館林キリスト教会

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ショート旧約史 雅歌

「ソロモンの雅歌」 雅歌1章1〜17

雅歌もソロモンの作品だが、この聖書は昔から問題が多く「当時の民謡を集めたようなもので、そんなに深い意味はない」という意見から「旧約における最高のキリストの愛の啓示だ」という解釈までさまざまだ。今はソロモンと、その後宮に誘われた少女と、彼女の愛人である羊飼いとの物語という解釈で進もうと思う。1章の舞台では、宮廷の女官たちがソロモンに対する憧れを歌っている。そこに現れた少女は、自分の野生と健康のプライドを、また恋人なる牧者の青年を慕う歌を歌う。女官たちはソロモンに代って少女の美をたたえ、その心をソロモンに傾けさせようとする。しかし少女は、青年を誉め、また慕う歌を歌ってやまないのだ。

「燃える愛」 雅歌2章1〜17

[1:16-2:1節]は、少女の言葉で、ソロモンの宮殿の華美に比べて、質朴な生活の良さと、その美を誇るようだ。そして、2章全体にわたって、少女は、羊飼いの青年に対する思慕の情を、歌っている。オリゲネスはいう「この書はソロモンにより、戯曲の形式で書かれている」と。また[2:5節]について「神のみ子に寄せる真実の愛に燃える人がいれば、日夜主に憧れ主のこと以外何も語らず、聞かず、また考えない。それゆえ『私は愛のため病みわずらっている』というのだ」と。つまりこの少女の青年に対する愛は、そのままクリスチャンのキリストに対する愛の象徴だ、と解釈するのだ。私も、この解釈に賛成なのです。

「愛と忠実の見本」 雅歌3章1〜11

[3:1-5節]は青年を恋慕う少女の歌である。その思いは日夜離れることがない。その青年を捜し求めて、ついに出会えることのできた時の喜びは大きい。一方、宮廷の女性たちはソロモン王の素晴しさを賛える。[3:6-11節]には、ソロモン王の輝かしい威光が描き出されている。しかしこの少女は、愛する青年の他は何物にも心を動かされない。これはクリスチャンがキリストを愛する見本だ。また、[[3:6、7節]の没薬、乳香はキリストの誕生のことを思わせ、煙の柱は荒野での神の臨在の徴(しるし)を思わせる。そしてソロモン王のまわりにいる忠実な60人の勇士は、キリストに仕える忠実なクリスチャンの見本だ。

「結実の美」 雅歌4章1〜15

4章全体はソロモンが少女の美しさを賛え、目、髪など七つの美を挙げています。その美は[2節]で雌羊に、[3節]で果実に喩えられています。健康的な美は実を結ぶことに直結しています。アウグスチヌスも"クリスチャンの美しさは実を結ぶところにある"と言っています。[4節]では城の櫓のように毅然とした少女の態度が歌われています。少女は、王宮の女性たちに誘われても、女性たちのようにソロモンに心奪われることがなく、少女の青年に対する愛は揺らぎません。クリスチャンの本当の美しさも、毅然としたキリストに対する愛の姿にあり、それはちょうどオアシスのように、人格の香りを放つ存在です。

「牧者の訪問」 雅歌5章2〜16

青年牧者が少女を訪問するのは、キリストが救いと祝福を携えて人の心を訪ね給う象徴である。黙示録に「見よ、わたしは戸の外に立って叩いている」とある通りだ。少女は彼の声を聞きながら、何やかやとぐずついていて、戸を開けるのを渋っている。やがて決心して戸を開いて見るともう青年は立ち去って、その姿は見えない。今度は少女が焦り悲しむ番である。ヘブル書には「今日み声を聞いたなら、心をかたくなにしてはいけない」とある。どうかいつも主の声に従い、決してキリストを悲しませることがないよう、また自分もこうした嘆きや悲しみを経験することのないように、信仰の従順を心がけたい。

「教会の魅力」 雅歌6章1〜13

[4節、10節]の形容は、少女の美を称えたものだがこれはクリスチャンの、また教会の美の形容でもある。砂漠の夜の月は、特別に神秘的な魅力を持っている。夜が明けようとするときの東の空、つまり東雲(しののめ)も、独特の砂漠の美だ。また砂漠を焼き尽くすような真昼の太陽も、輝く一つの美だ。旗を立てて砂漠を進軍する軍隊、その威力も美しい。世の中が砂漠のように、荒涼としていればそれだけ、また夜が暗ければそれだけ、敵の恐怖が激しければそれだけ、いよいよ対照的にこれらのものの美は映えるのだ。教会もそのように、この世にあって美しく力強く、魅力的であるように、そのことを望んで祈ろう。

「なつめやし」 雅歌7章1〜13

ソロモン王はしきりにシュラムの少女の美を称え、決定的な求愛の言葉をはなつ。しかしあの青年に堅く結びついた少女の心は、動かすべくもなかった。ここに少女の美の形容に「なつめやし」が出てくるが、砂漠のオアシスに群がってそそり立つなつめやしの木は本当に立派だ。しかも葉の間にびっしりと成る実は甘くおいしく、ほとんど遊牧民の主食、命の綱だ。我々も先日のイスラエル旅行で買い求めたので皆さんも試食した。同じようにクリスチャンも立派で、その実も甘美だといいのだが。

「愛の勝利」 雅歌8章1〜14

昔の相愛の男女は、腕にお互いの愛の契約の入れ墨などをしたものだが、それでもいわゆる心変わりは避けられなかった。[6節]にある「心に置く印」こそ、確かな愛だと言える。本当の愛は強い。洪水のように反対、迫害、困難が押し寄せても、最後には愛が勝利する。我々はここに、キリストの愛を置いて見ることもできる。「神が味方なら誰も我々に敵し得ない」のだ。キリストに対する我々の愛を置いて見るのもいい。あるいは人間関係の幸福の秘訣である相互の愛を考えるのもいい。とにかく聖霊による愛が注がれることを祈ろう。