館林キリスト教会

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ショート旧約史 レビ記

レビ記 10章1〜20

レビ記は、旧約時代の礼拝制度、礼拝規定(それはキリストによる救い、キリストによって救われた者の礼拝を、あらかじめ象徴するものであった)を編集した聖書であるが、今日交読した10章を見ると、それが制定されて間もなく、混乱を生ずる危険があったことを語っている。競争心や自己主張のため、み心にかなわない、自己流のやり方が行われて、その人々は裁かれた。彼らが酒を飲んでいた暗示もある。またそのほかいろいろ不注意もあったらしい。我々もいつでも、注意深く、祈りつつ、礼拝、教会の混乱を警戒し、またいつもそれを整えてゆかなければならないと思う。(今後も時々、交読文を解説します)

レビ記 11章1〜28

今日交読したレビ記11章を見ると、旧約時代のユダヤ人の、食物の規定の厳しいのに驚く。これはユダヤ人の教えと訓練の間、ユダヤ人を異邦人の悪い感化から隔離しておくための、一種の生活上の垣根であった。新約時代に至って、これが取り除かれたいきさつの一つを、我々は使徒行伝10章に見ることができるのである。

レビ記 12章1〜8

レビ記12章は、出産した婦人に関する「汚れ」の規定である。こんな記事を読むと、旧約時代は、つくづく律法の時代だということを感ずる。そしてそれは一つの目的のために、旧約という時代を限り、ユダヤ人という一民族に限定して与えられたものだと思う。結婚も出産も神の祝福である。それなのになぜ、それに付随する生理現象を汚れとみなすのか。我々の生涯の全場面は、どんなにまじめな、大切な、また祝福された場合でも、そこに罪、汚れ、苦痛の陰のささないものはない。それゆえ必ず、謙遜と、恐れと、祈りをもって、神のゆるしと憐れみを求めなければならない。神の光を受けなければならない。そういうことをユダヤ人は、この規定から学んだであろう。それに幾分か衛生目的もあったか。

レビ記 13章1〜8、45、46

ライ病は伝染病だし、一度かかると、昔はまず不治だった。ただ一つの道は、ライ病かどうかを、正しく診断し、それが決定したら、彼らを一般の人から隔離することだった。レビ記13章にはその規定が記してあって、これは一種の衛生法、社会法であった。しかしこれもまた、人間の罪と汚れと呪い、そしてその救いについて、イスラエル人を教える機会ともなっていた。

※コメント 小林牧師は「聖書のらい病」について次のように言われました。
 この病にかかった人は、レビ記14章に規定があり、祭司がらい病が治ったかどうか認定しきよめの儀式の後に、彼らは一般社会に復帰し神殿の礼拝にも仲間入りできるように決められていました。この病に関して、聖書の記述には、衣服、家、壁等についても記されています。聖書のらいの病状は、ハンセン病(医学上のらい)とは違うと思われます。
 ハンセン病については、今は研究、治療が進んでいます。

レビ記 16章1〜22

レビ記16章で、人の罪の身代わりとして選ばれる二頭のやぎが、一頭は殺され、一頭は追放される。すなわちアザゼルで、これもキリストの贖罪の象徴である。アザゼルをえがいたホルマンハントの絵は、見る者を涙ぐませる。見たことがありますか。

レビ記 17章1〜16

レビ記17章では、血を食べることが厳しく禁止してある。この禁止を守ろうとする限り、ユダヤは他民族と会食することができず、深い交際もできなかった。これはユダヤ人の教育と訓練の間、異邦人の悪い感化から引き離しておくための、生活の垣根の役割を果たした。それと共に、血は罪のあがないのために、いつも流されるものゆえ、食用俗用に用いなかったのは、深い象徴的意味もあった。

レビ記 18章1〜30

イスラエル人がカナンに入る時に、カナンのあらゆるものを剪滅(せんめつ)するようにという、神のご命令があまり厳しいので、驚くが、レビ記18章に記されている彼らの罪の姿を見れば、よくわかるのである。ここには性的な罪だけが出ているが、それ以外の生活の様子も、大体想像できる。性の秩序は人の尊厳の根本であって、その本質は、夫と妻をキリストと教会に、父と子との関係を神と人間にたとえられる程である。そのふざけ半分の冒涜は決して許されない。

レビ記 19章1〜18

レビ記19章の9節以下は、貧しい人に対する配慮を命じた、美しい律法である。道ばたの一うねは刈り残す定めであるので、腹の減った旅人がそれを食べても、盗みにはならない。キリストの弟子がそうした話もある。マルコ2章23節。またボアズのような人は、落穂拾いに集まった貧しい人のために、わざわざ麦束を畑にばらまいて、沢山拾わせたという。ルツ記2章15,16節。またミレーはフランスのいなかの落穂拾いの絵をかいている。

