館林キリスト教会

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ショート新約 マタイ福音書15〜28章

「形式的宗教」 15:1〜20  2005年9月18日

イエス様は12章で、安息日に関して、パリサイ人たちときびしい論争をしている。彼らはイエス様を殺す相談さえしている(マタイ12:14)。その時以来、彼らは、イエス様を自分たちの敵として、行動を見張り、民衆から分離させ、罠に陥れようとねらっていた。当時、神様の戒めの多くは、長い年月の間に作りだされた「言伝え」によって曲解されていた。命の無い宗教は、とかく形式的なことをやかましく言うものである。だからパリサイ人と律法学者たちは、わざわざエルサレムから出て来て、イエス様に向かい「あなたの弟子たちは……食事の時に手を洗っていません」(2節)と非難したのである。ユダヤ教のラビの一人は「手を洗わないで食事をするのは、姦淫をするのと同じほど重い罪である」と説いていた。どんなに念入りに手を洗っても心を清められなければ何の意味もなくなってしまうのは今も同じだ。(伊藤)
 

「カナンの女の信仰」 15:21〜28 2005年9月25日

 イエス様は弟子たちを連れて、一時、ツロ、シドンの地方に行かれました。ここはフエニキヤのことで、エルサレムの北西に位置する地中海沿岸地方です。旧約聖書には、イスラエルのアハブ王妃イゼベルがシドン出身で、バアル礼拝を盛んに行い蔓延し、深刻な事態に至ったことが記されています。このような異邦の地でした。カナン人はむかしイスラエル人がエジプトを出て、約束の地にやってきたとき、そこに住んでいた人々です。彼らはまことの神様を信じる生活からは遠い異教の生活をしていました。このとき、この女の人は娘を思う一心でイエス様に助けを求めました。イエス様のうわさを聞いてこの人なりに、イエス様を信じていたのです。イエス様は彼女の信仰を試すかのように対応していらっしゃいましたが、この人の謙遜に必死に求める信仰をごらんになって、お答えくださり、「女よ、あなたの信仰は見あげたものである」とお褒めくださいました。イエス様のご愛と求める信仰の姿を教えられます。  (市川)

「パンの奇跡」 15:29〜39  2005年11月6日

イエス様はツロ、シドンから南東に向かい、ガリラヤ湖の東、デカポリスを通ってガリラヤ岸辺に来られました(マルコによる福音書7章)。デカポリスは名前のとおり、10のギリシャの町々の集まりでした。イエス様によって人々の病が癒され、人々は「‥驚き、そしてイスラエルの神をほめたたえた。」のです。人々は三日間も家を離れて、イエス様の後を追って来ていました。イエス様は空腹の彼らを気遣って、イエス様のほうから弟子たちに食事について持ちかけておられます。弟子たちが答えて差し出された七つのパンと少しの魚を、五千人を養ったパンの奇跡の時のように、感謝の祈りをささげて分け与えてくださいました。異邦人のカナンの女の人に対しても、デカポリスの付近の異邦人に対してもイエス様は彼らの求めと、欠乏に答え、備えてくださいました。なによりもイエス様は彼らの霊的な欠乏に心を痛めておられたのではないでしょうか。  (市川)

「パリサイ人とサドカイ人のパン種」 16:1〜12 2005年11月13日

 イエス様がマガダンの地方(ガリラヤ湖の西岸)から帰って来ると、パリサイ人とサドカイ人が、待ち構えていたようにイエス様のもとに来た。パリサイ人は、以前に「しるしを見せていただきとうございます」(マタイ12:38)とイエス様に迫ってきた。そして今度は、パリサイ人が日頃から「死者の復活」のことなどについて考えを異にするサドカイ人と共に、再びイエス様に「天からのしるし」を求めて来たのである。それはイエス様を試みるためである。彼らはイエス様の言葉じりをとらえ、それを曲げて解釈し、民衆からイエス様を引き離すたくらみだったのである。彼らと語り合った後で、イエス様は弟子たちに「パリサイ人とサドカイ人のパン種を、よくよく警戒せよ」(6節)と言われた。これは彼らの不信仰で偽善に満ちた教えに気をつけるように、という意味である。(伊藤)

「ペテロの信仰告白」 16:13〜20 2005年11月20日

 イエス様は、十字架を前にして、弟子たちと水入らずで過ごしたいと考えた。そこでガリラヤ湖のはるか北方、ヘルモン山の南の山麓にある、ピリポ・カイザリヤという町に行かれた。ここでイエス様は弟子たちに尋ねて、「人々は人の子(イエス様のこと)をだれと言っているか」と言われた。弟子たちは、人々が噂をしている昔の預言者たちをあげて答えた。するとイエス様は、さらに踏み込んで弟子たちに「あなたがたはわたしをだれと言うか」と尋ねた。すると弟子のペテロは「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と言った。イエス様はペテロのこの信仰告白を賞賛された。なぜなら、イエス様が「あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である」と言われているからだ。そして、私たちもこの信仰告白を信じた時に聖霊によって告白できるのだ。(伊藤)

