ショート新約 ヨハネによる福音書
「しかし、…その名を信じた人々には」1章1〜18 2009年12月6日
「言」とは?「言」は、「初めに…あった」「神と共にあった」「神であった」「すべてのものは、これによってできた」「この言に命があった」「やみはこれに勝たなかった」「肉体となり、わたしたちのうちに宿った」。その栄光は「父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた」。「めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである」「…ひとり子なる神だけが、神をあらわした」。
すなわち「言」はイエス・キリスト。この世界の人々の反応は二種類です。「彼を受け入れなかった」(11節)、「しかし、彼を受け入れた者」(12節)です。あなたはどちらでしょう。キリストを受け入れた人には神の子とされる幸いな特権が与えられたのです。あなたはキリストを信じて救われましたか。6節、15節の「ヨハネ」はバプテスマのヨハネです。この福音書を書いた人とは別の人です。(市川)
「バプテスマのヨハネの証言」1章19〜34 2009年12月13日
バプテスマのヨハネについて、イエス様は「女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。」と絶賛している。彼はメシヤの先駆者であって、イエス様こそメシヤであるという証をしているだけである。ユダヤ人や祭司たちがヨハネに「あなたはどなたですか」と尋ねると、彼は自分がメシヤでも、エリヤでも、モーセが語ったあの預言者でもなく、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」(23節)と答えた。その翌日、ヨハネはイエス様を見て「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」(29節)と言ったのである。最後にヨハネは「ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである」。と語り、ヨハネがこの事を確かに見たので、この方が神の子であると付け加えたのである。(伊藤)
「きてごらんなさい」1章35〜51 2009年12月27日
バプテスマのヨハネはイエス様を「見よ、神の小羊」と紹介しました。イエス様は自ら犠牲となって十字架で死に、十字架の死によって主を信じる者の罪を取り除き、神様との和解をもたらしてくださるのです。バプテスマのヨハネの弟子のうちひとりはアンデレでした。彼は兄弟シモンをイエス様のもとにつれて行きました。「ケパ(ペテロ)」と命名されたのはこの時です。さらにピリポがナタナエルにイエス様を紹介しました。こうしてイエス様に聴き従う者としての生涯が、彼らのうちに始まりました。イエス様は「きてごらんなさい」とおっしゃいました。アンデレはシモンをイエス様のもとに連れて行きました。ピリポはナタナエルに「きて見なさい」と声をかけました。イエス様のもとに来てイエス様のお言葉を聞くなら、しだいに、今まで知らなかった救いの恵みの世界に導かれるのです。(市川)
「かめに水をいっぱい入れなさい」2章1〜12 2010年1月3日
晴れやかな結婚式にお客様をおもてなしできない事態になったようです。イエス様の母マリヤは3節のように告げました。イエス様のお言葉は奇妙に聞こえます。「婦人よ」という言葉には尊敬の気持ちが込められていて詳訳聖書には「敬愛する」という言葉が添えられています。「わたしに任せなさい。」「わたしの行動すべき時はまだ来ていません」という言葉が記されています。マリヤの「どうしましょう」という気持ちと対照的に、イエス様は御心の時に、御心のとおりに行動なさるお姿を明らかにしておられるということでしょう。さらにイエス様の方法でみわざがなされました。「かめに水をいっぱい入れなさい」というお言葉に従った僕たちは、イエス様のみわざを知っていました。(市川)
「イエス様の宮清め」2章13〜25 2010年1月10日
「イエスが宣教をはじめられたのは、年およそ30歳の時」(ルカ3:23)でした。初期、エルサレムで宣教されていた頃でした。過越の祭の時に、宮に入り、権威のしるしとして、なわでむちを造り、彼の父の家であるといって宮を清めた。この行為によって、イエス様は神の子であることを主張した。イエス様が宮を清め、両替人を追い出した時、ユダヤ人の支配者たちは彼の権威を示す「しるし」を求めた。その時イエス様は、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」(19節)と答えた。ユダヤ人たちは驚いた。なぜなら、この神殿を建てるのには、46年もかかったからである。イエス様は「自分のからだである神殿のことを言われたのである」(21節)とヨハネは説明している。なぜなら、キリストの神性の最高の証拠は、復活だからである。(伊藤)
「ニコデモとの対話」3章1〜21 2010年1月17日
ニコデモはパリサイ人で学識あり、地位のある人でした。彼がイエス様を訪れたのは、神様の真理について教えを受けるためでした。イエス様はこのニコデモに対して突如「だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」と言い、また「誰でも水と霊とから生まれなければ神の国にはいることはできない」と語られた。こうしてニコデモとのいろいろなやり取りをしたあとイエス様は、ユダヤ人が最も大事にしていた神の律法の一つである民数記21章から、モ−セが荒野でヘビを上げたお話をされた。これはニコデモがよく知っていた出来事でした。イエス様はこの旧約聖書に書かれている出来事からニコデモに、「信じる」ことの重要さと神様を「信じる」信仰が救いをもたらすことを教えられたのである。(伊藤)
「天から来る者」3章22〜36 2010年1月24日
バプテスマのヨハネにとって、時満ちて救い主イエス様が公の働きをお始めになったこと、人々がイエス様のもとに集まって来ることは喜びでした。ヨハネはイエス様を人々に紹介するという使命、その光栄と喜びに溢れていました。たとえ自分は忘れ去られてゆくとしても。「…この喜びはわたしに満ち足りている。彼は必ず栄え、わたしは衰える。」29節、30節。ヨハネはイエス様が天からおいでになった方、神様から遣わされた方だと証しました。神様が聖霊を限りなくお与えになるので、イエス様は神の言葉を語るのです。にもかかわらず多くのユダヤ人がイエス様を受け入れませんでした。時代は移りましたが今も、どの国民でも、どんな立場、境遇の人に対しても、イエス様を信じることによって救われるという道が開かれているのです。あるいは神の怒りと滅びを受けるか、それは個人個人の選択にゆだねられています。あなたも信じて救われますように。(市川)
「イエス様が与える水」4章1〜26 2010年1月31日
乾燥地帯で生活する人々にとって喉の渇きを潤し生命を維持するための水は欠かせません。この上なく貴重です。井戸に水汲みに来たサマリヤの女にイエス様は「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」と語りかけておられます。渇きを満たそうと追い求める数々のものは、井戸の水を飲んだときのようにその人を一時は満たすかもしれません。しかし、再び渇き続けます。彼女の生活が如実に物語っています。サマリヤの女の魂の渇きはすべての人が抱えている渇きです。イエス様は、サマリヤの女に会ってくださったようにわたしたちに近づき信仰へと導いてくださる方、新しいいのちを与え魂の渇きをとどめ満たしてくださる方です。(市川)
「水がめを置いて」4章27〜42 2010年2月7日
買出しに出かけていた弟子たちが帰ってきた時、イエス様は一人の婦人と話をしていた。すると、この婦人は水を汲むために持ってきた水がめをそこに置いて、町の方へ行ってしまった。弟子たちがイエス様に食物を差し出すと、イエス様は神様のみこころを行うことが自分の食物だと弟子たちに教える。しばらくすると大勢人々が町から井戸のそばにいるイエス様の方に来るのが見えた。刈り入れ時を待つ稲穂のように、魂の救いを待ち望んでいる人々の行列だ。あの婦人がヤコブの井戸のそばにおられるお方はメシヤである、と証をしたからだ。婦人の証は、ユダヤとサマリヤとの長い間の隔てを取り除いた。一人の婦人の信仰が、隔ての壁を破って人々を信仰に導いた。さらに信じた人々はイエス様と交わり、イエス様より直接教えを受けるため、イエス様に滞在を希望した。(伊藤)
