさおなき我を」賛美歌271B番。「わが身ののぞみは」賛美歌280番。「みめぐみゆたけき」賛美歌294番。「しずけきいのりの」賛美歌310番。「みかみを父と」賛美歌434番。「主われを愛す」賛美歌461番。
 「讃美歌略解」より

 賛美歌199番 2003年7月27日

 例年洗礼式に歌われる賛美歌です。
 「新撰讃美歌」(1890年)に収められていた作者不明の歌です。
 わかりやすいことばで記されています。イザヤ書51章1節「あなたがたの切り出された岩と、あなたがたの掘り出された穴とを思いみよ」のお言葉のように、先に洗礼を受けた人も、今年洗礼の恵みに与る人も、洗礼の意味と喜びを確認し、あらためて感謝をささげつつ歌われる賛美歌です。
 作曲者はウィリアム・B・ブラドベリーの曲から編曲されたようですが、原曲、および、編曲者は不明だそうです。
 明治時代に米国の宣教師によって伝えられ、人々に親しまれてきました。
 「讃美歌略解」より

 賛美歌493番 2003年8月24日

 作詞者は、フランセス・J・ヴァン・アルアウタインという方です。彼女は1820年米国に生れ、生後まもなく視力を失い、盲学校を卒業して母校の教師をしていたときに信仰に入りました。この賛美歌はD・L・ムーデイーたちの伝道でよく用いられ、彼らが英国で伝道集会を開いた時も歌われ、多くの愛唱者が与えられました。
 作曲者はウィリアム・H・ドウンという方です。1832年米国に生れました。若いころは製綿工場を経営していた父の工場で働きながら、ハーモニック・ソサエテイの指揮をしていました。のちに木工工場を経営し多くの工作機械を発明しました。一時大病にかかって病床にありましたが、その間にファニー・クロスビーの信仰に感銘を受け、クロスビーの詩に多くの曲をつけました。彼が作曲した歌曲、カンタータなどは2300曲を数えるそうです。彼の最も大きい功績は、D・L・ムーデイーたちの伝道活動において、彼の曲が最も多く歌われたということだそうです。この宗教的な功労に対してフランス政府が彼に勲章を贈ったほどです。日本でも明治以来広く愛唱されてきました。
   「讃美歌略解」より