館林キリスト教会

Sub Menu

伊藤牧師コラム集 聖地を旅して(8)

 ヨルダン川での洗礼式 2002年8月18日

 イエス様が、バプテスマのヨハネから洗礼を受けられたヨルダン川。小林牧師が最初に聖地に出かけた年の館林キリスト教会の洗礼式は、ヨルダン川の水を洗礼プールに入れて行った。洗礼を受ける恵みには変わりないが、その時受洗した兄弟姉妹たちにとっては、喜びが倍増したことだろう。
 ベテシャンを後にした私たちは、ガリラヤ湖から流れ込む河口に近いヨルダン川、ヤルデニットの洗礼場へ向かった。小川キリスト教会の稲崎さんが受洗するからだ。彼は聴覚障害者で、聖地旅行は二度目という、とても積極的な方でした。洗礼教室を終えた彼は、今度聖地に行くので、ヨルダン川で洗礼を授けてもらいたいと植木武牧師に申し出たのが、この実現の結果を見ることになった。バスが洗礼場に近づくと、バスの後ろの方では、二人が着替えをし、また手話でやりとりをしていた。
 洗礼場につくと、いろいろな国の人たちが、あちこちで洗礼式を行っていた。ここでなくては見られな風景かもしれない。私たちの一行も、洗礼場所を決め、植木先生と稲崎さんが川の中に入っていった。植木先生が手話を交え、祈りをささげ、彼がヨルダン川に身を浸した時には、何とも言えない喜びで一杯になった。

 キブツ、ノフ・ギノサール 2002年9月15日

 ヨルダン川の洗礼場があるヤルデニットには、大きなおみやげ屋さんがあった。わたしもなつめやしや、茨で作られた十字架など購入した。何でもおみやげになりお金になるので、現地の人も抜け目がない。「からし種」なども、すぐその辺でとれるかと思ったら大間違い。ちゃんとしおりにつけて売っているのだ。しかし、聖書に書かれてあるものが、いろいろ並んでいるとどれもこれもほしくなり、他の人に追い立てられるようにして、宿泊場所、ガリラヤ湖畔のキブツ、ノフ・ゲノサールに向かった。
 キブツは、イスラエル特有の集落形態であり、ヘブライ語の動詞「カーバツ」(集める)からきているのだという。簡単にいうと共産農業共同体です。国有地を終身借用できるが、ほとんど家具以外に私有財産はなく、賃金制はないと言われる。
 ガリラヤ湖の周りには、イエス様の時代の様子を残しておくというので、死海周辺に見られた、高層ビルのホテルなどは一軒もありません。イスラエル政府の指導によって建てられないようになっているからです。ガリラヤ湖畔のキブツは、平屋建てで、中はとてもきれいな部屋でした。食事は、バイキング方式で、キブツで栽培され、収穫された沢山の新鮮な野菜その他で一杯でした。ただし、ユダヤ教の教えから、いろんな食事制限があったのは、興味深く、また実際に学ばされました。
 この夜、荒川先生の奥様の清子先生は、少しからだの具合が悪く部屋で休んでおられた。そこで荒川先生が食事を運んであげようとして、食器類とともに、そこにある幾つかの食べ物を部屋に持っていこうとしたら、ユダヤ教の習慣から、詳しい理由はわからなかったが、どうしてもダメだと断られたという。今でもユダヤ教の規律がこうしたこまごまとした点まで守られているのには驚いた。

 153匹の魚を求めて 2002年11月17日

 植木先生が私を誘って、「明日、早朝魚釣りに行こう。つり道具は私が貸してやるよ」と言って来てくださった。私もせっかく来たのだから、何でも経験していこうと思い、喜んでその誘いにのった。植木先生は聖地旅行二回目だ。二回目になるとさすが余裕がある。釣り道具の用意もしてきているのだから。
 まだ暗い朝の5時頃起きて、宿泊所のすぐそばのガリラヤ湖畔まで歩いて行った。やがて朝日がのぼり、ガリラヤ湖に輝きわたった。その瞬間をとらえて何回もシャッターにおさめた。その一枚を使って2000年の年賀状を作成した。多くの方々に感謝の気持ちをこめて送らせていただいた。
 いよいよガリラヤ湖での魚釣り。一匹もとれなければ、イエス様が来て、「網をおろして漁をしてみなさい」おっしゃるかもしれない、なんて聖書の中にのめりこんで、釣り糸をガリラヤ湖にたれた。最初に魚を釣ったのはこの旅行の団長の荒川先生だ。そこでまず記念写真。もちろんこの魚には、銀貨は入っていなかった。「ペテロの魚」(参照、マタイ17:27)といわれるものよりもずっと小さい魚だったし、税金としておさめる気もない私たちに、銀貨のはいった魚をつらせてくれるはずがない。魚はみんなで16匹も釣れた。その釣った魚はガリラヤ湖にもどしてあげた。私たちのこの日の昼食は、ガリラヤ湖でとれた「ペテロの魚」だった。

 ガリラヤ湖の空気を満喫(1) 2002年12月15日

 朝食は、ガリラヤ湖で釣った魚のことが話題になった。それも全部で16匹も釣れるとは、誰も思っていなかったからかもしれない。
 朝食を後にして、前橋教会の田中ミヤ姉などと親しく雑談しながら、1986年6月24日発見された「イエス様の時代の小舟」を見に出かけた。姉妹とは、その後も夏期聖書講座や聖会などでお会いし、互に祈りあったりもした。再会の集いの時も元気でしたが、2002年6月に召天したと伺った。
 ガリラヤ湖上を遊覧するための船は予約してあったはずだが、何かの手違いなのか、そこで30分以上待たされる事になった。よく荒川先生が「トラベルはトラブルがつきもの」などと言っていたが、ホントに小さなトラブルがよくおこるものだと思った。しかし、これもまた主が益に変えてくださり、聖歌580番、536番などを讃美したり、祈りあったり、色々な雑談をしたりして、結構楽しいひとときとなった。