レビ記 19章19〜37

レビ記19章19節以下も、実際の生活に関する、さまざまな規定が記されている。よく趣旨のわからないもの、びんの毛をそることや、ひげの刈り方の規定は、それが異教徒のしるしだったのだろう。しかし大体において、よく理解もできるし、また私達の生活の光として具体的に生かしてゆくべき点が多いのである。

レビ記 22章1〜16

レビ記20章、21章は、前の所のくりかえしでもあり、大勢の交読に適しないので飛ばした。22章は、聖と汚れ、聖と世俗の混同を警戒し、聖に関する規定の厳守を命じているところである。生活においても、集会においても、この二つのものの混乱は、結局、神を恐れない心から生じ、またそれを助長するものだからである。

レビ記 22章17〜32

レビ記22章17節以下は、動物を燔祭として神にささげる場合、それが完全なものでなければならないということを命じているところである。燔祭は、キリストの十字架のあがないを象徴する。キリストは罪のない完全なお方であったればこそ、その死によって、復活によって、万民の罪をあがなう事がおできになったのだ。へブル書9章14節。

レビ記 23章1〜21

イスラエルの人達は節期といって、定められた期日に、定められた礼拝を守ることになっていた。ここには毎週一回の安息日から、毎年一回、正月14日を中心に行われる「すぎこし祭」と、つづいて行われる「初穂の祭」それから50日目に行われる「ペンテコステ祭り」について記してある。キリストはすぎこし祭りの食事のあと、十字架におつきになった。すぎこしの小羊は、長い間キリストの象徴だったのである。このあと、神殿で、その年最初に刈られた麦の初穂がささげられた。これは教会の象徴であった。これから50日目、すなわちペンテコステまでに、麦は粉になり、味がつけられ、火が通され、ペンテコステには、パンとなってささげられた。これは実際に教会が,聖霊をそそがれてはじめて役立つものとなる事を示していたのである。

レビ記 23章22〜44

昔、貧しく不自由だった事を忘れないで,現在の祝福に対していつも新しい感謝の心を抱き、また,油断や,高ぶりや、贅沢のために、再び祝福を失うことのないように、昔のことを記念し、お互いにいましめあうことは大切である。イスラエル人が,7月15日の、いわゆる大贖罪日につづいて,毎年守っていた、かりいおの祭りは、そういう意味で、出エジプト当時の先租の苦労と、そこで示された神の助けを,長く記念するために,神がモーセを通してお命じになったのであった。レビ記23章33節以下 

レビ記 24章1〜23

イスラエルの人々がエジプトを脱出した時に、イスラエルの感化をうけたエジプト人たちで、イスラエルのあとをついて、一緒に出た者がかなりいた。この章で事件をおこして罰されたのは、そういう人たちの一人であったと思う。世には言っていいことわるいことがある。言で聖なるみ名をけがすのは本当によくない。我々はあそぶこと、笑い話を言うこと、けんか,議論、いろいろあるが,心して、それが聖なることに至らぬよう、敬虔な注意が必要である。

レビ記 25章1〜24

レビ記25章は「安息の年」「ヨベルの年」というテーマで書かれている。安息の年は七年目ごとに守られ,耕地は休作された。自然の産物は貧しい者や寄留者がそれを取って食物とした。神は第6年には翌1年間を十分に過ごせるほどの産物を与えると約束された。ユダヤ人に借した負債は帳消しにしなければならなかった。  ヨベルの年は50年目ごとであった。これはあがないの日に始まった。あらゆる負債は帳消しにされ,奴隷は解放され,売却した土地も戻ってきた。イエスはこれを、彼が来て宣言しようとしておられた大いなるヨベルの年の一種の下絵とみなしておられたように思われる。

レビ記 25章23〜46

 <土地の所有権> カナンの地は12氏族のそれぞれに分与され、各部族の中では家族に分与された。ある種の例外はあるが、土地は家族の手から永久に売り放してしまうことはできなかった。売却はヨベルの年までの借用にほかならなかった。その時になれば、土地は元の家族に返還されなければならなかった。これは、国民の富を少数者の独占から律法によって守ろうとする神のご計画であった。

レビ記 26章1〜23

聖書の中にはくりかえし、私達の前に開く二つの道が示されている。一つは祝福の道であり、一つは呪いの道である。そして私達はよく考えて、そのどちらかを選ぶ。そしてその結果を身に負うのである。勿論、神の摂理ということ、選びということはある。しかし、この原則は変らない。救われた者は、その栄光をただ神に帰して感謝し、自分が誇るということはない。しかし、人が自分で不信仰、偶像礼拝、罪の道を選んで,裁きと亡びを身に負う時,その責任を神様に転嫁することは許されない。