館林キリスト教会

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伊藤牧師コラム集 聖地を旅して(2)

 旅支度 2000年6月18日

バイブル・キャンプと聖会と牧師会くらいしか、泊まりがけで出かける事のなかった私には、いろんなものが不足していた。そこで館林や足利などの店に出かけて、旅行に必要なショルダー・バック、カメラ、シャツ、飛行機の中で履く折りたたみスリッパ、小さな財布、アイマスク、ウインド・ブレーカー等を購入したりした。
二週間も旅行してくるのだから荷物も多い。トランクなど使ったこともないので、入れ方などを練習してみた。きちんと整理して入れるのはなかなか難しいものだった。海外旅行に便利という大きさの異なった透明の網の袋は、区別しておくのに便利で、バラバラにならないで助かった。

 見送られて 2000年6月18日

 10月31日(日)倉松礼拝を終えて、いよいよ出発ということになった。みんながよい旅が出来るように祈ってくれ、館林に帰る私を見送ってくれた。明日の朝、羽田空港に午前6時半の集合だったので、殆どの方は、東京のチサンホテル浜松町に泊まった。私も午後4時頃家を出た。ホテルには6時半頃つき、食事をすませてみんなが集まるのを待っていた。午後8時頃には、みんなが集まり、荒川先生がこの旅の祝福を祈ってくださり、簡単な自己紹介をした。

 飛び立つ 2000年6月18日

 昨日の天気予報では、今日は朝から大雨になるという予報だった。今にも大雨が降りそうだったが、羽田に着くまでどうにか守られた。最初の日は大阪乗り換えで、トルコのイスタンブールを経由してエジプトに入ることになっていた。ジャンボジェット機が飛び立つと、私の気持ちも嬉しくて一緒に飛び立った。(伊藤)

 機内にて 2000年7月16日

 関西空港で、みんなと遅い昼食を済ませた。それから館林から宅配便で送っておいた荷物を無事に受け取り、トルコ航空のイスタンブール行きに乗ったのは、大阪発13:35発の便だった。30分位した頃、席を移動してもかまわないというアナウンスが流れた。すると数十人の人たちが寝て行ける4人がけの席を取るために一斉に移動し始めたのには驚いた。彼らは、海外旅行になれた人々であることと、トルコ航空便には、かなりの空席があることを知っているらしかった。うす暗くなった機内を歩いて、横になって寝ている人たちを見ると、彼らはファースト・クラスの席にいるようで得したな、と思った。

 イスタンブールからエジプトへ 2000年7月16日

 イスタンブールへ着いた時、私の時計は午前11時40分をさしていた。現地時間では19時頃だった。飛行機に10時間も乗っていたことと、横になることも出来なかったのでさすがに疲れた。空港で3時間位待ってから、最初の目的地エジプトへ飛び立ったのは夜の10時だった。

 エジプト到着 2000年8月20日

 この旅行の最初の目的地エジプトに着いたのは0時30分頃でした。手続きを終えてバスに乗るとき、何と表現してよいかわからない、暖かい空気を感じました。「約束の国を行く」の著者佐々木静江さんが「あたたかい風が頬をなでていく」と書いていた文は、このことかと思い出しました。エジプトに着いたのだという実感が伝わってきました。

 ホテル到着 2000年8月20日

 カイロのシェラトンホテルに着いたのは、現地時間真夜中の1時頃でした。それから自分のトランクを受け取り、明日の事を確認し、寝る頃には2時を過ぎていました。明日の食事が7時半で、出発が8時。早く寝て身体を休めなくてはと思いましたが、実際はなかなか寝られませんでした。頼んであったモーニングコールは30分も早い6時に鳴り、そのあげくテレビがついたりして、仕方なく起きてしまいました。団長で同室だった荒川先生が出エジプト記33:18の「どうかあなたの栄光を見せてください」というみことばを開いてくださり、共に祈りました。

 朝食 2000年8月20日

 みんなそんなに寝ていないはずなのに、とても元気そうでした。朝食はバイキング形式で、とても豪華な料理が各皿ごとに山盛りに積まれ、並べてありました。珍しい食べ物、美味しそうな果物、飲み物も沢山ありました。4,5人で歓談しながら楽しい朝食をとりました。ただ添乗員の佐藤さんだけは、朝食を早めに済まして、忙しそうに私たちのために動いてくれていました。

 ショコラン 2000年9月17日

 午前8時半、予定通りバスに乗り込み、見学地へ向けて出発した。運転手はイサムさん、ガイドはモハンメドさん、ワイロさん、それに女性のイマンさん(研修生)の3人。14人の団体に3人のガイドは多すぎると思った。またワイロなどと言うと日本語では「賄賂」を想起するので、モッちゃん、イッちゃん、ワッちゃんと呼んでくださいいということだった。そこで私たちは、この二日間はそう呼ぶことにした。いくつかのアラビア語を教えてもらった。その一つが「ショコラン」(ありがとう)だ。どの国のことばでも、「ありがとう」という言葉は感じのいい言葉で、人間関係の潤滑油になっているだろう。そして最も大事なのが真の神様に対して「ショコラン」ということだと思う。

 エジプト考古学博物館@ 2000年9月17日

 カイロの町をバスで最初の見学地、考古学博物館へ向かった。カイロはエジプト・アラブ共和国の首都だが、日本と比べて、その町並みから経済的貧しさというものを感じた。博物館前は、修学旅行生徒たちも混じって大混雑だった。この博物館は、ツタンカーメン王展示館と呼んでもいい位、彼の展示品にかなりのスペースが取られている。日本で「ツタンカーメン王展」が開催された時には、この考古学博物館は閉鎖されていただろうと思った位だ