館林キリスト教会

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小林前牧師 コラム集(39) 「希望のダイヤル原稿」から

 教会のお風呂 2004年11月7日

 一人の奥さんが教会に来ました。もうポロポロ涙をこぼしています。私は、何か心配事があって来られたのだなと思って、一緒にお茶を飲みながら、何くれと話し合いました。少したつとこの奥さん「それではおいとまいたします」「何か話したいことがあって来られたのではないのですか」「いえ別にないのです。何だか淋しい事が多くて、心がつめたくなったような気がして、それでおたずねしたのです。もう心持ちがなおりました。」「それでは教会に、おふろに入りにくるみたいですね」「そうなんですよ。教会で心をあたためて頂くんですよ」
 今度は学生です。教会に来て私と、いろいろ話し合いました。だんだん長くなるので、私が「今日は何か改まった話があって来たのかね」「いえ、別に改まった話もないのです。どうも近頃、イヤなことが多くて頭に来ているので、頭をさまそうと思ってお伺いしました」「そうか。少しはさめたかね」「ええ、大分さめました」「まあ、せっかく来たのだから、ゆっくりさましてゆきたまえ。お茶でもいれさせよう」「ありがとうございます」
 これはどちらも実話です。聖書の中に次のような言葉があります。旧約聖書マラキ書三章です。「神様を信ずる人が、互いに話し合った。神様は耳をかたむけてこれを聞かれた。」神様はただ聞かれるだけでなく、なぐさめと祝福を下さるのです。

 伊沢記念男牧師 2004年11月14日

 伊沢記念男牧師は私の年来の友人ですが生まれつきの小児マヒのため、手も足も言葉も非常に不自由です。ことに文字を書くことができません。彼が少年時代に悩んで絶望に陥ったのも当然です。彼は人に向かっていつも二つの質問をしました。兄弟そろって五体満足なのに自分一人が不具者として生まれたのはなぜなのか。またこういう不具者は、何を希望にして生きていったらいいのか。こういう事でした。「それは先祖のたたりだ」と言われて、うんと怒ってその人を追い出したこともあります。それはそうでしょう。子供心にも、そういうかわい相な子供を、何とかしあわせにしてやろうと、一生けんめいな親の愛を知っていましたから、先祖といえば、その親の親たちの筈だから、何が気に入らないからといって孫子にたたるなどというバカな事はありません。子供でも、伊沢さんにはそれがわかったのです。
 しかし、小学校へも上がれない彼は、絶望して頭にきました。母親を殺そうとした。家に放火しようとした。遂には自殺しようとしました。その彼が救われたのは、キリストとの出会いでした。生まれつきの盲人に語ったキリストの言葉を聞いて下さい。これは聖書に出ています。「本人が罪を犯したのでもなく、また、両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上にあらわれるためである。」彼は、発奮しました。とうとうムリをして牧師になりました。今は日本全国はおろか、外国にまで出かけていって、聖書のお話をし、多くの人をなぐさめ激励しているのです。

 人間改造所 2005年1月2日

 「年忘れ」とか「新年」とかいう言葉を聞くと、ケチのついた、汚れ果てた古いものは捨て去って、心も生活も人間関係も、清潔で新鮮で、希望と活力のあるものに切りかえて行きたい、そういう人間の願いが、お正月のいろいろな仕来たりの中にも表れているようです。
 しかし、どうもそういう願いも決心も、弱い人間の力では、どうにもならないところもあるので、一つ神様の力を借りようというのが、神社などに初詣に行く人の気持ちかもしれません。
 聖書の中に、そういう人間の希望が、キリストの救いによって与えられる、という約束が記してあります。新約聖書、コリント人への第二の手紙5章に「だれでもキリストにあるならば(これはキリストを信ずるならば、という意味です)、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」とあるのは、そのことです。
 ウイリアム・ブースが、英国で初めて「救世軍」というキリスト教の運動を始めた時、あまり大勢の人がクリスチャンとなり、またその人々の変わり方があざやかだったので評判となり「人間改造所」という仇名がついた相です。
 日本でも、昔、東京で開かれていた救世軍の集会に、ふと入ってきた二人連れの、少し酒に酔った労働者がいましたが、二人ともその晩キリストを信じて帰りました。次の日に、牧師さんが、聞いておいた所番地を便りに尋ねて行って見ると、そこはひどい木賃宿で裸同然の人々がゴロゴロしている中に、古ぼけた浴衣でも、とにかく着物を着て、話し合っている二人がいるので、声をかけてみたら夕べの二人だったという話があります。
 キリストを信じて心が変われば、服装も変わります。新しい人生が始まるのです。

 ピルグリム・プログレス 2005年1月9日

 「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり。江上に舟を浮かべ、馬の口をとらえて老いを迎うる者は、日々旅にして旅を住家とす」とは、有名な松尾芭蕉の紀行文「奥の細道」の書き出しですが、昔から私たちの人生は旅行に例えられます。そしてそれは確かに私たちの実感です。十返舎一九という人は「東海道膝栗毛」という面白い本を書きました。面白いには違いないけれども、いわゆる旅の恥はかき捨ての気分で、弥次さん喜多さんの旅行は、下品で不潔で失敗の連続です。弥次さん喜多さんに向かってこんなことを言ったってはじまらないが、気楽で面白いとしても、人生の旅行の手本として子供たちに教えるわけにはいきません。この本の中には、作者の気分、つまり「どうせ短い一生だ。そんなに生真面目に考えたって仕方がない。ひとつ浮世を茶にして、面白おかしく過ごすことだ」という、投げやりな気分が反映されているのです。
 イギリスに、ジョン・バンヤンという人がいました。教育のない「いかけ屋」さんでしたが、熱心なクリスチャンで「ピルグリム・プログレス」という本を書きました。これは一人の人間が罪に満ちた世俗の町から出発して、クリスチャンとなり、神様に導かれ助けられながら、いろいろな人生の難関をしのぎ、最後に天国にのぼる物語です。その間、冒険もありユーモアもありで面白いのですが、これは英国文学の宝で、いつまでも世界中の人に愛読されています。「天路歴程」という名前で、何種類もの日本語訳も出ていて、岩波文庫にも入っていますから、こ存じの人も多いでしょう。
 お正月も終わって、新しい年の生活が始まりました。私たちの人生の旅行は、弥次喜多のようでしょうか。天路歴程のようでしょうか。
 「われらのよわいは70年にすぎません。  …その一生はただ、ほねおりと悩みであってその過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。…われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください」      旧約聖書詩篇90篇