館林キリスト教会

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伊藤牧師コラム集 聖地を旅して(10)

 聖家族の町ナザレ 2002年6月15日

 ガリラヤ湖周辺の町テベリヤを出発したのが、現地時間の午後の2時でした。ガリラヤ湖は海面下200メートルに位置する湖です。そこからナザレへ向かう途中ゼロメートルと記された地点を通った。イスラエルに来ると、死海が世界でもっとも低い所にある湖ということで、よくガイドさんが説明をしていた。私はこの辺が地中海と同じ高さのゼロメートルという実感はあまりわいてきませんでした。
 40分もするとナザレに着いた。ナザレは、旧約聖書にもユダヤの文献にも、またヨセフスが書いた書物に出てくるガリラヤの町にも入っていないような小さな町です。ナザレは、標高350メートルの丘陵にある町で、イエス様の母マリヤの故郷であり、ヨセフはここで大工の仕事をし、イエス様が少年時代を過ごされた所です。
 現在、このナザレの町の中央部に美しい受胎告知教会が建っています。1955年から1969年まで14年もかけた大建築です。回廊と教会堂内部には、各国から寄贈された、かなりの数の「聖母子」が掲げられています。白い肌、黒い肌、それぞれの民族性を表しています。日本のものは、長谷川路可画伯による、細川ガラシャ夫人を模したといわれるマリヤと、幼児イエス様の大きな見事な絵が飾ってありました。
 この時間は疲れが出てきたのか、薄暗い会堂内で椅子に腰掛けていましたら、うとうと居眠りしてしまいました。

 異邦人伝道の拠点カイザリヤ 2003年7月20日

 カルメル山の裾野に広がるエズレル平原をカイザリヤに向かって走った。途中ハル・メギドの丘といわれるところを通った。いわゆる世界最終戦争が起こるといわれるハルマゲドンの場所だ。向こうにはカルメル山がある。預言者エリヤがバアルの預言者450人とたった一人で戦った記念すべき山だ。皆さんが行きたいだろうと、団長の荒川先生が旅行社の方に交渉してくれたが、時間の関係等で無理だった。
 午後の4時ごろカイザリヤに着いた。カイザリヤは、古くからあった要塞都市ストラトンに、ヘロデ大王がヘレニズム都市を建設、皇帝アウグストから、この町を与えられたことを記念して「カイザリヤ」という名にしたそうだ。劇場、円形劇場、競技場、皇帝礼拝の大神殿、高架水道橋などの遺跡がある。複製だが、「ポンテオ・ピラト」と刻まれた石碑もおいてあった。
 円形劇場では、みんなで聖歌480番を賛美した。とてもよくひびき、遠くにいる人にも十分に聞こえるようだ。私たちの賛美を聞いていた他の旅行者から拍手があったりして、なかなかいい気分だった。
 カイザリヤという名は、使徒行伝にしばしば出てくる。教会発足時「御霊と知恵に満ちた」七人の指導者の一人ピリポは、ガザ、アゾト、そしてカイザリヤに行き、ここに定着したようだ。パウロは、カイザリヤからタルソに赴いた。また第二、第三回伝道旅行の際にも立ちより、エルサレムで捕縛、カイザリヤに護送され、二年間投獄された。そしてローマ皇帝から裁判をうけるためにローマへ出発したのも、この港町カイザリヤからだった。

 エルサレムへ向けて 2003年8月17日

 カイザリヤを出発したのは、夕方の5時頃だった。何台かの乗用車が止まって、高齢者のご夫婦とみえる人達が、椅子を出して腰掛けている。何だろうと見ていると、地中海に夕日が沈むところを見にきたのだ。それはとても美しいとしか言えない風景だった。思わず「きれいだなあ」と歓声をあげた。また何となくこの海に沈む夕日を眺めている人々の姿に、わたしも老後はこんな風に夕日を眺めたりしてすごしたいものだと思った。
 バスの中では、ガイドさんがイスラエルで歌われているフォークソングをたくさん聞かせてくれた。その中には、以前に小林牧師ご夫妻、松本さんご夫妻、宮田さんご夫妻がイスラエルに出かけたその年のクリスマス祝会で賛美した「ヘヴェヌ シャローム」もあった。私はとても気に入って、何人かの若者たちのおみやげとして買ってきた。今でも、車の中や自分の部屋で仕事をしながらもよく聞くカセットで、これを聞くと力が湧いてくるような感じになる時がある。
 エルサレムに近づくと、荒川先生が、詩篇121篇、122篇、124篇、125篇、126篇と朗読してくれた。私たちはバスであるが、昔のイスラエル巡礼の一行に加わったような気がした。

 キング・ソロモンホテルに宿泊 2003年8月31日

 エルサレムは山の上にある町だ。聖書に「山の上にある町は隠れることができない」とあるが、確かにそのとおりだった。宿泊を予約してあったホテルは、思わぬトラブルが生じて、泊まれないことになった。連絡不足で少々頭にきたが、代わりのホテルはなんと映画「栄光への脱出」(エクソドス)のホテルとして使用されたキング・ソロモンホテルだった。驚いた。

 エルサレムの町を散歩 2003年8月31日

 荒川先生と朝早く起きて散歩に出かけた。町を歩いていると、学校や会社に行くイスラエルの人々とすれちがい、時には私たちに挨拶をしてくれる人もいた。当たり前のことだが、とても私の心をさわやかにしてくれた。
 三年にわたる公の宣教活動を終えて、主イエス様が最後の一週間を過ごされたエルサレムだ。聖書が記すとおり、城壁に囲まれた都だ。城壁に囲まれた部分が旧市街と称されて、近代的に発展したエルサレムの中に、そのまま残っている。
 荒川先生が「あれがダビデの塔です」と、指差して教えてくれた。ダビデの最大の罪、バテシバ事件が起こった場所だ。ダビデ王家を悲劇に招いたあの事件さえなければと、ダビデはずっと思ったに違いない。どうしても人間は調子よくいっている時は油断してしまうものだ。そんな思いを抱きながら、城壁に沿って、ずっとその塔を眺めながら、ホテルに戻った。