館林キリスト教会

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ショート旧約史 ヨシュア記

ヨシュア記 1章

モーセが大人物であったそれだけ、その後継者に立てられたヨシュアは気が重かったに違いない。しかもカナン入国という、言わば、総仕上げともいうべき難事業はこれからである。主はヨシュアに、モーセに与えられた約束、臨在、勝利をそのままヨシュアに与えるとくりかえし激励して下さった。ただし条件が2つあって、「み言に忠実に従がうことと、「信仰と勇気をもって事に当る」ように、きびしく求められた。

ヨシュア記 2章

カナンの人たちは、イスラエル接近のうわさにふるえ上がり、城壁を高くしてただ抵抗の用意をする。その中で、ラハブは身分のいやしい女ながら、真の神とその裁きをおそれ、出来れば許されて主の民に加えられることを望んだ。はしなくも神の摂理のうちに、逃げこんできたイスラエルの偵察者を助けることによって、ラハブとその一家は、救いの約束を取りつけることができた。窓から垂れた目印の赤い紐。ここにも救いのひな形がある。

ヨシュア記 3章

イスラエルの人々はいまや、奇跡的にヨルダン川を渡り、約束のカナンの地を踏みしめることとなった。ヘブル人への手紙四章は、これを1つの霊的な経験の象徴として用いている。すなわち彼らの荒野の生活はそのまま、霊半分、肉半分、神半分、世半分の、勝利と自由のないクリスチャン生活を示し、ヨルダン川は、そこを一歩踏み越えて、信仰と服従、自由と勝利のクリスチャン生活に入ることを示すというのである。

ヨシュア記 4章

「このように、あなた方自身も罪に対して死んだ者であり、キリストイエスにあって、神に生きているものであることを認むべきである」ロマ書6章11節。ヨルダンの川底にすえられた12の石塚、また川底から運ばれて、ギルガルにすえられたもう1つの12の石塚。これは彼らにとって、「荒野の生活の終り、カナンの生活の出発」の記念碑であったが、我々も常にみ言と信仰によって、「キリストにあって、罪に死に神に生きる者である」ことを確認し続けよう。

ヨシュア記 5章

すでに勝利の確信はあっても、いよいよ戦争の前夜、ひとり目覚めて祈るのは、何といっても指導者責任者の気持である。ヨシュアは祈りのうちに、軍の将として武装し、抜剣した主の顕現に接した。主は、簡単に「ヨシュアの軍を助ける」とは仰せられず「私こそ主の軍勢の将である」と言われた。むしろヨシュアの軍がそのまま主の軍勢たり得るかいなか、これこそがきめ手となった。彼は靴をぬいで聖なる主を拝し、みずから反省し、点検し、再たび霊的な取り扱いを受けたと思われる。

ヨシュア記 6章

「ぐるぐるとまわり」「足ぶみ状態」などは前進も解決もできない、ムダ骨折りの形容に使われる言葉だ。しかしそれでもやめられず、逃げられず、ムダ骨折りを承知でも頑張らねばならない事だってある。お習字、オルガン、語学の勉強、また伝道だってそうだ。そしてそれが、案外大切だ。エリコ攻撃の場合、神様はヨシュアたちに命令と約束をあたえてわざわざぐるぐるまわりをさせた。それが勝利の道だったのである。

ヨシュア記 7章

神様は、人が暗い所で行うことを残らず見やぶり、正しい裁きを行われる。アカンの罪によって、イスラエルは、神から見はなされ、ついにみじめな敗北を招く結果となった。私達の自分の罪によって自分だけでなく、神の宮である教会にまで影響をおよぼし、神のみ名を恥しめるようなことがあってはならない。むしろすべての罪を取りのぞいで頂き、神様の栄光を現す器として用いられたい。

ヨシュア記 8章1〜25

アイとの戦いにおいて、イスラエルが敗北した原因は、第1にアカンの罪、次に全軍の高ぶりと油断であった。不思議に罪と高ぶりは一緒のものである。奇妙な高ぶりな方のかげに、必ずかくされた罪がひそんでいるといってもいい。2度目のアイの戦いの様子を見ると、回復したイスラエルの慎重さ、真剣さが見られる。「ライオンはウサギを取るにも全力をつくす」という。清潔と真剣。これはいつも勝利の秘訣である。

ヨシュア記 8章30〜35

エリコとアイの勝利は、全パレスチナの人々をふるえ上らせて、暫くはあえて敵対する者もなかった。この時ヨシュアは、かねてモーセに命じられた通り、エバル山に祭壇を築いて礼拝を献げ、律法を記した記念の石を立てた。また律法を朗読させた。エバル、ゲリジム両山のスローブに、相対して並び立った人々はこれにアーメンと唱和した。言わば約束の地パレスチナの献堂?式のようであった。

ヨシュア記 9章

ギベオン人でもだれでも、人をあざむくのはよくないし、あざむかれるのも感心しない。しかしギベオン人が、カナン人でありながら、亡びをまぬかれて生きのびたのには、それなりの理由がある。第1に「神と神の民に対する抵抗は無益であること」、第2に「神と神の民は約束を非常に大切にすること」この2つをよく知って、そこに自分たちの救いの道を見出したのである。

ヨシュア記 10章

ギベオンと他の3つの町の降伏によって、イスラエル軍は、中央に打ちこんだくさびのようにパレスチナを南北に分断した。おどろいた南部の諸王は、急に力を合わせて戦ったが、イスラエルの勝利に終り南部は大体平定したのである。しかしこの勝利も、神の奇跡の助けによるのである。我々の生活も伝道の奉仕も、多くは戦いであるが、いつも主の勝利を信じて進みたい。

