館林キリスト教会

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小林前牧師 コラム集(29) 「希望のダイヤル原稿」から

 救い主キリスト 2002年12月1日

 そろそろクリスマスが近づいてきました。ご存じのように、クリスマスは、キリスト誕生のお祝いの日です。世界中の人がお祝いします。
 今から約二千年前、当時世界中を支配していたローマ皇帝カイザル・アウグストが、全世界に人口調査、戸籍登録の命令を出しました。この命令を受けたユダヤでは、全部の人が本籍地に戻らなくてはならないので、国中大さわぎになりました。ごったがえす旅人にまざって、ナザレの大工の若夫婦、ヨセフとマリヤも、故郷のベツレヘムにむかって旅をしました。マリヤは今にも生まれそうなお腹をかかえていたのです。
 さて、ベツレヘムに着いてみると、どの宿も、もう人で一杯でした。仕方がないので、馬小屋をざっとお掃除をして、そこに泊まりました。ところがその夜、この不便で心細い旅さきで、しかも馬小屋の中で、男の赤ちゃんが生れました。マリヤはこの赤ちゃんを布にくるんで、ふだんは馬がかいばを食べる、かいばおけの中に寝かせました。馬小屋の床にねかせるに忍びなかったのでしょう。この赤ちゃんが全世界の救い主、神の子イエス・キリストでした。この日を祝って世界中でクリスマスが行われるのです。
 さて、これは随分、貧しい誕生でした。コリント人への第二の手紙8章9節に「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。」と書いてありますが、この馬小屋に生まれた救い主によって、すべての人は、ゆたかな神の恵みを受ける者となるのです。ご一緒に、キリストの恵みを学びましょう

 最初のクリスマスキャロル 2002年12月8日

 今から二千年前、キリストがマリヤを母としてベツレヘムの馬小屋でお生まれになった夜、近くの野原で羊飼いたちが徹夜で羊の番をしていました。星も氷るような寒い夜だったでしょう。ところが急にあたりが昼のように明るくなったと思うと雪のように白い衣をきて、力強い羽をたたみ、輝く顔をした天の使いが立ちました。羊飼いたちはびっくりして恐れていますと、天の使いは言いました。「恐れるな。全世界の大きな喜びのメッセージです。今日ベツレヘムに救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストです。このかたは、布にくるまってかいば桶の中にねかされています。それがあなたがたに与えられたしるしです。」するとたちまち野にも山にも、何千という、ろうそくをともしたように、天の軍勢があらわれ最初のクリスマスのさんびかを歌いました。
 「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」
 そこで羊飼いたちは大急ぎでベツレヘムに行って赤ちゃんの救い主、イエス・キリストを礼拝しました。これらはルカによる福音書2章に書いてあります。
 さて天の使いは、なぜ、救い主のご誕生を名もなく貧しい労働者の羊飼いに、第一番に知らせたのでしょう。それは彼らが単純、率直、謙遜で正直な人たちだったからでしょう。
 キリストもあとで、マタイによる福音書11章でおっしゃいました。「天地の主なる父は、これらのことを知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました」と。わずかな知恵、学識、富や地位に誇る者は、キリストの恵みを受けることはできません。どんな人でも、人間同士の関係ならいざ知らず、神様の前に出る時は、幼な子のようでなければなりません。そうではありませんか

 第22代大統領 2003年1月5日

  新しい年、ゆたかな祝福をお祈り致します。新約聖書コリント人への第二の手紙5章17節には「だれでもキリストにあるならば(キリストを信じるなら)、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」という言葉があります。アメリカ第22代大統領、クリーブランドは熱心なクリスチャンでした。しかし少年時代は仕方のない不良少年でした。母親は心配のあまり死んでしまいました。
 ある時、友達と二人で遊びに行こうとして教会の前を通りかかりました。そこに「罪の支払う報酬は死である」と聖書の言葉が書いてありました。それを見てふとクリーブランドは考えました。そして言いました。「君、ここに"罪の支払う報酬は死である"と書いてあるがそれは本当だ。現に僕のお母さんなどは、僕のでたらめな生活がもとで死んでしまったのだ。君、一度入って話を聞いてみようじゃないか」「バカを言え。ムリをして金をこしらえて来たのは、遊ぶためだ。こんなキリストの話なんかを聞くためじゃない。俺はイヤだ」二人は喧嘩になって、友達はクリーブランドをけり倒して行ってしまいました。しかしクリーブランドはその夜、教会でキリストのお話を聞いて深く信じ、クリスチャンになりました。それから全く人物が変わって高校から大学を出て弁護士となり、45才でニューヨーク州会議員、57才でアメリカ第22代大統領となり、更にもう一度、第24代大統領に当選したのです。
 その再選の日に、ある刑務所で一人の囚人の死刑が執行されようとしていました。「最後に言いたいことはないか」「今日当選した大統領は誰ですか」「号外を持ってきて見せてやろう」号外を見ると、この死刑囚は激しく泣き出しました。「彼は私の友達で、二人ともろくな事はやっていなかったのです。私もあの時教会に行っていたら、こんな事にはならなかったろうに」
  良い出発はいつでも大切ですね。

 憂うつな人 2003年1月12日

 人が集まった時に「憂うつになって困った人がいますか」と聞くと、比較的大勢の人が手をあげます。自分自身にも、家庭にも、世の中にも、問題や、面白くないことが多いのだから、誰だって、時々憂うつになるのはむりもありません。ある人は「人間は神様をはなれて、罪ばかり犯しているのだから、人間の気持ちが土台からして憂うつになっているのは、やむを得ない」と言っています。また、昔からの性格の分類の中で「憂うつ質の人」と区分されるような人もいます。
 私はローマに行った時に、もともと写真版でおなじみだった、ラファエロの「アテネの学堂」という大きな絵を見ました。プラトン、アリストテレスその他大勢がえがかれている間に、ひとりぼっちでつまらな相に、ほほづえをついている、ミケランジェロもいます。かれは「憂うつこそわが友」と言っていた相です。
 憂うつ質の人は、自分の中にとじこもって、なかなか外部のものを受け入れず、慎重にていねいに観察しています。調子者でも、おっちょこちょいでもないかわりに、いくらか臆病です。物事を軽く、明るく、楽観的に見ないで、暗い方面、うまくゆかなかった場合などをよけいに考えるようですね。それだけに、いざ考えるだけ考えて、覚悟をきめると、とても強くなります。何が起こっても、すでに考えぬいてあるので、今更驚くこともない。最悪の場合でも気が変わることなく、ネバるようです。アリストテレスは言います。「哲学者でも政治家でも芸術家でも、天才といわれる人は、みな憂うつ質だ」と。
 キリストの十二名の弟子たちの中には、いろいろな性質の人がいましたが、その中のトマスという人は、まず典型的な憂うつ質でした。キリストは、トマスの性格をよくのみこんで、ていねいに指導して下さったのですが、次回、このトマスのお話をしましょう。