小林前牧師 コラム集(9)
洗濯機 1999年10月31日
わたしは昔から本が好きで、やたらに読む癖がある。いまでも結構本を買って読んでいる。
興味のある話に出会うと、小川のごみが杭に引っかかるように記憶に残る。間もなく消えてしまうが、しかしこれが結構楽しいのだ。いまそのひとつを紹介しよう。
主婦にとって昔から洗濯は大仕事だった。また大洗濯が済むと、満足感、清爽感があったらしい。晴天に真っ白にひらめく、庭いっぱいの洗濯物を眺め、うちわを使いながら縁側で一息入れる母の姿などが、今も目に残っている。
しかしその労力から助かりたい願望も昔から強かったらしく、洗濯機の研究も早かったようだ。
1691年、イギリスの「特許番号271号」というのが最初の洗濯機らしいが、どんなものか分からないそうだ。1691年といえば、日本ではまだ元禄年間、水戸の徳川光圀が隠居して、水戸黄門になった頃だ。
ところが19世紀になるとアメリカで急に進歩して実用化が進み、日本に輸入されたのは大正11年、関東大震災の前の年だ。いまは日本でさらに進歩し、日本中の家庭で全自動洗濯機がうなっている。
しかし面白い現象もある。機械化の結果、昭和45年から20年間に、主婦の炊事時間は30分、お掃除時間は10分減っているのに、洗濯時間は14分も長くなっているそうだ。
洗濯機で日本人のきれい好きに拍車がかかり、安くなった下着をやたら買いこんで洗濯に熱中しているのだろう。ちゃんとした衣類はクリーニングに出すのだから。
洗濯機は洗濯物を干してくれない。アイロンも掛けてくれない。たたんでもくれない。収納もしてくれない。全部主婦の手仕事だ。
主婦は洗濯機に追い回されて毎日何時間も、けなげに汗をかいているらしい。
こんな話の材料はいくらでもある。
聖書のプロフィール 1999年11月7日
☆ 聖書は、聖書の著者について何と言っているか?。
「わたしは(神は)彼らのためにあまたの律法を書き記した」ホセア書8:12 「モーセは身を転じて山を下った。彼の手には、かの二枚のあかし(十戒)の板があった。板はその両面に文字があった。すなわち、この面にも、かの面にも文字があった。 その板は神の作、その文字は神の文字であって、板に彫ったものである」。出エジプト記、32:15、16
「また(主が)あなたがたのために書きしるされた定めと、おきてと、律法と、戒めとを、慎んで常に守らなければならない」。 列王紀下、17:37
☆ 聖書の中で一番長い書は?
旧約では、詩篇、119篇。全部で176節ある。
新約では、ルカによる福音書、1章。全部で、80節ある。
☆ 一番短い書は?
旧約はオバデヤ書。わずか21節で成り立っている。新約ではヨハネの第二の手紙、13節しかない。
☆ 一番短い章は?
旧約では「詩篇、117篇」2節しかない。また「エステル記、10章」は3節しかない。
☆一番短い節は?
旧約では「歴代志上、1章25節」三つの言葉しかない。この章には同様な節がいくつかある。探して見ますか?。
新約では「ヨハネによる福音書、11:35」「イエスは涙を流された」。英語では[Jesus wept]。ただの2語だが、もっとも感動的な2語だ。
☆ 聖書の真ん中の章は?
先に書いた、詩篇、117篇だ。また真ん中の節は?、詩篇、118篇、8,9節だ。
読んで見ると、このみ言葉が真ん中であることの意味を深く感じる。
とにかく聖書は不思議な本だ。
ファスナー 1999年11月14日
今われわれのジャンパー、ブーツ、小銭入れにまで使われているファスナー、ジッパー、チャックは、1891(明治24)年ころアメリカで、編み上げ靴を手早くはくために発明された。
わたしが教会に行き始めたころ、舟喜先生と一緒に、日本に来たばかりのパー先生が大間々教会においでになった。まだ若くてきれいだったパー先生の、ふくらはぎまでの長いブーツが、ファスナーで締めてあった。
初めて見た我々はびっくりした。ある人が「先生それは何と言うものですか」と聞いたら、パー先生は答えたが、はっきりは聞き取れなかった。
それは昭和の初めだった。しかしその後戦前になると、小さな金具を一つづつピンセットで布に植え付けて行く作業が、器用で丁寧な日本人に合って、だいぶ輸出したのだそうだ。
「ファスナー」は本来「スライドファスナー=すべり式留め金具」で、「ジッパー」は、ビューっと飛ぶ形容詞にerをつけたのだそうだ。
また「チャック」は巾着(きんちゃく)の略で、日本だけの呼び名なのだそうだ。若い人は知らないが、巾着は紐でぎゅっとその口を締めたのだ。
サッポロバンド 1999年11月21日
今の北海道大学は、明治のはじめに開設された頃は、札幌農学校と申しました。
この学校に、教頭として、アメリカから招聘されたクラ−ク先生は、聖書に基づいて熱心に教育をしたので、その感化、影響で、この学校に大勢のクリスチャン学生が出ました。
内村鑑三や宮部金吾など、みんな後に有名になった人たちで、このグル−プは「サッポロバンド」と呼ばれました。
彼等はまじめで、優秀で、申し分のない学生たちでしたが、ただ1つの点だけで教員室の評判がわるかったのです。
それは、彼等は日曜日の午前は「礼拝」に行って、聖書の勉強やお祈りの集会をします。午後になると、休んだり散歩をしたりして、ほかの学生のように、日曜日までクソ勉強をしなかったからです。
ところがどうでしょう。内村鑑三は四年間首席を通し、宮部金吾は同じく四年間二番を通しました。卒業式の成績順も、内村、宮部、高木の順でした。この学校では、毎年卒業式に、成績の良い順に卒業生が演説するのですが、この年の卒業式に演説した六人は、全部クリスチャン学生でした。
昔でも今でも、ガリ勉ばかりが能ではありませんね。何でも一番大切なものは、神様の祝福です。
志賀重昂という人は、有名な学者ですが、一生キリスト教に対して反感を持ち続けた人です。この時、一学生として内村の卒業演説を聞きました。
その日記に書いてあります。
「彼等はキリスト教だ。従って我々の敵だ。今日その演説の中で、感激溢れる言葉で我々の心を励ましたのは、敵ながら全くその真心によるものである。思わず感激の涙をもよおした。話が終わった時は聴衆はシ−ンとなって、拍手する者は一人もいなかった」
「主を恐れること(神様を信ずること)は知識のはじめである」 旧約聖書箴言1章7節