「十字架と復活の予告」 16:21〜28 2005年11月27日

 ピリポ・カイザリヤで、ペテロは恵みによって信仰告白をさせていただきました。イエス様は以後歩まれる十字架への道について明らかにしてくださいました。ペテロは愛する主が苦難に遭われると聞き「そんなことがあるはずはございません」と主をいさめたとあります。22節に「すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて」とあり、様子が目に浮かぶようです。イエス様が十字架で死んでくださったので、救いの道が完成されたのです。神様に自分の罪をお詫びし、イエス様を救い主と信じるなら、永遠の裁きと滅びから救われるのです。この尊い救い主イエス様を信じないで「自分の命を損したら、なんの得になろうか」とのお言葉のとおりです。十字架の道を歩まれた主は「自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」と信仰の道を教えてくださいました。  (市川)

「イエス様の変貌」 17:1〜13 2005年12月4日

 福音書を読み合わせますと、イエス様はペテロとヤコブ、ヨハネを連れて祈るために山に登られました。祈っておられる間にお姿が変わり、み衣は光のように白くなりました。イエス様がエルサレムで遂げようとする最後について、モーセとエリヤと語っておられたのです。熟睡して目覚めたペテロたちは非常に恐れ、思わず4節のように言いましたが、ペテロが話し終えないうちに神様のご臨在を示す輝く雲が彼らをおおい「これはわたしの愛する子…」とみ声がありました。イエス様が洗礼をお受けになった時のようにです。ペテロは後にペテロの第二の手紙1章16節以下で、イエス様のご威光の目撃者として栄光のイエス様も十字架のイエス様も事実であり、み言葉の教えは真理であることを証しています。   (市川)

「からし種一粒の信仰」 17:14〜21 2005年12月11日

 イエス様と三人の弟子達が、ヘルモン山に上っておられた間に、あとに残った弟子達はとんだ失敗をしてしまいました。弟子達は、一人のてんかんの少年を治そうとして治す事が出来ず当惑していたのです。そこへイエス様が、山から降りてきて、少年の病を癒し、弟子達の面目をお立てになってくださいました。あとで弟子達がひそかにイエス様のもとに来て、その失敗の原因をお尋ねになると、イエス様は「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。」と仰せられました。「からし種一粒の信仰」とは、小さくても、命のある信仰という意味です。信仰に生きる秘訣は、小さい信仰でも、大きな神様に信頼をおいて生きる事なのです。(伊藤)

「義務を果たしてつまずかせない」 17:22〜27 2005年12月18日

 イエス様は「からし種一粒の信仰があるなら……あなたがたにできない事は、何もない」と言った直後、ご自身の受難を預言している。これは信仰の偉大な力にもかかわらず、十字架と復活は神様のみこころであることを教えている。イエス様一行がカペナウムにきたとき、宮の納入金を集める人たちがペテロに、「あなたがたの先生は宮の納入金を納めないのか」(24節)と問いかけてきた。その時、イエス様は支払う義務のない宮の納入金も、彼らをつまずかせないために支払った。そればかりかペテロの分も支払って、義務を果たすように命じている。パウロもローマ人への手紙13章7節で「あなたがたは、彼らすべてに対して、義務を果しなさい。すなわち、貢を納むべき者には貢を納め、税を納むべき者には税を納め」なさい、と教えている。(伊藤)
 

「天国ではだれが一番偉いか」 18:1〜14 2006年1月8日

弟子たちはイエス様のもとに来て「天国ではだれがいちばん偉いのですか」と尋ねた。弟子たちが天国を人間の社会のように考えていたからです。では、天国ではだれがいちばん偉いのでしょうか。第一に、幼な子のようにへりくだって、人々をイエス様のように愛する人です。みことばに「……幼な子を、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのである(5節)とあるとおりです。第二に、御使いたちと共に、人々の救いの達成に奉仕する者として、人々を躓かせないように努める人です。第三に、人々を群衆の一人として見るのではなく、神様に愛せられた一人として見て、人々が失われることを惜しみ、連れ戻すために努力をする人です。(伊藤)

「愛と祈り」 18:15〜20  2006年1月15日

 「これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない」(14節)のですから、兄弟が罪を犯したことが明確な場合、なんとかして悔い改め神様に立ち返ることができるように愛と祈りをもって労すべきだと教えられています。まず個人的に話して、悔い改めるなら幸いです。そうでないなら、証人が共に行って話し、さらに教会で話し合いを持つべきだということです。なお心を頑なにするなら「異邦人または取税人同様に扱いなさい」とあります。場合によっては死刑宣告というようなユダヤの厳しさを考えると、これは寛容な取り扱いでした。悔い改めるなら許され再び迎え入れられる可能性が残されていたからです。「もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう」(19節)というみ言葉のように悔い改めて立ち返ることを願って愛をもって祈る人々がいるなら、神様はその祈りをお聞きくださるのです。(市川)

