館林キリスト教会

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市川副牧師 コラム集(8)

 賛美歌87・B番 2002年5月26日

 作詞者はジョン・バウリングという方です。1792年、英国に生れました。お母さんは熱心なクリスチャンでした。彼は、14歳で学校をやめ、毛織物業の父を手伝わなければなりませんでした。しかし16歳になるまでには独学で5ヶ国語に通じ、その生涯においては、200の言語を読み、100の国語を話したと言われる語学の天才でした。
その後、有名な法学者に学び、ウェストミンスター・レヴィユー誌の記者として政治評論を執筆していました。1835年、下院議員に選ばれ、1849年には香港領事、同総督に任じられ、ヴィクトリア女王からナイトの称号を受けました。彼はペリーの日米条約締結の際、来日の予定でしたが、来日は実現しませんでした。
彼はこのように、イギリスの著名な語学者、評論家、政治家でした。また多数の著書がありますが、そのうち若干の詩と賛美歌の翻訳などがあります。この賛美歌もその一つです。
彼は80歳で世を去りましたが、墓碑には自ら作詞した賛美歌139番の歌詞の一節が刻まれているそうです。
"In the Cross of Christ I Glory" 「キリストの十字架に、われは栄光を帰す」
 87・B番の作曲者は不詳だそうです。 「讃美歌略解」等より 

 賛美歌353番 2002年6月16日

 この賛美歌の歌詞は中世のすぐれた宗教詩の一つから抜粋されたものだそうです。アメリカの牧師のレイ・パーマーという方がその詩から賛美歌に選びまとめたそうです。
 この宗教詩は中世の偉大な信仰者クレルヴォーのベルナールによるものと考えられているそうです。原作は42節で後に9節加えられ51節となったということです。
 この宗教詩から同じように抜粋された賛美歌に347番「心にしのぶも」があります。
 クレルヴォーのベルナールは1091年、フランスに生まれ、1153年に亡くなっています。彼はフランスの名門に生まれ父と同じく騎士になるつもりでした。しかしある時、亡き母の幻を見て発心し一切を捨てて修道院に入ったそうです。24歳の時同志と修道院を開きました。入院希望者が殺到し、彼が世を去る頃には700人の修道士と170の分院とができていたそうです。
 彼は宗教上、政治上の和解者として、教皇と司教、王と諸侯の調停役に努め、正統的信仰の擁護者でした。しかし、彼の提唱した第2十字軍は失敗に帰し、多くの非難を受け退いて生活していたときに作られたのが、この宗教詩だと言われているそうです。邦訳は由木 康氏。
 作曲者はヘンリ・P・スミスという方で1825年に生まれ、1898年に亡くなっています。英国で牧師となり、1874年この曲を作曲しました。               「讃美歌略解」より

 賛美歌262番 2002年9月22日

 作詞者はエリザベス・C・クレフェインという方です。1830年に生まれ1869年この世を去りました。
 エリザベスはスコットランドの名門ダグラス家の知事の娘としてエデインバラに生れました。幼いころの大病がもとで病弱な生涯でした。しかし、それによって信仰と優しい心を深め、財と力をささげて周囲の貧しい人々に仕えたそうです。ですからそれらの人々は彼女のことを「陽の光」Sunbeamと呼んで慕ったと言われています。彼女の詩は死後発表され、この詩もその一つで1872年に掲載されました。
 邦訳は由木 康氏。
 聖歌429番「九十九ひきの羊は」もエリザベスの作詞です。これは伝道者ムーデイーの音楽協力者サンキーによって作曲されました。
 賛美歌262番の作曲者はフレドリク・C・メイカという方です。1844年英国ブリストルに生まれ、83年の生涯をここで過ごしました。いくつかの教会のオルガニストを歴任し、66歳で引退しました。その間20年にわたってクリフトン・カレッジの音楽教授を兼務しました。
 この曲は1881年発表されました。彼の代表的な曲として広く愛唱されてきました。
彼の曲はいずれも、半音階的に進み、また巧みな転調で美しい旋律だということです。「讃美歌」に収められている彼の曲は、92番、227番、242番、317番、362番です。   「讃美歌略解」等より  (市川)

 霧のように 2002年10月6日

 「讃美歌略解」によりますと、賛美歌239番は、英国のウィリアム・B・コリヤーという方の作詞です。
 彼は10人ほどの教会に赴任し、50年以上にわたってこの教会を牧会したそうです。雄弁な福音説教家として知られ、著書のうちの一冊は讃美歌集で、その中には57編の彼の曲も含まれていました。この讃美歌集はこの教会の礼拝で歌うために編纂されたそうです。
 曲については、ロウエル・メイスンがアメリカ民謡をとりあげました。
 日本では明治以降広く歌われ、ある時は賛美歌の見本のように扱われたそうです。
 この「讃美歌」に記されている聖書箇所はイザヤ書44章22節です。
 21節、22節。神様は言われます。
 「ヤコブよ、イスラエルよ、これらの事を心にとめよ。あなたはわがしもべだから。わたしはあなたを造った、あなたはわがしもべだ。イスラエルよ、わたしはあなたを忘れない。
 わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、あなたの罪を霧のように消した。わたしに立ち返れ、わたしはあなたをあがなったから。」
 霧が濃く立ち込めるときは、一歩先も見えません。しかし、霧が晴れわたると、跡形もありません。そのように「わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、あなたの罪を霧のように消した。」とあります。
 罪の赦しについては、新約聖書において、よりはっきり記されています。ヨハネの第一の手紙1章7節「御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。」