館林キリスト教会

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小林前牧師 コラム集(6)

 康熙字典(こうきじてん) 1999年8月8日

 今度中国の方で、文教大学で勉強している、胡海@(こ かいえ)さんが洗礼を受けた。ところがこの「@」の文字が、日本語の漢字の中にない。
 いったい最初から漢字体は、清朝時代に編纂された、中国の「康熙字典」という辞書に準拠している。
 しかし今の日本の「常用漢字」はだいぶ変ってきている。
 たとえば本来の「關」の字を「関」と書き、「聯隊」を「連隊」と書くようなものだ。台湾では今も「康熙字典体」が用いられているが。
 中国では「簡字体」という独特の文字が用いられているのは、ご存知のとおりだ。
 常用漢字にはない「@」は、あるいは古い形なのかと、念のために「康熙字典」を調べてみた。わたしの「康熙字典」は、古い小さい安物だから、実は眼の良い市川先生にお願いして調べてもらったのだ。市川先生は私同様に物好きで、こういうことには熱中する。ところが見つからない。
 そこでこれは中国の「簡字体」だろうと決めようとしたが、また念のため「大字源」をあけてみたら、なんとそこにあった。
 「『@』は『榮』の俗字である」と、こともなげに書いてある。これは日本でも中国でも共通した俗字だったのだ。
 次の問題は、この字がパソコンにない事だ。しかしパソコンには「外字エディター」という機能がある。それは、マウスを動かして画面に新しい字を書き、それをパソコンに記憶させるのだ。私がやってみたがうまく書けない。佐藤さんがきちんと書いて、無事この文字の入力が済んだ。それでこの私の文章でも「@」の文字を自由にいくつでも使っているわけだ。
 毛筆には自信があるわたしも、マウスで字を書くのは佐藤さんにかなわない。
 これからも中国、韓国の会衆も増えるだろうから、こんなこともいろいろ勉強しなければならないわけだ。
 まだ話は続く。私は新しい見やすい「康熙字典」がほしいと思って、インターネットで東京の本屋さんを探したが見つからない。売れない本だからリストに上げないのか、あるいはこんな辞典を見る人はインターネットとは無縁なのかもしれない。
 ところが市川先生が、太田の書店にあるという。そこで早速買ってきてもらったが、市川先生が物好きで、私も助かるのだ。

 牧師夫妻の金婚式 1999年8月15日

 神様の恵みによって、また多くの方々の好意と助けによって、病弱だった私が数十年間もの奉仕に耐え、また結婚生活も守られて、今年の9月27日には金婚式を迎えることになった。なんとありがたいことか。
 「金婚式」などは本来、子供たちや家族が企画するものなのだろう。しかし私には子供はいない。妹たちはいるが老齢だ。またその妹たちの家族や、もともとの親戚などとはいつもご無沙汰になっている。
 また私は、なんでも自分が先立ちでやる癖があるので、なかなかまわりから言い出すという空気にはならないのだ。
 私も「来年は金婚式だなあ」と思っていたし、家内との話に出たこともある。
 しかし面倒でもあるし、なかなか「金婚式」の構想がまとまらなかった。
 おまけに去年の冬から病人になった。来年の9月、金婚式の頃はどんな調子か分からないから、我々夫婦の間でも話は沙汰止みになっていた。
 しかしこのごろの調子では、金婚式も考えられないことでもなくなった。
 私はもともと盛大な、そしてお互いに疲れるような式は、望まないし、好みでもないが、お祈りしながら考えているうちに、私の長い奉仕や結婚生活について、教会と一緒に改まって神様に感謝を献げるのは、良いことだろうと思うようになった。いや、面倒がってこれを見送ってしまうのは、良くないと思うようになった。
 会衆にとって自然に集まりやすいのは、なんといっても日曜日だ。そこで、9月19日(日)の礼拝を「小林前牧師夫妻金婚感謝礼拝」にしたらどうかと思いついた。
 聖なる礼拝を私事にまぎらわすのはどうかとも思う。しかし牧師である私と家内が証をし、そして会衆とともに感謝の祈りを献げるのは、許されるかもしれない。
 そこで、副牧師、役員会などに相談すると、快くご賛成を頂いた。
 どうぞよろしくお願いします。
 遠い人などをわざわざ招くことはしないつもりだが、しかしもしこれを風の便りに聞いて、都合が良くて、出席してくれればもちろんそれはうれしい。

 もう一人の物好き 1999年8月22日

 いま教会史で、オランダの宗教改革を勉強している。オランダにはドイツのルターなどより早く、エラスムスのようなヒューマニストの学者グループがいて、宗教改革の先がけをしたのだ。
 ヒューマニズムは人道主義とか、人間主義とか言われるが、彼等は「カトリックの教えや教会のありかたが非人間的だ」という見かたから、カトリックの批判をはじめたのだ。
 ところがその夜の勉強のあとで小森さんが、佐野市の観光地図を見せながら「エラスムスの像が佐野の龍光院というお寺にある」と言い出した。
 わたしがそれは不思議だと言ったら、小森さんは佐野に行って調べてきてくれた。
 この木像は、日本や外国で専門家の鑑定の結果、今は「重要文化財」に指定されて、実物は国立博物館に保管され、そのレプリカ(複製)が、佐野市博物館に陳列されているということを突き止め、またたくさんの写真をとってきてくれた。
 お寺では、昔は「カテキさま」と言って拝まれていたのだそうだ。
カトリック「教義僧」のポルトガル語の呼び名「カテキスタ」を訛(なま)ってそう言ったのだろう。
 小森さんがもらってきたパンフレットには、いろいろその由来が書いてある。
1600(慶長3)年、オランダの難船が九州臼杵(うすき)沖に流れ着いたのを、徳川家康の命令で保護を加えた。船内には、大砲、小銃、弾薬、ラシャの生地、ガラス、眼鏡、工具などがのせてあった。これが日本とオランダとの交流、貿易のはじめだったことは、歴史に明らかな有名な話だ。多分、このエラスムスの木造は、その船の船尾飾りだったのだろうと言われているようだ。
 それがどうして佐野のお寺に渡ってきたのか。そのいきさつについても、パンフレットに書いてあるが、いろいろな説があるらしい。
 このパンフレットは、なかなかくわしくしらべて良く書いてある。しかし「これが最後の一冊だ」と言って、小森さんにくれたのだそうだ。
 昔はお寺にも物好きなお坊さんがいたらしい。
 木造のエラスムスは、とても大きな手で、聖書らしい巻物を開いている。小森さんは「あの手が小林先生に似ている」と言う。
 物好きな希望者には、小森さんが大きく引き伸ばした「エラスムス木像(レプリカ)」の写真などをお目にかけます。