館林キリスト教会

Sub Menu

 

小林前牧師 コラム集(38) 「希望のダイヤル原稿」から

 南の島で 2004年8月8日

 ある宣教師が、ほとんど文明にふれたこともなかった、南の方のある島の人たちに伝道を始めました。
 この島にも、不思議な、恐ろしい、野蛮な神様が、部落の町角や、森の中に、沢山まつってありました。
 宣教師は人々を集めては、そういう形のある神々ではなく、聖書に示されている、天地万物をお造りになった、目に見えない、本当の神様のことを一生懸命教えました。
 ある日のことです。お話の途中で急に、子供の手を引いた一人のお母さんが出て来て言いました。
 「先生、私はその本当の神様を知っています。この子はその神様のおかげで命拾いしたのです」「それは驚きました。では私より先に、誰か宣教師が来て、本当の神様のお話をして下さったのでしょうか」「いえ。お話を聞いたのは始めてです」「ではどういうわけで、あなたは本当の神様を知っているのですか」「どうぞ聞いて下さい。この子が赤ん坊のとき恐ろしい病気になりました。もうきっと死ぬと思ったのです。でも神様ならきっと助けて下さるから、神様にお祈りしようと思いました。でもその時は真剣でしたから、いつもお祭りの時におがむ、木やわらで作ったあの神様ではダメだ、と思いました。私は誰もいない森の中に入っていって、よくわからないけれどもきっと本当の神様がいるに違いないと思って、その神様に一生懸命に祈ったのです。そしたら不思議にこの子の病気はなおりました。私は本当の神様はいるのだと、今日まで心の中で考えていました。今先生がその神様のことをはっきり教えて下さったのです」
 あなたも祈りたい時には、本当の神様に祈って下さい。そしてそのためには、聖書を通して本当の神様を学んで下さい。

 二人の祈り 2004年9月5日

 キリストのお話の中にこういう話があります。
 二人の人が祈ろうとして、神殿、今で言えば教会に入って来ました。
 一人はパリサイ人といって、立派な宗教家です。もう一人は取税人といって、かくれもない罪ふかい人間です。
 パリサイ人は祈り始めました。「神様。私はパリサイ人です。今一緒に入ってきた、あの取税人のような罪人でないことを感謝します。私は慾ばって賄賂をとったり、不正なことをしたり、女性関係の罪も犯したことはありません。その上、断食でも献金でも、善いことは皆やっています。」それから、次々と沢山のことを神様に祈り求めました。
 取税人の方はどうでしょう。罪深い彼も、今日はどうしても神様にお祈りしなければならないことがあったのでしょう。しかし罪ふかい自分のことを思い、聖なる神のことを思うと、心は恐れで一杯で、とても祈る勇気はありませんでした。彼はうなだれたままでした。教会の入口の方にうずくまったままでした。いざという時には神様に祈らなければならない弱い人間なのに、罪を犯してきた自分の生活がくやまれました。彼は自分の胸を打ちました。悲しさとくやしさのしるしです。そして祈りました。「神様、罪人のわたしをおゆるしください。」
 この二人のうち、どちらが神のみ心にかなったのでしょうか。どちらを神は受け入れて下さったでしょうか。どちらの祈りに神は答えて下さるでしょうか。
 キリストは言います。「それはあの傲慢なパリサイ人の方ではありません。謙遜正直に自分の罪を悔い改めた取税人を、神はお受け入れになったのです。」謙遜な態度と、正直な罪の悔い改め。これは祈りのたびごとに、私たちが神にささげなければならない、祈りの中の大切な部分なのです。

 手術前日 2004年9月12日

 聖書の詩篇23篇は、クリスチャンの生活を羊に、クリスチャンをいつも守り導いて下さる神様を羊飼いにたとえた有名な詩です。
 「主はわたしの牧者であって、
 わたしには乏しいことがない。
 主はわたしを緑の牧場に伏させ、
 いこいのみぎわに伴われる。‥
 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、
 わざわいを恐れません。あなたがわたし
 と共におられるからです。」
 館林教会の会員の中に、一人のお年寄りがいます。女の方です。今84才です。この方は数年前76才の時に胃の手術をしました。二年余り、胃が悪くずっと病気だったので、衰弱していました。しかも年寄りでまわりの人も、非常に心配しました。
 手術の前の日に、私はこの人の病室をおとずれました。そして、次の聖書の言葉を読んであげました。詩篇の23篇です。
 「たとい死の陰の谷を歩むとも私は、わざわいを恐れません。あなたが私と共におられるからです」
 ここに「あなたが私と共におられるからです」といっているのは「神様が一緒にいて、守って下さる」という意味なのです。そのあとで、私はこの手術をあしたにひかえたお年よりと二人で神様にお祈りしました。
 「神様、手術の間、この人の心と体を守って下さい。手術が成功して、もう一度健康になれるように助けて下さい。しかし、生き死にともに、神様にまかせます。どういうことがあっても、神様が共にいて下さるから、何も心配せず、全部神様にまかせます」お祈りのあとでこのお年寄りは、「先生この聖書の言葉を紙に書いて、壁にはっていって下さい」と言いますので、私はそうしてあげました。
 翌日の手術は成功し、経過は順調で、このお年寄りは健康を取り戻しました。そればかりではありません。手術の前後、このお年寄りがあまりに落ちついていて、あまりに素直だったので、お医者さんや看護婦さんを通して、それが病院中の評判になりました。そして、大勢の人が、あの病室の壁にかけた、聖書の言葉を見に来ました。
 神様は神様を信ずる者といつも一緒にいて、平和な日にも、苦しい時にも、あぶない日にも私達の心と体を守って下さるのです。もう一度、あの詩篇23篇の言を聞いてください。あなたはいかがですか。

 聖書、教会 2004年10月3日

 あなたは聖書を手にしたことがありますか。
 旧約聖書の大きさ、あるいは長さは、トルストイの「戦争と平和」よりちょっと長いくらいです。けれどもこれを小説のように一息に読み通すのは大変です。
 新約聖書だけですと、普通の厚さの文庫本一冊ぐらいです。そして新約は旧約よりも大分わかりやすいと思います。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという、四人の弟子たちが、それぞれキリストの伝記を書きました。それが新約聖書の最初のところにある、四つの福音書です。一番手みじかに書いてあるのが、マルコによる福音書ですが、私は一番最初に、ルカによる福音書を読むことをおすすめします。聖母マリヤの物語にしても、一番わかりやすく、ていねいに書いてあります。しかし、何といっても聖書はむずかしいから多少勉強の方法があります。          (つづく)