「イエスの言葉を信じた役人」4章43〜54 2010年2月14日
ふつかの後に、イエス様はスカルの町からガリラヤへと向かわれた。「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」と言うイエス様自身の言葉にもかかわらず、そこでイエス様はことのほか歓迎された。だが、彼らのこの歓迎ぶりは、イエス様の言葉を聞いて深い関心を寄せたからではなく、エルサレムでのイエス様の「しるし」を見たからである。一方、水をぶどう酒に変えられたカナにおいては、一人の役人が瀕死の状態にある息子の病気を治していただきたいとやってきた。イエス様は「お帰りなさい。あなたの息子は助かるのだ」と言われ、彼の家のあるカペナウムには行かなかった。しかし彼は、イエス様の言葉を信じて帰った。そして彼は途中ですでにこの言葉が真実であることを知った。彼はイエス様の言葉の中に愛と力に満ちた「しるし」を見ることが出来たのである。(伊藤)
「傍らに来てくださったイエス様」5章1〜18 2010年2月21日
祭のため神殿では礼拝がささげられ、町は賑わっていたでしょう。神殿北の門のそばにベテスダの池はありました。今、発掘されています。池を囲んで四方と、池を二分して一つの回廊がありました。賑やかな町や神殿の礼拝とは対照的に病の人々が鬱々として横たわっていました。38年も病み、動けない、動かしてくれる人もいない、なんと心細いことでしょう。イエス様の「なおりたいのか」という言葉に、彼は言い訳のように答えています。なおりたくないわけではないが「なおりたいのです」と言う勇気もなかったのでしょう。自分でも忘れ去った、心の底に沈み込んでいた願いを、イエス様が呼び覚ましてくださったような場面です。人々の視線が注がれる中、彼は一瞬で癒され、確かめるようにしながらでしょうか、起き上がり、床を取り上げ歩いて行ったのです。彼の心に光が射し込みました。(市川)
「神の子の声を聞いて」5章19〜29 2010年2月28日
神の御子イエス様はご自分の思うままにではなく父なる神様の御心を行う方です。イエス様は命を与える方であり、同時に裁きの権限をお持ちです。「死んだ人たち」が神の子の声を聞いて生きる、その時代が来ているとイエス様はおっしゃいました。イエス様を信じる前の私たちは「死んだ人たち」でした。聖書のみ言葉によって、罪の結果は裁きであることや、主の十字架による救いを知って信じ、「聞いて生きる」者としていただきました。時が来れば、主のみ声を聞いて、死んだ人々が皆出てくる、墓から、山から、海から(ヨハネの黙示録20章)。生命を受けるためによみがえり、あるいは、さばきを受けるためによみがえるのです。永遠の命を受け、神様の前に有罪判決を受けない人は誰でしょう。24節のとおりです。(市川)
「イエス様の神性に関する証」5章30〜47 2010年3月7日
イエス様は自分がメシヤであり、神様の権威を持つ者であることを主張された。しかし、この意識と主張は決して独断的なものではなく、他の者の証があることを示されている。イエス様の神性について第一の証をなすものは、バプテスマのヨハネであり、第二は父なる神であり、第三は聖書である。ヨハネによる福音書は、バプテスマのヨハネが、先駆者としてイエス様について証をするものであることを繰り返し記している。イエス様の神性は、人間の助けによって保持されるものではなく、彼は人から証を受ける必要はない。しかし、地上の人間の理解のために、神様はバプテスマのヨハネを証する者としてお立てになった。彼は、偉大な人物であり、燃えて輝くあかりであった。世の人は彼を尊敬し、しばらくの間その光を喜び楽しんだのである。(伊藤)
「五千人を養う奇跡」6章1〜15 2010年3月14日
イエス様は、人々の人気を求められなかった。しかしイエス様がなさった奇跡は、多くの人々を引きつけ、群集はイエス様の後に従ってきた。こうして五千人の養いの奇跡は準備されたのである。五千人の養いの奇跡は、イエス様の奇跡中でも最も重要なものの一つであって、福音書の全部がこれを記している。ただ共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ福音書のこと)では、弟子たちが食物のことを先に言い出したのに対して、ヨハネによる福音書では、イエス様が自ら言い出されたように記している。そしてピリポに質問されたのは、彼をためすためであり、イエス様は最初から奇跡を行うことを考えておられたようだ。ヨハネによる福音書は、奇跡は神様によってなされる救いの重要なみわざであることを積極的に示そうとしているようだ。(伊藤)
「わたしだ、恐れることはない」6章16〜21 2010年3月21日
パンの奇跡の後、王様にしようとする人々を避けて、イエス様は山腹に退き祈っておられました。夕方になってもお戻りになりません。弟子たちはカペナウムに行こうとガリラヤ湖に舟を出しました。もう暗くなっていました。暴風で湖は荒れ始め高波になりました。西に向かって漕ぎ出しはしましたが暴風で漕ぎあぐね、熟練漁師で海上のプロの弟子たちも危険と隣り合わせでした。5キロか、6キロ漕いだときイエス様が湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、弟子たちは恐くなりました。高波の小舟で恐れる弟子たちはその時「わたしだ、恐れることはない」というイエス様のみ声を聞きました。安心したり喜んだりし、そのうちにすぐ目的の岸辺に着きました。嵐のさなかでも主が共にいてくださる、それが平安と喜びの源です。(市川)
「命のパン」6章22〜40 2010年3月28日
パンを食べて満腹し、イエス様を追いかけて来た人々に「朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい。」27節、「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである。」29節、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。」35節、とイエス様はおっしゃいました。父なる神様が与えてくださるパンとは、天からお下りになり、主を信じる人々に命を与えてくださるイエス様です。イエス様は「わたしに来る者を決して拒みはしない。」37節、「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。」40節、と言ってくださる方です。 (市川)
「イエスの復活を信じる」20章1〜10 2010年4月4日
イエス様の復活において、重要な役割を果たしているのは、婦人たちであるのがわかる(マルコ16:1)。婦人たちは、イエス様の十字架の死に際しても、彼を慕って、ユダヤ人を恐れることなく終始そばにいたのである。しかもイエス様が死なれた後、悲しい思いで、墓を訪れたのである。それは一週の初めの日、日曜日の朝であった。この婦人たちの一人であったマグダラのマリヤは、墓の石が取りのけられて、墓の中には、イエス様の死体がないので、驚いて弟子たちの所に報告に走った。報告を聞いたペテロとイエス様の愛弟子ヨハネは、すぐに出かけ、開いている墓の中に入った。そこには亜麻布と頭に巻いてあった布が整然と置いてあっただけである。ヨハネはからの墓を見て、神の力によってイエス様が復活したのを信じたのである。(伊藤)
「まことの食物」6章41〜59 2010年4月11日
41節からは、イエス様の与える命のパンが、単なる物質的食物や地上的利益だけでなく、天から下ってきて、歴史上のイエス様において実現され、十字架の死と復活によって完全なものとされるということが、明らかに示されている。また52節以降には、二つの重要な教えが記されている。第一は、イエス様が自分の肉を与えることは、十字架にかかって人間の罪を贖うことであり、贖いによってまた信じる者に永遠の命を与えることである。第二は、わたしの肉を食べ、わたしの血を飲むというのは、聖餐を意味するものであって、イエス様の死を記念した晩餐は、さらにこれにあずかる者に霊の賜物を与えるというのである。だから、信仰を持ってイエス様を受け入れる者は、イエス様との深い交わりを持ち、イエス様自身の持っている永遠の命を持つのである。(伊藤)
