館林キリスト教会

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市川副牧師 コラム集(15)

 賛美歌56番 新聖歌8番 2005年1月23日

  明治時代から長く親しまれてきた賛美歌で作詞者はジョン・ニュートンという方です。
 彼は1725年にロンドンで生まれました。お父さんは船乗りでした。お母さんは信仰の篤い婦人だったそうです。11歳の時お父さんと海上に出るようになり、しだいに無頼な生活をするようになりました。ある時、激しい暴風のために難船しかけ、彼はこの時回心しました。その後奴隷船に6年間乗りましたが、ついに1748年アイルランドのある港にたどり着き、教会へ行きました。
 後に、ウエスレーなどと親しくなり1764年国教会の牧師となりました。
 この賛美歌は1774年に発表されました。ジョン・ニュートン作の賛美歌は、287番,325番,351番,401番,409番などが載っていますがこの56番と194番「さかえにみちたる」がよく知られ歌われているようです。
 また有名な聖歌229番「おどろくばかりの」は彼の作で救いの恵みが証されています。
 「おどろくばかりのめぐみなりき
 このみのけがれを知れるわれに
  めぐみはわがみのおそれを消し
  まかするこころをおこさせたり‥」
 作曲者は、マーカス・M・ウェルズという方です。1815年に生まれ、ニューヨーク州で弁護士をした人だそうですが、詳しいことはわかりません。

 賛美歌11番 新聖歌10番 2005年2月27日

 作詞者は有名なチャールズ・ウエスレーです。1707年に英国の牧師家庭に生まれ、81歳で召されました。兄、ジョン・ウエスレーとともに英国の信仰復興のため活躍しました。毎週賛美歌を作り、その数は6500曲以上にものぼると言われているそうです。これらの賛美歌は諸集会で歌われ、福音宣教のために大いに用いられました。この賛美歌もその一つです。
 作曲者はドイツ人でルーイス・L・シュポーアという方です。1784年に生まれ、お父さんは医師でフルート奏者でもあり、お母さんはピアニストだったそうです。彼は5歳からバイオリンと作曲を学び、やがてドイツのバイオリン奏者中の第一人者として、また指揮者、作曲者として活躍しました。  「讃美歌略解」より

 賛美歌122番 新聖歌98番 2005年3月27日

 作詞者はユーステス・R・コンダーという方です。1820年英国に生まれました。ロンドン大学の哲学科を卒業し、牧師となり、いくつかの教会を牧会しました。この賛美歌は1887年に発表されました。当初は児童のための賛美歌でしたが一般の礼拝でも歌われるようになったということです。邦訳は由木 康氏。
 ユーステス・R・コンダーのお父さん、ジョサイア・コンダーという方も賛美歌作詞家で賛美歌15番はその一つです。ジョサイアはロンドンの書籍商の子供として生まれ、文学的才能に恵まれ多くの著書を残したということです。彼の詩のうち56篇が賛美歌集に載り、その一つはヨハネの黙示録19章6節に基づいたもので、聖歌学者ジュリアンという方は「彼の最高の作品の一つである」と評しているそうです。
 曲は英国の古い民謡の旋律だそうです。日本では昭和6年版の「讃美歌」においてはじめて紹介され、広く愛唱されてきました。流れるような牧歌的リズムと美しい旋律に親しみを覚える人も多いでしょう。   「讃美歌略解」より

 楽譜に記された頭文字 2005年4月24日

 有名なヨハン・セバスチャン・バッハは1685年ドイツのアイゼナハで生まれましたが、幼くして両親が亡くなり、長兄の家で育てられました。彼の音楽教育はこのときから始められたということです。しだいに、歌がうまく、オルガンの腕も並みはずれて優れていることが知られるようになりました。オルガンばかりでなくバイオリンを始め他の多くの楽器も同様でした。
 並外れたオルガンの腕前を称えられたとき、彼はユーモアを交えて「驚くことなど何もありません。ただちょうどよいタイミングで鍵盤を間違えずにたたくだけです。あとは楽器がやってくれますから」と答えたそうです。
 ドイツにおいてマルテイン・ルターによる宗教改革が始まってのち、百年以上が経過していたこの時代に、バッハはルターの信仰の遺産を受け継いでいました。彼の信仰は次の言葉にもよく表れています。「音楽の唯一の目的は、神の栄光が顕わされ、人の魂が再生されることでなければならない」。
 彼は作曲に取りかかるとき、楽譜の余白によくJJと記しました。これは「イエスよ、われを救いたまえ」という言葉の頭文字、あるいはINJと記し、これは「イエスの御名において」という言葉の頭文字でした。楽譜の終わりには決まってSDGと記し、これは「神にのみ栄光あれ」という言葉の頭文字でした。歴代志下5章13、14節の箇所の欄外には「礼拝音楽が鳴り響くところ、神はいつも私たちのそばにおられる。あふれる恵みを携えて」と書き込まれていたそうです。
 p.カヴァノー著「大作曲家の信仰と音楽」より