館林キリスト教会

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小林前牧師 コラム集(7)

 幸福な牧師 1999年8月29日

 わたしは「大教会の牧師になることは、すべての牧師には許されない。しかし幸福な教会の牧師になることは、すべての牧師に許されている」という言葉が大好きです。
 わたしたち夫婦はこんど金婚式を迎えるが、こんなに長く奉仕が続いたのも、幸福な教会の牧師だったからだとつくづく思います。そうでなければお互いに長くは続かなかったでしょう。
 それは牧師にも苦労はあります。また努力も頑張りも必要で、骨惜しみ、甘えが許されるわけではなく、一種の厳しさが付きまとうのは事実です。わたしはそれを逃げるつもりはないが、しかしそれは公式な、合理的な、実を結ぶ苦労で、本当の苦労のうちには入りません。
 わたしは長い間の牧師生活の間、陰惨な不合理な、非生産的な苦労で困らされたことはほとんどないと言えるでしょう。また多少の問題は、いつも教会の、健康な自浄作用で短期間で解消しました。そして牧師はいつも、教会の尊敬と信頼と支持をいただき、いえ、それ以上の親切な心のこもったサービスを頂いてきました。会衆の中にも「牧師を困らせてやった」というような記憶はあまりないでしょう。これは本当にすばらしいことだと思います。
 キリストは世を去るにのぞんで、弟子たちのために「平安なんじらにあれ」と祈ってくださったが、平安こそ、弟子たちの、また教会の幸福であることを、よくお知りになったからでしょう。
 平安で健康で幸福な教会。それをいつまでも守って行きましょう。

 ギャティギャティ 1999年9月5日

 お母さんが女の子に教えました。
「何か困ったことや、こわいことがあったら『ギャティギャティ、ハラギャティ、ハラソウギャティ、ボウジソワカ』ととなえなさい。そうすると仏様が守ってくれるよ」
「お母さん。それ何のこと?」「分からないけどさ」、お母さんも困ったようです。実はこれは「般若心教」の真言(しんごん)なのです。
 ある晩、教会で子供たちの集会がありました。大雨が降り、雷がなり、電気も消えて大変でした。
 でも先生がお祈りして、しばらく静かにしていると、雨も雷もやみ、また集会を続けました。
 家に帰るとお母さんが「夕立でこわかったろう」と聞きました。
「いえ。先生と一緒にお祈りしていたからこわくなかった」
「お母さんがいつか教えたお祈りをしたのかい」
「いいえ。天の神様にお祈りしたの」
 そう言って、今度はお母さんに天の神様のお話をしてあげました。
 お母さんも「そのお祈りのほうがよさそうだね」と言って感心しました。

 酒飲みの旦那 1999年9月12日

 私の先輩の、松田先生の教会に、ご主人が酒のみの奥さんがいました。
 日曜日にはご主人に酒徳利を一本預けて、教会の夜の集会に行く。
 帰ると玄関の鍵が掛かっていることがある。子供に知られたくないので、黙って外で祈りながら夜を明かすこともたびたびだった。
 ある時風邪のばい菌が歯に入って、顔中脹れ、高熱を発したので、顔に氷を当ててうなっている。熱が下がらなければ手術もできないのだ。
 ご主人が夜遅く酔って帰ってきて、飯を食わせろと言う。
 普段は酒ばかり飲んで、一日一回ぐらいしかご飯を食べないのに、だ。
 いつものことだから食事の用意はない。それを知っていて意地悪く言うのだ。
 仕方がないからご飯を炊いて食べさせて、寝ようとするが、一層の発熱悪寒のために眠られない。急にくやしくて泣き出した。主人を殺して一家心中などをするのはこんな時かと思う。
 熱のせいか、壁に幻が見えた。弟子の足を洗うキリストの姿だ。そのキリストが、ふっと奥さんを見つめた。
 また泣きながら悔い改めた。すると歯からうみが出て熱が下がり、そのあとぐっすり眠れた。
 次の集会で奥さんがこの証をすると、会衆はみな泣いて感動したそうです。
 これは松田先生からじかに聞きました。

 ウエスレイの手紙 1999年9月19日

 今日は私たち夫婦の金婚式を教会で祝ってもらうことになった。本当に感謝だ。
 しかしすべての人がこんなことを経験するわけではない。
 結婚の機会のない人もいる。献身して、独身で一生を奉仕に捧げる人もいる。
 若くして未亡人となり、子供のために頑張ってきた人もいる。それもこれも神のみこころなのだ。
 私は今、次の有名なウエスレイ先生の手紙の言葉を思っている。そして祈っている。
 「罪から救われたと信じうる人々数名とわたしは親交を持ちました。
 しかし彼らを導くに当たって、神様のとりたもう態度には、きわめて大きな相違があります。
 ある者は召されて神様のために大いなる働きをしました。
 ある者は豊かな喜びを味わいました。
 ある者は、きわめて困難な境遇に耐えなければなりませんでした。
 またある者は、多くの迫害をこうむりました。
 彼等は等しく、栄光の冠を与えられるでしょう。
 しかし、キリストがふたたび栄光をもって来たりたもう時、もっとも輝かしい冠は、困難、迫害に耐えた人に与えられるでしょう」。
 (ウエスレイが、ミス・ボルトンに宛てた手紙の一節)。