「返済不可能な借金」 18:21〜35 2006年1月22日

 当時1日の労賃は1デナリでした。Tタラントは6000デナリです。1万タラントは6000万日分、すなわち16万年以上の労賃に当たり返済不可能です。王様はすべてゆるしてくださいました。ゆるされた人が貸していたのは100日分の労賃でした。借金とは、積極的な罪を犯したわけではありませんが借りた物を返せなかったのです。私たちは自分の所有物というものはなく、実は命も健康も、生まれつきの能力も時間も与えられたものです。しかし神様を知らず信じず、神様が委ねてくださった、神様のものを、本来の目的から大きくそれて、自分のために使い続けてきたのです。積極的な罪を犯さなくても、借金をし続け今は莫大な額になっているのです。それにもかかわらず神様はイエス様を信じた者を、イエス様の十字架のゆえにすべてゆるしてくださいました。イエス様はペテロを諭してくださいました。七たびを七十倍するまで、すっかり忘れてゆるしなさい、あなたも莫大な罪をゆるされているのですから、と。 (市川)

「結婚、離婚、独身」 19:1〜15 2006年1月29日

 パリサイ人たちはまたもやイエス様を陥れようとして「何かの理由で、夫がその妻を出すのは、さしつかえないでしょうか」と質問してきた。イエス様は彼らが聖書読みの聖書知らずであることを示し、創世記2章24節のみことばを引用し、「神が合わせられたものを、人は離してはならない」と答えられた。それに対し、彼らは「それでは、なぜモーセは、妻を出す場合には離縁状を渡せ、と定めたのですか」と屁理屈を言った。イエス様はこうした彼らの心の頑なさを厳しく戒め、すべては神のみこころによってある者は結婚、ある者は神の為に独身でいる事を強調された。こうしてイエス様は、人生の重大な問題である結婚の真実な意義を示され、離婚、独身についての考えをも明らかにしたのである。(伊藤)

「富める青年の誤算」 19:16〜30 2006年2月5日

 一人の青年がイエス様のもとに来て「永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」と質問した。13節から15節で、弟子たちが、幼な子らを見て天国にふさわしくないと考えたのとは対照的に、今度は、富める青年を見て天国にふさわしい人だと考えたのであろう。誠実な青年は、永遠の生命、つまり真の救いを心から求めていた。けれども彼には、二つの誤りがある。その一つは、自分の力で善を行い永遠の生命を得ようとした事。二つ目は、イエス様が命を得る為に捨てる事を勧めたが、その意味を理解できなかった。青年は人よりも物を愛していたので、目に見えるものを捨てられず、悲しみながらイエス様のもとを立ち去った。(伊藤)

「ぶどう園」 20:1〜16 2006年2月12日

  ある家の主人は、夜が明けると同時に一日1デナリの約束で労働者を雇いぶどう園に送りました。その後も「相当な賃銀を支払うから」と雇いました。主人は皆に1デナリを支払いました。遅く雇われた人はどんなに驚き感謝したことでしょう。主人は恵み深く、遅く雇われた人にも気前よく支払ったのです。16節の「あとの者」とは、少ししか働けなくて少しの報酬しかないだろうと思っている人、「先の者」とは、多く働いたから多くの報酬があるだろうと期待している人のことです。しかし少ないだろうと諦めていた人が「先の者」のような報酬をいただくのです。神様は、救いを求めて来る者に尊い救いの恵みをくださいます。また、あとから救われて少ししか働くことができなかった人にも恵み深く報いてくださいます。それは神様のご一存なのです。19章27節のペテロの「わたしたちは一切を捨てて、あなたに従いました。ついては何がいただけるでしょうか」という質問へのお答えです。(市川)

「仕える人」 20:17〜28 2006年2月19日

 エルサレムへ向かう途中、イエス様は、これから受けようとなさる十字架の苦難と三日目に死からよみがえるという予告をなさいました。ゼベダイの子らの母とは十二弟子のヤコブとヨハネの母です。イエス様の「何をしてほしいのか」というお言葉に「あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるように、お言葉をください」と願いました。マルコによる福音書には本人たちが願っていますから、親子で願ったということでしょう。この言葉に、ほかの十人の弟子たちは憤慨したとあります。このときイエス様は、支配したり、権力を振るうのではなく、仕える人、僕とならなければならない、と教えてくださいました。その姿はイエス様のお姿そのものでした。イエス様は仕えられるためではなく、仕えるために、また多くの人のあがないとして、ご自分の命を与えるためにおいでくださったのです。 (市川)