「人を生かすものは霊であって」6章60〜71 2010年4月18日
イエス様が心の目を開いてくださらなければみ言葉の意味はわかりません。イエス様のお言葉に、弟子たちの多くの者は「これは、ひどい言葉だ。だれがそんなことをきいておられようか」。(60節)とあきれました。イエス様のお言葉をより深く知りたいと願いつつみ言葉に耳を傾けたいと思います。十二使徒のひとりイスカリオテのシモンの子ユダがこのときすでにイエス様を裏切ろうとしていたことは、驚きであると同時に暗い気持ちに沈み、心が痛む箇所です。だれがユダのようにならないと言えるでしょうか。今あるのはただ主の恵みによるだけです。「神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。」ローマ人への手紙11章22節前半(市川)
「身近な人々の言葉と神の御心」7章1〜9 2010年4月25日
イエス様は、ユダヤ人たちがご自分を殺そうとしていたので、ユダヤを避け北のガリラヤ地方で教えを宣べていらっしゃいました。仮庵の祭が近づいていました。これはユダヤの三大祭の一つで第七の月(太陽暦の九月〜十月)に一週間ほど行われました。すべての男の人は主の御前に出なければならないと定められていました。イエス様を信じていなかった兄弟たちは、奇跡を行って大勢に認められる機会だからエルサレムに行くのが良いと勧めましたが、イエス様は「わたしの時はまだきていない」で、この祭には行かないとおっしゃいました。主の時は、十字架の時です。このとき、彼らとは別にエルサレムに向かったのも、祭の終わりの大事な日に大声でみ言葉を語られたのも、父なる神様の御心を第一に十字架に向かって歩まれたからです。(市川)
「モーセの律法の成就」7章10〜24 2010年5月2日
人々は、有名なイエス様が巡礼の群れに入って、エルサレムに来ていると期待して探したが、彼の姿を発見することは出来なかった。祭の真っ最中、多くの群衆が集まっていた時に、イエス様は宮に上って教えられた。特に安息日と割礼のことを論じられた。ユダヤ人は安息日を重視するのであるが、律法中に安息日以上に重要な割礼が命じられている。その安息日に割礼が施されたのである。安息日には仕事をしてはならないと言いながら、それよりも重大な割礼は実施されており、安息日が破られた。まして人間の危急を救い、罪より清めて救いに至らせるイエス様の行為は、安息日以上のものである。安息日に人の全身を丈夫にしてやったあのベテスダの池での事件は、律法を与えられた神様の意志にそうものであり、律法を成就するものである。(伊藤)
「メシヤの出現」7章25〜36 2010年5月9日
イエス様の出現が、世に動揺を与えた。彼のなす御業は、世の人を彼に従う者と彼を憎む者との二つの群れに分けたからである。役人たちも、イエス様をただものでないと見る者が出てきたが、いずれの側にしても真のイエス様を知る者はいなかった。エルサレムの人たちは、イエス様がナザレ人であり、彼の親や兄弟が誰であるかを知っていた。しかし、それがイエス様をメシヤだと認めるのに妨げとなっていた。多くの人々も、不信仰であるが故に、父がイエス様をつかわされたこと、イエス様の御業は神様の御業であり、メシヤの御業であることを理解することが出来なかった。非難を受けた人々は、反省するのではなく、敵愾心をもやし、イエス様を捕らえようと計った。しかし、イエス様が十字架につく時が来ていなかったので、誰も彼に手をかける事が出来なかったのである。(伊藤)
「約束の成就」7章37〜52 2010年5月16日
秋、仮庵の祭に、シロアムの池から運び上げられた水が神殿の祭壇に注がれたそうです。祭が終わる大事な日にイエス様は叫んで言われました。「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」(37 節、38 節)。のちに、最後の晩餐の折り「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である」(ヨハネ福音書14 章16 節17 節)と言われたように、御霊なるお方についておっしゃったのでした。イエス様が大声で叫ばれたお姿は特別です。イエス様が十字架でお死にくださり死からよみがえり、すべてのみわざを成し遂げることによって、このお約束が成就したのです。(市川)
「罪のない者が」7章53〜8:11 2010年5月23日
律法学者やパリサイ人たちは朝早くからイエス様を陥れようとしました。いつも機会を探していたことがよくわかります。モーセの律法に照らせば、この女の人は有罪です。有罪だと言えば、イエス様の赦しの教えは全く役立たないという証明になります。無罪と言えば、律法を破ることになります。今度こそイエス様を追い詰めたと確信したでしょう。彼らは問い続けました。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」(7節)。イエス様のお言葉は彼らの頑なな心にも響き、みな立ち去ったのです。罪のないイエス様が「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」(11節)。と言われたのは、人間の罪の赦しと新しい歩みのためには、人間の身代わりに父なる神様の罰を受けるという、イエス様の十字架の死以外にないことを思ってのことでしょう。(市川)
「世の光であるキリスト」8章12〜20 2010年5月30日
昔、イスラエルでは仮庵の祭の初日の夕刻になると、宮の四隅の大きな燭台に灯火がともされて、エルサレムの町が明るくなったと言う。その時にイエス様は「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」と語られた。そのイエス様は、4章では「永遠の命に至る水」のことを語り、6章ではご自分を「命のパン」だと言った。確かにイエス様は、飢え渇く者を生かす生命の根源であり、罪の暗黒の中にいる者を救う光そのものだ。ヘブルの思想においては、光は救いと同じ意味であり、喜びに満ちたものだと言われる。しかし、イエス様の福音の啓示も、頑固なパリサイ人にとっては、ますます心を頑なにするだけだった。イエス様の弁明は、彼らの反論によって展開されていくが、イエス様の言うことを肉(人間的)によってしか理解しようとしていないのは残念だ。(伊藤)
「ユダヤ人の訴えに対して」8章21〜30 2010年6月6日
パリサイ人の攻撃に対して、自分の言葉の正しいことを弁護しておられたイエス様は、今や積極的に彼らを責める。イエス様はまもなく十字架につき、この世を去っていかれる。それは人々には敗北のように見える。イエス様が救い主であるとは思えないからである。そして人々は、さらにメシヤの来るのを待ち望んで、他にメシヤを探し求める。ユダヤ人が、長年四方の強国に取り囲まれ、戦争と奴隷化によって苦しんだ経験の中から、政治的な解放者メシヤを求める期待は大きかった。しかし真のメシヤは十字架にかかり死んで行った。いくら探してもいるはずがない。その十字架の時まであとわずかである。今は恵みの時、救いの日である。光のある間に光を信じなければならない。こうしたイエス様の不信仰な人々への熱烈な訴えは、彼らの心を動かし、これらの言葉によって、多くの人々がイエス様を信じたのである。(伊藤)
「イエス様の言葉のうちにとどまっているなら」 8章31〜36 2010年6月13日
ユダヤ人たちは「人の奴隷になったことなどは、一度もない」(33節)と答えましたが、イエス様は「すべて罪を犯す者は罪の奴隷である」(34節)と教えてくださいました。罪の奴隷からの解放は真理であるイエス様によるのです。イエス様はおっしゃいました。「真理はあなたがたに自由を得させるであろう」(32節)と。真理を知るにはどうしたらいいのでしょう。「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。また真理を知るであろう。」(31節)と言われました。「わたしの言葉のうちにとどまっておるなら」これが条件です。イエス様のお言葉に聴き従いつつ生きる、イエス様と一緒に生きることでしょう。その人はイエス様にある自由をいただいて生きるのです。(市川)
