館林キリスト教会

Sub Menu

市川副牧師 コラム集(16)

 あふれ出る旋律 2005年5月22日

  ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトは1756年オーストリアのザルツブルグで生まれました。3歳ですでに鍵盤楽器を弾いて楽しみ、4歳で正式な訓練が始まり、5歳の時には即興で作曲をしていたという天才です。
 6歳のころお父さんの計画によって演奏旅行が始まりました。
 作曲について、彼はたいてい頭の中で、曲を組み立てて、驚くべき早さで音符を五線紙に書き留めたということで、「作曲は何もしないでいるより疲れません」という言葉を残しているそうです。
 お父さんへの手紙の中で「お父さんは心配なさらないでください。神様はどんな時でも私の目の前におられるのですから。私はその全能の力を感じ、畏れます。でも一方で、ご自身の創造物に対する愛、あわれみ、優しさもわかるのです。神様は決して、ご自分のものをお見捨てにはなりません。もしそのご意志にかなうことなら、私の意志に従ってなさせてくださる。こうしてすべてはうまくいき、私は間違いなく幸せな気分になり、満たされずにはいられないのです。」
 生と死の問題に関して「私は次のように信じており、これ以外では何によっても納得致しません。すなわちいかなる医師も、人間も、いや偶然であれ、人に生命を与え、取り去ることはできないと。生命は神だけに帰せられているのですから。」「毎晩ベッドに横たわるたびに、私のような若い者でも明日にはもう生きていないかも知れないと考えるのです。だからといって知り合いの誰一人……私が物思いに沈んでいるとか、気難しいと口にすることはありません。それはこの恵みを創造主に日々感謝し、すべての同胞にも与えられるよう心から望んでいるためなのです。」健康面の虚弱さから、わずか4年後の35歳の年、短すぎるこの世の生涯を終えたのでした。   p.カヴァノー著「大作曲家の信仰と音楽」より

 メサイア 2005年5月29日

 ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルはドイツ人作曲家バッハと同じ1685年、ドイツのハレの町に生まれました。お父さんは「外科医兼理髪師」で息子を法律学校にやろうと決めていたので、幼いヘンデルが音楽の才能を示しても何年も音楽のレッスンを受けさせなかったそうです。
 ヘンデルが8、9歳のころオルガンで礼拝の後奏を弾いているのをある公爵が聞いて、すぐに正式な音楽教育を受けさせるようにと、父親に要請したそうです。12歳のころ最初の作品を作曲しました。
 ヘンデルはある日曜日、田舎の教会に出席した後、教会のオルガニストに後奏を弾いてもよいか尋ねました。彼が弾き始めると帰りかけていた会衆が席に戻り帰ろうとしないのでとうとう教会のオルガニストは、会衆が帰宅できるように弾くのを止めて頂きたい、と申し出なければならなかったそうです。
 56歳の時オラトリオ「メサイア」に取りかかりました。友人のチャールズ・ジェネンズが、聖書の言葉のみで書かれたキリストの生涯に基づく台本を渡したのがきっかけでした。食事をする間も惜しんで作曲に没頭し260ページに及ぶ楽譜をわずか24日で仕上げました。作曲の最中に訪問した友人は、ヘンデルが感極まりすすり泣いているのを目撃したそうです。1743年ロンドンで初演。このときイギリス国王ジョージ二世が来演。「ハレルヤ・コーラス」のとき国王は立ち上がりそれに従いすべての聴衆も立ち上がり、以来この伝統は現在に受継がれています。
 ある作家は、メサイアについて「おそらくこれまで著されたどの神学書と比べても、数えきれない人々に、神がわたしたちのそばにおられると確信させる大きな働きをしてきた」と記しているそうです。
 74歳で召され、三千人を超える参列者が見守る中ウエストミンスター大聖堂に埋葬されました。現在そこに立つ像が携えているのはメサイア第三部冒頭の「わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる」ヨブ記19章25節の手稿譜です。   p.カヴァノー著「大作曲家の信仰と音楽」より

 神はわたしのうちに清い心を創造し 2005年6月26日

 フェリックス・メンデルスゾーンは1809年ドイツのハンブルグでユダヤ人の家庭に生まれました。祖父モーゼスは高名な哲学者、父アブラハムは富裕な銀行家でした。母レアとレアの兄バルトルデイの大きな影響を受け、子供たちが幼いころ家族はキリスト教に改宗しました。メンデルスゾーンはキリスト教の信仰をもって歩みました。大作曲家の多くが逆境や挫折の生涯を送る場合が多い中で、彼の生涯は38年というあまりに短いものでしたが、幸福で成功に満ちていました。
 彼は幼いときからバッハの「マタイ受難曲」に魅了され、やがてバッハの音楽を再発見しその擁護者として働いたことは特筆すべきことでした。今では考えられないことですが、それまでバッハの音楽は、人々からほとんど忘れ去られていたのです。作曲家、ピアニスト、指揮者、そしてライプツイヒ音楽学校の創立者としても活躍しました。また、有名なオラトリオ「エリヤ」や「パウロ」など多くの宗教音楽を作曲しました。同時代、ヨーロッパではリスト、ワーグナー、ショパンなど多くの音楽の天才が活躍していました。
 メンデルスゾーンの妻、セシルはフランス改革派教会牧師の娘で敬虔な信仰者でした。
 彼が記した甥への手紙には「熱く願わずには何一つ成し遂げられない。神がお前とともにおられますように!この祈りには、慰めと力、それに来るべき日々の喜びが含まれている」とあり、別の手紙には「神に祈れ。そうすれば神はわたしのうちに清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてくださる」と記しています。    オラトリオ「パウロ」のコーラスより
 「わたしは感謝します。
  主よ。わたしの神よ。
  心の底から永遠に。
  あなたの寛容がわたしにおよび、
  わたしの魂を深い地獄から
  救ってくださったのですから。
  主よ、わたしの神よ、
  わたしは感謝します。」  p.カヴァノー著「大作曲家の信仰と音楽」他 より 

 信仰による義 2005年7月24日

  ローマ人への手紙3章にはキリストを信じることによって与えられる神の義について記されています。神の義はキリストを信じることによって与えられ、キリストを信じるすべての人に何の差別もなく与えられます。神様は聖なる方ですから罪を見過ごすことはできない方です。しかし、わたしたちを愛してくださって、キリストによる救いを用意してくださいました。キリストの十字架によって、わたしたちの罪を裁き神の義を完全に満たし、キリストを信じる者に罪のゆるしと救い、義を与えてくださいました。キリストが死から復活なさったことは救いの保証です。信仰によって救われ義とされたということは、神様の子供として歩み始める基礎が与えられたということです。これから、キリストにならいつつ歩む日々が与えられています。
 「‥あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろう。」テサロニケ人への第一の手紙5章23,24節