伊藤牧師コラム集 聖地を旅して(14)
ゲッセマネの園にて(2) 2004年9月19日
どこでもそうですが、記念の場所には教会が建てられている。ゲッセマネにも「万国民の教会」と呼ばれる「ゲッセマネの園の教会」があった。この礼拝堂の中はだいぶ暗くなっている。ゲッセマネの夜をしのぶために昼でも薄暗いように造られているのだそうだ。正面の祭壇の前には縦横3メートル位の白い岩が茨の冠をかたどったものの中にある。主イエス様がこの岩のところで血のような汗を流し祈られたといわれる。主イエス様はこの岩に体をもたせかけて「どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」と祈られたのだ。これはイエス様の心からの願いだ。それと共に、父なる神様のみこころを優先されるイエス様の信仰を教えられ励まされた。前回来られたことのある団長の荒川雅夫先生は、この礼拝堂は祈りをかもし出させるようなところだ、ここで皆さんと祈れないのは残念だ、と言っておられた。ここで祈りの集会のようなものをするためには、あらかじめ言っておく必要があるということで、そこでお祈りすることはできなかった。私たちは礼拝堂を出て、園のそばにある細い道の傍らのベンチにかけて、みんなで心を合わせてお祈りをささげた。祈りつつ、私も主に対する献身の思いを新たにし、自然と涙がこみ上げてきてしまって止まらなかった。
園の墓(1) 2004年12月19日
エルサレムにはキリストの墓と言われる所が二つある。聖墳墓教会とゴルドンのカルバリーと言われている所です。歴史的には、聖墳墓教会が建っている所が、キリストが十字架にかけられ葬られたた場所だと思います。しかし聖墳墓教会はギンギラギンに飾られていて、沢山のロウソクが立てられ、ランプが置かれていて、香がたかれているような状態なので、キリストが葬られた厳粛さを感じさせない。それに比べると、イギリスのゴルドン将軍が見つけた岩山の方が、聖書に書いてある雰囲気を感じさせる。私たちはその近くにある園の墓を訪れた。聖書に「イエスが十字架にかけられた所には、一つの園があり、そこにはまだだれも葬られたことのない新しい墓があった。」と書かれてある。
園の墓(2) 2005年1月16日
この「園の墓」と言われている場所には、「墓」にふたをした時に大きな石を転がした溝が残っている。イエス様が復活された日の早朝、墓に行った女たちが「だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか」と話し合っていた。」(マルコ16:3)と聖書に書いてある。この「墓」には、ロウソクもランプもお香もない。そして入り口のところには、「He is not here,for He is Risen」(主はここにはおられません。彼はよみがえられたからです)と書いてある。
エルサレムにあるイエス様の二つの墓を見ると、一つはイエス様の遺体があるかのように飾ったギンギラギンの聖墳墓教会、もう一つは何も飾られてなくただその跡だけを記念している園の墓との違いがあることに気がつかされる。この園の墓は、十字架にかかられたままのイエス様ではなく、十字架にかかられ、死んで葬られ、三日目に死人の中からよみがえられたイエス様を覚えるという復活信仰の重要性を私に語りかけてくれた。
ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)<1> 2005年1月30日
神殿の丘を抜けて、いよいよ主イエス様が十字架の道を歩まれたと言うヴィア・ドロローサ(悲しみの道)にさしかかった。主イエス様が十字架を背負って歩かれたヴィア・ドロローサは、ポンテオ・ピラトの官邸跡が出発点で、約1000メートルほどの石畳の狭い道だ。実際イエス様が歩まれた道は、イエス様が十字架の死を遂げられて数十年後に、ローマの将軍ティトスが率いる軍隊によって紀元70年に徹底的に破壊されてしまったから、現在のエルサレムの町はその廃墟の上に建てられたものだ。だから、主イエス様の時代の道は、現在の地表面より、4、5メートル地下にあることになる。しかし、今でも商店街の喧騒な狭い道を歩いて見ると、イエス様が十字架を背負って、このような雑踏の中を歩いたのだと言うイメージが浮かんでくる。イエス様の気持ちを深く察したいと思うが、なかなかそうはなれない。ピラトの官邸跡が出発点だが、そこはオマリー学校が建っており、中に入ることは出来なかった。ヴィア・ドロローサには14のステーション(祈祷所)がある。第2ステーションは、イエス様が鞭打たれ死刑を宣告された場所で、鞭打ちの教会が建っている。またすぐ近くのシオン女子修道院の中に、ピラトが「この人を見よ」といったエッケホモ教会がある。ここはアントニア要塞の一部をなしていて、ローマ時代のガバダ(敷石)が残っている。当然見に行くのだと思っていたが、時間の都合でいけなかった。予定されていた場所が見られないためになんとなく不満を抱きつつヴィア・ドロローサの道を歩いていた私を、イエス様はきっと悲しんでいたに違いないと今は思う。