「二人の盲人」 20:29〜34 2006年2月26日

 二人の盲人がエリコの町の道端に座り、物乞いをしていた。時代は彼らに職も生活の保障も与えていなかった。その時、うわさに聞いていた救い主のイエス様が彼らの前をお通りになったので、彼らはこの絶好の機会を逃すまいと思った。そこで二人は「主よ、ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」と大声で叫んだ。「ダビデの子」とはメシヤの称号である。なぜならユダヤ人はメシヤ(救い主)はダビデの子孫から出ると信じていたからである。群衆は二人を黙らせようとしたが、彼らは執拗に叫び続けた。それでイエス様は彼らを呼び寄せ、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねた。彼らは、イエス様が自分たちの目をあけて下さると信じ、「主よ、目をあけていただくことです」と素直に答えた。イエス様はその信仰に応え、彼らの目を見えるようにして下さった。(伊藤)

「エルサレム入城 」 21:1〜11 2006年3月5日

この福音書の著者マタイは、旧約聖書の預言を引用し、イエス様のエルサレム入城の様子を記している。イエス様がエルサレム付近のベテパゲに来た時、弟子たちをある村に遣わし、子ろばを連れてこさせた。それは旧約聖書ゼカリヤ書9章9節のみことばが成就したことを示している。イエス様がろばに乗ってエルサレムに入られる時、大勢の群衆は「ダビデの子に、ホサナ。主の御名によってきたる者に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」(9節)、と詩篇を歌い救い主を歓迎した。ところが世の権力者たちは、群衆がイエス様に従い賛美していることに対して危機感を募らせた。こうした中で対立の溝は深くなっていった。 (伊藤)

「宮きよめ」 21:12〜22 2006年3月12日

 イエス様はエルサレムに入城された日、すぐに宮に行き、あたりを見回された後ベタニヤに宿泊されました。翌日宮においでになり、宮きよめをされました。宮で商売をしていた人々は、ささげものの鳩や動物を売りさばいていました。一般の人は礼拝のために自宅から動物を連れて来るのは大変でしたし、動物に少しでも傷があればささげられませんでした。ですから傷のないものをここで買ったのです。また献金のためには、各国の貨幣をイスラエル貨幣に両替する必要があり両替人がいました。柔和なイエス様が、人々を激しくみな追い出し、両替人の台や腰掛をくつがえされ旧約聖書を引用なさって「わたしの家は、祈りの家ととなえられるべきである」と、神様が求めていらっしゃる祈りと礼拝の心を教えてくださいました。   (市川)

「何の権威によって」 21:23〜32 2006年3月19日

 イエス様は、人々の歓声のうちにエルサレムに入城され、翌日は両替人の台を激しくくつがえされ宮きよめをなさり、病の人々をおいやしになりました。宮で教えておられると、祭司長たちや民の長老たちが「何の権威によって、これらのことをするのですか」と問いただしました。しかし、彼らはイエス様がどなたであり、何の権威によってこれらをなさっているのか、わかりかけていたのです。それを知っておられたイエス様は「わたしも一つだけ尋ねよう」とバプテスマのヨハネの働きの権威はどこからであったか質問しました。彼らは「もし天からだと言えば、なぜ彼を信じなかったのか、とイエスは言うだろう」と、「わかりません」と答えました。彼らはヨハネもイエス様も神様の権威と導きのうちに語り働いていることを知りながら固く心を閉ざしたのです。それに比べ取税人たちは素直にヨハネの言葉を受け入れ、罪を悔い改めイエス様を信じたのです。(市川)

「隅のかしら石」 21:33〜46 2006年3月26日

この譬において、ぶどう園はイスラエル民族、農園主は神様、農夫たちはユダヤ人の宗教指導者たち、主人が遣わしたしもべは、預言者たちを指している。神様は、指導者たちを信頼し民を委ねたが、彼らはその信頼を裏切って預言者たちを迫害し、神の子を殺してしまう。イエス様は、彼らがしていることの恐ろしい罪を暗示し、彼らに悔い改めを迫られている。イエス様はこの譬の後に、詩篇118篇22,23節の御言葉を引用し、自分がユダヤ人に見捨てられる事を語っている。ユダヤでは石で家を造るが、その時に、役に立たない石は投げ捨てられる。ところが役に立たない石が、建物の四隅のかしら石となったのである。これはイエス様の十字架の死が、神の国という霊の家を建てる最も重要な基礎となったと言う意味がある事を教えている。(伊藤)

「王子の結婚披露宴」 22:1〜14 2006年4月2日

この譬は、21章のぶどう園の悪い農夫たちの譬とよく似ている。イエス様は宗教指導者たちとの論争が始まる前に、この譬をもって、神様に招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないと教えている。神様は、王子の披露宴に全ての人を招いている王のように、その民を神の国に招いておられる。しかし招かれた彼らは、様々な理由でこの招きを拒否している。そこで町の大通りに出て行って出会う人を誰でも招き、披露宴に出る礼服までも、王の方で用意している。しかし、そうした心遣いも無視して、礼服を身に着けない人がいた。王はその人を外に放り出してしまった。だから私たちも、十字架によって用意された救いの衣をしっかり身に着けているべきである。(伊藤)