「わたしの父」8章37〜47 2010年6月20日
イエス様は「わたしの父」と、神様を呼んでいます。父なる神様に遣わされてこの地上においでくださり、神様の御心を第一として歩んでくださいました。一方ユダヤ人たちはアブラハムの子孫であることを誇り、律法に従うことを第一としていました。それなのに、アブラハムを愛し、導いてくださった父なる神様から遣わされたイエス様を殺そうとしていました。なぜでしょう。イエス様は言われました。「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」(44節)と。イエス様に罪を犯させれば十字架の救いは無効になります。十字架の前に命を落とせば十字架は実現しません。十字架による救いが実現しないように悪魔は躍起になっていました。人々を用いて。(市川)
「イエスとアブラハム」8章48〜59 2010年6月27日
信仰の父であり、ユダヤ人の父祖であるアブラハムは、尊敬されるべき者だが、死んだ者であり、彼自身に永遠性はない。メシヤはイエス様であり、アブラハムも彼に従うべき者である。しかし不信仰者は、神様の声を聞いて、いっそう神様から離れ、激しく神様に反抗する。ついに彼らは、イエス様を「悪霊に取りつかれている」(521節)と罵った。56節には、「あなたがたの父アブラハムは、わたしのこの日を見ようとして楽しんでいた。そしてそれを見て喜んだ」とある。ここで著者ヨハネは、イエス様にあっては数千年の長い時が、一瞬に縮められたことを示している。「主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである」(Uペテロ3:8)とあるとおりだ。イエス様はアブラハムの生まれる前からいる神ご自身であるから、信仰によってアブラハムはイエス様を見ることが出来たというのである。(伊藤)
「シロアムの池に行って洗いなさい」9章1〜12 2010年7月4日
イエス様が弟子たちと道をとおっておられた時、生まれつきの盲人を見て、弟子たちが「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」と尋ねた。当時の一般的な考え方では、しばしば人間の不幸は、親の罪の結果とされたり、前世の罪の因果だと言われたりした。今でも少し迷信的な人たちはそう考える。しかしイエス様は「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」と言われた。そして「どろを盲人の目に塗って、シロアム(つかわされた者、の意)の池に行って洗いなさい」と命じられた。常識では絶対に考えられないことだ。しかし「主よ、お言葉ですから」と言ってやってみる、その信仰が必要なのだ。(伊藤)
「イエス様という光に対して」9章13〜23 2010年7月11日
イエス様は「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」(ヨハネ福音書8章12節)と言われました。安息日は礼拝の日です。「律法の言葉も、ひとびとに、ただかれらのわざを休むことを命じていて、神のわざを休むことを命じてはいないのである。」(カルヴァン)。イエス様が安息日に癒してくださったのは恵みのわざです。敢えて安息日に癒した結果ある人はイエス様を信じ、他の人たちはさらに心を頑なにしました。光が差し込んだとき光に歩むか、頑なに背を向けるか。癒された人はパリサイ人の圧力に屈せずはっきり答えました。パリサイ人は本人が目の前にいるのに全く認めません。イエス様をキリストと認める者の追放を決定していたユダヤ人を恐れて、両親は曖昧に答えました。本来ならイエス様に感謝し、躍り上がって喜びたいところです。(市川)
「今は見えるということです。」9章24〜34 2010年7月18日
パリサイ人たちは、目の前の事実をなんとしても認めようとしません。彼らは「イエス様は罪人だ。」と言いたいのです(24節)。自分たちの考えに凝り固まっていました。眼を癒された人は、パリサイ人の威圧を恐れずはっきり答えました。「…今は見えるということです。」(25節)。続く質問に「あなたがたも、あの人の弟子になりたいのですか。」と聞き返し、最後は33節のとおりです。誰がなんと言おうと、イエス様によって見えるようになったことを自分がよく知っていましたから。パリサイ人たちは真実を見ることができないにもかかわらずこの判断が唯一正しい、自分たちは見える、と思っていました。見えなかった人が肉眼も、霊の眼も見えるようになったのとは対照的に。(市川)
「盲人の偉大な信仰告白」9章35〜41 2010年7月25日
イエス様によって目が見えるようになった盲人は、ついにユダヤ人の社会から追い出され、交わりを絶たれ、生活の道を失った。イエス様は迷える羊を捜して、救いの手を伸べられる。イエス様は彼の前に立たれて「あなたは人の子を信じるか」(35節)と決断を迫られた。この盲人はメシヤについて聞いてはいたが、彼の前に立っておられる方がその人だとは分からなかった。彼の心は、目を癒されたことによって、イエス様が素晴らしい方だということは分かっていたが、まだメシヤとイエス様を結合させることは出来ないでいた。彼はイエス様にメシヤなる方を信じたいと言った。するとイエス様は「今、あなたと話しているのがその人である」(37節)と答えられた。確かにイエス様は、「主」であり、「拝す」べき方である。こうして彼は「主よ、信じます」(38節)という偉大な信仰告白をしたのである。(伊藤)
「わたしは門である」10章1〜10 2010年8月1日
イスラエルの地方では、羊の飼育が昔から盛んだ。イエス様は、人々の日常生活から身近なたとえで話された。イエス様が「わたしは羊の門である」、「私は門である」などの比喩的表現は、昔の羊飼いの生活がわかるとよく理解出来る表現だ。暖かい季節の間は、羊が高原に放牧されていて、夜、村に帰る必要がない場合には、羊の群れは丘の中腹の簡単に作られた羊の囲いの中に入れられるそうだ。そこは囲いだけで、入り口は取り付けられていたが、門も扉もない。だから羊飼いは、その入り口で寝た。そうすると、羊飼いの身体を飛び越えない限り、羊は外に出ることが出来ないのである。また狼や獣も彼を飛び越えて来ない限り羊を襲うことは出来ない。文字通りに羊飼いは門だったのである。そこでイエス様は、ご自分が人を救うところの唯一の「門」であると語られたのである。(伊藤)
「わたしはよい羊飼である。」10章11〜21 2010年8月8日
イエス様は「わたしはよい羊飼である。」(11節)と言われました。羊は人間をあらわしています。雇い人は羊を捨てて逃げ去ります。なぜなら羊のことを心にかけていないからです。しかし、イエス様はよい羊飼で、わたしたちの救いのために十字架にかかって命を捨ててくださいました。「わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。」(16節)と言われました。救いに与っていない人々をも導かねばならない、という意味です。「彼らもわたしの声に従うであろう。」とも言われました。まだイエス様を信じていない人々もイエス様を信じて聞き従うようになるということです。イエス様が救いに導いてくださる人々がみこころのとおり救われるように、わたしたちはイエス様のお役に立ちたいと願っています。(市川)
「いつまで…不安のままにしておくのか」10章22〜31 2010年8月15日
イエス様を救い主として信じようとしない人々にとって、イエス様は不安の種でした。イエス様のお言葉、イエス様のなさること、イエス様の存在が彼らの心を刺激するからです。「…ユダヤ人たちは、イエスを打ち殺そうとして、また石を取りあげた。」(31節)のです。イエス様の存在はわたしたちに二者択一を迫ります。イエス様を認めず信じなければ、心に平安はありません。イエス様を信じれば平安が与えられます。27節28節にはイエス様を信じて永遠のいのちを与えられた人々について言われています。詳訳聖書には28節について「私は彼らに永遠のいのちを与える。彼らは世々を通じて決してそれを失う<滅びる>ことはない<彼らは永遠にどんなことがあっても決して滅びない>。だれ
