伊藤牧師コラム集 聖地を旅して(13)
カルド・キュリナリアで昼食 2004年6月20日
いろいろな思いを抱く事が出来たオリブ山に別れをつげて、ケデロンの谷をくだり、エルサレムの城壁の東にあるアブサロムの墓及び沢山のお墓がある所を通過して行った。クリスチャンの人でここにお墓があると記念会は聖地旅行だね、なんて言っていた人もいた。まだまだ見るところは数え切れないくらい多くあるが、腹が減っては戦はできぬ、いや見学は出来ぬ、ということで、昼食をとることになった。場所はシオン門をくぐって、ローマ帝国時代以来の商店街の遺跡、カルド(軸、列柱道路)と呼ばれるショッピングアーケードの一角にある、「カルド・キュリナリア」というレストランだった。カルドの存在は、<聖地を旅して>では省略したが、ヨルダンの首都アンマンの南西30キロの地点にマダバという町がある。この町には世界最古のモザイク地図がある。これにはエルサレムのメインストリート「カルド」を通り、ムスリム地区(次ぎの地区名)への地図が既に描かれている。
店の中に入ると、「ドワーン、という銅鑼(どら)の音がフロアに響き、古代ローマ風の衣装を着たお兄さんたちが、古代ローマ風のラッパを吹き鳴らすのだからそれは賑やかだった。私たちも衣装を渡され、頭には月桂樹をかぶって、即席のローマ人になって食事をいただいた。すべてが今から二千年前、ローマ帝国の支配下にあり、その影響を受けていたユダヤでの食事文化を再現する試みだそうだ。楽しい雰囲気の中での昼食で、鶏肉がとてもおいしかった。
最後の晩餐の部屋 2004年7月18日
シオン門の近くに最後の晩餐の部屋だったといわれる建物がある。一階にはダビデの墓があり、二階には一つのやや大きめながらんとした部屋がある。どこにカメラの焦点をあてていいかわからない。ともかく本でみたような感じに撮ろうと思ってシャッターを切った。この部屋は、聖書に出てくる「二階の広間」(ルカ22章12節)「屋上の間」(使徒行伝1章13節)である。何の変哲もない部屋のようだが、キリスト教の歴史にとって忘れることのできない部屋である。その第一は、最後の晩餐の部屋だからだ。この部屋が、「過越の食事をする座敷」(ルカ22章11節)として水がめを持っている男が案内してくれた所だと言われている。人々は忘れないために記念碑や銅像を造ったりする。しかしそれらしきものはここにはない。主イエス様は、パンを裂き、ぶどう液を与えて、「わたしを記念するため、このように行いなさい」と命じている。これが主の死を憶えて行う聖餐式だ。その第二は、この部屋は聖霊降臨の部屋だからだ。聖書には、「彼らは、屋上の間にあがった。彼らはみな、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。」と書いてある。その祈り会が10日間続き、五旬節の日が来た時、「突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて」、……「一同は聖霊に満たされ」たのだ。キリスト教会の誕生と言われる出来事だ。この部屋は、見学している私たちに信仰の質を問いかける所でもあるような気がした。
鶏鳴教会 2004年8月15日
この教会の謂れは、ルカによる福音書22章54節から62節に記されています。この教会は、弟子のぺテロがイエス様から、「きょう、鶏が鳴く前に三度わたしを知らないというであろう」と言われていました。そしてそのとおりになったペテロが激しく泣いた場所で大祭司カヤパの邸宅の跡に建てられています。聖書に出てくる人物でこの弟子のペテロに好感を持ている人は多いと思います。多血質のペテロは熱意がありますが、オッチャコチョイなところもあります。しかしそううした人間的なところがとても共感を呼ぶのです。私もペテロが大好きです。ですから自分の息子の名前にペテロの名前にちなんで巖(いわお)とつけました。鶏鳴教会は最後の晩餐の部屋から300m位の所にあります。有名な賛美歌243番2節「ああ主のひとみ、まなざしよ 三たびわが主をいなみたる よわきペテロをかえりみて ゆるすはたれぞ 主ならずや」を思い出しました。教会の地下には岩の牢獄があり、そこにイエス様は最後の晩、手足を鎖につながれて過ごしたと言うことです。そして鶏鳴教会の北側には、ケデロンの谷の方に下るローマ時代の石段<マカベヤ石段>と言われているのが発掘されています。19世紀になって発掘されましたが、2000年前のものであることは考古学的に確認されているそうです。私たちは逆を行くかたちになりましたが、ゲッセマネの園で逮捕されたイエス様は谷底の方からこの階段を引きずってこられたのだと思います。参加する前に調べた説明書では、この場所には鉄の柵がしてあり、歩くことは出来ないということでしたが、訪れて見ると自由にそこは昇り降りできました。私は主イエス様の思いを推し量りながらゆっくり歩いてみました。
ゲッセマネの園にて(1) 2004年8月29日
イエス・キリストの生涯の最後の12時間を描いた、今年の話題の映画「パッション」は、このゲッセマネの園で血の汗を滴らせながら祈るキリストの姿から始まる。オリーブ山麓には、キリストが祈られたゲッセマネの園がある。またそこには万国民の教会(ゲッセマネの園の教会)と呼ばれる記念の教会が建てられている。ゲッセマネとは「油搾り」という意味だ。そこでオリーブの実から油を精製していたからだ。今もそこには千年以上の樹齢をもつオリーブの古木が銀色の葉を繁らせている。イエス様と弟子達は、最後の晩餐の後、マルコによる福音書14章26節には「さんびを歌った後、オリブ山に出かけて行った」と書いてある。そしてそこは、ルカによる福音書22章39、40節に「イエスは出て、いつものようにオリブ山に行かれると、弟子たちも従って行った。いつもの場所に着いてから、」とあるように、主がいつも祈られた場所だ。私も主が大切になされた祈りの習慣にならいたいと思った。