館林キリスト教会

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伊藤牧師コラム集 聖地を旅して(1)

 きっかけ 2000年3月19日

 機会があればイエス様が歩いた地、モーセが通った所に行ってみたいと願っていた。そして何年もかけてコツコツと貯金をし、何とか行けるかもしれないという貯蓄額になった頃には、ひそかに行ける日を祈りつつ期待していた。しかし、いろいろな事情を考えて見ると無理かも知れないという結論にたどりついた。そう考えると貯蓄したものが無駄になる。このお金を活用して、今の仕事に必要なパソコンを購入しようと決めた。聖地旅行はあっさりあきらめてしまった。
 そして4年が経過した。ところが昨年の7月、思いがけなくある若夫婦が、「伊藤先生、聖地に行って来て下さい。出来る限り私たちみんなで応援します」という声をかけてくれた。彼らが何人かの人たちをまとめてくれたのだ。私は彼らの思いに何と感謝してよいかわからなかった。私のためにそんなふうに考えてくれたことに感激した。こうして多くの方々のご好意によって、聖地への旅が実現することになった。

 全てが備えられて 2000年3月19日

 早速家内に話すと、「チャンスだと思うよ、行って来なさいよ」と言ってくれた。小林牧師にもこのことを話すと、「いいね、行って来たらいいよ」と喜んで賛成してくれた。休暇申請のため、役員会にかけた。役員会では休暇の了承と共に、館林教会、倉松教会からの援助も決めて下さり、必要なものは全て備えられた。

 準備開始 2000年4月16日

 聖地旅行が決まると、早速聖地に関する本を引っ張り出したり、先に行った方にビデオを借りたりして、予備の学びを始めた。時間を見つけては、エジプト、イスラエルに関するビデオを見ていた。娘はそんな私の行動がおかしいようで、テレビ番組を見て、何でもイスラエルの名が出てくると「ほら、イスラエルをやるよ」などと、からかってきた。
 小林豊子先生からは「せっかく行くのだから一生懸命準備をして行ったらいいわよ」と勧められた。スケッチブックを購入し、パンフレットに書いてあった地名やコースを興味深く読み、その地を詳しく調べたり、写真を切り取って貼ったりした。仕事を終えて、夜準備をしていると、時間はあっという間に過ぎていった。
 この聖地旅行の楽しみの一つは、モーセが登ったシナイ山に行けることだ。しかし普段運動していない私は、足に自信がない。でもどうしても登りたかったので、すぐそばの公園内を30分ほど歩き、少しでも足を鍛えることにした。ただ歩くだけではもったいないような気がして、ウォークマンで、イスラエルに関するテープを聞きながら歩いた。その内、公園でエルサレムの旧市街の地図を広げ、オリーブ山を東に見て、あの辺が最後の晩餐の家、あの辺はイエス様が裁判を受けたカヤパ官邸(鶏鳴教会)、あの辺がアントニオタワーなどと、十字架への道を思い描きながら歩いたりもした。すると時にはイエス様の思いが伝わってくるようで涙が出てしまうこともあった。とても恵まれた時間だった。

 ホントに行ける? 2000年4月30日

 みんなに応援してもらって着々と準備はしていたが、期日が近づいてきて予定人数20名が集まるかどうか心配になってきた。聖書学院にいた時、学院長の舘野先生が聖地旅行に行く予定になっていたが、参加人数が集まらずに取りやめになったことなどが思い出された。
 館林や倉松教会で他に誰か行く人はいませんか、と言われると、ホントにいけるのかな?という心配も出て来た。9月15日、リーダーの先生から、「現在14名ですが、少し追加を支払ってもらうことになるかもしれませんが行きましょう」という電話が入った。これでホントに行ける、と思ったら嬉しさがこみあげてきた。

 具体的な準備(1) 2000年4月30日

 この頃は円高で、1ドルが103円くらいで、円をドルに換えるには得な時期だった。早速東和銀行に出かけ、円をドルに換えた。何だか日本円の方がドルよりも立派に思えた。エジプトやイスラエルでは、「ワンダーラー」といってみやげ物やチップなどに、1ドル紙幣を多く使うからと勧めてくれる人もあって、できるだけ細かい紙幣を多く用意した。
 また、太田の東毛旅券センターにパスポートの申請に出かけた。新聞の片隅に「旅券(パスポート)の紛失に注意。旅券はあなたの命綱」などと書いてあったのを思い出した。この旅券をなくすと大変らしい。倉松の大島豊子さんは、ご主人のチョッキにパスポートが入るように縫い付けて私に貸してくれた。だから私は旅行中、このパスポートを肌身はなさずもっていることになった。

 具体的な準備(2)2000年5月21日

 聖地旅行に参加する人への説明会が小川キリスト教会で行われた。小川教会には、昔、小林牧師の車に乗せていただいて集会の応援に行って以来だった。教会も新築され、町もだいぶ発展してきており、前のイメージとは違っていた。
 教会に着くと、すでに参加する方々は集まっていた。一緒に参加された野原さんご夫妻は、小林牧師の司式で結婚式をあげられたということで、館林から一人参加した私にはなんとなく親しみを感じた。何回かの聖地旅行の体験を持つ村田さんからは、よく整理されたアルバムを見せていただいた。イエス様やモーセの足跡を辿る旅ができる嬉しさで心がワクワクしてきた。また同姉が作ってくれた聖地旅行をする上での手製のガイドブックをいただいた。簡単だが私にはこれが一番役に立った。
 説明者は上田(あげた)氏で、信徒の方だが、ホントに聖地のことについて聖書を詳しく調べておられるのには驚いた。いただいた資料集は私の宝になった。ところが、説明会の内容は、聖地の魅力をかき立ててくれるのかと思ったら、そうではなかった。実際に旅行する上での注意事項で、特にパスポートをなくしたり、取られないようにということと、現地の治安の状態等の説明だった。その説明が長時間だったので、なんだか恐ろしい所にいくような気もした。
 説明会が終わった後、村田さんが、死海とガリラヤ湖の水をなめさせてくれた。死海の水の塩辛いこと、顔をゆがめた。そしてこの塩辛さなら、人は浮くだろうと思った。そこで私も死海に行った時に、ペットボトルに死海の水を入れて来た。それを写真のフィルム入れに分けて、何人かの方々には、是非体験していただきたいと思って差し上げたりもした。(伊藤)