「神のものは神に」 22:15〜22 2006年4月9日

パリサイ人たちは、イエス様をわなにかけようと彼らの弟子たちと、ヘロデ党の人々を遣わしました。ヘロデ党は、ローマ皇帝カイザルに忠誠を尽くしてヘロデ家を盛り返したいという人々で、イエス様が税金を納めなくてよいと答えるに違いないから、そのときは激しい反撃に出るつもりでした。そのように納税拒否の答えなら、ヘロデ党をはじめ権力階級から反逆罪に問われ、納めなさい、と答えればユダヤ愛国者や一般民衆が敵視したでしょう。イエス様は貨幣を見させて「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」(21節)とお答えになりました。ペテロ第一2章13節に「すべて人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい」とあり、上に立つ権威は摂理の中に神によっていると、パウロも「彼らすべてに対して、義務を果たしなさい。すなわち‥税を納むべき者には税を納め‥」(ローマ13章7節)と教えています。同様に、神様を信じているか、いないかにかかわらず、すべての人は神様の恵みによって生かされているのですから、神様への感謝と従順をもって生きるべきなのです。        (市川)

「神の力」 22:23〜33 2006年4月16日

サドカイ人は、復活を否定し、モーセの律法のみを信じていました。また政治的な立場の人々が多く、最高議会であるサンヘドリンの大半をしめていました。ここで彼らはイエス様に、申命記5章のみ言葉を引用して質問しました。イエス様は「あなたがたは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている」と彼らの不信仰を指摘なさいました。神の力を知らないのは、聖書を知らないからだと。聖書を通してのみ、神様について、神様の御力、偉大さについて知ることができる、と教えてくださいました。復活についてパウロはコリント人への第一の手紙15章で「しかし、ある人は言うだろう。『どんなふうにして死人がよみがえるのか。‥』‥おろかな人である。‥肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである」と教えています。(市川)

「いちばん大切な戒め」 22:34〜46 2006年4月23日

 ユダヤ人たちにとって、律法の中でいちばん大切な戒めはどれか、という問題はいつも論争の的であった。ユダヤの古書「タルムード」に「モーセの律法には『何何するなかれ』という戒めが365、『何何すべし』というのが248、合計で613」あると言う。一人の律法学者が、イエス様のところに来て「先生、律法の中でどのいましめがいちばん大切なのですか」と尋ねた。するとイエス様は答えて、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』」と仰せられた。つまり神様を愛する事と、人を愛する事は、二つのようで実は一つなのである。(伊藤)

「律法学者とパリサイ人の偽善」 23:1〜12 2006年4月30日

律法学者やパリサイ人たちが、イエス様との論戦に敗れ去ると、イエス様は群衆や弟子たちに対して、律法学者やパリサイ人たちの偽善を指摘し、彼らにならわないように諭した。彼らはモーセの律法を説いているので、彼らの言うことには従っても、言っていることはならうなと教えた。生命のない宗教には、いつでも形式的な事柄が優先されるものだ。彼らが「経札を幅広くつくり、その衣のふさを大きくし、また、宴会の上座、会堂の上席を好み、広場であいさつされることや、人々から先生と呼ばれることを好んでいる」(5〜7節)とはその実例だ。イエス様も、「人を生かすものは霊であって…中略…。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である」(ヨハネ6:63)と言っておられる。(伊藤)

「本末転倒」 23:13〜22 2006年5月7日

イエス様は群衆と弟子たちにお話なさった後、今度は「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ」と彼らに直接語っていらっしゃいます。まず彼らの教えの誤りについて指摘なさいました。彼らは人々に、天国に入るために必要な正しい知識を与えないばかりか、かえって、誤った教えを教えていたからです。次に彼らの本末転倒の教えを指摘なさいました。救いか滅びかという重大な選択をしなければならない人々に、枝葉末節の教えを守らなければ神の祝福を受けられないと教えるのは混迷に導きいれることです。イエス様は神殿や祭壇より神様ご自身を尊ばれました。神様を抜きにして神殿も祭壇も供え物も中心的なものではないからです。(市川)


「白い墓」 23:23〜39 2006年5月21日

本末転倒の一例は、はっか、いのんど、クミンです。これは料理や薬に用いられました。モーセの命令以外の草木にいたるまで、十分の一のささげ物の教えを当てはめながら、神様への忠実、愛やあわれみについては忘れているのです。大切な小さなこともありますが、救いか滅びかという根本的な分かれ道に立たされている人々に対して、もっと重要な教えを与え導くことが大切なのです。そして、パリサイ人の偽善を指摘しておられます。ユダヤでは死人の墓は汚れたものですから過越し祭りが近づくと、巡礼者がまちがって墓に触れ汚れを受けないように、エルサレム周辺の墓を白く塗って目立たせたのです。イエス様は内側、すなわち心が清くなればおのずと外側の行いも清くなると教えておられます。  (市川)

