館林キリスト教会

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伊藤牧師コラム集 聖地を旅して(12)

 シロアムの池での教訓 2004年2月29日

 シロアムの池は有名で、よく写真などにも紹介されている。本でみたことのある「シロアムの池」が目の前にあるのは感激だった。さっそく、40段くらいの階段を下りて、池のそばに行った。シロアムの池を有名にしたのは、ヒゼキヤのトンネルの大工事だけではない。新約聖書ヨハネによる福音書9章に記されてある、盲人の目をあけた奇跡とかかわりがあるからだ。イエス様の弟子たちが、道端の盲人を見てイエス様に尋ねた。「この人が生まれつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それとも両親ですか」。するとイエス様は「本人が罪を犯したのでもなく、またその両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである」と答えた。そこでイエス様は、つばきでどろをつくって彼の目に塗り、「シロアムの池に行って洗いなさい」といわれた。平坦でないシロアムの池までの道は、盲人の彼にとっては大変だったと思う。また途中知り合いの人にもあったかもしれない。彼らは泥だらけの顔をした彼に向かって、「イエスの言ったことを本気で信じているのか」と馬鹿にし、嘲ったことだろう。しかし、彼はそれらを越えて、イエス様の言葉に従っていったのだ。そして見えるようになって帰って行った。私もこの人のように、周囲の言葉に左右されず、しっかりイエス様のみことばを信じて歩んでいきたいと思わされた。

 オリブ山に立つ 2004年3月21日

 シロアムの池からケデロンの谷、ゲッセマネの園をバスの窓から見ながらオリブ山に向かった。オリブ山はエルサレムの東側にある標高800メートル位の山だ。使徒行伝1章12節には「この山(オリブ山)はエルサレムに近く、安息日に許されている距離のところにある」と書いてある。約一キロ位の道のりだ。ここはイスラエルへの旅行者が必ず訪れる場所の一つで、観光バスが次から次へとやってくるほど有名な場所だ。エルサレムを一望に見渡すことの出来る場所、それがオリブ山頂だ。私はついた途端、はやくシャーターをきりたくて焦ってしまうほどだった。あわててバスを降りたので、あわや交通事故になりそうになった。ここからの眺めはあまりにも有名で、写真や本やビデオで何百回と言っていいほど見た。エルサレムの町全体が撮れる良い場所を見つけては、あちこちから何回もシャッターをきった。参加者全員で記念写真も撮った。二千年前、主イエス様が「ああ、エルサレム、エルサレム」と涙を流しながら眺められたこの情景。少しでもイエス様の気持ちを理解できればと願ったりもした。私も救われていない人々のために心から涙流す伝道者でありたいと思った。聖書のあちこちを見ると、イエス様もオリブ山が好きだったと思う。オリブ談話をされたのもそうでしたし、昇天なさったのもオリブ山だ。ルカによる福音書21章には、「イエスは昼のあいだは宮で教え、夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた」とあり、よく祈った場所でもあるようだ。旧約聖書に、ダビデ王が王子アブサロムの反乱にあい、「ダビデはオリブ山の坂道を登ったが、登る時に泣き、その頭をおおい、はだしで行った。彼と共にいる民もみな頭をおおって登り、泣きながら登った」と記されてあるのも、オリブ山を印象づける記事の一つだ。旅行後、一緒に参加した境教会の阿佐美英一さんからは、オリブ山から撮った写真付のカレンダーもいただいて、あの時の喜びにひたったりもした。

 主の祈りの教会 2004年4月18日

 オリブ山には249の教会が建っている(1999年11月現在)と聞いた。まさに教会建築のオンパレードだ。世界中どこででもそうだが、有名な個所にはすぐ記念の建物が建ち、当時を偲ぶのにはちょっと妨げとなるくらいだ。しかしこれもまた仕方のないことなのだろう。こうでもしないと観光客はどこへ行っていいか迷ってしまうことになる。そういうわけで、私たちもオリブ山にある「主の祈りの教会」を見学する事になった。ご存知のように福音書には「主の祈り」が二箇所書かれている。一つは、「山上の説教」の中、マタイによる福音書6章9節から13節で、もう一つは、ルカによる福音書11章2節から4節に書かれてある。伝承では、オリブ山で教えられたということになっており、その教えられた場所にパーテル・ノステル(我等の父の教会)が建てられている。この教会は紀元4世紀にコンスタンチィヌス皇帝の母ヘレナ皇太后が建てたといわれている。この人は、聖墳墓教会、ベツレヘムの聖誕教会も建てたといわれている人である。この教会の周囲の壁には60カ国語で「主の祈り」がパネルに書かれ、掲げられている。勿論、いつ頃からかわかりませんが日本語の「主の祈り」もあった。小林牧師から、「主の祈り」は祈りのお手本である、と教えていただいた。一方で「主の祈り」ほど、迫害を受けたみことばはないといわれる。それは心から祈る人が少ないからだそうだ。毎週礼拝で「主の祈り」を祈っているが、ゆっくり、心をこめて主イエス様が教えてくださった「主の祈り」を唱えたいものであると改めて思わされた。

 主の涙、ダビデの涙< 2004年6月6日

 オリブ山に立って、誰もが思う事は、主イエスさまがここで、エルサレムの滅亡を預言して涙を流された(ルカ19章41節から44節)ことでしょう。ここに、涙の粒をかたどったと言われている「主の涙の教会」(ドミヌス・フレビット)があります。おそらくこのあたりで主が泣かれたのは一度だけではなかったのではないでしょうか。もう一つ、オリブ山で涙を流されたということで思うことは、王ダビデが王子アブシャロム反乱にあい、オリブ山を通って逃げていったことです。この旅行の団長の荒川雅夫先生は、サムエル記下15章30節から「ダビデはオリブ山の坂道を登ったが、登る時に泣き、その頭をおおい、はだしで行った。彼と共にいる民もみな頭をおおって登り、泣きながら登った」と書いてあるように、このオリブ山を登り、オリブ山の向こう(エルサレム旧市街の反対側)、ユダの荒野の方へ逃げていったのです、と話してくださった時、何かダビデの思いが伝わってくるようで感動してしまいました。また私は、この個所を読むと、村上隆一牧師が、聖会でサムエル記下15章から説教してくださったことを思い出します。そのあと小林牧師が涙声でお祈りされた時、とても感動したのを忘れる事が出来ません。主の涙、ダビデの涙、恩師の涙、こんなことを思うと、オリブ山は離れがたい所でもありました。