も彼らを私の手から奪い去ることはできない。」とあります。(市川)
「わたしのわざを信ぜよ」10章32〜42 2010年8月22日
イエス様は、自分が羊飼いであり、メシヤであることを述べられたが、このことは、イエス様と神との一致に基づいている。「わたしと父とは一つである」とも主張している。しかし、ユダヤ人は、イエス様が受肉の神である事を認めない。むしろ、イエス様の言葉は、神冒涜であると言っている。そしてイエス様を打ち殺そうとした。彼らが宗教的に熱心であればあるほど、イエス様に対する敵愾心は激しくなった。イエス様は神のわざをなすように聖別されたことを自覚していた。イエス様は、自分を誇り、自分のわざをなすために自分のメシヤたることを主張するのではなくて、全く神のみこころによって働く方である。イエス様は、神から託された以外のことは、何もなさらない。だから、イエス様の言葉によってこの事を信じることができなくても、イエス様が現に行うわざを見て信ぜざるを得ないはずである、と言う。(伊藤)
「神の栄光が現される奇跡」11章1〜16 2010年8月29日
11章は、ラザロが大病にかかり、死にかけていたところから始まる。知らせを受けたイエス様は、彼の所に行くのが2日遅れた。そのために、ラザロはすでに死んでおり、手遅れと見えた。死は人間の最後の姿であり、どうすることもできない絶望である。しかしそれは、肉体の一時的な死であって、永遠の神から離れた死ではない。否、むしろラザロが病気になり肉体的に死ぬことは、絶望的死でなくして、神の栄光が現され、救いの力が示されるためである。人間の目には、もはや終わりだと見える時、奇跡が起こる。ここでの奇跡は、人間の絶望に対してさしのべられた神の力強い救いの業だといえる。ラザロは死んだのだ、とイエス様ははっきり言われた。しかし、その死こそ信仰の契機となった。もしラザロが死ぬ前にイエス様が到着し、病気を癒されたら、イエス様の与える永遠の命は理解されなかった、と思うのである。(伊藤)
「四日間も墓に」11章17〜32 2010年9月5日
ラザロは四日間も墓に置かれたままでした。マルタたちはラザロの死を悲しみ、イエス様に、ここにいて下さったなら、と訴えずにはいられませんでした。33節以降のようにイエス様がラザロを生き返らせて下さり人々は驚きました。なぜなら、ラザロが四日間も墓に置かれ、臭くなっている(39節)ことを誰もが知っていましたから。マルタに答えてイエス様は有名なみ言葉を語られました。「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」(25、26節)。イエス様がラザロを生き返らせてくださったことによってこのお約束が真実である、ということを信じやすくさせて下さいました。このお約束の成就は、イエス様が十字架で死に、死に勝利してよみがえって下さるという事実によるのです。(市川)
「イエスは涙を流された。」11章33〜44 2010年9月12日
イエス様がラザロを生き返らせてくださったことに人々は驚きました。マルタとマリヤは弟に再会できたのですからその喜びはたとえようもなかったでしょう。死が永遠に再会を許さない、それが現実です。しかし、イエス様が約束してくださったのは25節26節のみ言葉です。イエス様にあって、死は何の力も持たない、死による永遠の別れはないのです。ラザロはこの後いつかは地上を去りますから、マルタとマリヤの再会の喜びはつかの間でしたが、主を信じる人々にとって天の御国で永遠の喜びの再会が待っています。「イエスは涙を流された。」35節。イエス様が激しく動揺し苦しまれ涙を流されたみ思いはどのようなものだったのでしょうか。ラザロと姉妹たちをはじめ、罪と、罪によってもたらされた死の力に怯え悲しみ苦しむ人間への憐れみと慈しみが溢れた涙だったのでしょうか。(市川)
「イエス様の贖いに対する預言」11章45〜57 2010年9月19日
死人の復活という驚くべき奇跡は、民衆の間にいよいよ大きなセンセーションを巻き起こしていった。心の素直な人々は、奇跡の事実によって心の目が開かれたが、心のかたくなな人々は、いっそう敵愾心を燃やしていった。そして復活の奇跡は、敵対する人々にイエス様を殺す決心をさせることになる。そのような時に、大祭司カヤパが立って「ひとりの人が人民に代って死んで、全国民が滅びないようになるのがわたしたちにとって得だ」(50節)と言った。これはイエス様に対する反対の心から出たものだ。しかしひとりの人が人民に代わって死ぬと言った彼の言葉は、イエス様が私たちのために死んで贖いのわざを成し遂げてくださる方であることを表明したものとなった。勿論カヤパは、イエス様の十字架上での死がそのような預言だとは夢にも思っていなかった。(伊藤)
「イエス様に香油を注ぐマリヤ」12章1〜11 2010年9月26日
マリヤがイエス様に香油を注いだ出来事が美しく人を感動させるのは、彼女ができる限りのことをしてイエス様に対する信仰と愛を現したことである。しかもこの美しい行為が、全世界に記念として長く語り伝えられるようになったのは、それが全人類の救いのために十字架にかかられたイエス様に対する、葬りの準備であったからである。よいことをするにはチャンスというものがある。助けを必要としている人に出会ったならば、その時すぐもっているものを投げ出す決心をしなければ、人を助けることは出来ないものだ。後になって、あの時に助けておけばよかった、と後悔しても遅い。マリヤにとって、今がイエス様に対して奉仕をする最後のチャンスだったのだ。そして彼女は自分の全財産ともいうべき高価な香油をイエス様の足に注いで、この機会を生かしたのである。(伊藤)
「世をあげて」12章12〜19 2010年11月7日
イエス様はろばの子にお乗りになりエルサレムに入城なさいました。旧約聖書の預言が今、成就したのです。このとき大勢の群衆がイエス様を迎えました。イエス様がラザロを生き返らせたという出来事は人々の興味と関心の的でした。奇跡の現場にいた人々が口々に言い広めましたからなおさらです。この様子にパリサイ人たちは「なにをしてもむだだった。世をあげて彼のあとを追って行ったではないか」(19節)と、お手上げ状態でした。しかし、イエス様の逮捕、裁判、十字架へと事が進むうちに、多くの人々はイエス様から離れ去り、弟子たちさえも逃げ出しました。群衆のような一時的な興味、関心に流されないで、個人個人の信仰によってイエス様を救い主と信じ受け入れ、聴き従うことが大切だと改めて教えられます。(市川)
「わたしの思いではなく、みこころが成るように」 12章20〜36 2010年11月14日
イエス様が公に語るのはこれが最後の機会でした。栄光を受ける時がきた、十字架につく時がきたとおっしゃり、麦の種が蒔かれて死に豊かな実りをもたらすように、イエス様が十字架にかかって死ぬことによって、イエス様を信じる人々に永遠の命、将来の栄光を約束するという豊かな実が結ばれるのです。イエス様を信じる人々は永遠の命をいただきます。その信仰生活においては、イエス様の模範のように、刻々自我に死に、父なる神様を第一として歩むことにより命の道を進む、これが主のみ教えです。27節、28節はゲッセマネの祈りを思い起こさせます。十字架、それは罪のない聖い神のひとり子イエス様が、愛する父なる神様から裁かれることです。苦しみの中でなお、十字架にかかって死ぬためにこの世に来たというご自身の目的を思い祈られました。「父よ、み名があがめられますように」。(市川)
「イエスの公生涯の終焉」12章37〜50 2010年11月21日
ヨハネはイエス様の死が近づき、いよいよ伝道の生涯が終わるに際して、その結語ともいうべきものをこの所に記している。これまでに記されたこと、語られたことの総括ともいうべきものが、この箇所に記してある。ヨハネは、このことを旧約聖書イザヤ53章1節の引用から解き明かし始めている。預言者が神について説いた所と同じことを、イエス様が説かれたのに信ぜず、主のみ腕による大いなる業を、イエス様がなさったのに信じなかったのが、ユダヤ人だった。まさにイザヤの預言が成就したのである。そして、イエス様の真の使命は、全人類を罪から救うことである。そのためにこの世に来られ、十字架にかかって身代わりに死なれたのである。だからイエス様を信じる者は、裁かれることがなく、永遠の命が与えられるのである。(伊藤)