「終わりのしるし」 24:1〜14 2006年5月28日

イエス様の弟子たちは、神殿の素晴らしさに目を奪われていました。その時、イエス様は弟子たちに、世の終りが来ることとそのしるしを語られたのです。ここに記されているのは、直接的には紀元70年のエルサレムの滅亡の姿ですが、それは同時に、世界の終りが来る時の予表なのです。世の終りとそのしるしについて尋ねた弟子たちに対してイエス様は、偽キリストの出現、戦争と不安、民族的対立、飢饉と地震などを語られました。それらは現在、世界的な現象であり、多くの人々が世界の終りを感じているのです。クリスチャンも迫害を受け、そのために「多くの人がつまずき、互に裏切り、憎み合う」と記してあります。だからイエス様はあわてることなく、「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」と教えられたのです。(伊藤)

「終末と再臨」 24:15〜31 2006年6月4日

 イエス様は、エルサレム包囲を中心とする大患難の日に、どのようにしたらよいかを語られた。すなわち、エルサレム滅亡の時が到来すれば「荒らす憎むべき者」であるローマ軍の旗が、神殿の上にひるがえる。その時は、ぐずぐずせずに「ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。…中略…畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな」(17,18節)等の警告をされた。後日、多くのクリスチャンがこのみことばを思い起こし、助かったということである。世の終りも同様であるから、このみことばをしっかり記憶しておきたいものである。また世界の終りにはイエス様が「力と大いなる栄光とをもって」再臨される。だから、私たちはイエス様がいつ来られてもよいように、常に備えておくことが大切である。(伊藤)

「目をさましていなさい」 24:32〜51 2006年6月11日

終末の預言が確実であることが語られています。いちじくは葉よりも早く花が咲き、実を結び始めるそうです。ですから葉が出てくると実を収穫する夏が近いとわかるのです。同様に、聖書に記されている終末の前兆が見られたら、時が近づいていると知るべきです、ということです。しかし、その日その時は父なる神様だけが知っておられます。イエス様が思いがけない時に再臨なさることについて、ノアの洪水の時の様子と、泥棒の侵入ということが挙げられています。洪水が近いことは、ノアによって知らされていたにもかかわらず、人々は日々の生活に心を奪われていました。また悪い僕は「主人はまだまだ帰ってこないだろう」とたかをくくっていました。忠実な思慮深い僕として主のおいでを待つべきだと教えてくださっています。(市川)

「十人のおとめたち」 25:1〜13 2006年6月18日

 終末に備える姿として、忠実な僕の姿に続いて、十人のおとめのたとえで思慮深さについて教えられています。ユダヤの婚礼は普通花婿の家で行われるので、花婿は友人と、夕方花嫁の家に迎えに行くということです。花嫁の友は、花婿を迎えるため、いつでも用意していなければならないのです。この時、花婿の到着が夜中になってしまったので、到着と同時に花嫁の家で婚礼が行われたようです。五人のおとめの思慮深さは、あかりと一緒に、予備の油を用意していたということです。あかりは、目に見えるしるしで、主を信じる者たちと世の人々を区別するもので、毎週礼拝を守り主に仕える教会生活、信仰生活をさし、油は聖霊をさすと考えられます。主を待ち望む生活とは、教会生活、信仰生活、日々聖霊に従順に聴き従い崇めつつ生きる生活なのです。 (市川)

「タラントのたとえ」 25:14〜30 2006年6月25日

このタラントのたとえが、主の再臨に関する教の中で語られていることは意義深い。マタイによる福音書25章にある10人の乙女のたとえは「だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。」(13節)という適用をもって終わっている。それからこのタラントのたとえが語られた。しもべたちは、主人のいない間に、預けられたタラントを用いて主人のために働いていた。したがって、このたとえが私たちに教えているのは、、主イエス様が地上を去られた時から再びおいでになり、清算のために御自身のしもべたちを呼び集められる時までに、クリスチャンが与えられた賜物(タラント)を神のため、いかに忠実に生かしたかということである。  (伊藤)

「羊とやぎのたとえ」 25:31〜46 2006年7月2日

マタイによる福音書25章31節の「人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えてくるとき、彼はその栄光の座につくであろう」とあるのは、イエス・キリストが再臨なさる時の光景である。キリストが地上にお出でになった最初の時には、一切の栄光を捨て、私たちと同じ弱い人間の姿でお出でになり、家畜小屋でお生まれになった。けれども、世の終りの時には、すべての御使たちを従えて、栄光に輝いた姿でおいでになる。そして全人類を一人残らず御前に集められ裁かれる。人類最後の大審判である。しかもこの大審判の時には、羊飼いが、間違いなく羊とやぎとをえり分けるように、イエス・キリストは、全人類を正しく、永遠の生命に入る羊の群れと、永遠の刑罰に入るやぎの群れとに分けられる。これは、まことに厳粛な裁きである。 (伊藤)


