市川副牧師 コラム集(18)
エドワード・エルガー 2006年1月15日
エルガーは1857年英国に生まれ幼少から音楽への関心と才能を示していました。お父さんは楽器店を営み秀でた音楽家で、いくつかのオーケストラでヴァイオリンを弾き、ウースター大聖堂のオルガン奏者を務めていました。父は16歳のエルガーにロンドンで法律を学ばせました。しかし長続きせず、エルガーはいくつかの音楽関係の仕事につきました。
1889年キャロライン・アリス・ロバーツと結婚。彼女は音楽の専門教育を受けていませんでしたが、エルガーは妻の意見を聞こうとよく作曲中の曲を弾き、彼女の意見に従うことが多かったようです。彼女は生涯エルガーの音楽の最高の理解者で励ましつつ生涯を送りました。
彼はエドワード7世からナイトを授けられ、王室楽長に任じられました。しかし、1920年最愛の妻が亡くなると、作曲数は減り、1934年2月この世を去りました。
音楽学者パーシー・M・ヤングによると“エルガーは新約聖書の相当の箇所に音楽をつけようとし、特に三大オラトリオ「使徒」「神の国」「最後の審判」と題された巨大な作品をとおしてそれがなされた。”しかし残念なことに「最後の審判」は未完成に終わりました。
あるときエルガーがロンドンの町を友人と歩いていると路上で演奏している人がいました。エルガーの初期の作品「愛の挨拶」でした。エルガーは半クラウン銀貨を差し出して言いました。「取っておきたまえ、当のエルガーがこの曲で稼いだよりも多いんだ」
アントニン・ドヴォルジャーク 2006年1月29日
1841年、当時ボヘミヤとして知られていた今日のチェコに生まれた偉大な作曲家で、米国滞在の時黒人霊歌に深い関心を寄せこのことが、有名な「交響曲第九番 新世界より」などの作風に大きな影響を与えたということです。信仰心に根ざした作曲家で「聖書の歌」なども作曲しているそうです。これは詩篇23篇、詩篇121篇など彼が愛唱したみ言葉に曲をつけたものです。40代半ばには世界中に名声が確立され、1904年に亡くなった時ボヘミヤでは彼の国葬が宣言されたほどでした。国内外で賞賛されても素朴で妻や子供たちを大切にしたということです。彼はある手紙にこう記しているそうです。
「私が信心深いといって驚かないでほしいものです。信仰心のない芸術家には何一つなしうるものではありません。ベートーヴェン、バッハ、ラファエルその他の立派な先例があるではありませんか。」
P.カヴァノー著「大作曲家の音楽と信仰」等より
福音のダイナマイト 2006年4月30日
かつて、科学者たちが新しい爆薬を発見したとき、その強大な威力を表すために、ギリシャ語「デュナミス」という言葉を使い、ダイナマイトと名づけました。これはローマ人への手紙1章16節に使われている言葉です。「わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。」キリストによって救われるというグッドニュース、福音は、信じる者に生きて働く神の力なのです。福音は罪と裁きから救う神様の偉大な力です。
ヨハネス・ブラームス 2006年5月28日
ヨハネス・ブラームスはドイツのハンブルクの貧しい家庭に生まれました。お父さんは音楽家でした。家族はプロテスタントの信仰を持ち、彼自身も聖書の愛読者として知られています。彼は「世の人々は、我々北ドイツ人が日々聖書を切望し、聖書なしでは一日が終わらないということさえ知らない。書斎では、暗がりの中でも自分の聖書は見つけられる」と、友人との会話のなかで話しているそうです。
多くの作品を創作する際も聖書のみ言葉を選び作曲しています。その中のあるものは、詩篇、イザヤ書、最後の晩餐、ヨハネの黙示録に描かれた栄光にまで及んでいます。
アーサー・エーベルがブラームスとの対話を書き留めた書物に、作曲についてブラームスの言葉があるそうです。
「私は衝動を感じると、自分を造られた方を直接求め、まず初めに、この世で我々の人生に関わる最も大切なことを三つ質問する。我々はどこから来たのか、なぜ生きているのか、この後どこへ行くのか?」「分かるだろう、モーツアルトやシューベルト、バッハ、ベートーヴェンのような真の大作曲家すべてが受けたあの力は、イエスに奇跡を行わせた、あの同じ力なのだ」
P.カヴァノー著「大作曲家の音楽と信仰」より