「弟子たちの足を洗うイエス様」13章1〜11 2010年11月28日
イエス様が、弟子達の足を洗われたことは、ここで最も注目すべき出来事の一つである。第一に、私たちはこの出来事の中に、偉大なイエス様の教訓を見るからである。当時においては人の足を洗うことは僕の役目だった。それを弟子たちの先生であり、救い主なるイエス様が、僕のようになって弟子たちの足を洗われた。ペテロが驚いて質問したのは当然である。イエス様は身をもって謙遜を示されたのだ。ヨハネによる福音書は、イエス様の栄光と主権を強調していると言われる。そのイエス様が弟子たちの足を洗った、と記したのである。そこには常識を越えた愛と謙遜の実践がある。第二に、この出来事は深い霊的な意味を持っている。イエス様は「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」と言われた。つまり、弟子の足を洗うことは、血をもって弟子の罪を清めること、十字架の死による罪の洗いを意味していたのである(伊藤)。
「手本を示したのだ」13章12〜20 2010年12月5日
明日は十字架で死ぬという前の晩、最後の晩餐で、イエス様は弟子たちの足を丁寧に洗ってくださいました。その意味を明らかにしてくださったのがこの箇所です。「わたしがあなたがたにしたことがわかるか」(12節)。「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。」(15節)。「…それを行うなら、あなたがたはさいわいである。」(17節)と。さらに事が起こった時のため言っておくとおっしゃいました。その時「わたしがそれであること」すなわちイエス様が油注がれたもの、キリストであることを、あなたがたが信じるために、そして「わたしを受けいれる者は、わたしをつかわされたかたを、受けいれるのである」(20節)と。ユダの名前こそ出しませんが主を裏切るという驚くべき出来事が起こる前に弟子たちに心備えしてくださいました。弟子たちが愕然としてその心が萎え信仰が後退してしまわないように。(市川)
「一きれの食物を」13章21〜30 2010年12月12日
当時は円形のテーブルを囲んで長椅子に寝そべるようにして食事をしたようです。そのため最後の晩餐でイエス様のすぐそばによりかかるような席に着いていたのが「弟子たちのひとりで、イエスの愛しておられた者」でした。これはヨハネと言われています。ペテロは席が遠かったのでしょう、イエス様の「あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」というお言葉を聞いて「だれのことをおっしゃったのか、知らせてくれ」とヨハネに言ったのです。ヨハネの「主よ、だれのことですか」という言葉に、イエス様は一きれの食物をひたしてイスカリオテのユダにお与えになりました。ユダは受け取ると暗闇の中へ出て行きました。イエス様が悔い改めの機会をずっと残し続けていてくださったにもかかわらず。(市川)
「新しい戒め」13章31〜38 2010年12月26日
イエス様はまた、弟子たちにもう一度愛の戒めを与えられた。愛は、ヨハネによる福音書を通じて強く説かれているが、もう一度そのことが最後において強調されている。これは「新しい戒め」である。勿論、愛の教えはイエス様特有のものではない。それは旧約においても説かれた古いものであり、他の多くの宗教にも説かれているものである。しかし自己を犠牲にして、罪人のため、敵のために死なれたイエス様の愛は、全く前例のない「新しい戒め」である。イエス様は、人道的愛ではなく、神様の愛に根ざした愛を信仰者に要求している。しかし、この神様の愛が私たちのものとなるには、聖霊を受けなければならない。そしてこの聖霊について、ヨハネは14章と16章で丁寧に記している。(伊藤)
「わたしは道であり」14章1〜11 2011年1月9日
イエス様が十字架にかかって死ぬ前の晩、最後の晩餐の席で弟子たちに語ってくださった御言葉が16章まで続き、17章はイエス様の祈りです。十字架刑を目前にして語られた14章1節は「神を信じ続け、わたしを信じ続けなさい。」という継続の意味だそうです。心騒がせやすいわたしたちにも語られているみ言葉です。神を信じる、ということは誰にでもわかります。しかし、漠然としていてわかりにくく迷いやすいのです。でも、イエス様を信じる、ということはわかりやすいでしょう。「わたしを見た者は、父を見たのである」(9節)とあるとおり、イエス様を知れば父なる神様を知り、救われ、天国に導かれるのです。イエス様を信じ、イエス様を仰ぎ望めば迷うことはないのです。イエス様は「わたしは道であり」と言われました。(市川)
「助け主・聖霊」14章12〜24 2011年1月16日
12節の終わりに「わたしが父のみもとに行くからである」と言われたのは、聖霊の約束と関係があります。地上の生涯を歩まれた「肉」なるイエス様に代わって、「霊」なるイエス様(聖霊)が信じる者たちに与えらるからです。そのために、イエス様は、この世を去って父なる神のみもとに行かれるのです。こうして私たちに、聖霊が与えられ、その聖霊に導かれる私たちの歩みこそ、復活の主イエスと共なる歩みにほかなりません。その時私たちは、イエス様の十字架の愛に満たされ、その愛に込められた無条件、無制限の赦しを全身で受けることが出来るのです。そして、18節の「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。」といわれた約束が、そのとおりに実現しているのを見るのです。地上に残される弟子たちは孤児にされるどころか、真理の御霊に導かれて、復活の主と共に歩むという祝福にあずかるのです。(伊藤)
「イエス様の与える平安」14章25〜31 2011年1月23日
イエス様との別れは弟子たちの心に不安と恐れを呼び起こしていたのです。そこでイエス様は、彼らに平安を与えると約束されました。しかもこの世の与える平安と対比させて、「わたしの平安」とおっしゃいました。イエス様が約束した平安はイエス様ご自身が与える平安であって、人間やこの世が与える平安と異なっています。この世が与える平安は、逆境の中では音を立てて崩れ落ちてしまう見せかけの平安です。イエス様が与える平安は、仏教的な静寂やあきらめ(諦観)から来るものではなく、また世が与えるような物質的安心でもありません。イエス様が与える平安は、この世の罪と悪魔に打ち勝つ力であり、救いの平安であり、神との交わりからくる喜びであって、今後弟子たちがいかなる苦難に陥り、行く手をはばまれるような事があっても、それに打ち勝つものなのです。(伊藤)
「幹と枝」15章1〜8 2011年1月30日
ぶどうの木は甘くみずみずしい実を結びます。枝は幹から十分な水分や養分を受け続けています。同様に信仰者はイエス様から十分な恵みを受け、イエス様への聴従と祈りとの交わりのうちに生かされます。父なる神様は御子なるイエス様を愛されました。イエス様も父なる神様を愛し最期まで従われました。信仰者もイエス様を愛し聴き従い主との豊かな交わりが育まれるのです。強制や義務ではありません。愛するがゆえに喜んで聴き従うのです。なぜならイエス様は十字架にかかって「その友のために自分の命を捨て」てくださったほどにわたしたちを心にかけ、豊かな救いの恵みへと招いてくださったからです。彼らの祈りは主の御心にかなう祈りへと導かれます。なぜなら内住のキリストが祈らせくださるからです。その結果父なる神様の御名が崇められるのです。わたしたちのうちにはイエス様の喜びが宿り満ち溢れます。 (市川)
「日常のなかで」15章9〜17 2011年2月6日