「葬りの備え」 26:1〜13 2006年7月9日

6節を「重い皮膚病の人シモンの家におられたとき」と読み替えて下さるようにお願いします。イエス様の十字架の死が刻々と近づいていました。イエス様がシモンの家で食事の席についていらっしゃった時、ひとりの女が香油を入れた石膏の壷を持ってきてイエス様に注ぎかけました。高価な香油のささげものをもってしても、イエス様への感謝は尽きない、信仰によるささげものでした。弟子たちは「なんのためにこんなむだ使をするのか」と憤りました。しかしイエス様は「この女がわたしのからだにこの香油を注いだのは、わたしの葬りの用意をするためである」と、十字架の死と葬りの備えという、意味ある時に適った行いで、福音が宣べ伝えられる所では記念として語られると言われたのです。(市川)

「まさか、わたしではないでしょう」 26:14〜29 2006年7月16日

十字架の前日の夕方、弟子たちは過越の食事の場所をイエス様に尋ねました。イエス様は弟子たちを遣わして、話してあった人に場所の提供をお願いしました。この食事の時「特にあなたがたに言っておくが、あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」、こう言われた弟子たちは非常に心配して、つぎつぎに「主よ、まさか、わたしではないでしょう」と言い出しました。ユダも言いました「先生、まさか、わたしではないでしょう」。イエス様を売り渡したユダの言葉は明らかな偽善でしたが、その夜ゲッセマネの園でキリストが捕らえられると、弟子たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去り、ペテロはキリストなど知らない、と三度否認したのです。そこにわたしがいたらどうだったでしょう。「主を裏切ったのは、わたしかもしれない」ことを心に刻み、お詫びと悔い改めをもって主に従いましょう。  (市川)

「ゲッセマネの祈り」 26:30〜46 2006年7月23日

  最後の晩餐を終えたイエス様と弟子たちは、オリブ山に向かった。その道すがら、イエス様は弟子たちのつまずきと復活について語られた。これは弟子たちがつまずきの後で強められるのを願ったからだ。しかしペテロは、自分だけは決してつまずかないと言い張った。そこでイエス様は「今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないというだろう」(34節)と告げた。ゲッセマネの園でイエス様は、苦しみもだえつつ、うつぶしになり祈られた。その祈りは、人間の罪の深さへの悲しみであり、その悩みは、神の審判である十字架の重みに対するものだった。十字架刑は神から引き裂かれる事であり、耐えられない苦しみだ。しかし、この主のお苦しみによらなければ人間の救いは成就しなかった。(伊藤)

「キリストの逮捕」 26:47〜56 2006年7月30日

  ゲッセマネの園でイエス様が弟子たちに話していた時、ユダに先導された祭司長たち、剣と棒を持った群衆ががついてきた。ユダは「わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえろ」(48節)と合図をしておいたのである。愛と信頼のしるしである接吻をもって、恩師を売ったのである。これは、今日も悪魔が光の衣を装って信仰者たちに近づいてくる常套手段だからよくよく注意が必要だ。この時、血気盛んなペテロが剣を抜き、大祭司の僕の耳を切り落とした。イエス様はすぐに、彼の耳を癒してあげたと同時に、「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる」(52節)と言われた。核の脅威にさらされている世界で、「核を使う世界は、核によって滅びる」という、神様の警告とも読めるのではないか。  (伊藤)

「真夜中の裁判」 26:57〜75 2006年8月6日

  四福音書によれば、イエス様はこの夜、少なくとも六回の裁判に引き回されました。三つはユダヤ教の裁判で前大祭司アンナスの前で、現大祭司カヤパと議会の議員たちの前で、夜明け直後の公式法廷で、他の三つは権力者の総督ピラトの前で、ガリラヤ領主ヘロデ・アンテパスの前で、もう一度ピラトの前で。この時の議会の裁判が不法だったことがよくわかります。真夜中に開廷してはならないのに、非合法な真夜中に行われました。偽証については、マルコ福音書14章59節に「このような証言も互に合わなかった」とあります。イエス様は沈黙ののちご自身について明確に証言なさり、また、ペテロに関するみ言葉が現実になったことも記されています。(市川)

「ユダの死」 27:1〜10 2006年8月13日

イエス様を知らないと三度言ったペテロは罪を悔い改め、主に委ねられた働きを全うし最後は殉教しました。ユダは後悔はしましたが、銀貨三十枚を返した後、悲惨な最期を遂げました。彼にとって、イエス様は「罪のない人」(4節)すなわち、死刑に価するほどの大罪を犯していない人、でしかありませんでした。イエス様に対して罪を犯したので、その罪をイエス様にお詫びするという気持ちにはなっていなかったのです。コリント人への第二の手紙7章10節にはこのようにあります。
「神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。」(市川)

