館林キリスト教会

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市川副牧師 コラム集(1)

 賛美歌66番 2000年3月26日

 先日、婦人の集会会食会で、船橋静枝さん、松本よしさん、寺田光江さんが大正琴とアコーデオン演奏を披露してくださいました。船橋さん、松本さんはお二人とも90歳です。
 曲は「賛美歌66番」。「この曲は礼拝でよく歌われる賛美歌です。私たちは日曜日ごとの礼拝を大切に守ってきました。礼拝は私たちの喜びであり楽しみです。神様を第一にすることは大きな祝福でした。これからも神様への礼拝を第一に生活していくつもりです。」とお話ししてくださいました。
 今朝の礼拝でもこの賛美歌を歌います。作詞者はレジナルド・ヒーバーでイギリスに生まれました。彼は故郷の近く、ホドネットという小さな村の教会の牧師でした。やがてインドのカルカッタ伝道に携わりましたが、高温多湿の気候、多忙な職務と心労のため43歳で召されました。
 彼はウェスレーなどと共にイギリス五大賛美歌作者の一人と言われています。その詩には洗練された優美さがあり、詩人テニスンはこの「聖なる、聖なる、聖なるかな」という賛美歌を、優れた格調高い曲として最も好み、彼の葬儀で「愛唱賛美歌」として歌われたと伝えられているそうです。賛美歌214番「北のはてなる」もヒーバーの作詞です。
 作曲者はジョン・B・ダイクスで、祖父は英国国教会の牧師でした。彼は10歳で早くもこの教会のオルガニストをつとめたそうです。やがて牧師となり生涯に300以上の賛美歌を作曲したそうです。賛美歌238番「疲れたる者よ」、賛美歌288番「たえなるみちしるべの」などはよく知られています。

 イースターの賛美歌 2000年4月23日

 今朝の「賛美歌148番」は、救い主イエス・キリストの復活を記念する賛美歌です。
 作詩者、作曲者も作歌年代も不明です。
 詩については、14世紀の写本が残っている相です。原形は2行8節の歌でした。1708年に発見された「Lyra Davidica」に最初の英訳が載っている相です。
 曲については、1708年の同書の曲が原形と言われています。
この発見以来多くの人々に愛唱され、キリストの復活を記念する名歌となりました。
 先に挙げた書物は手書きで、世界にただ一冊しかない本だ相です。古い所有者は不明ですが、何人かの手を経て1860年に大英博物館所蔵となった相です。
 「賛美歌130番」はキリストのエルサレム入城に関する歌詞ですが、曲は「聖歌168番」と同じです。この「聖歌168番」は、やはり復活を記念する賛美歌です。
 この曲は、ゲオルク・F・ヘンデルの作曲したオラトリオ「ユーダス・マッカバイオス」の第3部「歓喜の大合唱行進曲」を賛美歌用に編曲したものです。
 ヘンデルは1685年ドイツのハレに生まれました。同年バッハが生まれ、二人は同じ年に同じ国で生まれています。
 1747年にロンドンでこのオラトリオが初演されて以来、ヘンデルは生涯のうちに38回も自らこのオラトリオを指揮した相です。
 この他に「賛美歌496番」など広く愛唱されています。

 賛美歌187番 2000年5月28日

 賛美歌187番は「聖書の歌」として広く歌われています。
 M・A・バーネット先生が聖書学寮で聖書講義をなさる時、この賛美歌を学生と、よくお歌いになった相です。
 作詞者のメアリ・A・ラスベリーは牧師の娘としてニューヨーク州マンチェスターに生まれました。彼女は、晩学者のための通信教育や講習会を催す事業に携わりました。
 この歌はニューヨーク州ショートクア湖畔で行われた夏期講習会のために作ったもので「聖書研究会の歌」と題されていました。原歌詞は「主よ、わがために生命のパンを割き給え」で、聖餐式の賛美歌としても愛唱されています。作詩者の家庭生活を反映した敬虔な詩です。
 作曲者はウイリヤム・F・シャーウイン。彼がショートクアで指揮者をしていた頃作りました。賛美歌50番も二人の作です。
 邦訳者は由木 康(ゆうき・こう)氏です。子供の時から賛美歌に親しみ、中学三年生の時に最初の賛美歌を作りました。牧師となり、生涯、賛美歌の作詞、翻訳に携わりました。昭和期の賛美歌の第一人者で、現在使われている賛美歌の編集委員長も務めました。
 27歳の時、賛美歌121番「まぶねのなかに」を作詩しましたが、その時の心境について次のように記している相です。
 「その頃の私は本当の愛というものが果たしてこの世にあるであろうかと疑っていました。親子の愛、兄弟の愛、恋愛、夫婦の愛、友愛、師弟の愛など、たくさんの愛があるけれども、それらはいずれも利己心や打算や情欲や恩を着せる思いや報酬を求める心や売名的な動機などに歪められていて、純粋なものではないように思われました。本当の愛は結局人間の世界にはないのではないかと考え暗い気持ちになりました。
 その時、私の心に一つの光がひらめいたのです。たとえ人間の世界に本当の愛はなくても、イエスのうちにはそれがある。イエスの生活と苦難と十字架には、純粋な愛が現れている。この経験を書き留めようと一遍の詩を作ったのでした。」

 賛美歌280番 2000年6月25日

 この賛美歌は、日本では明治時代から広く親しまれてきました。
 作詞者のエドワード・モートはロンドンに生まれ、少年時代から悪の道に踏み込んでいましたが、16歳の時、ハイヤット牧師の説教を聞き明確な信仰を持ちました。家具製造の仕事と教会の奉仕に励んでいましたが、その後献身し55歳で亡くなるまでの21年間、牧師として奉仕しました。
 この賛美歌の歌詞は、牧師として奉仕を始めてまもなく作られました。
 1834年のある朝、ロンドン郊外を散策しながら「キリストを信じる者に与えられる大いなる恵み」について思い巡らしていました。その時、この詩の一節が思い浮かびました。そして、この詩は、その日のうちにすべて書き上げられた相です。
 彼は、夕方、病床の知人を見舞った時、この詩を読んであげました。この時、病床の知人は深い慰めと平安を受けたということです。
 作曲者はウイリアム・B・ブラットベリーです。アメリカに生まれ14歳の時ボストンで音楽を学びました。
 やがて、ニューヨークの教会のオルガニスト、聖歌隊指揮者として奉仕しました。彼はその頃、毎年定期的に音楽祭を行い、1000人あまりの子供たちが揃いのガウンを着て彼の作品を歌った相です。
 また、多数の音楽書の執筆や膨大な数の作曲に携わりました。彼の曲の殆どが単純で、しかも旋律が美しいので今日も広く歌われている相です。
 有名な賛美歌461番「主われを愛す」も彼の作曲です。