ヨシュア記 11章

今度は北方の大軍がメロムに集結してイスラエルと戦う事になったが、これにも勝って、イスラエルは、ようやくアブラハム以来の約束の地を領有するに至った。これは今の北ガラリヤからゴラン高原の地方で、現在のイスラエルにとっても、独立戦争、6日戦争等の勝利の記念の地である。この勝利には神の約束祝福と共に、人々の決死果敢な努力があった。これは昔も今も、また我々の戦争においても、同じく必要なことだ。

ヨシュア記 13章1〜14

 12章は占領地の表、およびそれらの地を今まで領有していて、イスラエルに敗北した緒王の表である。 さて戦争も一段落した形であるが、13章では、神はなお完全な占領のために前進すべきことを改めてヨシュアに命じられた。軽快に進行した自転車も、停止すれば倒れる。人間も成長が止まった段階で、同時に、厳密な意味の老化がはじまるそうだ。クリスチャン個人も教会も同じで、前進に健康維持の秘訣がある。

ヨシュア記 14章1〜15

 イスラエルの人達が不信仰のむくいで荒野に死に絶えた中に、ヨシュアとカレブと二人が生き残り老人ながら元気で、みごとにカナンに入ったその理由がここに記してある。今やヨシュアはモーセの後継者として、全イスラエルを指導している。それにくらべてカレブは、言わばヒラの族長であるがそんな事に頓着なく信仰にみたされ、老いてなおかくしゃくとして陣頭に立つ姿は、本当に立派と言わざるを得ない。

ヨシュア記 15章13〜19

 イスラエル全体が結束して戦争をする段階は一応終わったが、各部族がそれぞれ分配を受けた領地の中になお残っている、いわゆる残敵を平定する小規模な戦争は各部族の責任であった。カレブの場合その領内の平定戦争において、弟のオテニエル、その妻となったカレブの娘アクサなど、家族の活躍もめざましく、いわゆる「勇将のもとに弱卒なし」の感が深い。オテニエルはやがて第一の士師となる人物である。

ヨシュア記 17章7〜18

 ヨセフの子孫、すなわちマナセとエフライム両氏族は、旧約を通じて、いつも「苦情をいう民」という印象をあたえる。ここでも「人数の多い割には領地がせまい。また平定しなければならない残敵もとても手ごわい」とヨシュアに苦情を言った。これに対してヨシュアは、彼らに「完全占領、完全開拓」をうながしている。彼らは人数の多い点を活かして、限られた土地でも、もっと有効に、もっと豊かにすることが出来るはずだった。

ヨシュア記 18章1〜10

 以下占領地分配の記事が続くが、これは長くこの国の土地台帳ともなり、地理の教科書ともなった。イスラエル独特の、支族と地名、家系と領地の切りはなせない結びつきはここから始まる。貧しくなって土地を売るような事があっても、土地は五十年目のヨベルには無条件でもとの家族に返される。戸籍しらべの時には、必ず先祖の土地に帰って登録する、というような伝統は、こういう歴史を見てはじめて理解できると言えよう。

ヨシュア記 20章1〜9

 「のがれの町」とその規定は、民数記35章等ですでに命じられていたが、今その通りに設置された。誤って人を殺した者は、この町に入ることによって、当時の警察法とも言うべき、近親者の復しゅうをのがれることができた。勿論故意の殺人者は「のがれの町」からも放遂され、その保護はうけられない。実は「ノアの箱舟」や「のがれの町」も、それぞれやがて全うされる、キリストの完全な救いを予告するのである。

ヨシュア記 21章1〜19

 神殿で神様のご用に専念するレビ人は所領をうけなかった。今全部族の領地配分が終わった段階で、ただ居住するための町々を割り当ててもらった。何回も読んで来たように、彼らは人々の献げもので生活するはずだったからである。レビ人の町にあるものは、同時に「のがれの町」であった。祭司はその町で罪人の裁きと、ゆるしの責任者となった。ここにも、われらの裁き主そして救い主なる、キリストの予表がある。

ヨシュア記 22章1〜9

 自分勝手はやりやすく、義務に従うことはむずかしい。ここにマナセ、ルベンの人々は、先に占領のすんだヨルダン川の東の地方の領有を、その希望通り許されていた。しかし彼らの中の青壮年者たちは、まだそこに安住せず、剣をとってヨルダンの西に渡り、常に先頭を切って戦い、同胞に対する義務を果たした。今や戦争に勝ち、全イスラエルの領地分配が完了したので、自分らの領地に帰りようやくその経営に着手することになったのである。

ヨシュア記 23章1〜13

 モーセから引きついだ大事業(約束の地カナンの侵入と領有)を一応なしとげたヨシュアは、今つくづく老いを感じ、死期の迫るのを知り(2・14節)二回にわたって人々を集め、遺言的訓辞をあたえた。一つの問題は、カナンの人々の生き残りに対する、イスラエル人の油断であって「彼らを全滅させよ」との主の命令に対する服従の不徹底であった。ヨシュアはこれを心配してくりかえしいましめたのである。

ヨシュア記 24章1〜16

 今まで受けてきた神の恵みを回顧して感謝し、これからも神に従ってゆく決意をあらたにすることは、大切なことである。自分の死の近きを悟ったヨシュアの遺戒もまたこれにつきる。さてヨシュアは、自分の死後、果たしてイスラエルの人々が、神に対する忠誠を守ってゆくかどうか多くの不安を抱いていた。それ故「自分と家族は最後まで主に仕える」と特に強調した。信仰とは最終的には「神と我」の関係に帰着するからである。