「ピラトの裁判」 27:11〜31 2006年8月20日

イエス様は、「たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人はわざわいである。」(26:24)と言われた。総督ピラトは、イエス様を取り調べても、何の罪をも見出せなかった。にもかかわらず群衆の暴動を恐れるあまり、イエス様を十字架刑の死に渡したのだから彼にわざわいが及ぶのも当然だ。ポンテオ・ピラトの名は、聖書と使徒信条の告白「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」という言葉によって、地上に教会が続く限り、忘れ去られることはない。ピラトは後にサマリヤで流血事件を起こし、自らも裁判を受ける身になったという。ユウセビウスの信仰史によれば、彼は自殺して、その身体はタイバー河に投げ捨てられた、と言われている。(伊藤)

「イエス様の十字架」 27:32〜44 2006年8月27日

 人間の歴史の中で、イエス様の十字架にまさる大きな出来事はなかった。イエス様はヘブル語でゴルゴタ、ラテン語でカルバリという頭蓋骨の形に似ている丘で、二人の強盗と共に十字架にかかられた。ローマの兵士たちは、十字架につけられたイエス様に「にがみをまぜたぶどう酒を飲ませようとした」が、イエス様はそれを飲まなかった。人間のすべての苦しみをそのまま受けとめるためだ。また、十字架の下では、兵士たちがイエス様の着物をくじ引きで分けあっていた。ここで著者のマタイはイエス様の受難についての預言の言葉を引用し、すべては神様のご計画の中で行われ、人間はその事に気づかず、愚かで罪深い行為をしていると強調しているのだ。(伊藤)

「十字架」 27:45〜56 2006年9月3日

 キリストは朝の9時ごろ十字架につけられ、昼の12時から地上の全面が暗くなって、3時ごろついに息をひきとられました。キリストの十字架上の七つの御言葉のうちの一つが記されています。極度の肉体の苦痛以上に、霊的な暗黒を経験なさっておられたことをこの御言葉は示しています。父なる神様は罪人に怒りと呪いをもってのぞむ審判者としてキリストの前に立たれたのです。最愛のひとり子キリストを「お見捨てになった」のです。キリストはこの暗黒の苦しみを受けてくださいました。「キリストに代って願う、神の和解を受けなさい。神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。」コリント第二の手紙、5章20、21節(市川)

「アリマタヤのヨセフとニコデモ」 27:57〜66 2006年9月10日

 ヨハネ福音書と読み合わせると、アリマタヤのヨセフはユダヤ人をはばかってひそかにイエス様の弟子になっていました。しかし今彼は、ローマ総督ピラトにイエス様の死体を取りおろしたいと願い出ました。ニコデモはパリサイ人、ユダヤ人の指導者、教師で、かつてイエス様を夜訪問した様子がヨハネ福音書3章にあります。彼は葬りのために「没薬と沈香とをまぜたものを百斤ほど持ってきた。」(ヨハネ福音書19章39節)とあり、沈香はアロエで、百斤すなわち30キロほど持って来ました。そしてこの園にあった、まだだれも葬られたことがないヨセフの新しい墓にイエス様を葬ったのです。こうして彼らはイエス様に対する信仰を明らかにしたのです。(市川)

「イエスはよみがえられた」 28:1〜10 2006年9月17日

 エルサレムの園の墓には、キリストがここから甦られたという墓地がある。そこの入り口には、英語で「主はここにはおられません。彼はよみがえられた」と書いてある。御使はマグダラのマリヤとほかのマリヤに「かねて言われたとおりに、よみがえられた」(6節)と告げた。復活のイエス様も二人の婦人に現れて「平安あれ」と挨拶された。二人の婦人は、愛していたイエス様がよみがえられたことを心から喜び、近寄りイエス様のみ足をいだいて拝した。この二人の婦人はイエス様の十字架の下に立ち、埋葬にも立ち会った。だからイエス様は、彼女たちに最初の復活のお姿を現されたに違いない。また弟子たちにはガリラヤへ行くようにと告げる事を命じた。(伊藤)

「世界伝道への命令」 28:11〜20 2006年9月24日

 イエス様がよみがえられたことは、墓の番人たちによってすぐ祭司長たちに報告された。祭司長たちは相談をし、番人たちに金を与えてデマを流した。それがユダヤ人の間に広まった。一方弟子たちは、婦人たちに告げられたようにガリラヤへ行き、復活のイエス様と再会し、礼拝した。勿論まだ信じられない者たちもいた。そうした弟子たちにイエス様は、世界伝道への命令を与えられた。全世界の人々に福音を伝え、洗礼を授けなさいということだ。そして、イエス様が一番言いたかったことは、人々を聖書のみことばによって訓練し、弟子となるようにする事だ。決して洗礼を受けたからそれでおしまいというのではなく、主のために役立つクリスチャンとなり、神の栄光を現す事が、私たちに語られた主旨である事を忘れないようにしたい。(伊藤)