イエス様の十字架の死のお苦しみは想像を絶するものでした。しかし、それまでの日々は十字架に勝るとも劣らない霊的な戦いの連続ではなかったかと想像します。贖いのみわざを成就するために、罪のない神の小羊として十字架で死ぬ必要がありました。「罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。」(へブル人への手紙4章15節)とあるとおり、あらゆる試練の中で罪を犯さずに生きることはイエス様にしかできませんでした。「友のために自分の命を捨てる」ということは、殉教というようなこともあるかもしれませんがそのような華々しいことでなく、イエス様が生きてくださったように「愛は…不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」(コリント人への第一の手紙13章6節7節)という、日々み心に従うことによって表される愛についても言えるのではないでしょうか。(市川)
「この世の憎しみ」15章18〜27 2011年2月13日
イエス様に従う者がこの世から憎まれ苦しみを受けるということは、共観福音書にもしばしば語られており、迫害はキリスト者によく起こるものである。ヨハネは、この対立をさらにその根源にさかのぼって、神とこの世、光とやみとの対立と見ている。この世が弟子たちを迫害するのは、イエス様を迫害することであり、イエス様を憎むのは、神を憎むからである。ヨハネは、全人類に対する広い神の愛を説きながら、他面この世を悪魔の支配下にあるものとして見、きわめてこの世について否定的である。こうして弟子たちが憎まれるのは、この世が不当に神に反逆しているからであり、弟子たちはこの恐るべき悪の勢力と戦わねばならない。しかし、助け主なる聖霊は、キリストについてさらに証し、弟子たちを強め励まして下さる。また聖霊は、弟子たちのうちに働いてあかしをなすものとして下さるのである。(伊藤)
「聖霊様の働き」16章1〜15 2011年2月20日
今イエス様は、地上を去ることの意味を明確にし、恐れる弟子たちを力づける。なぜなら、彼らを迫害する者に、聖霊によるさばきが下るからである。聖霊は、彼らの罪を明らかにする。彼らが神の子のイエス様を信じないからである。聖霊は義を明らかにする。イエス様が昇天することによって、イエス様が義なる方であると示されるからである。聖霊は、さばきについてこの世にその誤りを認めさせる。イエス様はこの世の支配者の手に落ちて敗北の死を遂げたかのようだが、復活することによって逆にこの世の君であるサタンはさばかれるからである。イエス様のみわざは聖霊によって継続されて行く。聖霊は、引き続き多くのことを弟子たちに教え、真理に導く。弟子たちはイエスのみわざを受け継いで、宣教に携わっていくようになる(伊藤)。
「再びあなた方と会う」16章16〜24 2011年2月27日
イエス様は明日十字架にかかって死ぬのです。弟子たちはいつもと様子が違うイエス様のお言葉を理解できず不安でした。お話を聞いて親しく過ごす時間は残り少ないこと、もうすぐイエス様にお目にかかることができなくなることを、イエス様は間接的にお話になりました。具体的に話したとしても弟子たちの恐怖が増し混乱するだろうと判断なさったのかもしれません。同時に、十字架の死の後、三日目にご自身が死からよみがえることを示唆なさり「わたしは再びあなた方と会うであろう」、そのときには「あなたがたの心は喜びに満たされるであろう」と言われたのです。弟子たちの不安と緊張の日々は喜びに変えられるのです。お約束のとおり、イエス様の十字架の死後弟子たちが絶望の底にいたとき、死に勝利して復活なさった栄光のイエス様にお目にかかったのです。(市川)
「イエス様のみ名によって」16章25〜33 2011年3月6日
イエス様の十字架と復活ののちには聖霊によってみ言葉の意味が明らかにされます。またイエス様は23節で「あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。」と言われました。主につながりみ言葉がとどまっているので主の御心を思って祈りをささげるからです。さらにイエス様の十字架と復活の後には助け主なる聖霊がおいでになり、内なるうめきをもってとりなし、祈りを導いてくださるからです。へブル人への手紙4章16節に「時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか」とあるように豊かな祈りに招かれています。イエス様は十字架を目前にし、弟子たちは苦難を通らなければなりません。しかし、イエス様が父なる神様とひとつであり愛と平安に満たされているように弟子たちをも愛と平安と勝利によって生かしてくださるのです。(市川)
「弟子たちのための祈り」17章6〜19 2011年3月13日
イエス様の祈りは、ご自分のための祈りから、さらに進んで弟子たちのためになされている。イエス様は、弟子たちを神のみ旨に従って選び、身近に召して福音の真理を与えて来られた。イエス様は、選ばれた弟子たちのために、最後のそして特別の祈りをささげられた。イエス様は、いよいよ世を去って弟子たちと別れなければならない時が来た。しかも弟子たちは伝道の重大な責任を背負わされている。今そのために、献身するように聖別されようとしている。伝道はイエス様の死後も続けられ、むしろ将来においてこそ弟子たちの真の働きがなされるのである。また世は、ヨハネ福音書においては神に敵するものとして記されている所が多いが、この箇所では違った観点から見られている。ヨハネは、神がこの世を愛し、この世を救うために心をくだいておられることも説いている(伊藤)
「一つとなるために」17章20〜26 2011年3月20日
イエス様は、弟子たちが一つになり、宣教を受け継ぐ者であるように祈られました。さらにクリスチャンがこの世とは違って1つの特別な群、即ち教会を形成していくように祈られたのです。教会から離れたクリスチャンはなく、クリスチャンを孤立のまま放置する教会もないのです。悪魔は群をなしてクリスチャンを迫害し、この世を完全に支配しようとするのです。これに対抗するにはクリスチャンの一致団結が必要です。しかし、教会は、単なる人間の集団ではありません。教会の結合は、まず神様とイエス様との一致に基づき、唯一の神の上に立てられたものでなければなりません。神様とイエス様が一つであることにより、イエス様がクリスチャンの中にいまし、神様が彼らの主となり、彼らの中心となるのです。(伊藤)
「ゲッセマネの園で」18章1〜11 2011年3月27日
イエス様は告別の説教と祈りを終えると弟子たちを連れてケデロンの谷の向こうの園に行かれました。ケデロンの谷はエルサレムの東にあり南北に伸びた谷です。その東はなだらかな丘陵でゲッセマネの園がありました。オリーブが茂ったこの場所にイエス様と弟子たちはたびたび集まり祈りの場所としていました。ユダは一隊の兵卒と、祭司長、パリサイ人が送った下役の先頭に立ってやって来ました。ペテロは大祭司の僕マルコスに切りかかって彼の右耳を切り落としたのですが、イエス様は彼を癒してくださったことがルカによる福音書22章に記されています。武装した兵卒たちを相手に、ペテロが勇み立ってもどうにもならないことは目に見えていましたが、なんとかしてイエス様を守りたいという気持ちで一杯だったのでしょう。イエス様は父なる神様の御心に従う、その心は定まっていました。(市川)
「アンナスの前で」18章12〜27 2011年4月3日
兵卒や千卒長、ユダヤ人の下役たちはイエス様を縛り上げてアンナスのところに引き連れていきました。アンナスは大祭司カヤパの舅で、前大祭司でした。アンナスの質問にイエス様は、今まで公然と語り教え何も隠れて語ったことはない、とはっきりお答えになりました。アンナスは怒って平手で打つとイエス様を縛ったままカヤパのもとへ送りました。ペテロはイエス様の後を追い、大祭司の知り合いだった弟子によって、大祭司の中庭に入り込みました。ペテロは、門番の女にイエス様の弟子ではないかと聞かれましたが否定して下役たちがあたっていた炭火に一緒に立ってあたっていました。春先の寒い時期、まだまだ夜が明けない時間でした。二度目に人々に聞かれ否定し、三度目はペテロがゲッセマネの園で耳を切り落とした人の親族に指摘され否定したそのとき鶏が鳴きました。イエス様のご警告のとおりに。(市川)
「ピラトの前でのイエス様(1)」18章28〜40 2011年4月10日
大祭司カヤパの所から総督ピラトの官邸に連れてこられたイエス様は、いよいよ死の判決を受ける時が近づいてきました。イエス様を官邸に連れてきたユダヤ人は、入口まできて、それ以上中に入ろうとはしませんでした。異邦人のピラトの家に入ることは身を汚すと考えられていたからです。ピラトは、紀元6年から41年の間サマリヤ、ユダヤの総督で、頑固残忍な男でした。ルカによる福音書13章1節は、それを例証しています。ピラトはこの事件がユダヤ人の宗教的仲たがいから起こっているのを知り、かかわり合うことを好みませんでした。そこでピラトは、「自分たちの律法でさばくがよい」と言ったのです。しかし、ユダヤ人の議会には死刑宣告の権利はありませんでした。そしてユダヤ人たちは、イエス様を殺そうと思っていましたので、それ以外の刑では承知できなかったのです。ユダヤ人たちはピラトに死刑宣告を迫り、十字架刑を求めたのです。(伊藤)
「ピラトの前でのイエス様(2)」19章1〜16 2011年4月17日
ユダヤ人の殺害の要求を聞いても、ピラトはなおイエス様を許そうとしました。しかし、ユダヤ人の反感と憤りは激しいので、イエス様を鞭で打たせて辱め、また兵卒たちが嘲笑の中に茨の冠をかぶらせ、紫の着物を着せて王のかっこうをさせ、ユダヤ人の王、万歳と言いながら平手で打つという侮辱した行為を許したのです。ピラトは群衆の前にイエス様を連れ出して、「このような茨の冠をかぶり、王の着るような紫の着物を着た道化師みたいな男がイエスである。真面目に王として立ちうる人間ではない、そして『見よ。この人だ』」と言ったのです。こうしてピラトは、最期までイエス様を許そうと努めたのです。しかしユダヤ人たちが、「もしこの人を許したなら、あなたはカイザルの味方ではありません。」と叫んだ時、ピラトは群衆の訴えを入れざるを得ませんでした。カイザルに忠実でないと判明させられたら、彼の政治生命は、終わってしまうからです。(伊藤)
「みずから十字架を背負って」19章17〜30 2011年4月24日
イエス様は「みずから十字架を背負って」(17節)行かれました。父なる神様の御心を行うため、人々の救いのために。十字架上のイエス様は愛弟子に母をゆだねました。彼は十二弟子のヨハネだと言われています。ゴルゴタについたとき差し出された、にがみをまぜたぶどう酒(マタイ福音書27章34節)はなめただけでお受けになりませんでした。麻酔作用があるものをお飲みになりませんでした。最期のときに差し出されたのは酸いぶどう酒でした。これはぶどう酒が過度に発酵して酢酸ができて酸っぱくなったもので、水で薄めて一般に飲まれていました。イエス様は「すべてが終わった」と言われ息をひきとられました。新改訳では「完了した」、文語訳では「事おわりぬ」と訳されています。救い主としての使命をなし終えられたのです。「わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。」ペテロの第一の手紙2章24節(市川)
「イエス様の死そして葬り」19章31〜42 2011年5月1日
イエス様は生前「人の子がきたのも、…多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」(マルコによる福音書10章45節)言われました。イエス様の「すべてが終わった」(ヨハネによる福音書19章30節)という言葉についてJ・マーレーは「人類の罪のための贖罪が完全に達成されたことを天下に告げる神の宣言であった」と記しているそうです。イエス様は十字架で死なれました。兵卒はイエス様の死を確認するために槍でわき腹を突き刺しました。「すぐ血と水とが流れ出た」とあります。イエス様は十字架から取りおろされました。ユダヤ人の埋葬の習慣に従って香料が入れられ亜麻布で巻かれました。アリマタヤのヨセフとニコデモは墓にイエス様を葬りました。それはアリマタヤのヨセフの新しい墓でした(マタイ福音書27章60節)。イエス様は死に、そして葬られました。(市川)
「空っぽの墓」20章1〜10 2011年5月8日
イエス様の復活のとき、重要な役割を果たしているのは、婦人たちであるのがわかる(マルコ16:1)。婦人たちは、イエス様の十字架の死に際しても、彼を慕って、ユダヤ人を恐れることなく終始そばにいたのである。しかもイエス様が死なれた後も忘れがたく、墓を訪れたのである。それは一週の初めの日、日曜日の朝であった。この婦人たちの一人であったマグダラのマリヤは、墓の石が取り除けられて、墓の中には、イエス様の死体がないので、驚いて弟子たちの所に報告に走った。報告を聞いたペテロとイエス様の愛弟子ヨハネは、すぐに出かけ、開いている墓の中に入った。そこには亜麻布と頭に巻いてあった布がそのまま置いてあっただけである。ヨハネはからの墓を見て、神の力によってイエス様が復活したのを信じたのである。(伊藤)
「復活のイエス様とマグダラのマリヤ」20章11〜18 2011年5月15日
キリスト教は復活の宗教とも言われる。聖書から復活を除いてしまったら、何も残らないと言っても過言ではない。キリストの誕生も十字架もペンテコステ(聖霊が注がれた日)も、「復活の事実」につながる出来事だからである。復活したイエス様は、大勢の人々に対し、この出来事の証拠として、ご自分の姿を現して下さった。イエス様の復活の姿を誰も見なかったとすれば、キリスト教の信仰はきわめて観念的(現実を無視した抽象的、空想的な考え方を指す語)なものになってしまったであろう。しかし、復活の主は確かにご自分を人々に現わされた。そして復活の朝、誰よりも先にイエス様がご自身を現わされたのは、最愛の弟子ヨハネでもなく、イエス様の母でもなく、あの7つの悪霊を追い出していただいたマグダラのマリヤなのである。(伊藤)
「安かれ」20章19〜31 2011年5月22日
イエス様がよみがえられた日の夕方、恐れ隠れていた弟子たちに、よみがえられた主が現れ「安かれ」と言われ、派遣と聖霊のみわざの約束をなさいました。ここに居合わせなかったトマスは主のよみがえりを信じませんでしたが、八日後再び現れた復活のイエス様に「わが主よ、わが神よ」と信仰を告白しました。この福音書を記したヨハネは、この書の目的を記しています。「これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。」20章31節。ローマ人への手紙14章8節9節には「わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるために、死んで生き返られたからである。」とあります。(市川)
「あなたがたより先にガリラヤへ」21章1〜14 2011年5月29日
十字架前夜イエス様は弟子たちに言われました。「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼を打つ。そして、羊の群れは散らされるであろう』と、書いてあるからである。しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」マタイによる福音書26章31節32節。復活の朝、墓にいた御使いも「急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』。」同28章7節。主は約束のとおり現れてくださいました。イエス様は漁から帰った弟子たちに「さあ、朝の食事をしなさい」と勧めてくださいました。「弟子たちは、主であることがわかっていたので、だれも「あなたはどなたですか」と進んで尋ねる者がなかった。」ヨハネによる福音書21章12節(市川)
「あなたはわたしを愛するか」21章15〜25 2011年6月5日
ペテロは、イエス様の「あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」という問いに対して、彼なりに主を愛していると答えました。「わたしは三度もあなたを知らないと言いました。それほどもろく、欠けだらけの愛なのです。でも私があなたを愛する思いに偽りがないことをあなたはご存知です」。彼はそう言いたかったのだと思います。20節からは、ヨハネ福音書の特有の「主の愛しておられた弟子」、すなわち著者ヨハネがここにも登場してきます。ペテロが、仲の良い弟子のヨハネを見て、彼はどうなるのかとイエス様に尋ねたのは、ペテロの自然な気持ちです。しかし、イエス様がペテロの言葉を否定されたのは、他にわずらわされることなく、個人的な関係が重要であることを教えたかったからです。キリスト教信仰で土台となるのは、神様と一対一の縦の交わりであると強調しているのです。(伊藤)